川上未映子

2014.08.23

CREA Webでのお悩み相談、わたしも悩んで

 なんかちょっと涼しかったような気がした今日ですけれども、みなさんお元気でいらっしゃいますか。小学生のときにちょっと描いてみた少女漫画のタイトルが「残暑お見舞い申し上げます」っていうタイトルだったことを、なぜか突然いま30年ぶりくらいに思いだしたけれどそしてすぐに忘れるんだろうと思います。
 
 そうです! CREA Webで募集しておりました、出産&妊娠&育児その他もろもろにまつわるお悩み相談、たくさんのご応募をありがとうございました!
 
 どれも切羽詰まりかつ、やっぱり女ともだちに「なあなあ」みたいな感じで話しかけてくれるようなあんばいでもあり、お寄せくださったなかからこちらも悩みに悩んで二回にわけて、それぞれ3名の方へのお答えを掲載させていただいております。そして採用させていただいたみなさまには署名入りの『きみは赤ちゃん』をお送り差し上げます。みなさん、ほんとにどうもありがとうございました!

 川上未映子のお悩み相談はこちらから! まずは前半の3名の方々!どうぞお読みくださいませ!後半もまたお知らせいたしまーす。ねばねば。
 

2014.08.22

まんまんちゃん、あん!

 少しまえから、オニ(2歳・息子)のおむつを替えているときや入浴しているときなどに、オニが自分のおちんちんに手をやって、「ちんちん!」などとうれしそうに言うようになった。おお、これも身体の発見だのう、と微笑ましく、「そうだね、オニのちんちんだね」などと言って笑っていたのだけれど、最近はそれにくわえて、わたしの股間をじいっと見つめてから「……かあか、ちんちん、ないっ!」とつけたすようになってきた(かあか、とはわたしのことです)。

 そうだよ、かあかはちんちんないよ、と最初は何の気なしに答えていたんだけれど、入浴するたびに、自分のおちんちんを楽しそうにさわりながら、「ああ〜、かあか、ちんちん、ないっ! オニ、ちんちん、あるっ!」と言うので、またもや「そうだね」と相づちを打って笑っていた。しかしさらなるオニの質問は、「なんで、オニにちんちん、あるの〜?」というもので、「……それはオニが、男の子だからかな。気持ちはともかく、いまのところ、体がね」とか答えていたのだけれど、そのすぐあとで、またわたしの股間をじっと見て、「かあか、ちんちん、ない……」とつぶやくのだった。ないねえ〜など答えながら、しかしわたしは、「まちがってことは言ってないし、2歳の息子のなんの意味もないふるまいなのだから深く考える必要はまったくないけど、でも、これって受け答えとして、なんか十分じゃないような気がする……」と、頭に泡をつけたまま、10秒くらい考えこんでしまったのだった。

 そう、わたしには、おちんちんはない。しかし、おちんちんでないものはついている(というか、ある)。しかし、こういうとき、わたしはオニになんと伝えればよいのだろう……。すぐに「まんまん」という言葉を思いついたのだけれど、しかしオニがそれを覚えて、保育園で女の子の股間を見つめて「まんまん」と笑いながら言うことを想像すると、そしてそれをその女の子たちの保護者のかたが聞いたりなんかしたら、それってなんかちょっとあれなんでは……というような気持ちがさっとよぎってしまったのも、本当のところなのだった。

 そう。女性器って、あらゆる意味で、奪われた存在というか、ないことになってるものなんだよね。これだけ日本中いたるところでつねに消費されまくってるのもかかわらず。いや、ないことになっているから消費されるものでしかないというべきか。

 この問題については、色んなところで色んな人がそれはもう昔からくりかえし指摘しているし、改善しようとしてるし、つい先日も、アーティストの象徴的な逮捕事件が起きたばかり。
2歳の男の子や女の子が「ちんちん」と笑って言ってそれをまわりも笑って受け流すことができるのなら、2歳の男の子や女の子も笑って「まんまん」と言っていいのだし、そしてそれを受け流すことができなければおかしいやないの。でも、そういうのって頭ではわかっていることなのに、わたし自身、「オニがまんまんというのは、ちょっと、あれなんではないか」ととっさには思ったわけだし、こういうときに自分の性器を名指す言葉を今もって持っていなかった、というのも、じっさいのところなのだった。
 
 そう、こんなのどこにでもある他愛もない話でしかないのだけれど、しかし。
「ちんちん、ある!」というさっきのオニの声が、なんだか頭に残るのである。

 これって何かと思ってみたら、「ある」と「ない」では、やはり「ある」が優位であるという実感で、そこにひっかかっていたのである。
オニからしてみればあって当たりまえの「ちんちん」が、かあかには、ない。オニにちんちんがあるのは、オニが男の子だから。で、かあかにちんちんがないのは、かあかが、女の子だから。もちろん2歳のオニがそのように「ちんちん」や「ある」とか「ない」といった概念や価値めいたものを今の時点でとらえるということは考えにくいけれど、しかし三つ子の魂なんとやらというではないの。「男の子である自分にあってあたりまえのものが、女の子にはないんだ……」というふうな淡い認識が、いつのまにか、「……女の子って、大事なものが最初から欠けてるんだ」みたいなあんばいに、ゆくゆく変化し、刷り込まれないとは限らないではないだろうか。
 しかも、三つ子の魂どころか小学校高学年あたりになるまで、ほとんどの場合は、「まんまん」の存在は隠されたままなのだ。女の子には「ちんちん」に相当するものがまるでないかのような具合なのだ。
まあ、外から見えないという形状の問題も多いに関係しているとは思うけれど、例えばおしっこなんかも、なんか、不思議でよくわからないところからしゃっとでることになってるし、わたしが子どものころだって名称はなかったし、それについて何かを話していいような雰囲気なんていっさいなくて、完全に「ないもの」として、女の子たちは自分の「まんまん」を抱えていた。
欲望されるものだから「ないもの」にされているのか、それとも「ないもの」だから欲望されるのか。おそらくそれは同時にあるのだろうけれど、しかし、いまも昔も、女性の性器が「ないもの」になっていることには変わりはない。

 ついこないだも、男性の老議員たちが「われわれの世代は、どうしても女は下、女のくせにという発想から自由になれない」みたいな発言をして、「だから引退します」でも「だから認識を改めます」でもなく、「わしら変わる気ないしいまさら変われんし、今後もこれでいくからみなさんヨロシク」みたいな顛末でまじで暗澹たる気持ちになったけど、この無根拠かつ腐った差別の認識のはるか根っこには、社会的な構造とか単なる勘違いとか体力や身体の大きさの差異や色々あるだろうけど、さきに述べた、「ちんちん、ある!」の優越感が、あまりにベタで恥ずかしいけれど、しかしほのかかすかにでもあるはずなのだ。挿入する者はされるものよりも優位である。そして挿入できるのは、ちんちんがあるからなのだ。

 世界において家庭というユニットはあまりに小さく、また非力なものではあるし、こんなん焼け石に水っていうか砂漠で針を探すっていうか喩えが間違ってるような気もするし世界の荒波&常識においてはひとたまりもない心意気でしかないかもしれないけれどでも、男を生んだわたしにいまできることをわたしはやるしかあるめえ……ってなぐあいで翌日、「ほな、お風呂はいろか」とオニの服を脱がせおむつを脱がすと、でてきた、かわいらしい、ちんちん。オニはまたもや自分のちんちんをさわって、「ちんちん、ある!」と楽しそうに遊び、そしてわたしの股間をじっと見つめ、「かあか、ちんちん、ない!」とこれまたうれしそうにくりかえすのだった。しかしわたしはもう、昨日とおなじような返事はしない。いいですかオニ。そこからは何も見えないけれど……

 わたし「かあか、ちんちんないけど、まんまん、ある!」
 オニ「?」
 わたし「オニ、ちんちんあるけど、まんまん、ない!」
 オニ「……」
 わたし「かあか、まんまん、ある!」
 オニ「ま……」
 わたし「オニ、ちんちん。かあか、まんまん。おなじ」
 オニ「まんちん……」

 みたいなあんばいで、まだ何も理解してないであろうオニに、「まんまん」という存在のちょぴっとだけは伝わったような、そうでもないような……。
 ともかく、ちんちんが許されるなら、まんまんも許される。ちんちんだけがだるだるに甘やかされるということはないのだということをまずは我が家の常識として、一緒に入浴しているあいだはやっていこうという所存である。このささやかな革命の姿勢が、保育園の保護者のみなさまにどれくらいご理解いただけるかはまったくもって未知数ではあるのやけども……でも、変えたいんなら自分のとこから変わるしかないですしな……って、思い返せば。「ちんちん電車」はよくても「まんまんちゃん、あん!」を言うとちょっと笑われる、笑われてきたあの感じ! まあ方言による慣れ不慣れってのもあるけども……ともあれ、色々なものを正しい場所にもどしたり、とりもどしたりするのは、それが形のないものであればあるほど、時間がかかり、また困難であるものよな、と思いしる暑すぎて息をするのも何かしらの危険を感じざるをえない残暑なのだった。

 

 ところでところで、『きみは赤ちゃん』、みなさんに楽しく読んでいただいてるみたいで、激烈うれしいです!! ほんとにほんとにありがとう。でも、発売してから半分以上の日数、ネット書店では品切れがつづいて、ほいで都内の書店にもほとんどどこにも在庫がない状態で、申し訳なく思っています。重版しているからじきに回復すると思うのだけれど(ただいま4刷!)、でも読みたいって思ったときにこういうのって読みたいですよね……うう、ごめんなさい。どうか、もうちょっとだけ、お待ちになって。それまでは、こちらママ友対談をお読みくださればさいわいです!っていうか、すべての在庫、はよ回復して、お願い!!!

2014.08.12

品切れ、ちくわぽーい。

 またもや、またもやAmazonで「きみは赤ちゃん」が品切れになってしまい、せっかく頭に胸に血色がもどってきたのもつかのま、頭と胸どころか口のなか、耳の奥まで真っ青な気持ちでおります。
 「またもや品切れって、これってどれくれらいまじでまじですか」というやりとりを、またもや白目で秒単位でくりかえし、くりかえしながら、「な、なんかこういうこと、ついこないだもやってたよな……」と思えば、ただでさえ育児中というのは毎日おなじことのくりかえしで、どこまで行っても巨大なきしめんのうえをきいきい言いながら転がるようなあんばいなのに、そんな時間のなかのどこに自分がいま立っているのかもうろうろになるのに、短期間でおなじ状態をくりかえすと本当に揺らいでしまう「今・ここ」なのだった……。
 リアル書店でお買いもとめいただければ最高にうれしいのですが、このあいだも書いたけれど、「きみは赤ちゃん」は、育児中で家からめったに出られない人、そして出てもゆっくり本など見てまわる時間のないみなさんにまずは……という気持ちがあるので、ネット販売でこういうことになってしまうと胸がみしみし鳴って、できることなら求めてくれる人みんなに免許もってないから自転車か徒歩ってことになるけど気持ちは宅配したいくらいのじりじりでおります。

 とはいえ、品切れでないネット書店もいくつかありまして、こちらからならば、すぐにお手元に届きますので、どうぞよろしくお願いします。
 hontoネットストアは24時間以内に発送されます。そのほか、紀伊國屋ジュンク堂などなど書店が運営しているWebストアもありますので、どうぞよろしくお願いします。本がお手元に届きますまで、こちらで、ママ友対談をお読みくださいませ。

 そして、先日スーパーでとおりすがりのお母さまに、「忙しいときはさっとちくわをにぎらせればいいのよ……」と耳元でささやき教えてもらったので「それでいこ!」ってな感じでオニ(2歳・息子)に、さっとにぎらせてみたら、2秒くらい凝視したあとぽーいと投げられて玉砕のいかれこれ。ちくわぽーい。

2014.08.08

「婦人画報」「FRaU」、こんなだったか夏

 しかし夏、こんなだったか夏、これまで37回くらい経験してきたはずの夏なのに、まるでこれが初めての夏かと錯覚するほどまっさらな更新をつれてくる夏なのだった。や、何度おなじ季節をかさねようとも、この夏はこれまでの夏とは関係なく、つねに最初の夏なのだけれど、とにかく暑いね、あまりの暑さに目が奥が暗くなる瞬間も、蓋めいた青空、熱せられるアスファルト、燃える緑、いつも少しだけ見える猫、それらのぜんぶたぶん高温、なにもかもが少しずつ、けれど完全に白とびしていて、ああ懐かしの、これは全体としての白痴である。

 発売から2週間目で、2週間近く(!)アマゾンや楽天などで品切れ中で、「これまじでほんまにまじでどれくらいまじ?」っていうのを一日にたぶん瞬きの数とおなじぐらい白目になってつぶやきつづけたわたしだけれど、「きみは赤ちゃん」、昨日やっとこ無事に入荷されまして、胸にも顔にも血色がもどってまいりました。さらにおかげさまなことに、ただいま増刷中でして、ご迷惑おかけしましたが、この機会にぜひお手にとってお読みくださいませ。クレアウェブのほうで募集しておりました「妊娠&出産&育児のお悩み相談」への質問への回答もおわり(たくさんのご応募ありがとうございました)、そちらも近日中にアップされる予定でいます。こちらもまたお知らせしまーす。

 で、「きみは赤ちゃん」についてのインタビューが掲載されておりますので今日はそのお知らせなど。
「婦人画報」は辛酸なめ子さん(誕生日がおなじ!)によるコーナーで久しぶりにお会いした辛酸さんとのひとときはあっというまでもっとおしゃべりしたかった辛酸なめ子さんによる、イラスト&ツーショットもついていますのでぜひともお手にとってお読みくださいませ。ここで雰囲気をばチラ見せ……。

 

「婦人画報」

 

 そして、「FRaU」での連載「伝説のコスメ」(2回目のことお知らせし忘れたけれどランコムのマスカラでした)、今回はクラランスのスリミング……これがもうどれだけすごい超ど級の代物であるかは本文に思いきり書きましたので、どうかご確認くださいませ。これはもう魔法な魔法。妊娠&出産&育児の置き土産っていうか積み残しっていうかの肌のさまざまな残念さがひと塗り&ひともみで生き返るのをわたしは見たよん。

 

kurarannsu写真

2014.08.01

品切れとちくわ

 妊娠&出産経験の有無にかかわらず、そして男性にも女性にも読んでほしいと思っている、『きみは赤ちゃん』なのだけれど、まずは妊娠中の人、そして出産を終えて怒涛の育児生活に突入したみなさんに読んでほしいなという気持ちもあって、そう……ちょっとくらい出かけたいけどわたしが出かけたら家と子どもはどないなるねんどうにもならんやろ的なかた、そして、出られたとしても書店でゆっくり本を眺めたりする時間なんかどこにあるねんそんな時間世界のどこにもあるわけないやろ的なかた……つまり、満身創痍で文字通りギリギリの日々を過ごされているみなさまにとっては、本当に大事なネット販売なのだけれど……Amazonで品切れになってから、はや一週間がたとうとしております。ほいでもって楽天でも品切れがつづいております。

 
「これってどれくらいまじですか」と版元に問い合わせてみたのですが、どうがんばっても入荷は8月7日以降になってしまうみたいで、その返事にあらためて「それってどれくらいまじですか」とたずねても状況が変わるわけでもなく、著者としてはなんとも途方に暮れておりますところで、暮れに暮れきって顔が夜になってるところ。

 
 もちろん現実の書店に行ってくだされば在庫はあるはずなので書店で見つけてくださって入手いただければそれがいちばんありがたいのですけれど、自分の経験から言って、妊娠中はさておき、出産からすぐなんて数ヶ月のあいだって書店にでかける気力もないし、暑すぎるし、この時期の赤ちゃんやお子さんとの外出には何らかの覚悟が必要とされるわけであって、とにかく、体力も気力も著しく低下している真っ最中な、そんなあんばい。でも、夜のちょっとした時間に、スマートフォンのスクロールばっかりじゃなくってさ、指先でぱらりと紙っぽい何かをめくって読んでみたいな昔みたいに……なはんていうよな気持ちになることってすごくあって、そういう気持ちとムードのために、『きみは赤ちゃん』がなによりもかによりも届いてほしいと熱々に思っているのに……ああ、ほんとうにごめんなさいやで。本が入手できるまで、19歳のときからの親友&そしていまはママ友でもあるミガンとの対談を読んでいただければうれしゅう存じます。

 
 しかしすぐに届くネットストアもあって、7NET、ほかにはhontoネットストアなどなど、24時間以内に発送されます。そのほか、書店が運営しているWebストアもありますので、どうぞよろしくお願いします。

 
 ところで今日はスーパーで「流水そうめん」っていうのを発見して絶句&思わずひれ伏したくなって、商品名そのまま流水でさっと洗うだけでそうめんが食べられるなんて知らなかった。それから、ちくわ。ふだん食べないからノーマークだったけど、一瞬隣合わせになったやっぱり2歳ぐらいのお子さんを連れた女性が耳元で「……忙しいときは、さっとちくわを握らせればいいのよ……」と教えてくれて目から鱗。『ちくわのわーさん』とセットでしばらくいけそ。

2014.07.23

歯と、夏のはじまり

歯の定期健診に行ったらば、新たに小さな虫歯があるということで治療。ぜんぶでみっつ。歯は強いほうなのになぜ……と思うも、妊娠期間と産後、カルシウムが面白いほど子どもにとられてしまうわけで、たしかに生んだ直後も、何気に奥歯がぱきんと欠けたりした。もはや、子どもを生むまえの自分や世界というものは存在せず、まったく別の世界の住人になったのだと思い知るしか生きていく方法はないのだけれど、厄介なのは過去の記憶や人間関係や仕事のあれこれも継続してたりするわけで、この二重責務めいたすべてが、子育てのしんどさのエッセンスなのだろうと思う。生んだあと、いったん記憶喪失とかになっていれば色々話は早かったのかもしれない。けれど、それは無理な相談ね。

ともあれ歯医者。
最近は麻酔をするにしても針をさすところをまるめたコットンで麻酔してくれるので、何もひとつも痛くない! ありがたい。こちらのことは何も気にせず、思う存分に徹底的に削って治してくださいと、まるで太平洋みたいな気持ちになる。けれど、ここでも頭をよぎるのは息子(通称オニ、おにぎりのオニで、アクセントは、オの部分)のこと。
あーんと口をあけるとすでに石臼のように立派な歯が生えており、何でも食べるし、親の責任として、日夜、歯磨きをせねばならない。しかしこれが大変に面倒、かつ、しんどくて、相手が子どもであれ何であれ、泣いて厭がる者にたいして何かを無理やりしなければならない、ということは、端的に、ものすごく、心が折れる作業なんである。

歯磨きだけでなく、もはや永遠にイヤイヤ期をさまよう準備ができていそうなオニ。
機嫌の悪いときはすべてを拒絶し、「そんなに、なにが、イヤかー!」と聞くと、「ぜんぜん、ちがーう!」とかわけのわからぬ返しをよこし、それでも人間として健康に生きてゆくために、さまざまな人たちと共存してゆくために、いろいろなこと刷り込んでゆかねばばならない。
でもそれは、生成そのままである子どもにとってはストレス以外の何ものでもなく、薄汚れた大人になってしまったわたしにもその気持ちは想像できるので、そのたびに気持ちがどんどん暗くなるのだ。喉のあたりが「ウッ」となる。できれば、何も教えたりしたくない。けれど、それも無理な相談ね。

しかし。家の、アットホームで甘々な、こちょこちょした歯磨きですらあの絶叫&拒否。もし虫歯ができて、このように仰向けに寝かされて口をあけて治療せねばならなくなった場合、オニはいったいどうなるんだろう。そんな現場につきあうことだけはどうか勘弁してほしい。想像するだけで寝込んでしまいそう。しんどすぎて。一度、レントゲンを撮ったことがあるのだけれど、暴れるオニはずっしり思い鉛でできたような網で固定されて「大漁」みたいな感じになって、親は退場、廊下にまで響き渡るその断末魔の叫びはこちらにとっても軽いトラウマになったほど。
それが……歯医者に連れてゆき、泣き叫ぶオニ寝かせて押さえ、歯を削ったりする……そしてそれを何回も繰り返すことになるのかと思ったらぶるぶると寒気がして、それに比べたら毎日の「ウッ」がなんであろうか……今日もせっせと歯を磨く日々なのだった。先取りすることで何かを回避できていると思いたい、そんな夏のはじまり。そして「歯というのは、どのような力によって生えてくるのか今もってわからないのだ」という説を思いだして、ああ、そういうところ、子どもと似ているな、と思ったり。エネルギーのでどころの不思議。生成の不思議。子どものくちの中にいつのまにか生えてきてひしめく白い歯を見ていると、入れ子感が炸裂して、なんだかそわそわしてしまう。

 

 

そして今日は、都内のいくつかの書店へお邪魔して、『きみは赤ちゃん』のサイン本を作成させていただきました。男性の方からは、
「これを読んだ知り合いが、夫にたいして、本当に腹がたっていたことをあらためて思いだして、家出したんですよ……」とか、
「妻がそんなに大変だったことを、この本読むまで知りませんでした……」とか、
「この数年間、なぜ妻の機嫌が悪いのか、なぜ妻がずっと怒っているのか、初めてわかりました……」とかとか、そんなご感想をいただいて、いやあ、出産&産後の家庭には、ほんとに色々ありますよね。
基本的には、妊娠、出産、育児における具体的なこと(出生前検査とか、無痛分娩のこととか)、女性の体と心の変化について、赤ちゃんという存在のあれこれについて書いた本なんだけれど、夫婦関係の変化や、その対策にかんしてみなさん興味を持ってくれる人も多いみたい。
いっぽう女性の方、とくに出産を経験された方からは、
「当時はうまく言葉にできなかったけれど、妊娠中とか、産後のあの日々って、ほんとにそんな気持ちだった。懐かしい」とか、
「わたしの乳首はタイムマシーンにはならなかったけど、でも似たような感覚、あった」とか、
「とにかく夫に読んでほしい。いまのわたしの気持ちのすべてが書いてある」とか、
「子ども生んでみたくなった。迷ってたけど、やってみるか」とか、
「あらためて、ほんとに子どもがいとしく思える」とか、
そんなご感想をきけたりして、うれしかったです。
そして現在発売中の『LEE』にインタビューが、日曜日の読売新聞にもインタビューが掲載された模様です。そのほかも、追って追って。

そして、19歳のときからの友人、『きみは赤ちゃん』にも登場するヘアメイクのミガンとわたしとの「ママ友対談」が掲載されています!
前編後編を合わせてどうぞ!!
なんか、大阪弁なので「うどんのうーやん」みたいなノリになってるけれど、どうぞよろしくう。

しかし今日は暑かったですね。息をするだけで、瞬きするだけで、何かを無理矢理に飲まされるようなそんな暑さだった。7月でこれ、8月は、どんな。

2014.07.16

赤ちゃんの登場と、この世界からの去りぎわ

 妊娠していたのはもうまるまる二年前のことになるけれど、ときどきぼんやり思いだすことがある。それはわけもなくやってくる安堵感というか、茫洋感というか、そういうような感覚。人によっては妊娠初期からそういうのを感じる人、あるいはまったく感じない人ももちろんいるみたいだけれど、わたしの場合は、臨月のころだった。体やホルモンの変化のせいで、うまく頭が働かなくなって、なにもかもをだんだん束ねられなくなってゆく、あの感じ。思考じたいが、どんどんだるーく、にぶーくなっていってゆく、あの頃の感覚を、ときどき思いだすんですよね。

 子どものころ、おばあちゃんとかおじいちゃん──そう、もう歩くのもゆっくりゆっくりで、話しかけてもこちらの言葉がちゃんと伝わってるかどうかもちょっとわからないような、そんなおばあちゃんやおじいちゃんを見るたびに、みんな、毎日が、こわくないのだろうかといつも不安に思っていた。
 正確な年齢はわからなかったけれど、たぶん85歳とか90歳ぐらいに見えるおばあちゃんたちは、このさき最大に生きたとしても、あと数年も経ってしまえばおそらく死んでしまうわけであって、そしてそのことは本人たちがいちばんよくわかっているはずなのだ。あと数年のあいだ、そんなにさきではないいつかに、必ず自分は死んでしまう。死んでしまうってわかっているのに、なぜ、おばあちゃんたちはそんなことに耐えられるのかが、子どものわたしにはまったく理解できなかった。もし、わたしがあと5年しか生きられないと言われたら? そう言われたら言われたで受け止めるしかないにせよ、でも、あんなふうに毎日を過ごすことってできないような気がする。なんでおばあちゃんたちは、平気なの? そんな、生きているよりも死に近いといえるようなおばあちゃんたちを見ると、いつもいいようのない不安と恐怖に包まれていたのだった。

 で、少しさきにやってくるものに対しての不安と恐怖といえば、妊娠と出産も、もちろんそうだった。
 スヌーピーの横顔かってくらいに巨大にせり出したお腹のこの中身を、あんな小さなところから出さねばならないのだ。出す以外にはもう、道はないのだ。出すしかないのだ。ぜったいに逃れられないのだ。あらためてそう思うと、妊娠してるあいだは ヘイッ! っと頭がどうにかなりそうだったのに、臨月に入ったころから、なんだか急に、何も考えられなくなっている自分に気がついたのだった。

 まるでふかふかのあったかいお布団でできあがったベルトコンベアーにのせられてただ横になっているようなそんな感じ。行き先もまったく気にならない。何かを考えようとしても、はしから思考がほどけてしまう。感情の粒立ちはやさしく均質化されて、すべてはゆるやかにかきすてられて、これまで味わったことのない、多幸感というか、安心感というか、そういう穏やかな繭みたいなものにくるまれたような感じ。
 なんか、脳の具合がそんなふうになっているとしか思えないような感じだった。このあいだまでたしかにあった焦りも、不安も気がつけばなくなって、ただただベッドで干し芋とかをくちゃくちゃ食べて、過ぎてゆく時間をなんとなーく、ただ眺めている日々。ただ、何もせずにそこにいるだけの、ある意味で満ちたりてるっていってもいいような、そんな日々だったのだ。

 で、わたしはそんな茫洋&茫漠とした頭で、なんとなく、ぼんやりと、子どものころにさきに述べたような不安とこわさをもって眺めていたおばあちゃんたちのことを思いだしていた。ああ、おばあちゃんたちも、もしかしたら、こんな感じだったのかもしれないなあ。こんなふうに、なっていたのかもしれないなあ。さきのこととか、こわいとか、自分がどうなるとかそういうこと、もうべつに何も思わなくなっていたのかもしれない。言いようのない穏やかさというか、鈍さというかに包まれて、だからあんなふうに過ごせていたのかもしれないなあ、と。

 もちろん、わたしは85歳にも90歳にもなったことがないので本当のところは知るよしもないけれど、この世界から退場するとき──もちろん事故やら病気やら退場の仕方にも色々あるだろうけれど、しかし少なくとも老衰的な大往生であるならば、そのときにはもう、不安やこわさというのはないのかもしれない、穏やかで、何も考えられなくなっていって、ただ毎日の時間をやり過ごすだけでいいような、そんな存在になるのかもしれない、ああ、だとしたら、これはあんがい大丈夫かもしれんなー、と、なんともいえない安心感を得たのだった。死ぬの、あんがい、いけるかもなと。

 とはいえ、今だってゆるやかに死にむかっているといえばそうにちがいないわけで、しかしなんとか日々発狂せずに生きているわけだから、人はそもそもそういうつくりになっているのかもしれないけれど。こんなような臨月の日々──だけじゃなくて、妊娠&出産&育児の2年のあいだに、心とからだに起こったことのすべては『きみは赤ちゃん』に書いたのだけれども、新たな生というか、人間というか、人生を世界に送りだすきわきわのところ、もはや赤ちゃんの登場のためだけに存在しているような自分が、退場するそのときのことについて、死について、あんなふうに感じてたなあ、などと、ときどきぼーんやり思いだしたりするのだった。だからみんな、場合にもよるけれど、この世界からの去りぎわは、あんまりこわくないかもよ!

2014.06.20

☆出産&育児エッセイ『きみは赤ちゃん』できたよん☆

 ああ、とうとうこの日がやってきた……!
 刊行はまだちょっとだけ先だけど、でもこんなふうにこみなさんにお知らせできる日が、本当にやってくるなんて……!
 怒涛の執筆中は、書けども書けども書かねばならぬことがあとからあとから溢れだし、「ほ、ほんまに終るんかこれ……」と日々おそろしい気持ちで生活をしておりましたが、ようやく!ようやく完成いたしました!刊行は7月9日なのですが、それにさきがけて今日はいくつかお知らせがありまーす。

 『きみは赤ちゃん』
『きみは赤ちゃん』
 妊娠してからの一年と、出産してから息子が1歳になるまでの、合わせて2年間のすべてをつめこみました。前編の<出産編>は、去年ウェブにて連載をしておりましたものに怒涛の加筆修正をほどこし、そして後編の<育児編>は、すべて、書き下ろしとなっております。

 そして、7月9日の刊行にさきがけまして、「CREA Web」に、特設ページが設置されました!わーい。

 前編のなかから、いくつか立ち読みができたり、
質問&お悩み相談室なるものも!
 採用させていただいた方から抽選で、『きみは赤ちゃん』のサイン本をプレゼントさせていただきます(今回はサイン会を開催する予定がないので、この機会にぜひ。。。>< )
 7月30日が質問などなどのしめきりになっておりまして、応答などなどは、それ以降に同サイトで掲載させていただきたいと思います!

 さらに、19歳のときからの友人(ヘアメイク・36歳)で、本書のみならず、これまでさまざまなエッセイにも登場してきた、そして現在はタイミングよくママ友(というほどママっ気は濃くないような気もするけれど)になった、ミガンとの対談も公開する予定でいまーす。
 それでは以下、目次など〜。

 

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 『きみは赤ちゃん』

出産編 「できたら、こうなった!」

・陽性反応
・つわり
・出生前検査を受ける
・心はまんま思春期へ
・そして回復期
・恐怖のエアロビ
・かかりすぎるお金と痛みについて
・生みたい気持ちはだれのもの?
・夫婦の危機とか、冬
・そして去ってゆく、生む生むブルー
・いま、できることのすべて
・乳首、体毛、おっぱい、そばかす、その他の報告
・破水
・帝王切開
・なんとか誕生
産後編「生んだら、こうなった!」

・乳として
・かわいい♡拷問
・思わず、「わたし赤ちゃんに会うために生まれてきたわ」といってしまいそう
・頭のかたちは遺伝なのか
・3カ月めを号泣でむかえる
・ひきつづき、かかりすぎるお金のことなど
・髪の毛、お肌、奥歯に骨盤、その他の報告
・父とはなにか、男とはなにか
・夫婦の危機とか、夏
・いざ、離乳食
・はじめての病気
・仕事か育児か、あらゆるところに罪悪感が
・グッバイおっぱい
・夢のようにしあわせな朝、それから、夜
・ありがとう1歳

・あとがき

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 気がつけば原稿用紙にして500枚弱とかのヴォリュームになっていて、はこれまで刊行した本のなかでいちばん分厚くなってしまいました。色々な仕事がありますが、『きみは赤ちゃん』はこの時期にしかできない、それに人生で一度、できるかできないかの仕事だったので、執筆は色々と悩むことも多く、今まで経験したことのない難しさがあったけれど、こうして無事にかたちにすることができて、ほっとしております。連載中も、そして連載が終わってからも、さまざまなところで頂戴しましたみなさまの励ましのおかげです。ありがとうみなさん、ありがとう2014年。

 で、ふりかえってみると、本書とはべつに日々の詳細を記録した日記やメモをあわせると、わたしはこの3年のあいだに妊娠&出産&育児にまつわるものすごく大量なあれこれを、つごう1000枚近くも書いてきたわけであって、よくもまあそんなに書くことあるよな……と思うのだけれど、しかし「もう、わたしは書いた、書けることはぜんぶ書いた」というところまで書いたはずなのに、しかしこれだけ書いてもまだ書き忘れたことがあるような、まだまだ書き足りないような……人間をうっかりそんな気にさせてしまうほど、妊娠とは、出産とは、育児とは、嬉しさもつらさも楽しさも、もう全方位的にすさまじいものでありました。
 とはいえ、それらのぜんぶのぜんぶ、現時点でのわたしの情熱と技術の限りを尽くして、「できてからと生んでから、心とからだに起こったすべて」を書き切りましたので、一緒に笑ったり、腹を立てたり、そうそうと肯いてもらったり、信じられへんと突っ込んだり、いろんなふうに楽しんでいただけると本当にうれしいです!!そして「きみは赤ちゃん」関連の続報、これからこまめにアップしていきますので、ひきつづきチェックよろしくう。

2014.06.19

制圧するまで戦うしかないのって、しんどいよね

 さっきの夕方、息子を保育園にむかえに行ったらば、タイミング良くというか悪くというか、発熱しており顔面蒼白&白目(わたしが)。仕事から帰ってきたあべちゃんもふらふらで発熱しており、そしてわたしも追いかけるように発熱した。
 激しい関節痛……、目やにで視界が白く曇ってる……っていうか、わたし先月、扁桃腺炎で40°の熱をだして、それからこないだも病院へ行って薬のみきってなんとか大風邪を乗り切ったとこじゃなかったのか……それでまたこのめぐり合わせとか……。

 ウイルスは薬が効かないので発病したら最後、制圧するまで戦うしかないのだけれど、これがつらい。核家族にとってはもうこういう事態になるとちょちょぎれる涙もないのである。明朝、病院へ行くまで確定はしないけれども、おそらくこれはプール熱。そう、アデノウイルスで一家全滅まであと少し。これが毎年6月の慣例になったらどうしよう。っていうか、来年のことより、みんながいっせいに40°の熱にうかされたりするこれからの一週間のことを思うと泣けてくる。真剣に泣けてくる。おそろしくって泣けてくる。

 そんななか、今夜はこれからお知らせがありまして、日付が変わった頃にまたもやブログをアップします。どうぞお読みくださいませな、そしてみなさま、くれぐれも夏風邪にご注意くださいませな。

2014.06.17

口述はさておき、筆記はいかにして可能か

 晴天がつづいたけれどまたもや梅雨がもどるみたいで、さすがに蒸し暑うございます。
 小さな子どもがいる家はどこもそうだと思うけれど、この時期、ありとあらゆるウイルスがこちらめがけてやってくるような感じなのだけれど、先週、わたしはまたもや風邪をひき、薬を飲み切ってなんとかやり過ごしたところで、今度は息子の右目に、なんか、目やにが……。それを見つけた瞬間、ああこれで今週の仕事も全部ストップだな、と完全に脱力してしまいました。この時期の目やにはアデノウイルス(プール熱ですね)の合図でもあり、もちろん熱が出るまではわからないのだけれど。1歳になったばかりの去年の息子はまるまる一週間、39度の熱でそれは大変に長かった。今年は軽いといいけれど……去年はわたしも感染して、あの一週間は本当に苦しかった。しかしそれ以上に苦しいのは大人のかかる「手足口病」らしい。もう、何も飲めないし、食べられないし、もう、本当に最悪なのだそう。こんなのすべて、数年前までは知らなかったばっかりで、しかしまだ慣れてもいない。

 

 「FRaU」の今月号に、連載の2回めが掲載されていまーす。今回は資生堂の化粧水「オイデルミン」について。
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 それから翻訳者の友人にいただいたチョコレート。包装紙がかわいいのう。

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 そういえば、子どものころ、いつもりぼんとか包装紙とかを集めていた記憶があるけれどあれらはいったいどこにいくのだろう。捨てるわけでもなし、誰かにあげるでもなし。それから少女漫画の付録問題。シールとかね。封筒&便箋とかね。使うのがもったいなくて綺麗に保存していたはずなのに、気がつけば消滅しているのだった。

 Hanako連載「りぼんにお願い」の次号には「アナと雪の女王」について書き、つぎの週刊新潮の連載「オモロマンティック・ボム!」には太宰治の「ですます調」について書いています。こないだの県立神奈川近代文学館での対談の話の流れで2回にわたっての掲載で、そういえば6月は桜桃忌だったよね。わたしは行ったことないけれど、禅林寺は読者で賑わったのかしら。
息子の発熱がやってくるまでにできるだけ小説を書き進めなければと焦る。子どもが生まれてからパソコンに向かう時間が限られているから、頭のなかで書く癖がついた。最初は書き出しとか、短い文章をぶつぶつくりかえして推敲しているだけだったのが、やっているとどんどん長くなってきて、けっこうな長さを頭に留めておけるようになった。そしていざパソコンのまえに座って出力、という段になると、その推敲した文章がすらすらっとでてきてあとは書くだけ、という流れになってとても助かっているけれど、しかしさすがに小説まるまる一本をそのようにして書くのは不可能だから、やっぱり椅子に座りたい。
 ところで、「口述筆記」について。たとえば「ヴィヨンの妻」なんて太宰治はたった一度、お酒など、ういうい飲みながら読みあげただけで、ひとつの淀みもなく最初から最初までをそのとおりに話して収録された文章そのまま、完璧に終えたそうだけれど、正直「太宰も奥さんも、盛ってるよな……」と眉唾に思っているところがあった。
 がしかし。じっさい自分が必要にかられて頭のなかでの制作をやってみれば、それに近いことはできなくもないかもしれない、や、気合いれればできるかもなと、そんな気もするように。まあわたしのやってることは頭のなかの推敲で、太宰のは頭の中というよりは唱え損じのない完成形の口述なわけだから太宰の方法のと達成のほうがものすごく良いのだけれど。何事も慣れなのかもしれない……しかし口述はできても筆記してくれる人なんて現在どこにもいないので、まあいつもどおりに仕事するのが吉、という感じで。しかし蒸しますね。

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