川上未映子

2015.03.02

おかっぱは美容室エルメで、ふたたび

 いつだったっけ、少しまえに髪型をどこでどうしてるのかの質問が多くて、ここですよってことをブログに書いたのだけれども、ご紹介した美容室エルメ。このあいだ「や、ミエコさんのブログを見てこられるかたがすごく多いんですよ……何ヶ月もたってるのに、未だに……」なんて伺って、とっても驚いた!

 美容室ってだいたいもうみんな行くところって決まってるし、新しいところに行くモチベーションってなかなか湧いてこないのに……。「そうか、美容院難民、あるいは過渡期の人が多かったのね……」とひとりうなずいていたのだけれど、先日もエルメに髪を切りにいったら、なんとわたしのブログをみて来院していたかたが偶然にお二人もいらっしゃって、どきどきしました。わたしの髪を切ってくれているのは武田くんというオーナーなのだけれど、「で、みなさんやっぱりおかっぱに?」と伺うと、「あ、そういうわけではありません」ということらしいのですが、長くても短くても、おかっぱでもパーマでも、うれしいのは一度いらっしゃったかたが続けて通うようになってくれてるってことで、それってやっぱりうれしいですよねえ(しみじみ)。

 そして何が素晴らしいって、エルメには「ママズデイ」という日が設けられていて、お母さんが髪を色々しているあいだ、近くに赤ちゃんや小さなお子さんが遊べるスペースがあって、もちろんスタッフのかたがちゃんと見ててくださいます。そう、育児中、小さなお子様も一緒に出かけられることって涙がでるほどありがたい……。保育園に預けているかたならまだ自由がきくときもあるけれど、ずっと一緒のお母さんは美容室になんてなかなか行けないわけで、ぜひ、ご予約してみてくださいね!

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 これは髪を切った直後です。形は基本は前下がりで、後ろは刈り上げにならないていど、横は耳にかけるとショートになるっていう感じです。前髪は眉下ぎりぎりで毛先をちょっとばらしてもらってます。うねるくせ毛なので、ちょうどいい具合にストレートパーマをかけてもらって、色は何色っていうのかわからないけど、赤みを抑えたブラウンで、暗くも明るくもないって感じ。前髪と横髪のつなぎめのぐるりんってやつが武田くんがすごく上手で(上手ってそれはま当然か……><)、ここの形が違うと、まったく感じが変わってしまうのです!超絶・絶壁&しゃもじ&書籍みたいな頭のかたちのわたしにいつも全体的な、立体的な、まるみを与えてくれてありがとう!!

 

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 それで最近の色ものヒット! アイラインとかマスカラの色ものってぼやーっとしてあんまりはっきりしないんだけれど、今回のRMKはすっごくいいですよん。下まつげはもちろん、上につけてもほんとにばさばさ色がつきます。今回は上下の二色展開で、わたしは黒×ピンク、茶色×オレンジ、のふたつを購入しました。雑誌でもめさめさ推されてるのでどうしよっかなと思われてる人、こればっかりは買いですよ。まぶたにシャネルの228テティセカンボンのピンクを全体に指で塗って、RMKのピンクのマスカラを上下に塗ってます。今回はファンデを塗ってない状態で写真で撮ってもこの発色、きちんとフルメイクにすればさらにかなりパッキリするのではないかしら。

マスカラもアイシャドウもなし、カラーのラインだけ引くのもきれいだな、ポップだな、と思って探しているのだけれど、いい感じのアイラインがなかなかないので、リップペンシルで代用してもいいかもですね。家で仕事してるだけでべつに外出もしないのに、モチベーションをあげるためだけにやりました。原稿は進みました。

 

 そして、年が明けて『きみは赤ちゃん』はただいま9刷、『すべて真夜中の恋人たち』は6刷、ありがとうございます。『きみは赤ちゃん』は図書館でも予約してくださるかたが多く、数ヶ月〜1年近く待ちとかのところもあるのだそうで、まわってくるころには生まれた赤ちゃんも一歳になっちゃうね!でも、あっというまだよ。うれしく思っています。ありがとう。色々、告知しなきゃいけないこともたまってきているので、またちかぢかまとめてアップしまーす。

 

 

2015.02.27

たけロス、美登利の変化は何によるもの?


先日、わたしが手がけさせてもらった、樋口一葉「たけくらべ」、現代語訳が収録された日本文学全集の刊行を記念して、「東京大学で、一葉、漱石、鷗外を読む」が開催されました。お越しくださいましたみなさま、本当にありがとういました。

 とても寒かったのに、おかげさまで超満員、たくさんの立ち見が出るほどの盛況で、とてもうれしかったです。ありがとうございました。東大のあの教室、形も奥行きも広さもとても好きです。いいですよね。

  や、最近はあんまり緊張しなくなっていたのに、今回はものすごーく緊張しました。自分の作品じゃなくて、人の書いた作品を扱うからか、最初からどきどき、終わってもどきどき、という感じでした。夏の終わりからつづいていた「たけくらべ」の自分的には総決算、みたいな感じもあったからかしら、いちおうぜんぶ終わってしまって、なんだか気が抜けちゃって、たけロスの日々を送っております。

 

  当日は、「たけくらべ」の原文からすてきなところを抜粋してコピーしたものをみなさまにお配りして、おなじ箇所の現代語訳をわたしが読む、というかたちの朗読をしました。

 目では原文を楽しみ、耳から意味がするすると入ってきて、目と耳の両方で「たけくらべ」を味わう、というあんばいですね。

 朗読って、難しくって、わたしはあんまりしないのですが、今回は、みなさんにとても楽しんでもらえたみたいで、ほっとしています。よかった……。「おなじの、今度またやってください」というようなお誘いもさっそくあったりして、どこかでまた、こんなふうに「たけくらべ」の世界にふれることができたらいいな、と思っています。そして今回は、「たけくらべ」を未読の人もいらっしゃるよねということで、物語のすじを追いながらの朗読&講演、という感じだったのだけれど、いつか、「たけくらべ」の読書会みたいなのもしてみたい。このあいだは時間がなくてできなかった、細かいところまでを心ゆくまで話して念入りに入り込むような時間があればいいのにな……と夢想しています。読書会みたいな感じでやるには少人数でやらないといけなかったりもするし、まあ実現はなかなか難しいだろうけれど……。

 

 そして、池澤夏樹さん、紅野謙介さん、ポーランドの樋口一葉の研究者であるカーシャさん、そして司会進行をしてくださった沼野充義さんとのシンポジウム。それぞれの作品が生まれた背景とその関連、そこから私小説の成立と受容、そしてフィクション論……などなどみるみるうちに話は広がって、あっというまに時間がたってぜんぜん足りなかったですね。またこんな機会があるといいのになあ。

 

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そうだ、当日もちょっと話したけれど、美登利の変化については、「水揚げ説」はないと思っています。「検査場説」もちょっと無理があるなあ。だったら「初潮説」なのかといわれれば、必ずしもそうではないと思います。つまり、どれでもないんじゃないか思っています。

 水揚げ説の根拠のひとつに「花魁の妹で、ああいう界隈で育った女の子が初潮くらいで動じるかいな」というのがあるけれど、や、もちろんどんな環境であれ、初潮は驚くにも変化するにも充分な出来事だと思うけれど、少女の変化には何かしら身体的なきっかけが必須である、という思い込みはどうかしら。

 だいたい吉原の次のナンバーワンになることが約束されたような器量良し、しかも大籬である大黒屋を背負って立つことを期待されてる美登利の水揚げであれば、もっときちんと大々的に行われるはずだし、第一、明治の新しい公娼制度はもちろん、新吉原のルールの年齢にも達していません。まあ、ある種の伝統ってことで元吉原時代の裏ルールが適用された、ってことも完全にないとは言い切れないけれど、とにかく美登利の、いわゆるデビューとあらば相当な話題になることは必至で、しかし町も人々もそういう雰囲気ではありません。そして何よりもやっぱり、水揚げされたとするなら美登利にたいする母親の態度が不自然すぎると思います。さすがに水揚げされた娘の友だちに「いまにいつもの美登利に戻ります」とは言わないでしょう。「いまは中休みってところです」もおかしいです。

 じゃあ美登利の変化は何によるものかといえば、やっぱり、これからのことを言葉ではっきりと説明されたんだと思います。そこにもちろん初潮があってもよいのだけれど、そこに加えて、今後はいついつにこういうことをして、こうなって、あなたはこれこれこういう感じになっていくんですよ、と説明されたのじゃないかしら。何となくわかっていたかもしれないけれど、これまではやっぱり自分の外にあった「遊女の仕事」というものが美登利のなかでリアルに認識されたのではないかと思います。世の中にセックスというものが存在していると知ったときの驚愕だけでもすごいのに、どうじにそれを、まだ体験したこともないそれを仕事にして、これからさきの人生を生きてゆかねばならない、ほかの選択はないのだと知らされたら。美登利の変化は、こうしたことをはっきりと認識させられたことにあったじゃないかと思っています。

 

 

2015.02.02

たけくらべにさわる 〜『たけくらべ』現代語訳刊行記念イベントにつきまして

 

 

しかし冬。みなさま、頬、腰、くるぶし、お元気。

 これまで何回かにわたってお知らせしてまいりました、樋口一葉『たけくらべ』の新訳が、2月10日ごろに発売になりまーす。よかっつー!!!(よかったの複数形)

 こちらは河出書房新社から、今後数年間にわたって刊行されます「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」のひとつになります!

 去年の秋に刊行されました池澤夏樹訳『古事記』、 表紙の色も、鴻池朋子さんの絵の帯もうるわしく、書店でも平積みで大好評! そして第二弾は中上健次『鳳仙花』、第三弾が、この『たけくらべ』になります。

 

ほかに収録されますのは、夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』。明治の東京を舞台に繰り広げられる思春期&青春小説みっつだよ。ただいま予約受付中ですので、ぜひお求めくださいませ!

 そしてこちらが『たけくらべ』の表紙になります。帯の絵は、漫画家の浅生いにお先生の作品でございます。

 ところでこの表紙を見た友人・知人から、「なんで帯にあんたが……」的な突っ込みをたくさんいただいているのですが、すみません。この帯の女性はわたしではなく、ご存じ『三四郎』の美禰子なのです。そう、編集部から「現代版の『美禰子』(何気ない仕草にぐっときてしまう男子目線で描いた、きれいなお姉さん。かといって年上感ではなく、「たけくらべ」の美登利にも通じるような少女感も残したかわいさがある女子)を描いてほしい」という依頼を受けられた浅生いにお先生による、現代版・美禰子なのです。たしかに髪型おんなじですけれど、そう言われてみるともう美禰子にしか見えないこの不思議。美禰子美禰子、わたしの処女作に出てくるのは三年子。ああわたしたち、いつだってストレイシープ。

 

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そして先日もお知らせしました、イベントの詳細が決まりましたわーい。予約も不要で、無料なので、みなさんぜひ、聴きにいらしてくださいな。

 第 1部は、『たけくらべ』について色々なことをわたしが全力&全愛でもって語るという、少々暑苦しい会になるかもしれませんが冬だしいいよね。内容はこれから色々と考えたいと思っていますが、原文と今回わたしが訳した文章を比較したり、具体的なところ&細々したところも多くなるのやもしれません。なので、できますれば、みなさまぜひ今回の現代語訳版をお読みいただいてからのご参加、ということになれば諸々がなお豊か、わたしはめさめさうれしかったりします。 そしてちょっとかわった朗読もやる予定でいます。『たけくらべ』が好きな人も、これまで興味のなかった人も、ふうん、ちょっと読んでみよっかなーと思ってくれたりしたかたも、そうでないかたも! 当日は『たけくらべ』の魅力について精一杯お話したいと思っております。どうぞみなさまよろしくお願いします。そして第2部は、座談をします。こちらもいったいどんな内容&お話ができるのが今からすごく楽しみ。

 

   

「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」

第13巻『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鷗外』刊行記念
東京大学で一葉・漱石・鷗外を読む

2015年2月22日(日)14時開演(13時30分開場)

場所:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
アクセス:丸ノ内線・大江戸線「本郷三丁目」、南北線「東大前」下車、徒歩10分

予約:不要(先着順。会場は約220人収容)。当日12時30分より会場入口で整理券を配布。
満席の場合は、入場をお断りする場合もあります。
入場:無料

第1部 14時〜15時
「たけくらべ」にさわる
川上未映子(作家)

第2部 15時15分〜16時45分
シンポジウム・明治の青春小説の魅力
池澤夏樹(作家)×川上未映子(作家)×紅野謙介(日本大学教授)×沼野充義(東京大学教授)

 

昨年11月から刊行が始まった「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」。その第13巻『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鷗外』が2月に刊行されます。収録作品は、明治を象徴する青春小説「たけくらべ」「三四郎」「青年」の三作。それぞれの作家・作品にゆかりの深い本郷の東京大学で、各作品の魅力と明治の文学について、全集編者の池澤夏樹氏、「たけくらべ」の新訳に取り組んだ川上未映子氏、近代文学が専門の紅野
謙介氏と、東京大学現代文芸論研究室の沼野充義氏が語り合います。

お問い合わせは、東京大学文学部現代文芸論研究室 Tel&fax:03-5841-7955
E-mail:genbun@l.u-tokyo.ac.jp までよろしくです。

 

 

2015.01.30

冬の思い出

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2015.01.17

まえのひ

 阪神淡路大震災が起きたとき、わたしは高校三年生で大阪に住んでいた。あおむけに眠っていて、布団に面した腰のあたりにごぼごぼっと何かが沸きあがってくるような感覚があってそれで目が覚めて、そのごぼごぼっというのがしばらくして揺れに変わった。まるで誰かが中身を確かめるみたいにがちゃがちゃとふってみせる箱のなかにでもいるようなそれはすごい揺れで、仏壇とかタンスとかが前後左右に動きだしているのを見ていても、どこかぼんやりしていて、そして頭ではいま地震がきてるってことは理解しているんだけれども、でも「関西には地震はこない」と子どものころからずっときかされていたせいなのか、すごく揺れてるけどきっとたいしたことにはならない、とどこかで思っていたのだった。

 

 しばらくすると揺れはおさまり、初めてのことで恐怖というよりは興奮しているような状態で、テレビをつけてみるとコンビニの防犯カメラの映像がくりかえし再生されていた。棚のものがあらかた床に落ち、ガラスの扉が割れていたけれど、そのときはまだそれだけだった。経験したことないくらいすごい地震だったけれど(わたしがいたところは震度5強だった)、家の中も家族も無事だったし、水も出るし停電もなかったし、やっぱりあれぐらい済んだんだなと思って、すこし眠った。

 

 それから学校が休みになるという連絡がきて、あらためてテレビでニュースを見てみると、高速道路がめくれるように倒れていた。街が潰れて、燃えていた。どこから何を見ていいのかわからなかった。時間がたって被害が明らかになるその様子、救助の難しさ、行き場のなくなった人々の声、日に日に死者の数がふえてゆく知らせをテレビで見たり、それから知り合いが亡くなったことを知ったりと、震災はとりかえしのつかないまま日々大きくなっていったのに、こうして文章を書いているいまも、当時、自分が何を考えていたのか、なぜかうまく思いだすことができない。

 

 そのときに言語化しなかったということ、そしてもちろん直接的な被害がなかったというのがいちばんの理由なのだと思うけれど、「起きるはずのないことが起きてしまったのだ」ということじたいが、当時に自分にとってはあまりに大きすぎて、恐ろしかったのだと思う。子どものころから「いつか死ぬ、みんな死ぬ」というようなことをずっと思ってはぐずぐずしているようなところがあったけれど、その「いつか」が、そしてやっぱりまだどこか遠くになるはずのものが、とうとうあの日、巨大な斧みたいに振り下ろされたのだ、まえぶれもなにもなく、それはやってきたのだ、そしてその斧はわたしのいた場所ではなく、少しだけ離れたところに振り下ろされたのだ。しかしなぜ?

 

 もちろん理由なんてないのだと思う。でも、それをどう理解してよいのかわからないまま十代を終え、二十代になり、そのわからなさはどんどん小さくなってはいるけれど、20年がたって38歳になったいまもやっぱりなくなってはいないみたいだ。そして長い時間がたったあの3月11日に、わたしは阪神大震災時の大阪とおなじ震度に揺れ、またおなじように震源地からは離れた東京にいて、15年以上時間をかけて、どこかまた振りだしにもどったような気持ちになった。

 

 阪神淡路大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「起きるはずのないことが起きてしまった」だった。

 そして、東日本大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「とうとう、このときがやってきてしまった」だった。

 

 ただ運よく直接の被害に遭わなかったわたしは、このふたつについて考える。それも、気が向いたときに。勝手に、心細くなったときに、あたたかな部屋のなかで、お手軽に、都合よく、考える。ちがいについて考えているのか、それぞれについて考えているのかはまだよくわからない。近い将来に必ずやってくるつぎの災害のときに自分がどこにいてどうなっているのかはわからないけれど、そのときのことを、やはりおなじように想像する。日本にかかわらず世界じゅうで毎月のように不幸な災害や事故が起きて、紛争や戦争に巻き込まれている人々がいるのに、いなくならないのに、このふたつの出来事が、自分にとってほかの出来事とはどうしてもちがうものとして残ってしまっている理由について考える。

 

 距離の問題なのだろうか。場所の問題なのだろうか。年齢なのだろうか。じっさいに身体が揺れ、知人が亡くなったからなのだろうか。知っている土地だったからなのだろうか。原発事故という未曾有の事態が引き起こされたからなのだろうか。

 

 起きてしまった災害、起きてしまった大変な出来事について考えるって、そもそもどういうことなのだろうか。支援をつづけること。思いだすこと。忘れないでいること。そこから教訓を導きだして備えること。書いたり、描いたり、話したり、その人のやりかたで何かを問いつづけること。実践すること。癒すこと。社会的に、政治的に、新たなシステムをつくりだすこと。

 

 どれもがそうだともいえるし、そのぜんぶを足したって(そんなこと自分にできるわけもないけれど)不足しているような気持ちになる。そう思ってしまうのにはいくつもの理由があると思うけれど、きっと、何をしたってどうしたって死んでしまった人はかえってこないし、失われたものはもどってこないからだと思う。何も起きなかったことには、もうできないからだと思う。何も起きなかったときにはもう、もどることができないからだと思う。この、本当の意味での、とりかえしのつかなさこそが、本当に本当に大きな問題だからだと思う。あまりにも大きなことだからだと思う。言葉にしても、しなくても。災害や大きな出来事や事件が起きなくても。日常にはそんな一回性に満ちているのだと思う。それでも、何かをつづけてゆくしかないのだけれど。

 

 今日の文章も、何か伝えたいこととか結論したことがあったから書いたわけじゃなくて、ただ、まだわからないままのことをわからないままに、今日、なにを思ったかを漠然と記しておきたいと思いました。

 

 ハロー、もしもし、聞こえますか。阪神淡路大震災から20年たった今日の大阪は、寒いけれど青空の広がる気持ちの良い一日で、雲もきれいで、公園では子どもたちが走り回っていました。犬が散歩していて、スーパーには食品がならんで、地面はかわいていました。わたしはピンクのセーターを着て、グレーのスカートを履いて、靴下ははいていませんでした。原稿を書いて送信して、さっきは息子と一緒にカレーを食べました。穏やかな日でした。穏やかな日でした。そちらはどうですか。今日は、2015年の1月17日は、何でもないのどかな一日だったけれども、今日という日はいつでも、やはり1月16日で、どうじに3月10日なのだと思います。わたしたちは明日なにが起きるのかを永遠に知りません。こんにちは、さようなら、今日はいつだって、すべての、まえのひ、なのだと思います。

2015.01.15

きつねの嫁入り、アフタトーク


 新年についてお祝いの言葉を書く、というタイミングでももはやなくなってしまった今日はもう一月も半ばなんですけれども、みなさまいかがお過ごしでしょうか。めっさ最高むさむさやる気、って感じじゃなくても、どうかまあまあな毎日をお過ごしでいらっしゃいますように。

 

  年々、お正月気分というのがほとんど消滅に近づいていっているあんばいですが、でもお雑煮だけはつくって食べました。あの、うすっぺらい、しゃぶっとしたらあんがい美味しいのではないかと思うお餅、いつもちょっとだけ気になるんだけれども、思うだけでさっと去り、そして例年どおりお餅は食べないお正月でした。

 近況は、夏の終わりからやっていた『たけくらべ』の現代語訳のゲラに年末も年始もずっとかかりきりで、おととい、わたしのやるべきすべての作業がやっと終わって脱力しながらも、お、終わった……ってな感じでやっぱりほっとしております。刊行は2月の半ばあたりで、それに合わせてイベントも開催される予定であります。「たけくらべ」についてお話できるのかと思うといまから本当にうれしいな。イベントの詳細が決定しましたらすぐにお知らせいたしますので、どうぞよろしくお願いします。

 

 2014年、とくに春は、国内&国外と、いろいろあちこち行ったり来たり、出かける仕事が二週間以上もつづいて出不精なわたしにとっては記憶に残るかたまりでした。

 マームとジプシー&川上未映子「まえのひ」全国ツアーもそのころで、拙著『先端で、さすわさされるわ そらええわ』『水瓶』の大部分をすべて暗記して臨んだ青柳いづみさんのひとり芝居は、すべてが忘れられないものとしてあって、今でも喉がうっと鳴ります。ツアーをするきっかけになった最初は、2013年の秋の、原宿のVACANTでの公演「マームとジプシー&青土社&川上未映子 初秋のサプライズ」で、こちらも忘れがたい出来事だった、なー。今年もマーム、いっぱい観たいものですぜ(リンクから、舞台写真や、パンフレットに寄せた文章などなどご覧いただけます)!!

 それで、昨年は野田秀樹作「小指の思い出」の記憶も新しい、マームとジプシーの1年ぶりのオリジナル公演「カタチノチガウ」が、東京ではおなじくVACANTで開催されるのだけれど、こちらはもうチケットが売り切れておりまして、追加公演が横浜であります。

 それで、最後の日、2月13日に、アフタートークにお誘いいただきまして、主宰の藤田貴大さんと色々な話をすることになりました。16時の回の終わりです。

  ほかの日のアフタートークには、穂村弘さん、名久井直子さんも登壇されます。場所とか、時間とか、公演の内容や、マームとジプシーについてはこちらのサイトでご覧くださいませ。去年、藤田貴大さんと対談したものは、こちらからお読みいただけます。ぜひ、お越しくださいませ!

 

 新年の抱負としましては、長編を書きあげたい気持ちだけがぐらぐらぐつぐつあるのだけれど、しかし今年は短編&中編も押し迫っておりまして、まだ何がどうなるのかわからない状態で、とにかく毎日時間を確保して書くしかないような、去年一昨年とあんまり変わらない一年になりそうです。

  初春にはエッセイ『魔法飛行』が中央公論新社から文庫版として刊行される予定で、また色々なお知らせができると思います。よろしくお願いします。今わたしは大阪におりまして、ものすごい晴れてるのにすっごい雨が降っててきらきらしていて、これはきつねの嫁入りだったですね。

 

 

 

 

2014.12.22

スパゲッティ再訪

 

年末進行が縦横無尽に走りまくるこの師走の忙しい時期に書くことでもないかもしれないけれども、や、忙しいからこそのいま! 書かねばならないのかもしれず、というか、ここ最近このことを書きたくて書きたくてじつはうずうずしてたのよ。いったい何のことかというと、そう、それはスパゲッティのゆでかた&食べ方についてなのです。

 

もしかしたらこんなのはとっくに常識なのかもしれないけれど、わたしにとってはすこぶる画期的&目から鱗だったのです。わたしは1年365日のうちのじつに340日の昼食にスパゲティを作って食べる生活をしているのだけれども、このあいだ、ある発見をしたのやった。まあ時間もないし、ちゃっちゃと言ってしまうと、それは「スパゲティを半分に折ってからゆでると全方位的に最高」という、すごく単純なことなのやった。

 

スパゲティを半分に折ると素晴らしいのは、何よりもゆでるとき。

 

スパゲッティをゆでるときのあれこれは、少量の水でゆでる方法とか、レンジを使ったり容器を変えたりなんだりと、これまでもいくつかあった。けれども麺を半分に折るというのはもっと単純で、そう、小さな手鍋の本当に少しの水を沸騰させるだけで事足りるのである。

 

スパゲティが長いままだと上の部分がくにゃりんとなって滑り落ちるまで時間がかかるし、水はまあ少量でよくても、 お鍋じたいはある程度の高さがないとだめだった。しかし麺をあらかじめ半分に折っておくことによって直径20センチ足らずの手鍋で難なく茹でることができるようになる。これはこうして読んでみるよりもじっさいにやってみるとそのミニマムな感じの良さがよくわかる。グッバイ寸胴鍋!

 

水を沸騰させる時間が圧倒的に短縮できて最高なんだけれど、さらにすてきなのは食べるとき。折ったことによって麺が短くなると「フォークでくるくると巻きにくくなるんでは」「よって食べにくくなるのではないか」と思われるかもしれないけれど、そんなことはまったくなく、むしろ逆。まじで逆。まったく問題なくフォークにちゃんと巻くことができて、どころか、いつもは巻くのに2回転から3回転を要していたのが1回転ですみ、一度の食事の時間もわずかながら短縮できることになり、塵も積もれば理論でいくと、相当な時間を確保することになって、これも最高というわけなのだった。

 

そんなんとっくに知ってるわ、でしたらすみません……でも、わたしにとってはものすごい大発見だったのです。スパゲッティ好きのみなさまにスパゲティのべつの一面を伝えたくて、つい書いてしまいました。やったことない人はぜひやってみてね。

 

クリスマスもお正月もとくになく、今年もまたずるずると仕事をすることになりそうです。なぜならなぜなら……年末進行だっていうんでひいひい言いながら入稿ばっかりしてるのに、かと思うといくつかのゲラの返却が、なぜかどういうわけか、明けてすぐの1月6日とかに設定されているのだから、そうなるよね。「いえ、お正月は休みます」とはっきり言えない気の弱いわたしなのだった。

そして『きみは赤ちゃん』、おかげさまで8刷に! みなさん楽しく読んでくださってるみたいで、とてもとてもうれしいです。そして『すべて真夜中の恋人たち』もあっというまに5刷に……! 物語はちょうど12月、冬の、このあたり。しんしんと何かが残りますように、胸に、真夜中に。

2014.12.11

春の、さまざまなお知らせ

 ご無沙汰しております、すっかりめきめき寒くなって、やっぱ冬将軍って感じですね。今年もあっという間に終わってしまうわけですけれど、いま現在は怒濤の年末進行で、毎日毎日気がつけば、パソコンやゲラと一体化しているんじゃないかという親密さでもって原稿をただひたすらに書いています。みなさんは、いかがお過ごしですか……。

 

 ○今日も今日とてお知らせですが、筑摩書房から刊行される、ちくま評伝シリーズ『ココ・シャネル』の一冊に、巻末エッセイを寄稿しました。

 

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 怒れる孤高のココシャネル……タイトルはこんなんじゃないけれど、内容はこんな感じです。若い読者が様々な人々を知るきっかけになってくれればよいなと思う、素敵なシリーズであります。どうぞよろしくお願いします。

 

 ○『文學界』1月号ラブレター特集に寄稿しております。作家がラブレターを書く、というシンプルながらも恐ろしい企画で、しかし楽しんで書きました。そしてお知らせがずいぶん遅くなりましたが、来年からの文學界新人賞の選考委員に就任いたしました。小説を応募くださるみなさまへのメッセージはここから読めます!そう、人生はなんかの玉。

 

 ○そして、今週発売の『週刊新潮』では、作家の北原みのりさんと、アーティストのろくでなし子さんの逮捕、再逮捕について書いています。タイトルは『女性器は女性のものに決まってるだろ!!』です。こちらのブログ記事「まんまんちゃん、あん!」と併せてお読みいただければ幸いです。

 

 

 

 そして……来年から、またいくつか新連載が始まります。

 子どもが生まれて時間があまりにもどこにもなくて、もう連載は増やさないで生きていこう、そうしないと小説も詩も書く時間がほんとうにないないと震えている矢先になぜ! なぜなぜなぜこんな展開になっているのかというと、これらの連載のご依頼をいただいた当時、「……ふうむ……でもま、そうね、2014年には、いくらなんでも例の長編、書き終わってるやろ」と、ふつうにそんなことを馬鹿なわたしはなんとなく信じていたわけであって、なので「いま書いてる長編終わってるので2年後だったらいけますよー」なんて編集者の方々にけっこう楽観的に答えてしまったわたしなのだけれど、じっさいに2014年が終わろうとしているいま、じゃあ現実がいったいどうなっているかというと長編なんてまったくぜんぜん書きあがってないのはもちろん、何もかもがきつきつになってゆくいっぽう、それどころか一年以上も待ってもらってる短編だって複数ある始末で、すべてがごてごての、もう見渡す限りがわやくちゃなんである。

 「でも、ちょ、長編でてないのみんな何となくわかってくれてるやろうし、約束したのって2年前やし、それからみんなの気持ちも変わるやろうし、あのときの連載の話、なんとなくない感じの方向に流れていってるかもしれへんな……」と息を潜めて静かにしていたら、もちろんそんなことはなく、みなさまとびっきりの笑顔で締め切りをがんがんに決めてくださいまして、迅速に、円滑に、ごくごく自然にすべてが(わたしの小説以外)予定通り始まって、そして、動きだしたのでありました。

 

 2015年の1月22日号から新しく始まるのは、

 『婦人公論』の巻末エッセイ、タイトルは「一期一えっ!?」です。週刊新潮の『オモロマンティック・ボム!』もそうやし、「ミエコもそういうの、好きねえ……」を思われるかもしれませんが、この素晴らしくもおきゃんなタイトルをつけてくれたのは編集者の石川由美子さんで、いくつか並んだタイトル案のなかで最初にこれを見つけたとき、「石川さんも、明るい顔して、けっこう追い込まれてんねんな……」と思ったけれど、見ているうちにわたしが考えたのなんかよりも、だんだんこっちが好きになって、「これがええんとちやう」という感じで決定と相成った次第でございます。1年間、思わず、『えっ!?』と驚いたことについてのあれこれを書いてゆきたいと思います。イラストは、『岡崎に捧ぐ』で話題沸騰の新進気鋭、漫画家の山本さほ先生でーす! 山本先生による、「驚愕するミエコ」イラストも8割増しに素敵に描いてくだすって、こちらもぜひぜひ、お楽しみくださいませ。隔週で、どうぞよろしう。

 

  そして『美的』でのショートストーリー、『コスメの魔法』です。気になるわたしの好きなコスメをひとつあげて、それにまつわる小さなお話を毎号書いてゆきます。コスメ、好きなんですよね……(しみじみ)。『Frau』での連載「伝説のコスメ」はレジェンドである一品をめぐっての随筆で、おなじコスメを中心とする文章でも、まったく違うあんばいになっております。それぞれ誌面も素晴らしくうつくしいので、ぜひ、お読みくださいませ。

 

 そして『たまごクラブ』での『ママは荒野を目指さない!』です。荒野、目指せへんのかよ!と即座に突っ込まれそうですが、ママは色々しんどいんだよ……荒野なんか目指さなくても気の持ちようでリビングも台所も風呂場もどこでも荒野になるんだよ……っていうのがこのタイトルの所以ということではないけれど、でもできれば荒野は目指したくない、これ以上ささくれたくない、ごつごつした大地もいまは踏みしめたたくない、みたいな気持ちで、どうかひとつよろしくお願いします。毎号、ひとつひとつトピックをあげて、それについて書いてゆきます! 2015年1月号には、連載開始にあたってのロングインタビューが掲載されます!よろ!

 

 

 

2014.11.25

11月の去りぎわに、お知らせをきゃっと

 先日は、日仏会館での「フランスで読まれる川上未映子」にお越しくださいましたみなさま、ありがとうございました。そして、いっぱいになってしまったために参加していただけなかったみなさま、ごめんなさい。質疑応答含めてあっというまの2時間で、とても楽しかったです。うしし、ブログのためにあれこれいっぱい写真とろ、といつも思うのやったけど、いつも忘れてしまうのだよね。ブログって今更やけど写真あったほうが明るくていいなと思ってるのやけれども、つぎはぜったい忘れんようにしよう……。

 

 そう、催しは、詩人で作家の関口涼子さんを司会に、フランス語の翻訳者であるパトリック・オノレさんとの鼎談で、翻訳にかんする話がメインだったわけですが、そこから「文体」「作家の声」「リズム」と、テキストにとってとても重要な要素がむくむくと膨らみ、いまも色々考えつづけております。おなじ日本語ではあるけれど、「たけくらべ」を翻訳することで、体感したこと、つかめたことがいくつもあって、そのことについても少しお話したのですが、これについてはまた「たけくらべ」の新訳が刊行されるときにでも、どこかで特化したかたちでお話できればなあ、と夢想しております。

 

 そして29日は、『きみは赤ちゃん』のトーク&ラジオ公開収録イベントなのですが、こちらも本当にたくさんのお申し込みをいただきまして、抽選ということになってしまいました……わたしとしましては、とくに今回は、行きたいな、と思ってくださった方全員をお招きしたい気持ちがつよくあったのですが、どうしてもかなわず、せっかく申し込みしてくださったのに、ごめんなさい。どこかでまた、こんなようなイベントできたらなあって思っております。そのときはどうぞ、よろしくお願いします。

 

 そしてさまざまなお知らせです!

 

 ○ BAILA 12月号に、インタビュー掲載されております。『きみは赤ちゃん』を読んでくださった編集者のかたが「!!」となってくださりたちあがった企画だそうです! 作家と子育て、というような特集で、辻村深月さん、小山田浩子さんのインタビューも!どうぞお楽しみください!

 

 ○ 週刊朝日12/5号 「林真理子 ゲストコレクション」にて、林真理子さんとの対談です。旅行にもゆかず、グルメでもないわたしが最後に何で倒れるかというとそれはたぶん着倒れで、林さんの「ジル・サンダー、マイケル・ジャクソン買い」の話から、ファッションはもちろん、それに先立つものの話、つまりお金、そして洋服を収納するための場所である家、つまり土地、についてや、もちろん小説の話、そして『きみは赤ちゃん』についてなど、あれこれたくさんお話しました。というか、どうにも記事にできない話で盛りあがりすぎて時間が足りませんでした。めさめさ楽しかった。

 

 ○ AERA with BABY 12月号に、インタビューが掲載されております。おすすめの絵本、音楽、小説についてふれております。色々な人の子育てについて知ることができるし、たとえばこれからの季節、要注意のインフルエンザやノロウイルスなど、さまざまな病気への対応とか、食べ物とか、しつけのポイントとか、ストレスの逃し方とか、そうよ、色々知ってるつもりでもこのこまかいところがいまいち不安で気になるのよな……と思うようなポイントの回答や、そのほか情報満載で、おっし今日もがんばろう、と激しく励まされる一冊です。もちろん、それらはネットでも知ることはできるんだけれど、知りたいことが一冊にきゅっとまとまってるっていうのはとにかく有り難いですよね。ぜひ!

 

 ってな感じで11月もそろそろ退場……今年も残すところあとわずかとなりましたが、風邪などひかず、いや、ひいてもなんとかがんばりましょう。そして、そうです、『すべて真夜中の恋人たち』、発売一ヶ月の段階で、はやくも4刷のご報告をいただきました。ありがとう……この季節にあの物語を読んでもらってるのが、うれしいですなあ。

 

 

2014.11.13

樋口一葉 & 葛飾応為 IN 2014

 夏の真ん中あたりからずうっと、今もつづいております『きみは赤ちゃん』のプロモーションと平行してやっていたのが、樋口一葉『たけくらべ』の現代語訳

 一文字一文字をおでこに埋め込んでゆくような気合いとあんばいでもって取り組んできたのやったけど、このあいだ、とうとう、とうとう終わってしまって、全力で脱力している日々であります。いくつもある名場面&山場、そして会話、登場人物たちのふるまいのひとつひとつに言葉にあてて置き換えてゆくそのすべてがいつもクライマックスやったけれども、最後の最後、あの一行を終えたときは、もう『わたしのなかの全樋口が泣いた』みたいな感じで、何もかもがたまりませんでした。多くのみなさんにとってもきっとそうであるように、やはりわたしにとって『たけくらべ』がいかにとくべつな作品なのかということを思い知る、ほんとにありがたい時間でした。なむなむ。そして年内はずっと『たけくらべ』のゲラに向き合うことになります。もうちょっとだけしあわせな時間が続きそうでうれしいけれど、でも、何よりも、みなさんにはやく、はやく読んでほしいなと思える仕上がりになりそうで、それも嬉しい予感です。

 いずれにせよ、現代語訳をすることになった経緯とか、訳すにあたっての様々な思案と実践、思い込み、気合い、などなどは、いずれまた刊行のときにたっぷり、ほんとにたっぷりとお話できる機会などがあればいいな! と思っております。できればいいな。

 それで、話が前後ちゃいましたが、

 今回の現代語訳は、河出書房新社から刊行されます「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」のなかのひとつなのです。特設ページはこちら。ラインナップを眺めるだけでうっかりうっとりしてしまう&面白さはもうこれ約束されているようなあんばいなのですけれど、先日、第一巻が刊行されました。

 池澤さんによる新訳『古事記』

 

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 素敵な桃色に金色の鳥の箔押しがなんとも雅なたたずまい。装画は、拙著『先端で、さすわ さすわ そらええわ』の表紙でも絵をお借りしたことがあります、現代美術家の鴻池朋子さん! 混沌&うねうね&いのちの諸々がねっとりあっさり爆誕するイメージが鴻池さんの絵にぴったり。どきどきしますわね。さらに、この全集にまつわるさまざまなイベントなども目白押しらしく、こちらでチェックしてくださいませなー!!

 

 

 さて、わたしの四大ミューズといえば、樋口一葉、ジョディフォスター、青柳いづみ……そして葛飾応為なのですが、その応為の絵をじかで見ることのできるほんとに数少ない機会ゆえ、燃え尽きた心身をずりずり、上野の森美術館まで行ってきたのでありました。もちろん北斎もめさめさ楽しみだけれど、やっぱ応為!!!!

 

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 連日2時間待ち!とかっていう話だったので、午前中いちばんのり!のつもりが思い切り出遅れて午後になってしまっていったいどうなることかと思ったけれど、この日はなぜかすいていて10分とかでするする入場。

 

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 しかし開場はさすがの激込みで隣の人の息がほおをしっとり湿らす近さ。けれどもみんなの譲り合いの精神がぽかぽかと発揮されて、予想以上にひとつひとつをゆっくりたっぷり見ることができました。富嶽三十六景は当然の人気でもちろんやけれども、個人的にぐっときたのはやっぱり『百橋一覧』。「一枚に橋百本描いたる!」っていうのがええやん。ほんで最後の別名の『画狂老人卍』も意味不明っていうか意味わかりすぎるっていうか、なんてゆうかすこぶる2014年的でもあってぴったりやん。きてれつ北斎、切ないやん。北斎のこと思ったら、「何かを作って生きてる人間は死なない程度に今日が何もかもの初めての日という気持ちでがんばろう」ってな気持ちになりますやん。

 

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 ほんで、北斎の花といえば、『紫陽花に燕』もいいけれど、やっぱ『芥子』!この風!……。

 

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 で、タイミング的には旧吉原ではあるけれど、やっぱり気になる一枚『吉原遊郭の景』。しかし左下ふたり女性だけ体が極端に小さいのは何でやのん。そういう気分だったのだろうか。まあとくに珍しいことでもないのだろうけれども、かむろやろうけど、格好からしてかむろにみえへんのが不思議やし、新造にしたら体が小さすぎる気がするし。

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 そしてそして今回のわたしの本丸、見たくて見たくてしょうがなかった、念願の、葛飾応為『三曲合奏図』。もう、何も言うことはありません。素晴らしかったです。残りの絵、いつかぜんぶ見ることができる日はくるのだろうか。とはいえ、花の絵がいま長野に来てるし、カナダの作家、キャサリン・ゴディエによる小説『応為と北斎』も刊行されたし、杉浦日奈子さんの『百日紅』もアニメになるという話もあるし、なにげに応為づいてはいるのよね! この機会に、ぜひとも山本昌代さんの『応為坦坦録』も復刊してくれ!!

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  そしてわたしはまた原稿書き&ゲラの毎日へ……。応為、一葉、最高最高ありがとう。

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