川上未映子

2019.08.05

脅迫に屈しないとはどういうことか

 

あいちトリエンナーレの
「表現の不自由展、その後」が
中止になりました。
議論は活発になされるべきですが、
展示に関して政治や政府高官などの発言により
制限と圧力が加えられたことに憤りを覚えます。
そして何より、
テロおよび危害予告など、
表現の自由を幾重にも奪う行為がなされたことに
強い怒りを禁じ得ません。

芸術と政治、表現の自由と公的資金、
また歴史認識との関係についてどう捉え理解するのか、
様々な考えかたがあり、
ひきつづき各々が思考を深めるべきですが、
ひとつだけ、
テロおよび危害予告という卑劣な行為について。

昨年10月にわたしはネット上で
殺害予告ともとれるような危害予告を受け、
数ヶ月にわたり、
開催を予定していたイベントや講演などに
登壇できなくなりました。
実はわたしは10年に渡って
複数のストーカー被害にあっており
(現在も警察の監視下にある人物もいます)、
過去にも講演が中止されるということもあったのですが、
海外から作家を招いて行う、
その秋のイベントは何ヶ月も前から
準備をしていたもので、
大変なショックを受けました。

届けを出した警察で事情を話し、
警備の徹底強化も含め、
なんとか登壇できないかと相談したのですが、
「お客さんに危害が加えられる可能性が少しでもある場合、
警察としては中止か不参加を強くお願いしたい」
と求められました。
来てくださったお客さんを危険に晒すことなど
絶対にあってはいけないことなので、
わたしも同意しました。
それ以外に方法はないということは
理解しましたが、
同時に脅迫に屈することにもなり、
またそのような卑劣な行為で他人をコントロールすることが
できるのだと暗に認めてしまったようで、
忸怩たる思いをしました。

今回の、あいちトリエンナーレの展示にたいし、
政府の介入、さらには職員個人への攻撃や誹謗中傷に加え、
ガソリンをまくなどといった、
現在考えうる限り最悪の脅迫がなされて、
議論や対話の機会もないままに、
中止に追い込まれてしまいました。

そのこと自体は本当に残念なことですが、
来場者や現場の職員たちの安全を最優先した結果について
「テロや脅迫に屈した前例となる」ことを懸念したり、
運営にたいして覚悟が足りないという意見には、
気持ちは本当によくわかるけど、
しかし今現在、
それ以外に選択肢はなかっただろうと思います。

もし実際に何かが起きてしまったとき、
「テロに屈しない姿勢」は、
そのまま「テロを誘発した無責任な行動」
に転じてしまいます。

そしてそんな理屈よりも何よりも、
現実に犠牲者が出てしまうのです。
血が流れ、取り返しのつかないことが起きてしまうのです。
何よりも避けなければならないのは
被害を未然に防ぐこと。そして、
会期中、強度の不安とストレスに
さらされつづけることになる職員の方々の安全の確保。
その意味で、中止じたいは本当に残念ですが、
わたしは、津田大介さんをはじめ、
運営による今回の判断を支持しています。

「脅迫に屈しない」
「テロに屈しない」とはどういうことなのか。

状況も違えば規模も異なる様々な現場で、
テロに屈しない姿勢とは、
意に介さないことなのか。
予定通り実行することなのか。
それとも別の方法があるのか。
ひとりひとりが考え、
知恵を出しあう必要があると思います。

わたしは、危害予告を受けたあと、
即刻、警察に被害届けを出しました。
そして、匿名によるその書き込みにたいして
情報開示請求裁判を起こし、
先日、書き込みをした人物の情報が開示されました。

その後、警察による家宅捜査が行われ、
パソコンが押収されました。
初犯であることと犯行を認め、
保証人がおり、
また逃亡の恐れがないことから
逮捕は見送りになりましたが、
これから民事裁判を起こし、
損害賠償請求をする予定でいます。

過去から続くストーカーの案件で、
警察とのやりとりの経験は継続的にあり、
いわば「慣れている」わたしでさえ、
(そしてわりとタフなわたしでさえ)
被害に遭い、
そのことに向きあって、
さらには裁判を起こすというのは、
強いストレスを感じます。

けれど、危害予告という卑劣な行為にたいして
泣き寝入りをすることは絶対にしません。
今後、もしまた同じようなことが起きても、
即時、同様の対応をとります。

昨年の秋の大切な仕事での
登壇はかないませんでしたし、
いろんな方々にご心配とご迷惑をかけてしまったことは
取り返しがつきませんが、
しかし、このようにして、時間をかけて、
「絶対に脅迫には屈しない」
「卑劣な行為は絶対に許さない」
という意志を示すこともできるのではないでしょうか。
卑劣な行為をした人物は責任を追求され、
罰せられるという「前例」になるのではないでしょうか。

また、表現者は、今回のような、
行政による馬鹿げた抑圧と顛末を
しっかりと目を見ひらいて観察し、
批評性を磨き、表現の本来をその作品で発揮しましょう。
みんなひとりだけど、ひとりじゃないぜ。

 

 


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