川上未映子

文学

2014.06.17

口述はさておき、筆記はいかにして可能か

 晴天がつづいたけれどまたもや梅雨がもどるみたいで、さすがに蒸し暑うございます。
 小さな子どもがいる家はどこもそうだと思うけれど、この時期、ありとあらゆるウイルスがこちらめがけてやってくるような感じなのだけれど、先週、わたしはまたもや風邪をひき、薬を飲み切ってなんとかやり過ごしたところで、今度は息子の右目に、なんか、目やにが……。それを見つけた瞬間、ああこれで今週の仕事も全部ストップだな、と完全に脱力してしまいました。この時期の目やにはアデノウイルス(プール熱ですね)の合図でもあり、もちろん熱が出るまではわからないのだけれど。1歳になったばかりの去年の息子はまるまる一週間、39度の熱でそれは大変に長かった。今年は軽いといいけれど……去年はわたしも感染して、あの一週間は本当に苦しかった。しかしそれ以上に苦しいのは大人のかかる「手足口病」らしい。もう、何も飲めないし、食べられないし、もう、本当に最悪なのだそう。こんなのすべて、数年前までは知らなかったばっかりで、しかしまだ慣れてもいない。

 

 「FRaU」の今月号に、連載の2回めが掲載されていまーす。今回は資生堂の化粧水「オイデルミン」について。
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 それから翻訳者の友人にいただいたチョコレート。包装紙がかわいいのう。

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 そういえば、子どものころ、いつもりぼんとか包装紙とかを集めていた記憶があるけれどあれらはいったいどこにいくのだろう。捨てるわけでもなし、誰かにあげるでもなし。それから少女漫画の付録問題。シールとかね。封筒&便箋とかね。使うのがもったいなくて綺麗に保存していたはずなのに、気がつけば消滅しているのだった。

 Hanako連載「りぼんにお願い」の次号には「アナと雪の女王」について書き、つぎの週刊新潮の連載「オモロマンティック・ボム!」には太宰治の「ですます調」について書いています。こないだの県立神奈川近代文学館での対談の話の流れで2回にわたっての掲載で、そういえば6月は桜桃忌だったよね。わたしは行ったことないけれど、禅林寺は読者で賑わったのかしら。
息子の発熱がやってくるまでにできるだけ小説を書き進めなければと焦る。子どもが生まれてからパソコンに向かう時間が限られているから、頭のなかで書く癖がついた。最初は書き出しとか、短い文章をぶつぶつくりかえして推敲しているだけだったのが、やっているとどんどん長くなってきて、けっこうな長さを頭に留めておけるようになった。そしていざパソコンのまえに座って出力、という段になると、その推敲した文章がすらすらっとでてきてあとは書くだけ、という流れになってとても助かっているけれど、しかしさすがに小説まるまる一本をそのようにして書くのは不可能だから、やっぱり椅子に座りたい。
 ところで、「口述筆記」について。たとえば「ヴィヨンの妻」なんて太宰治はたった一度、お酒など、ういうい飲みながら読みあげただけで、ひとつの淀みもなく最初から最初までをそのとおりに話して収録された文章そのまま、完璧に終えたそうだけれど、正直「太宰も奥さんも、盛ってるよな……」と眉唾に思っているところがあった。
 がしかし。じっさい自分が必要にかられて頭のなかでの制作をやってみれば、それに近いことはできなくもないかもしれない、や、気合いれればできるかもなと、そんな気もするように。まあわたしのやってることは頭のなかの推敲で、太宰のは頭の中というよりは唱え損じのない完成形の口述なわけだから太宰の方法のと達成のほうがものすごく良いのだけれど。何事も慣れなのかもしれない……しかし口述はできても筆記してくれる人なんて現在どこにもいないので、まあいつもどおりに仕事するのが吉、という感じで。しかし蒸しますね。

2014.05.20

拝啓、太宰治さま、とりかえしのつかないあなたが見たい

 国立でのポールのコンサートはなくなってしまい、立てていた予定はいろいろとあれになったけれど、でもまあこういうこともあるわけで、武道館と大阪は無事に開催できるといいなと思う。この週末はそんなことがあったり、神奈川近代文学館での太宰治についてのトークがあったり、そして映画を觀たりした。

 神奈川近代文学館に行ったのは2008年の埴谷雄高展以来のことで、当時わたしはとても楽しんだけれど人はそんなに多いという印象もなく(行ったのが閉館まぎわだったということもあるんだろうけれど!)、しかし太宰治展はなんとも大賑わいで、衰えぬ人気というか若い人の姿が目立っていた。十代の初めか真ん中あたりに、じゃ何か日本の小説、いま生きてる人たちが書いてるのじゃなくて死んだ人、死んでしまっていまはもういないちょっとまえの人で名前も聞いたことある人のを読んでみようかなーってなときに太宰治を読んで能動的な読書の面白さを知ってそこからたくさん読む、っていう人がとても多いのだろう。とにかくみんな大切そうな顔でもって展示物、ガラスに目を近づけて見入っていた。

 当日は山本充さんとあれこれいろいろな話をしたけれど、小説であれ約束であれ告白であれ、それが言葉というかたちをとってしまう以上、それはただの言葉である。
 たとえば、「本当に」と言っても書いてもそれは本当の「本当さ」を何もひとつも保証するものではないからで、そのような「ほとんど嘘と同義であるような言葉」を使うことでしか生きられないわれわれは、わかっているけど、どうしようもないけど、やめるわけにもいかなくて、しかし何かがうわ滑っている、インフレが加速している、ということはわかる。言葉だけがどんどんまわってどんどん厚くなって、そしてそのぶんだけ虚しくなる。その虚しさやインフレを一瞬だけでも停止させるというか、無効にするためには「武田鉄矢がトラックのまえに飛び込む的な行為」(©山本充)、つまり身体をともなった一回性を賭けた行為が必要なわけで、太宰においてもそれはそうであって、ほとんどパフォーマンスにように続けられた心中未遂などもそういうあんばいだったのではないか、というような。

 そしてその行為を必要とするのは書き手だけにとどまらず、読み手だって必要とするのだよね。

 言葉で書かれたテキストをただ読んでいるだけでは飽き足りなくなり、何度も再生が可能で無限に増えていくような言葉のようなものではなく、一度切りの、一回しかない、かけがえのない、「本当のようなもの」を見たくなる。そのすべての言葉のでどころの責任を求めたくなってしまう。「本当に、とりかえしのつかないもの(その代表的なものは死)」を見て、「ああ、これは本当のことなのだ」と思いたくなる。

 太宰の時代に、作家と読者のコミュニケーションがいったいどれくらいの質と量だったのかじっさいのところはわからないけれど、現代ではほぼ無効になっている、そんな「作家と読者、双方からの要求の相乗効果」の結果として太宰の「生きかた」みたいなのがあって、デフォルメされたその物語がのちのちにまた作品のある部分の強度を高めつづける、というあんばいになっているのだよね、とそういうふうな話をしつつ、あとは、たとえば太宰の好きだった翻案とかちょっとしたメタ構造とかあれらの手つきって批評性とみていいのか単なるサービス精神なのかとか。
 ほかにはエッセイと創作の関係と、彼の得意とする「ですます調」についてなど。
 おなじ尊敬語&丁寧語であっても、それが話し言葉と書き言葉になると効果が反転するという話。や、書き言葉における「ですます調」というのは効果絶大&お手軽なぶん、技術的には鬼門なところも大いにあるね。

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 今日はこれからお昼ごはんを作りにキッチンへ。海老といんげんのアーリオ・オーリオというあいも変わらず365日のうちまじで300日くらいお昼にはスパゲティを食べていると思う。でもおいしいんだよね。簡単で失敗もなくて、作ったものが予定どおりおいしくできると、なんか、いい気分で過ごせるのだよね。

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 2008年に来たときにはなかった、元町・中華街駅すぐにあるアメリカ山公園の、ばら。ほかにも花がたくさんあって、ちょっとした橋のうえをパラソルをさして歩く女性たちの姿はまるで印象派、どこか中也的なかんじもして。いっぱい撮りたかったけれど時間がなくってこれだけ。こんもりふくらんできれいなアーチ。

 

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2014.05.16

最後から何番目のP、そして日曜日の晩年

 今日は夏のような一日で気分がすっかり明るくなる。や、いつもが暗いというわけではないけれど、外側から明るさがやってくるというかなんというか。土曜も日曜もとくに休みというわけではないのだから、せめてこんな日は何もしないでぼうっとして昔みたいに布団をかぶって「安静」にしてみたいものだけれどそうもゆかず、ところで窓っていいものだな、おなじ四角でもパソコンとは何もかもかもがこうも違って何が違うって光りかた。

 しかし明日はでかける日で、どこに行くってポール・マッカートニーを聴きにいくのだけれども、きっとみんな思ってるだろうけれどポール来日早いよね。10年前に行ったときも「もうこれで最後だろうかな」的ムードがあって胸に押し寄せるものがあったけれど去年無事にやってきて、しかし「さすがにこれで本当に最後、だろうなあ」とドームにいたたぶん2万人くらいがしみじみ思っていよいよ極まり、奇跡的な「サムシング」のアレンジを思いだせるだけでなんかもう、こう、自分がどこにいる誰なのかわからなくなる思いだったけれど、半年もたたずにまたもやポールの演奏が聴けるなんてまったくもって思ってなかった。そしてチケットを手配したあとに武道館の追加公演アリーナチケット10万円の発表があったりして、なんかもう流れ的に行くしかないような気持ちにもなるけれど仕事の都合でそちらは無理で、とにかく明日はどんな曲、どんな演奏なんだろう。何が聴きたいとかもうないけれど、そう、何が聴きたいとかって、もうないんだけれども。

 明日のつぎは明後日で、チケットは完売してしまったみたいだけれど、神奈川近代文学館で太宰治について話をしにでかける日。「待つ」「古典風」「女の決闘」、ああ翻案の手つき懺悔の目つき。面白い話になるといいな。

2014.05.15

朔太郎はんの、うろうろ

先日は萩原朔太郎忌にいらしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。マンドリン演奏、合唱、朗読、そして三浦雅士さんとの対談、吉増剛造さんと三浦さんとの対談などで会はみっちりしつつも和やかで、なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。

わたしは詩人の知りあいや友人がほとんどいないので、詩、といえばひとりで書いてほかの詩人の詩をひとりで読むだけで、詩をやってる人と詩について話をする機会がほとんどないままきたのだけれど、この2年くらいのあいだで少しずーつ、そういう時間をもつことができたりして、詩人たちと、あるいは詩が中心にある人たち、詩歌のことを考えている人たちとそれらについて話しすることがとても新鮮で、そしてとてもうれしいのだった。

それは今回もそうで、三浦さんとの対話、それから三浦さんと吉増さんの対話によって、朔太郎とその作品にもっていたわたしのイメージがぐらぐらになって、手元でひらいて目にしてた詩が対話の最中にみるみる変化&変質してゆくのを目の当たりにしておおおおおこれはすごいな、文字のほうはなーんにも変わってないまま記されたままやのに、まったく違う詩になっていってるな、わたしいまそれを見てるのやなというあんばいで最高だった。この日はわたしにとって朔太郎との出会い直しの意味をもつような、そんな忘れられない日になりました。

韻文であれ散文であれ、それを読むときにはそれだけを読まなあかんのに、たとえば学校で詩を習ったときにくっついてくる三つ子の魂的ムードのせいで、詩にはいつも何かしらメッセージが必須であると、素朴に私小説的文脈というか、詩人はいつだってその人の人生や苦悩や境遇をうたうもの・あるいはうたってしまうもの、であるかのような、そんな了解がやっぱりあるようにも感じていて、そういうのをみんなでそれぞれそれなりに一生懸命がんばって無効にしてきたのが現代詩の無数にあるがんばりのひとつでもあるはずなのにしかしこれがなかなかにしぶとく、なんのことはない、わたしも朔太郎を読むとき、読んでいたときに、その了解からは自由ではなかった、あるいはこれからだってなれないのかもしれないのだと、そんなことをあらためて思わされもしたのだった。

哲学者が真理っぽい何かに到達するために論理をもちいるように(あるいは論理を信じるように)、詩人がもちいるのが(信じるのが)言葉だとして、たとえば中也などの詩にはそれをときどき感じるけれど、朔太郎の詩には公共的な使命や立身出世の緊張感がみなぎりすぎるほどにみなぎって、若いころは、それがどうも、こう、重要でないような気がして、のれなかったことを思いだしてそれを話したりもした(もちろん、当時のわたしがただ見たいものを見ていただけの話なのかもしれない)。
しかし中也と朔太郎は、年齢がちがう。
少しの差かもしれないけれど、生における滞空時間がちがうということが、創作に関係しないわけがないのだよね。
やっ、詩じたいに年齢は関係ないといえばそういう面もあるけれど、それが出てくる精神については頓着するが肉体についてはそうしない、という道理はないのであって、年齢をささえる <時間> というのはやはり創作と作品においてはべらぼうに巨大なルールなのだとそういうこと、思いしらされることばっかりだ。

ところで今回、朔太郎を読み返していて、定型詩もいいけれど散文詩は気負いがないように思えるところもあっていいね。
檄文や、構えた論や説明よりも、朔太郎のした<仕事>をそのまま表しているような、そんな読み方もできるような気がする。

たとえば「坂」。ここに書かれてるような幻想と覚醒とのあいだのうろうろが、朔太郎の仕事にとっての脳髄にして臓器のような、そんなような、気もする。

2014.05.05

ところで前橋での対談のことなど!

パリは晴天で気温も20度くらいまであがるみたい。
ひきつづき時差ぼけに悩まされていて真夜中の3時に必ず目覚めるというあんばいだけれど、あと数日。帰ってからはどうなのかなあ。時差ぼけって本当につらいよなあ。おととしだったかな、イギリスから帰ってきて一週間以上も夜眠れなかったし、今回もそうなってしまうのだろうか。

そして日本に帰ってすぐさま!
「第四十二回朔太郎忌 朔太郎ルネサンス」にて三浦雅士さんと対談します!
このような記事もあったりなどして。

 

 

第42回朔太郎忌「朔太郎ルネサンスin前橋」
期日:2014年5月11日(日)13:00~17:00
会場:前橋テルサ 8Fけやきの間
定員:180名(入場無料)
内容:マンドリン演奏、詩の朗読の他
対話:朔太郎の誘惑
ゲスト 川上未映子
聞き手 三浦雅士
映像と対話:朔太郎を見る/朔太郎を聴く
ゲスト 吉増剛造
聞き手 三浦雅士
共催:萩原朔太郎研究会・水と緑と詩のまち前橋文学館
問合せ 前橋水と緑と詩のまち前橋文学館(電話027-235-8011)

 

 

みなさまぜひおこしくださいませ。
中也の話につづいて、色々なお話できるの楽しみにしています。
今日はこれから打ち合わせと取材など。しかしパリは子供服がかわいいなあ。

2014.04.30

中也、春春春春、連呼して

 きのうとおとといは、中原中也記念館開館20周年記念行事と、第19回中原中也賞授賞式に参加するために山口市におりました。
 ひとつまえにアップしたのは、帰ってくるときの写真。
 
 記念行事のほうでは中也の記念館にある中庭で谷川賢作さんのピアノで歌をうたせていただき、授賞式では穂村弘さんと中原中也とその作品をめぐる対談に参加して、街にはホテルでも部屋でも道路でもタクシーでも中也の顔写真と名前みることができるムードにあふれ、そして前日に山口市入りしたこともあってまる2日間、場所でも目も文字もどこまでもそれはとても中也めいた時間だった春の終わり。

 穂村さんとの対談ではいろいろな話をしたけれど、中也の創作のなかにある無音について。テクニックとして中也以外の人も使うことのできる技術と、そうでない部分について。中也の作品個々にみられるリフレインと、全体を覆うかたちで存在しているリフレインの関係について(たとえば、なんで中也は、あんなにも春春春春と連呼せずにはおられんのか)。
 
 ほかには、それぞれいくつかの作品の読解をしたりして、それが印象に残ってます。穂村さんは「夏の夜の博覧会はかなしからずや」、「春と赤ン坊」などについて、そしてわたしは「春の日の夕暮」、「月夜の浜辺」、そして息子の文也が亡くなって数日後に書いた、「暗い公園」について。どこかに収録されるかもしれないので、そのときはまたお知らせします。それまでに、ちょっと時間を見つけてここでもかけたらよいな。とにかく、授賞式や対談が終わってからも、なんだかずっと中也のことを考えていた二日間だった。今もまだそうなんだけれども。

 ところで山口に来るまえの日の大阪、そして山口市での数日は雨が降ったり寒くて夜は冷たくて、その前々日の東京が初夏みたいに爽やかだったために着るものやつめてきた洋服を完全に間違えてしまって寒かったよ。赤のボーダーT×ハイウエストのペンシルスカートサスペンダーつき、というどっかマリン調の浮かれた感じの組みあわせも調子でず、どころか心細くっておおげさじゃなくってなんやったらコートがあってもいいくらいの気候だった。

 40°を記録したちょっとまえの扁桃腺炎からこっち、なんか体調がしゃきっとせず、しかし病院行く時間がどこにもないので葛根湯を飲んでかろうじてなにかをつないでいる感じでいるけれど、しかし明日の早朝にはわたしはジュネーブへゆかねばならないわけで、半分白目でこれからあらためて荷物をパッキン。

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