川上未映子

2015.04.16

あした、早稲田大学で

 

急な告知になってしまってごめんなさい、せなせなと思いつつ気がついたら前日に……! このところテレビ収録とか撮影とか取材とかトークイベントなどなどが続いていてすっかり忘れていた原稿のGW進行がそこに突き刺さってまじで息があがってます。

そして明日、早稲田大学で、早稲田文学にまつわるシンポジウムが開催されまして、第二部に編集委員のみなさまがたと──東浩紀さん、角田光代さん、藤井光さん、 ヤマザキマリさん、 堀江敏幸さん、市川真人さん、貝澤哉さんとともに、『早稲田文学編集会議』ということで登壇いたします。

詳細&場所はここ

第一部は、早稲田文学の表紙で作家を撮っていらっしゃる篠山紀信さんの写真とともに篠山さんのお話が!

第二部は、これから文学どうなるの、みたいな話になるのか、まったく予測がつかないけれど、がんばります。事前申し込み不要、無料なので、どなたさまもふらりと聴きにいらしてくださいませなー。

 

 

2015.03.26

英訳『日曜日はどこへ』、金沢はこんなにきらめいて

 

春ですね。春なのかしら。部屋のなかがなんだかちょっと寒いのだけれど、これっていつまでつづくのかなあ。永遠につづくのだとしたらいやよねえ。今日も今日とてお知らせが!

 

短編『日曜日はどこへ』の英訳が words without borders  に掲載されました。

翻訳は、いつもお世話になっている由尾瞳さんです。

原作は短編集『愛の夢とか』に収録されています。

そのとき何歳になっていても、どこにいても、どんなふうになっていても、ある作家が死んだら会おうと約束していた学生時代の恋人たち。「作家が死んでから、最初の日曜日に」。長い年月が経ったある日の朝、その作家が死んだことを知って、主人公は遠い昔に交わした約束を思いだす。すっかりちがう人生を生きているはずのふたりはさあどうなるのかしらん、というような小説です。

ぜひお読みくださいませ!

 

 

北陸新幹線開業を記念して、ショートストーリーを書き下ろしました。

朝日新聞×JR東日本×川上未映子大好きな人に、会いにゆく

先日、朝日新聞紙面に掲載されましたが、webには4月7日に公開される予定です。

監督は笠原秀幸さん、出演は、森カンナさん、坂口健太郎さん、音楽は叶恵さん。

あれえ……わたしこんな甘酸っぱくて胸がきゅんきゅん鳴るような素敵な話書いたっけ……とうっかり思ってしまうほど、何というか、遠い昔見た夢というか今もできれば見たい夢というか、今からじゃもう届きようのないきらめきだけでできあがっているようなそんな素敵な映像でございます……でも、こんな現実を生きている人たちもいるのよね。ああ、世界は広いよね! ああ、金沢行って白エビ食べたいよね!

どうぞごらんくださいませ!

 

 

 

2015.03.16

今年は谷崎潤一郎YEARだよ、「TANIZAKI MY LOVE」に参加しまーす!

今年は谷崎潤一郎、没後50年にして生誕130年。

4月4日からは神奈川近代文学館で谷崎潤一郎展が開催、

5月10日からは「谷崎潤一郎全集 決定版 全26巻」が刊行される予定で、

そのほかにもたくさんの関連書籍が刊行されます!

 

ということで、4月8日に「TANIZAKI MY LOVE 谷崎潤一郎メモリアル2015」に参加します。

谷崎や創作のいったいどんな話になるのかわたしも楽しみですけれど、事前に取り上げるならどの作品? との質問に全員が「春琴抄」と答えたらしいので、そのあたりからの感じになりそうです。

朗読や演奏もあるみたいです!ぜひお越しくださいませ!

 

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TANIZAKI MY LOVE 谷崎潤一郎メモリアル2015
出演:阿部和重、奥泉光、川上未映子、夢眠ねむ(でんぱ組.inc)
日時:2015年4月8日(水) 開演19:00(開場18:30)
場所:よみうり大手町ホール
チケット:全席指定(税込2,000円)
※未就学児入場不可

⇒サンライズプロモーション東京
電話番号:0570-00-3337
⇒ローソンチケット(Lコード:37852)
電話番号:0570-084-003
⇒チケットぴあ
電話番号:0570-02-9999(Pコード:628-708)
⇒e+(イープラス)
⇒よみチケ

2015.03.12

ふたりのものは、みんな燃やして

今日も色々なお知らせがあるのですが、もう何もかもが後手後手になってしまっていて、遅ればせの告知になってしまっていてあかんことです。先日お伝えしたダイソンのイベントは満席になって募集は終わってしまいました。ありがとうございました。そしてここからざっと駆け足で!

 

東日本大震災4年「想像力の役割は」@朝日新聞

批評家、作家の東浩紀さんと対談させていただきました。東さんとは色々な場所で何度も同席したことあったけれど(今度から早稲田の編集委員でご一緒します)、こうして公で対談というかたちでお話するのは初めてでした。今回の対談ではふれられなかったけれど、またいつか、「偶然と一回性」「我々がみんな本当に死んでしまうことについて」などなど、東さんとゆっくりお話しする機会があればなあ、と思っています。ぜひお読みくださいませ!

 

「魔法飛行」

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エッセイが文庫になりました!読み返してみるとなんだか懐かしいです。文庫本のためのあとがきも。このシリーズ好きだっていってくれる人が多くてうれしい。どうもありがとう。

 

「ラヴソングに飽きたら」

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アンソロジーに短編小説「ふたりのものは、みんな燃やして」が収録されております。去年から文芸誌に発表している、3つの掌編をくっつけたやつのシリーズです。「レネは誰のことも好きにならない」、「イヴァンの寝室」、「ヴリーランの愛の証明」の3つです。どうぞお読みくださいませ!

 

「早稲田文学」

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今季から編集委員に就任しました。篠山紀信さん撮影の編集委員たちのポートレイト、集合写真、初顔合わせのときの会話、意気込み、などなどが掲載されております。どうぞよろしくお願いします。

 

 

「VERY」

寺島しのぶさんと対談させていただきました。寺島さんが拙著「きみは赤ちゃん」をとても楽しく読んでくだったことがきっかけで実現しました。そうそうそうそうそうそうそう!と膝が青くなりそうなほど打ちまくりのまったく楽しいひとときで、いやあ、寺島さん想像どおりの、想像以上の、ほんとに素敵なかたでした!ぜひお読みくださいませ!

 

 

 「TRASH UP」

シンガーソングライターの北村早樹子さんのデビュー十周年を記念して、対談させていただきました!早樹子ぉぉぉぉ〜!そのまますくすく育てよ!

 

 

3月、春、過ぎてゆく日々のなかに様々な思い出。

 

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 買ってすぐに鍵盤に息子のかかとがあたってA損傷。

 

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 いちご。ほとんど息子が食べてしまう。おいしいよね。

 

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 先日、林芙美子新人賞の授賞式に出席するために門司へ行ってきました。これまでに三度、ぜんぶ仕事でなんだけど、門司だいすき。門司港ホテルも好き。街も好き。なんか好き。そしてこれは芙美子推しの喫茶店。

 

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 リニューアルされた林芙美子記念館にて。等身大の芙美子。「海が見えた。海が見える」放浪記の一節にあらためて出会って10秒くらいまじ絶句。「これは詩よ……詩人を乗せるべきだった……」byエリー・アロウェイ <コンタクト>

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 ホテルの部屋から。海。窓。早朝。

 

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  先月のマームのアフタートーク終了後の藤田貴大さんと。このブラウス初めて着たんだけど、「ミエコ、それすごい可愛いけど、すごいママさんコーラス感あるよね!」by名久井直子

 

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 息子を遊びにつれていった人工的な砂場に落ちていたいか。

 

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  これは去年の思い出。みんなで撮ってもらった。ヴォーグ主催のステラを囲んでの楽しいディナー。とても楽しかった。今年のステラも可愛いね。このあいだ夏用のサンダルを買いました。@vogue

 

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  ある日の夕暮れ。どこかへ行くのではなくどこかからやってきた電車。春の暖かいにおいが腰のあたりにずうっと流れていた薄暮だった。いつの日も生きてれば生きているそこここで釣瓶落とし。

 

2015.03.06

Hanako presents 「WELCOM TO DYSON WORLD!」トークイベント @スパイラルホール

もう8年くらいになるかしら、エッセイ『りぼんにお願い』を連載させていただいているHanako×DYSON、トークイベントが開催されることになりました。わーい!

当日はダイソンの「ものはきちんと機能してこそ美しい」をテーマに、「物と心と機能」についてのあれこれをお話できたら&伺えたらなあ、と思っています。

今回、お披露目される最新の製品を開発したのは、オラさんという女性の技術者で、まだ二十代という若さ。
ダイソンでも女性がこのようなかたちで抜擢されるのは初めてということで、わたしはそのあたりも興味津々。達成、困難、展望、そのほかたくさん………色んなことを伺って、「ものをつくること」に迫れたらと思います。

デザインや言葉、それらを人に届けるということ、そして女性がものを作り、それを発信してゆくことに興味のあるみなさま、ぜひぜひおいでくださいませ!お会いできるの楽しみにしています!

開催日時 3月18日(水)
開場:18:00
開始:18:30〜19:30
場所:スパイラル・ガーデン (東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」B1出口前)
応募方法 : DysonPR.Japan@dyson.com 宛てに、3月10日までにメールにて応募ください。      
件名には川上さんトークショー参加希望と明記してください。
先着100名 (ご参加いただける方にはダイソンより直接ご連絡いたします)
※参加者全員にダイソンオリジナルグッズをプレゼント。

問合せ/DysonPR.Japan@dyson.com

 

2015.03.02

おかっぱは美容室エルメで、ふたたび

 いつだったっけ、少しまえに髪型をどこでどうしてるのかの質問が多くて、ここですよってことをブログに書いたのだけれども、ご紹介した美容室エルメ。このあいだ「や、ミエコさんのブログを見てこられるかたがすごく多いんですよ……何ヶ月もたってるのに、未だに……」なんて伺って、とっても驚いた!

 美容室ってだいたいもうみんな行くところって決まってるし、新しいところに行くモチベーションってなかなか湧いてこないのに……。「そうか、美容院難民、あるいは過渡期の人が多かったのね……」とひとりうなずいていたのだけれど、先日もエルメに髪を切りにいったら、なんとわたしのブログをみて来院していたかたが偶然にお二人もいらっしゃって、どきどきしました。わたしの髪を切ってくれているのは武田くんというオーナーなのだけれど、「で、みなさんやっぱりおかっぱに?」と伺うと、「あ、そういうわけではありません」ということらしいのですが、長くても短くても、おかっぱでもパーマでも、うれしいのは一度いらっしゃったかたが続けて通うようになってくれてるってことで、それってやっぱりうれしいですよねえ(しみじみ)。

 そして何が素晴らしいって、エルメには「ママズデイ」という日が設けられていて、お母さんが髪を色々しているあいだ、近くに赤ちゃんや小さなお子さんが遊べるスペースがあって、もちろんスタッフのかたがちゃんと見ててくださいます。そう、育児中、小さなお子様も一緒に出かけられることって涙がでるほどありがたい……。保育園に預けているかたならまだ自由がきくときもあるけれど、ずっと一緒のお母さんは美容室になんてなかなか行けないわけで、ぜひ、ご予約してみてくださいね!

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 これは髪を切った直後です。形は基本は前下がりで、後ろは刈り上げにならないていど、横は耳にかけるとショートになるっていう感じです。前髪は眉下ぎりぎりで毛先をちょっとばらしてもらってます。うねるくせ毛なので、ちょうどいい具合にストレートパーマをかけてもらって、色は何色っていうのかわからないけど、赤みを抑えたブラウンで、暗くも明るくもないって感じ。前髪と横髪のつなぎめのぐるりんってやつが武田くんがすごく上手で(上手ってそれはま当然か……><)、ここの形が違うと、まったく感じが変わってしまうのです!超絶・絶壁&しゃもじ&書籍みたいな頭のかたちのわたしにいつも全体的な、立体的な、まるみを与えてくれてありがとう!!

 

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 それで最近の色ものヒット! アイラインとかマスカラの色ものってぼやーっとしてあんまりはっきりしないんだけれど、今回のRMKはすっごくいいですよん。下まつげはもちろん、上につけてもほんとにばさばさ色がつきます。今回は上下の二色展開で、わたしは黒×ピンク、茶色×オレンジ、のふたつを購入しました。雑誌でもめさめさ推されてるのでどうしよっかなと思われてる人、こればっかりは買いですよ。まぶたにシャネルの228テティセカンボンのピンクを全体に指で塗って、RMKのピンクのマスカラを上下に塗ってます。今回はファンデを塗ってない状態で写真で撮ってもこの発色、きちんとフルメイクにすればさらにかなりパッキリするのではないかしら。

マスカラもアイシャドウもなし、カラーのラインだけ引くのもきれいだな、ポップだな、と思って探しているのだけれど、いい感じのアイラインがなかなかないので、リップペンシルで代用してもいいかもですね。家で仕事してるだけでべつに外出もしないのに、モチベーションをあげるためだけにやりました。原稿は進みました。

 

 そして、年が明けて『きみは赤ちゃん』はただいま9刷、『すべて真夜中の恋人たち』は6刷、ありがとうございます。『きみは赤ちゃん』は図書館でも予約してくださるかたが多く、数ヶ月〜1年近く待ちとかのところもあるのだそうで、まわってくるころには生まれた赤ちゃんも一歳になっちゃうね!でも、あっというまだよ。うれしく思っています。ありがとう。色々、告知しなきゃいけないこともたまってきているので、またちかぢかまとめてアップしまーす。

 

 

2015.02.27

たけロス、美登利の変化は何によるもの?

先日、わたしが手がけさせてもらった、樋口一葉「たけくらべ」、現代語訳が収録された日本文学全集の刊行を記念して、「東京大学で、一葉、漱石、鷗外を読む」が開催されました。お越しくださいましたみなさま、本当にありがとういました。

 とても寒かったのに、おかげさまで超満員、たくさんの立ち見が出るほどの盛況で、とてもうれしかったです。ありがとうございました。東大のあの教室、形も奥行きも広さもとても好きです。いいですよね。

  や、最近はあんまり緊張しなくなっていたのに、今回はものすごーく緊張しました。自分の作品じゃなくて、人の書いた作品を扱うからか、最初からどきどき、終わってもどきどき、という感じでした。夏の終わりからつづいていた「たけくらべ」の自分的には総決算、みたいな感じもあったからかしら、いちおうぜんぶ終わってしまって、なんだか気が抜けちゃって、たけロスの日々を送っております。

 

  当日は、「たけくらべ」の原文からすてきなところを抜粋してコピーしたものをみなさまにお配りして、おなじ箇所の現代語訳をわたしが読む、というかたちの朗読をしました。

 目では原文を楽しみ、耳から意味がするすると入ってきて、目と耳の両方で「たけくらべ」を味わう、というあんばいですね。

 朗読って、難しくって、わたしはあんまりしないのですが、今回は、みなさんにとても楽しんでもらえたみたいで、ほっとしています。よかった……。「おなじの、今度またやってください」というようなお誘いもさっそくあったりして、どこかでまた、こんなふうに「たけくらべ」の世界にふれることができたらいいな、と思っています。そして今回は、「たけくらべ」を未読の人もいらっしゃるよねということで、物語のすじを追いながらの朗読&講演、という感じだったのだけれど、いつか、「たけくらべ」の読書会みたいなのもしてみたい。このあいだは時間がなくてできなかった、細かいところまでを心ゆくまで話して念入りに入り込むような時間があればいいのにな……と夢想しています。読書会みたいな感じでやるには少人数でやらないといけなかったりもするし、まあ実現はなかなか難しいだろうけれど……。

 

 そして、池澤夏樹さん、紅野謙介さん、ポーランドの樋口一葉の研究者であるカーシャさん、そして司会進行をしてくださった沼野充義さんとのシンポジウム。それぞれの作品が生まれた背景とその関連、そこから私小説の成立と受容、そしてフィクション論……などなどみるみるうちに話は広がって、あっというまに時間がたってぜんぜん足りなかったですね。またこんな機会があるといいのになあ。

 

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そうだ、当日もちょっと話したけれど、美登利の変化については、「水揚げ説」はないと思っています。「検査場説」もちょっと無理があるなあ。だったら「初潮説」なのかといわれれば、必ずしもそうではないと思います。つまり、どれでもないんじゃないか思っています。

 水揚げ説の根拠のひとつに「花魁の妹で、ああいう界隈で育った女の子が初潮くらいで動じるかいな」というのがあるけれど、や、もちろんどんな環境であれ、初潮は驚くにも変化するにも充分な出来事だと思うけれど、少女の変化には何かしら身体的なきっかけが必須である、という思い込みはどうかしら。

 だいたい吉原の次のナンバーワンになることが約束されたような器量良し、しかも大籬である大黒屋を背負って立つことを期待されてる美登利の水揚げであれば、もっときちんと大々的に行われるはずだし、第一、明治の新しい公娼制度はもちろん、新吉原のルールの年齢にも達していません。まあ、ある種の伝統ってことで元吉原時代の裏ルールが適用された、ってことも完全にないとは言い切れないけれど、とにかく美登利の、いわゆるデビューとあらば相当な話題になることは必至で、しかし町も人々もそういう雰囲気ではありません。そして何よりもやっぱり、水揚げされたとするなら美登利にたいする母親の態度が不自然すぎると思います。さすがに水揚げされた娘の友だちに「いまにいつもの美登利に戻ります」とは言わないでしょう。「いまは中休みってところです」もおかしいです。

 じゃあ美登利の変化は何によるものかといえば、やっぱり、これからのことを言葉ではっきりと説明されたんだと思います。そこにもちろん初潮があってもよいのだけれど、そこに加えて、今後はいついつにこういうことをして、こうなって、あなたはこれこれこういう感じになっていくんですよ、と説明されたのじゃないかしら。何となくわかっていたかもしれないけれど、これまではやっぱり自分の外にあった「遊女の仕事」というものが美登利のなかでリアルに認識されたのではないかと思います。世の中にセックスというものが存在していると知ったときの驚愕だけでもすごいのに、どうじにそれを、まだ体験したこともないそれを仕事にして、これからさきの人生を生きてゆかねばならない、ほかの選択はないのだと知らされたら。美登利の変化は、こうしたことをはっきりと認識させられたことにあったじゃないかと思っています。

 

 

2015.02.02

たけくらべにさわる 〜『たけくらべ』現代語訳刊行記念イベントにつきまして

 

 

しかし冬。みなさま、頬、腰、くるぶし、お元気。

 これまで何回かにわたってお知らせしてまいりました、樋口一葉『たけくらべ』の新訳が、2月10日ごろに発売になりまーす。よかっつー!!!(よかったの複数形)

 こちらは河出書房新社から、今後数年間にわたって刊行されます「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」のひとつになります!

 去年の秋に刊行されました池澤夏樹訳『古事記』、 表紙の色も、鴻池朋子さんの絵の帯もうるわしく、書店でも平積みで大好評! そして第二弾は中上健次『鳳仙花』、第三弾が、この『たけくらべ』になります。

 

ほかに収録されますのは、夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』。明治の東京を舞台に繰り広げられる思春期&青春小説みっつだよ。ただいま予約受付中ですので、ぜひお求めくださいませ!

 そしてこちらが『たけくらべ』の表紙になります。帯の絵は、漫画家の浅生いにお先生の作品でございます。

 ところでこの表紙を見た友人・知人から、「なんで帯にあんたが……」的な突っ込みをたくさんいただいているのですが、すみません。この帯の女性はわたしではなく、ご存じ『三四郎』の美禰子なのです。そう、編集部から「現代版の『美禰子』(何気ない仕草にぐっときてしまう男子目線で描いた、きれいなお姉さん。かといって年上感ではなく、「たけくらべ」の美登利にも通じるような少女感も残したかわいさがある女子)を描いてほしい」という依頼を受けられた浅生いにお先生による、現代版・美禰子なのです。たしかに髪型おんなじですけれど、そう言われてみるともう美禰子にしか見えないこの不思議。美禰子美禰子、わたしの処女作に出てくるのは三年子。ああわたしたち、いつだってストレイシープ。

 

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そして先日もお知らせしました、イベントの詳細が決まりましたわーい。予約も不要で、無料なので、みなさんぜひ、聴きにいらしてくださいな。

 第 1部は、『たけくらべ』について色々なことをわたしが全力&全愛でもって語るという、少々暑苦しい会になるかもしれませんが冬だしいいよね。内容はこれから色々と考えたいと思っていますが、原文と今回わたしが訳した文章を比較したり、具体的なところ&細々したところも多くなるのやもしれません。なので、できますれば、みなさまぜひ今回の現代語訳版をお読みいただいてからのご参加、ということになれば諸々がなお豊か、わたしはめさめさうれしかったりします。 そしてちょっとかわった朗読もやる予定でいます。『たけくらべ』が好きな人も、これまで興味のなかった人も、ふうん、ちょっと読んでみよっかなーと思ってくれたりしたかたも、そうでないかたも! 当日は『たけくらべ』の魅力について精一杯お話したいと思っております。どうぞみなさまよろしくお願いします。そして第2部は、座談をします。こちらもいったいどんな内容&お話ができるのが今からすごく楽しみ。

 

   

「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」

第13巻『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鷗外』刊行記念
東京大学で一葉・漱石・鷗外を読む

2015年2月22日(日)14時開演(13時30分開場)

場所:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
アクセス:丸ノ内線・大江戸線「本郷三丁目」、南北線「東大前」下車、徒歩10分

予約:不要(先着順。会場は約220人収容)。当日12時30分より会場入口で整理券を配布。
満席の場合は、入場をお断りする場合もあります。
入場:無料

第1部 14時〜15時
「たけくらべ」にさわる
川上未映子(作家)

第2部 15時15分〜16時45分
シンポジウム・明治の青春小説の魅力
池澤夏樹(作家)×川上未映子(作家)×紅野謙介(日本大学教授)×沼野充義(東京大学教授)

 

昨年11月から刊行が始まった「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」。その第13巻『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鷗外』が2月に刊行されます。収録作品は、明治を象徴する青春小説「たけくらべ」「三四郎」「青年」の三作。それぞれの作家・作品にゆかりの深い本郷の東京大学で、各作品の魅力と明治の文学について、全集編者の池澤夏樹氏、「たけくらべ」の新訳に取り組んだ川上未映子氏、近代文学が専門の紅野
謙介氏と、東京大学現代文芸論研究室の沼野充義氏が語り合います。

お問い合わせは、東京大学文学部現代文芸論研究室 Tel&fax:03-5841-7955
E-mail:genbun@l.u-tokyo.ac.jp までよろしくです。

 

 

2015.01.30

冬の思い出

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2015.01.17

まえのひ

 阪神淡路大震災が起きたとき、わたしは高校三年生で大阪に住んでいた。あおむけに眠っていて、布団に面した腰のあたりにごぼごぼっと何かが沸きあがってくるような感覚があってそれで目が覚めて、そのごぼごぼっというのがしばらくして揺れに変わった。まるで誰かが中身を確かめるみたいにがちゃがちゃとふってみせる箱のなかにでもいるようなそれはすごい揺れで、仏壇とかタンスとかが前後左右に動きだしているのを見ていても、どこかぼんやりしていて、そして頭ではいま地震がきてるってことは理解しているんだけれども、でも「関西には地震はこない」と子どものころからずっときかされていたせいなのか、すごく揺れてるけどきっとたいしたことにはならない、とどこかで思っていたのだった。

 

 しばらくすると揺れはおさまり、初めてのことで恐怖というよりは興奮しているような状態で、テレビをつけてみるとコンビニの防犯カメラの映像がくりかえし再生されていた。棚のものがあらかた床に落ち、ガラスの扉が割れていたけれど、そのときはまだそれだけだった。経験したことないくらいすごい地震だったけれど(わたしがいたところは震度5強だった)、家の中も家族も無事だったし、水も出るし停電もなかったし、やっぱりあれぐらい済んだんだなと思って、すこし眠った。

 

 それから学校が休みになるという連絡がきて、あらためてテレビでニュースを見てみると、高速道路がめくれるように倒れていた。街が潰れて、燃えていた。どこから何を見ていいのかわからなかった。時間がたって被害が明らかになるその様子、救助の難しさ、行き場のなくなった人々の声、日に日に死者の数がふえてゆく知らせをテレビで見たり、それから知り合いが亡くなったことを知ったりと、震災はとりかえしのつかないまま日々大きくなっていったのに、こうして文章を書いているいまも、当時、自分が何を考えていたのか、なぜかうまく思いだすことができない。

 

 そのときに言語化しなかったということ、そしてもちろん直接的な被害がなかったというのがいちばんの理由なのだと思うけれど、「起きるはずのないことが起きてしまったのだ」ということじたいが、当時に自分にとってはあまりに大きすぎて、恐ろしかったのだと思う。子どものころから「いつか死ぬ、みんな死ぬ」というようなことをずっと思ってはぐずぐずしているようなところがあったけれど、その「いつか」が、そしてやっぱりまだどこか遠くになるはずのものが、とうとうあの日、巨大な斧みたいに振り下ろされたのだ、まえぶれもなにもなく、それはやってきたのだ、そしてその斧はわたしのいた場所ではなく、少しだけ離れたところに振り下ろされたのだ。しかしなぜ?

 

 もちろん理由なんてないのだと思う。でも、それをどう理解してよいのかわからないまま十代を終え、二十代になり、そのわからなさはどんどん小さくなってはいるけれど、20年がたって38歳になったいまもやっぱりなくなってはいないみたいだ。そして長い時間がたったあの3月11日に、わたしは阪神大震災時の大阪とおなじ震度に揺れ、またおなじように震源地からは離れた東京にいて、15年以上時間をかけて、どこかまた振りだしにもどったような気持ちになった。

 

 阪神淡路大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「起きるはずのないことが起きてしまった」だった。

 そして、東日本大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「とうとう、このときがやってきてしまった」だった。

 

 ただ運よく直接の被害に遭わなかったわたしは、このふたつについて考える。それも、気が向いたときに。勝手に、心細くなったときに、あたたかな部屋のなかで、お手軽に、都合よく、考える。ちがいについて考えているのか、それぞれについて考えているのかはまだよくわからない。近い将来に必ずやってくるつぎの災害のときに自分がどこにいてどうなっているのかはわからないけれど、そのときのことを、やはりおなじように想像する。日本にかかわらず世界じゅうで毎月のように不幸な災害や事故が起きて、紛争や戦争に巻き込まれている人々がいるのに、いなくならないのに、このふたつの出来事が、自分にとってほかの出来事とはどうしてもちがうものとして残ってしまっている理由について考える。

 

 距離の問題なのだろうか。場所の問題なのだろうか。年齢なのだろうか。じっさいに身体が揺れ、知人が亡くなったからなのだろうか。知っている土地だったからなのだろうか。原発事故という未曾有の事態が引き起こされたからなのだろうか。

 

 起きてしまった災害、起きてしまった大変な出来事について考えるって、そもそもどういうことなのだろうか。支援をつづけること。思いだすこと。忘れないでいること。そこから教訓を導きだして備えること。書いたり、描いたり、話したり、その人のやりかたで何かを問いつづけること。実践すること。癒すこと。社会的に、政治的に、新たなシステムをつくりだすこと。

 

 どれもがそうだともいえるし、そのぜんぶを足したって(そんなこと自分にできるわけもないけれど)不足しているような気持ちになる。そう思ってしまうのにはいくつもの理由があると思うけれど、きっと、何をしたってどうしたって死んでしまった人はかえってこないし、失われたものはもどってこないからだと思う。何も起きなかったことには、もうできないからだと思う。何も起きなかったときにはもう、もどることができないからだと思う。この、本当の意味での、とりかえしのつかなさこそが、本当に本当に大きな問題だからだと思う。あまりにも大きなことだからだと思う。言葉にしても、しなくても。災害や大きな出来事や事件が起きなくても。日常にはそんな一回性に満ちているのだと思う。それでも、何かをつづけてゆくしかないのだけれど。

 

 今日の文章も、何か伝えたいこととか結論したことがあったから書いたわけじゃなくて、ただ、まだわからないままのことをわからないままに、今日、なにを思ったかを漠然と記しておきたいと思いました。

 

 ハロー、もしもし、聞こえますか。阪神淡路大震災から20年たった今日の大阪は、寒いけれど青空の広がる気持ちの良い一日で、雲もきれいで、公園では子どもたちが走り回っていました。犬が散歩していて、スーパーには食品がならんで、地面はかわいていました。わたしはピンクのセーターを着て、グレーのスカートを履いて、靴下ははいていませんでした。原稿を書いて送信して、さっきは息子と一緒にカレーを食べました。穏やかな日でした。穏やかな日でした。そちらはどうですか。今日は、2015年の1月17日は、何でもないのどかな一日だったけれども、今日という日はいつでも、やはり1月16日で、どうじに3月10日なのだと思います。わたしたちは明日なにが起きるのかを永遠に知りません。こんにちは、さようなら、今日はいつだって、すべての、まえのひ、なのだと思います。


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