川上未映子

2014.06.07

赤のしましまに最適な

 先月末の息子の大風邪で何もかもがストップした日々でしたけれど、今週は巻き返しというか、巻き返ったというほど仕事はできていないのだけれど、月曜日から金曜日までのすべてのお昼に外出をした。打ち合わせ、フィッティング、美容院、ラジオ、会食などなどの内容だったのだけれど、しかしこの予定は、先月末の失われた一週間にするべき仕事ができていてそのうえで、という仮定のうえに成り立っているものだったのだけれど、それが崩れてしまったので、けっきょく失われた一週間にするべきだった仕事は今なお失われたままなのだった。
 しかし明日は(今日は)もう土曜日じゃないの。土日は仕事ができないので何もかもは月曜日に再開なのだけれど、来週が想像しているとおりの来週として進んでくれるかどうかなんてもうわからない。誰にもそんなことわからない。わたしの都合、というものは、ほぼなくなった世界の住人だよ。
 連載エッセイやそのほかのコラムを書くのは息子が起きてくるまえの朝の一時間。今朝は、アスカ氏の、例の事件の報道のあれこれについて@週刊新潮など(せっかくの週刊誌連載なので、時事については書かないって最初に決めていたのに、気がつけば最近でも、小保方晴子氏のこととか木嶋佳苗氏のこととか、けっこう書いてはいるのだった)。

 

 今週の昼食はすべて外食だったので、ちょっとまえに作ったスパゲティ。これはアンチョビとキャベツとにんにく。
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 そして、ほたるいかとにんにくとみょうがのスパゲティ。スパゲティはいずれも製作時間は10分なので、やめられない。

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 わたしは一昨年くらいから急にみょうがが好きになって、玉ねぎとみょうがをスライスしたのにポン酢をかけてそのままさらっと食べるのだけれど、簡単なうえにこれがもう清々しいほどにおいしくてうれしい。今のシーズン、かつおにも最適ですよね。口当たりも、しゃりしゃりしてさあ。色もアンニュイでいいしさあ。

 

 そしてもう伸び伸びになっているけれど今回は赤のボーダーのネイルだったネイル。
 ネイルへの情熱は子どものときに思い切り夢中になった「プラ板」制作にそのすべてがあると思うのだけれど(小さな模様や色が小さな場所にぎゅっとひしめきあっているのを見つめる快感ですね)、しかし、やはり時間がかかることはかかるので、いつも「いよいよ今日はオフするだけにして、また、しばらく裸の爪で生きていこう……」とか思って予約するのだけれど、しかしお店に行ってみるといつも「あっ」と思うようなデザインが展示されていて、気づけば凝視しながら、「……これとこれ、正直、迷いますね」とか真剣に言っていて、いつまでも裸で帰ることができないでいます。

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2014.06.05

ココ・シャネル、ダラスに帰る

 

そして今日はシャネルのショーに行ってきた。
「シャネル 2013-14 パリ-ダラス メティエダールコレクション」。
ダラスということで会場に入るとアメリカ西部的な空間に。大掛かりで、徹底的で、さすがの完成度。

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ショーは迫力のひとことで、音楽も照明もブラウスもシフォンドレスも何もかも鳥肌がたつほど素晴らしかったけれど、とくに印象的だったのはセーター……。

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れもんらいふの千原さんと。

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「ココ・シャネル、ダラスに帰る」

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ココ・シャネルがブランクを経て再始動を決意するのが71歳のとき。代表作であるウールやツイードのスーツやジャケットを発表したのが70代半ばで、このときにはじめてバッグとシューズを制作したのだから、ため息がでる。小説でも美術でも詩でもファッションでも何でも、仕事をつづけることがとにもかくにも大事で、それがすべてではあるのだけれど、しかしその人生の最後のほうの仕事に大きな実りがあるということは、やっぱり有り難く、大変なことだよなあと思いながら家に帰り、妙にしんみりした気持ちで、まったく終わりそうにない仕事のつづきをした。ちなみに今回のテーマでもあるダラスは、完全復活を果たしたココ・シャネルがニーマン・マーカス賞を贈られた場所。フランスでこてんぱんに批判されたあとだったということもあり、嬉しさ&複雑さもひとしおだったのではなかろうか(そしてカール様による、今季のムービー『The Return』はこちら)。

しかし、70代後半まで生きるとしてあと40年かあ。10年を4回。それより早く死ぬことだってじゅうぶんに考えられるわけなので、働ける最大としてのこの猶予。いずれにしても、あっとういうまなんだろうなあ。まじで。ああ、いい仕事、しっかりと、たくさんしたいな。こんな気持ちになるときにいつも思いだすのは、『タイタンの妖女』のビアトリス・ラムファード。

 

 

2014.06.04

シャンデリアからは何が

 なんとか平常運転にもどったけれども、更新が滞ってしまって、心はあせるわ。
 なにからアップしようかな、と思いつつも、どれでもいいし、どれでもあかん、に地味に引き裂かれて、忙しいのもあるけれど結果的に遅々としてしまう。というのも、これまで長くブログを書いてきたわけだけれども(この数年は告知ブログを化してしましたが)、そのほとんどが文章だったために、そのあんばいに慣れてしまっていて、こう、写真をアップする決定に、いちいちいまいち、欠けるのである。

 週刊誌や女性誌でのコラム連載があるので、それとは違う、そう、文字少なめで写真などを載せる感じでひとつやってみよう……と決心したにもかかわらず、「誰がわたしの食べたものなどを知りたいだろう……」「誰がわたしの購入したものに興味などをもつだろう……」と思ってしまうとなんかむにゃむにゃとしてしまい、この体たらくなわけなのだった。でも、あまり考えてもあれなので、先月、息子が2歳の誕生日の記念に泊まったホテルのことなど(それよりも先に、先月に観た『アナと雪の女王』とか『ブルー・ジャスミン』の話も書きたかったのになあ、とほほ)。

 多くの男児とおなじように、新幹線に異常な興味を示す息子のために、東京駅ステーションホテルに宿泊しました。一泊だと疲れるだけなので二泊にして、二日目に新幹線を「もうええやろ」というくらいに見せてやるという段取り。抱きかかえているだけで腕がもげてしまいそう&必死で肝心の新幹線の写真が一枚もないのがどうなんだろうと思うけれど、新幹線というのもこれなかなかのもので、息子につきあって本やDVDやそうしたもので見ているうちに、こう、なんか擬人化とはいわないけれど、しかし独特の愛嬌が生まれてくるものなんですね……表情がわかるようになってくるというか、なんというか……。

 もちろんそういった感情移入なんてのは新幹線にたいする姿勢として野暮で無用であることはわかっているのだけれど、しかし「よくみると、かわいいよな……」「佇まいが、いいよな……」みたいな気持ちがやってくるのは隠せない。基本的にはかたちそのもの、色そのもの、そして動きそのものの素晴らしさなんだけれど、だから、やっぱり見てるとずっと見てしまう。基本的には物がそこで動いている、ということには前提としての感動めいたものがありますね。

 それにしても息子、そして子どもたちは、なぜ、「こまち」、「はやぶさ」、「かがやき」、「はやて」がすきなのだろう。いったい何を感受しているのだろう……(ちなみにわたしは『つばめ』がすきです)。

 しかし、わたし的にはやっぱりホテル……。ステーションホテルには初めて泊まったけれど、内装も好みでみなさんもすごく親切で、廊下も長く天井は高くとても快適でした。部屋の窓からは駅の真ん中、カーテンを開ければすこしだけ駅の一部になったみたいな感じだった。

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 そして室内には小ぶりながら素敵なシャンデリアが。これを見て、かつてシャンデリアが本当に欲しい時期があり、けっこう本気で探していたことを激しく思いだした。

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 過去にそんなことを考えていたこと、この日シャンデリアを見るまで思いだしもしなかった。けっこう本気で色々探していて執着していたはずなのに、そのことじたい、まったくなんにも覚えていなかった。たった数年前のことなのにと数えてみるとけっこうな時間、8年くらいが経っていて、そのことじたいもわからなかった。8年だったらそりゃあまあ忘れてもしょうがないかと思うけど、しかしどこを振り返ってみてもこのシャンデリアみたいに忘れていることばっかりなのだろうな、と思うと人生とはいったい何でできあがってるのだろうと思うけど、まあ、それは「今」なんだろうとは思うけど。

2014.05.30

熱につぐ熱

 これを書いているいまはれっきとした金曜日のはずなのだけれど、この一週間の記憶がほとんどない、というのも、この月曜日から昨日まで息子がアッツアツの高熱を出していたためで、朝も昼も夜も看病の連続だ。薬の効きのあれこれをしっかりやるために一週間に4回も通院することになり、わたしの仕事の大部分は麻痺して現在に至るというわけです。

 2歳になってさすがに高熱といえども少しは慣れた、というのはあるけれど、しかし39°〜40°の熱を数日にわたって出されると、このままどうにかなるんじゃないかとなんだかまったく落ち着かない。体の調子をまだ言語化できないのでお互いというかわたしが一方的にもどかしく、そういえば去年の今ごろ、6月は、保育園に通いはじめたばかりのためか、毎週熱をだしていて、そのたびに大人ふたりに感染し、二ヶ月がまるまるものすごくしんどかったことを思いだす。
 
 息子も去年よりは強くなった感じはするけれど、これから夏にむけて、アデノウイルス、手足口病、ヘルパンギーナ、などなど、病気目白押しのシーズンだ。世界にはこんなにもカジュアルに感染するウイルスがこんなにも存在するなんてこと、息子を生むまで知らなかった。ひとりが感染するとみんなに感染り、わたしが倒れ、家人も寝こみ、そして息子が高熱を出したりしたら、ここはいったいどうなってしまうんだろう。どうすればいいのだろう。去年の今ごろはそんな状態になってしまって、心細くて、息子からうつった病気の熱にうかされながらそのおそろしさに震えたけれど今年もそんなのをくりかえすのだろうか。きっとくりかえすのだろうなあ、なんてったって、そんなシーズン、子どもは病気して強くなって(大人は病気して疲れ果てて)ゆくものだもの。
 
 とにもかくにも連載以外の仕事はストップ。何もかもの予定がずれる初夏。

2014.05.22

「WOMEN EXPO TOKYO 2014」@六本木ミッドタウン

 東京ミッドタウン(港区赤坂9)のミッドタウンホールで、5月24日・25日、女性を対象にしたセミナーや展示、トークショーなどを行う「WOMEN EXPO TOKYO 2014」が開催されまーす。
 キャスターの小谷真生子さん、女優の観月ありささんや、シンガーソングラターの岸谷香さん、メイクアップアーティストの藤原美智子さんたちも、それぞれ登壇される予定で、わたしも出演いたします。
 ほかにも、ティータイムや、5人の占い師による無料の占いコーナーとか、フォトブースではプロのカメラマンによるあなたの勝負写真を撮影とか、毎日先着1000名さまへのプレゼントとか。
 講演、セミナー、トークショウ、展示…の内容も、美容、育児、起業etc、にかんするさまざま&イベントが盛りだくさんで、なんか女性のためのお祭のような感じです! あっ! と思うのは、『ぐりとぐら』作者の中川李枝子さんによる「子どもは働くママが好き!」トークショーなどがあったり!(←これは聴きたい……涙) とにかく「女性」についての、大きなイベントであるらしく、みなさん、ぜひふるってご参加くださいませ。

 わたしの出演は、5月24日(土) 13:55~14:45 の予定で、すっかりお知らせが遅くなってしまったけれど、どうぞよろしくお願いします。

 テーマは「仕事と育児――不安と心配を超えた先にあるもの」ということで、入場は無料です。こういうテーマをはっきりおいてお話するのは、はじめてです。
 お申込みはこちらから。
 スクロールしてわたしのところを見つけてください! 
 それにしても、直前のお知らせになってしまってごめんなさい!大阪、山口、ジュネーブ、前橋、そして神奈川と続いてきたトークや講演も、この六本木でとりあえず一区切りです。ぜひこの機会に、女性のあれこれ何やかやについての色んな話を、聞きにきてくださいませ。
 入稿もぶじ終わり、7月には刊行できる「きみは赤ちゃん」(いま、一時的になぜかバックナンバーが読めなくなってるけどすぐに回復すると思います!)についての話も、たっぷりしたいと思います!

2014.05.22

スペイン語の「乳と卵」、そして伝説のコスメ@FRaU

 そういえば少しまえに、「乳と卵」のスペイン語訳が刊行されました。
 表紙がなんともかわいくて、よく見ると無数のおっぱいがデザインされています。

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 なかを見てみると、

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 こちらにもさまざまな時期&かたちのおっぱいがならんでおり、「自分はどれに近いだろうか」的なあんばいで楽しんだり…はしませんか。しおりもついていたりして、おしゃれな一冊になりました。これで「乳と卵」は何カ国で刊行されたのだろうかな。10とかそんなだったろうか?

 

 

 そしていま発売されている「FRaU」で、コスメについてエッセイを書くという連載がはじまっております。みんなも一度は使ったことある&名前やうわさは耳にしてきたであろう、ほとんど伝説になった有名なコスメを毎号とりあげて、それについて書いてゆくという感じ。もうエッセイの連載はしないぞと決めていたのに、コスメと聞くと「ほわん」となってしまいました。第一回目は、ココ・シャネルの赤リップについて書いています。どうぞよろしくう。

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 そして日々のお昼ごはんのスパゲティーなど。
 ボンゴレのスパゲティーはせっかくの貝なので貝だけでいくのがスジ、みたいな考えもあるけれど、わたしが最初に読んだイタリアンのお料理本ではなぜかベーコンが入っており、それ以来、ボンゴレには必ずベーコンを入れるようになってしまいました。塩気はベーコンでってことで。
 ふたつめはナポリタン。フライパンをなるべく動かさないで具に焦げ目をつけるといい感じ。ケチャップの水気を飛ばしてからスパゲティーを投入するといい感じ。最後にバターを入れるといい感じ。

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2014.05.20

ところでパリでのお買い物

 朝日新聞で7年も連載していたファッションにかんするコラム「おめかしの引力」も今年になって終わり、や、べつにその連載があったから買い物をしていたというわけでもないのだけれど、もう今年は買い物するのやめよう……だって服も靴も増えるいっぽうやし、かといっていろいろをちゃんと整理するための時間も根気もないわけで、そんなふうに言い聞かせてわたしはこの春を迎えたのだけれど、なぜそうなってしまうのか……外出すればいつもいつも買い物をしてしまう。何かしらを買っている。や、そのすべてが本当に欲しいものなのだけれど。そしておかしなことを言うようだけれど、これは本当のことなんだけど、しかしクロゼットをひらいてみても、なぜかあした着る服がない。こんなに服がたくさんあるのに、いったいどうなってるんだろう! 悩んだすえに数年前に買ったのとかをクロゼットからひっぱりだして見慣れたような組み合わせを着るというような、もうわけのわからない具合になっています。

 で、「ぜったい買い物なんかしませんえ。まじで、とくに、自分のものは」と決心してパリに到着して、二日目まではそれを守った(体調もあんまりよくなかったし)。

 しかし、つぎの日、お昼に日本食&おそばを食べたらなんかテンションがあがってしまって、ふらっと入った子ども靴店に入るやその可愛らしさに圧倒され、「や、そうはいっても靴は要るしなあ……」などとつぶやき、そしてボンポワンに行くや伊勢丹や二子玉高島屋の店舗を6〜7っつくらいくっつけたようなその大きさに「!」っとなり、そこから何かがおかしくなって(いつもの調子になって?)、買うつもりのないもの、想定外のものばかりをいろいろ買ってしまった(そもそも何も買う予定ではなかったのだ)。

 たとえばわたしはエディ・スリマンの愛用者でもなんでもないけれど、あべちゃんの買い物にサンローランについていって待っているあいだ、感じのよい店員さんと話しつつ、「……そういや日本では完売やったトレンチの36とかってあったりするのかしらん……ま、ないよなあ、あっても関係ないしなあ……」と何となく思ってしまい、そして何となくきいてみたら「ある」というのでこれも何となく着させてもらうと、なんかすごくいいような感じがして(そしてその日が寒かったってこともじゅうぶんあると思う)、そして手に入りにくいとなるときらめきはいっそうきわだってしまってうれしくなって、そしてそのすごく感じのいい店員さんがそのときにさらりと赤のバッグを持ってきてくれてそれがなんともタイミングがよくてそのこともなんだかうれしくて、おまえうれしかったら何でもいいんかというようなあんばいだけれども、けっきょくそのふたつを購入。

 しかしこれは衝動買いというほどの衝動買いではなく、去年から使ってる黒のバッグの色違いで、まーなんというのか、これが本当にまじで感動的なほどに使い心地がよくて、フェミニンなかっこうにも激オフのときにもかっちりのときでも、とにかく、いかなる! いかなるかっこうのときでも似合ってしまう、魔法のように優れたバッグであるのだった。去年はずっとこのバッグを使いながら「……エディ・スリマンって本当の天才なんじゃないんだろうかぶつぶつぶつ……」とまじでひとりごとのようにつぶやいてしまうほどで、とにかくふたつをまんべんなく持ってバッグの寿命を二倍に伸ばし、長く使ってやろうという魂胆(と言いつつほとんど外出しないのだけれども)。
 

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花がらのワンピースなどに合わせるとそれだけで秋は余計なこと何も考えずとも生きて行けるような気がするトレンチコート。軽くてよさげ。

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 こちらは息子の靴たち。ぜんぶサイズがちょっと大きいんだけれど、このサイズしかなかったのよね。履けるようになるのは来年の夏でしょうか。
 

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 ほいでこれはふらりと入ったお店で見つけたポエット・セーター。カシミア&ウールでちくちくもせず着せやすそう。なにしろ、ポエット! 一目惚れで、2歳用のと4歳用のを購入。大人用もあればいいのに思ったけれどしかし子どもだからいいような気もする。
 

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 パリのボンポワンは大きさはもちろん東京とは違う品揃えでみてるだけで楽しいけれど(わたしは似合わないので着ないけれど)、息子の洋服のほかには何といっても靴下を購入。子ども用にしては高いけれど、しかしこれが使ってみるとどれだけ洗濯機&乾燥機で無頓着に洗いに洗って洗おうとも、これがもうぜんぜんへこたれないのである! 一年中、毎日履いて洗っても色褪せもせず、かたちも崩れず、つねにしっかりとしていて、なにしろ現在、履かせようとするたびに20分とか余裕でかかるイヤイヤ期のまっさかりである。「時間ないよ、はよ履きなよ!」「ヤ!」「履くといいことあるよ、履きなよ!」「ヤ!」「履くと楽しいから履いてみなよ!」「ヤ!」「じゃあもういいよ、はだしで行きなよ!」「ヤ!」……毎朝のこんなやりとりに放っておくとだだ下がりに下がってゆくこちらのテンションをボンポワンの靴下は食い止め、そして気持ちをあげてくれるのである! もちろんやっぱりそもそもの色もいいし、なによりも丈夫にできていて、ほんとうに重宝しています。そしてほかにはぬいぐるみ。息子がまだ赤ちゃんだったときから見つけたら一匹ずつ家に連れてかえってきた猫シリーズで、今回は豹がらの子がいたので仲間入り。
 

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 ほかにはKENZO、V&R、セルジオ・ロッシ(マノロはなかった!)etc、そしてセントジェームスの欲しかったボーダー・カットソーはすべて売り切れだったけれど、しっかし何がもう今年は買い物しやんだよ、けっきょくはあいかわらずの呆れた展開に無言になりながら、しかし多分に漏れずパリは買い物的にちょっとやばいなと思える街であるのだった。空のスーツケースを用意してでかけたという知人の話を何の感慨もなく聞き流していたけれどその気持ちがちょっとわかる買い物の楽しさで、時間があったらヴィンテージのワンピースもみてまわりたかった。買い物って楽しいよなあ、すっごい、楽しいよなあ……でもこの楽しさっていったいなんなのだろう……と、わたしのなかのどこかの部が冷静になろうとするのを「そう、わたしはお酒も飲まないしごはんだって何でもいいし、倒れるなら着倒れで、いいよね!!」と妙なテンションでさえぎりつつも、しかしすぐあとでやってくるトカトントンには要注意、なのだった。

 

2014.05.20

拝啓、太宰治さま、とりかえしのつかないあなたが見たい

 国立でのポールのコンサートはなくなってしまい、立てていた予定はいろいろとあれになったけれど、でもまあこういうこともあるわけで、武道館と大阪は無事に開催できるといいなと思う。この週末はそんなことがあったり、神奈川近代文学館での太宰治についてのトークがあったり、そして映画を觀たりした。

 神奈川近代文学館に行ったのは2008年の埴谷雄高展以来のことで、当時わたしはとても楽しんだけれど人はそんなに多いという印象もなく(行ったのが閉館まぎわだったということもあるんだろうけれど!)、しかし太宰治展はなんとも大賑わいで、衰えぬ人気というか若い人の姿が目立っていた。十代の初めか真ん中あたりに、じゃ何か日本の小説、いま生きてる人たちが書いてるのじゃなくて死んだ人、死んでしまっていまはもういないちょっとまえの人で名前も聞いたことある人のを読んでみようかなーってなときに太宰治を読んで能動的な読書の面白さを知ってそこからたくさん読む、っていう人がとても多いのだろう。とにかくみんな大切そうな顔でもって展示物、ガラスに目を近づけて見入っていた。

 当日は山本充さんとあれこれいろいろな話をしたけれど、小説であれ約束であれ告白であれ、それが言葉というかたちをとってしまう以上、それはただの言葉である。
 たとえば、「本当に」と言っても書いてもそれは本当の「本当さ」を何もひとつも保証するものではないからで、そのような「ほとんど嘘と同義であるような言葉」を使うことでしか生きられないわれわれは、わかっているけど、どうしようもないけど、やめるわけにもいかなくて、しかし何かがうわ滑っている、インフレが加速している、ということはわかる。言葉だけがどんどんまわってどんどん厚くなって、そしてそのぶんだけ虚しくなる。その虚しさやインフレを一瞬だけでも停止させるというか、無効にするためには「武田鉄矢がトラックのまえに飛び込む的な行為」(©山本充)、つまり身体をともなった一回性を賭けた行為が必要なわけで、太宰においてもそれはそうであって、ほとんどパフォーマンスにように続けられた心中未遂などもそういうあんばいだったのではないか、というような。

 そしてその行為を必要とするのは書き手だけにとどまらず、読み手だって必要とするのだよね。

 言葉で書かれたテキストをただ読んでいるだけでは飽き足りなくなり、何度も再生が可能で無限に増えていくような言葉のようなものではなく、一度切りの、一回しかない、かけがえのない、「本当のようなもの」を見たくなる。そのすべての言葉のでどころの責任を求めたくなってしまう。「本当に、とりかえしのつかないもの(その代表的なものは死)」を見て、「ああ、これは本当のことなのだ」と思いたくなる。

 太宰の時代に、作家と読者のコミュニケーションがいったいどれくらいの質と量だったのかじっさいのところはわからないけれど、現代ではほぼ無効になっている、そんな「作家と読者、双方からの要求の相乗効果」の結果として太宰の「生きかた」みたいなのがあって、デフォルメされたその物語がのちのちにまた作品のある部分の強度を高めつづける、というあんばいになっているのだよね、とそういうふうな話をしつつ、あとは、たとえば太宰の好きだった翻案とかちょっとしたメタ構造とかあれらの手つきって批評性とみていいのか単なるサービス精神なのかとか。
 ほかにはエッセイと創作の関係と、彼の得意とする「ですます調」についてなど。
 おなじ尊敬語&丁寧語であっても、それが話し言葉と書き言葉になると効果が反転するという話。や、書き言葉における「ですます調」というのは効果絶大&お手軽なぶん、技術的には鬼門なところも大いにあるね。

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 今日はこれからお昼ごはんを作りにキッチンへ。海老といんげんのアーリオ・オーリオというあいも変わらず365日のうちまじで300日くらいお昼にはスパゲティを食べていると思う。でもおいしいんだよね。簡単で失敗もなくて、作ったものが予定どおりおいしくできると、なんか、いい気分で過ごせるのだよね。

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 2008年に来たときにはなかった、元町・中華街駅すぐにあるアメリカ山公園の、ばら。ほかにも花がたくさんあって、ちょっとした橋のうえをパラソルをさして歩く女性たちの姿はまるで印象派、どこか中也的なかんじもして。いっぱい撮りたかったけれど時間がなくってこれだけ。こんもりふくらんできれいなアーチ。

 

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2014.05.16

最後から何番目のP、そして日曜日の晩年

 今日は夏のような一日で気分がすっかり明るくなる。や、いつもが暗いというわけではないけれど、外側から明るさがやってくるというかなんというか。土曜も日曜もとくに休みというわけではないのだから、せめてこんな日は何もしないでぼうっとして昔みたいに布団をかぶって「安静」にしてみたいものだけれどそうもゆかず、ところで窓っていいものだな、おなじ四角でもパソコンとは何もかもかもがこうも違って何が違うって光りかた。

 しかし明日はでかける日で、どこに行くってポール・マッカートニーを聴きにいくのだけれども、きっとみんな思ってるだろうけれどポール来日早いよね。10年前に行ったときも「もうこれで最後だろうかな」的ムードがあって胸に押し寄せるものがあったけれど去年無事にやってきて、しかし「さすがにこれで本当に最後、だろうなあ」とドームにいたたぶん2万人くらいがしみじみ思っていよいよ極まり、奇跡的な「サムシング」のアレンジを思いだせるだけでなんかもう、こう、自分がどこにいる誰なのかわからなくなる思いだったけれど、半年もたたずにまたもやポールの演奏が聴けるなんてまったくもって思ってなかった。そしてチケットを手配したあとに武道館の追加公演アリーナチケット10万円の発表があったりして、なんかもう流れ的に行くしかないような気持ちにもなるけれど仕事の都合でそちらは無理で、とにかく明日はどんな曲、どんな演奏なんだろう。何が聴きたいとかもうないけれど、そう、何が聴きたいとかって、もうないんだけれども。

 明日のつぎは明後日で、チケットは完売してしまったみたいだけれど、神奈川近代文学館で太宰治について話をしにでかける日。「待つ」「古典風」「女の決闘」、ああ翻案の手つき懺悔の目つき。面白い話になるといいな。

2014.05.15

れもんらいふ

サイトが新しくなってちょっとたつけれど、デザインしてくれているのは、<れもんらいふ>の千原徹也くんなのだった。
「LOUNIE」でお仕事をご一緒したのきっかけに、つづけてHanakoで連載中の「りぼんにお願い」の装丁を担当してくださり、昨年は蔦屋代官山でトークショウに来ていただいたりなど。そして今回、サイトのデザインでもお世話になりました。おなじ大阪出身で、年もほぼおなじで、これからも色々なこと一緒にやっていきたいのう&きっとやってゆくだろう、千原くんなのだった。そしてサイトは、わたしのいろいろが追っつかず、まだブログの更新だけになっているんだけれども、今後は色々とメニューを着実に堅実に増やしていく予定なのでみなさまどうか末長くよろしゅう……。

 

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