川上未映子

2014.07.23

歯と、夏のはじまり

歯の定期健診に行ったらば、新たに小さな虫歯があるということで治療。ぜんぶでみっつ。歯は強いほうなのになぜ……と思うも、妊娠期間と産後、カルシウムが面白いほど子どもにとられてしまうわけで、たしかに生んだ直後も、何気に奥歯がぱきんと欠けたりした。もはや、子どもを生むまえの自分や世界というものは存在せず、まったく別の世界の住人になったのだと思い知るしか生きていく方法はないのだけれど、厄介なのは過去の記憶や人間関係や仕事のあれこれも継続してたりするわけで、この二重責務めいたすべてが、子育てのしんどさのエッセンスなのだろうと思う。生んだあと、いったん記憶喪失とかになっていれば色々話は早かったのかもしれない。けれど、それは無理な相談ね。

ともあれ歯医者。
最近は麻酔をするにしても針をさすところをまるめたコットンで麻酔してくれるので、何もひとつも痛くない! ありがたい。こちらのことは何も気にせず、思う存分に徹底的に削って治してくださいと、まるで太平洋みたいな気持ちになる。けれど、ここでも頭をよぎるのは息子(通称オニ、おにぎりのオニで、アクセントは、オの部分)のこと。
あーんと口をあけるとすでに石臼のように立派な歯が生えており、何でも食べるし、親の責任として、日夜、歯磨きをせねばならない。しかしこれが大変に面倒、かつ、しんどくて、相手が子どもであれ何であれ、泣いて厭がる者にたいして何かを無理やりしなければならない、ということは、端的に、ものすごく、心が折れる作業なんである。

歯磨きだけでなく、もはや永遠にイヤイヤ期をさまよう準備ができていそうなオニ。
機嫌の悪いときはすべてを拒絶し、「そんなに、なにが、イヤかー!」と聞くと、「ぜんぜん、ちがーう!」とかわけのわからぬ返しをよこし、それでも人間として健康に生きてゆくために、さまざまな人たちと共存してゆくために、いろいろなこと刷り込んでゆかねばばならない。
でもそれは、生成そのままである子どもにとってはストレス以外の何ものでもなく、薄汚れた大人になってしまったわたしにもその気持ちは想像できるので、そのたびに気持ちがどんどん暗くなるのだ。喉のあたりが「ウッ」となる。できれば、何も教えたりしたくない。けれど、それも無理な相談ね。

しかし。家の、アットホームで甘々な、こちょこちょした歯磨きですらあの絶叫&拒否。もし虫歯ができて、このように仰向けに寝かされて口をあけて治療せねばならなくなった場合、オニはいったいどうなるんだろう。そんな現場につきあうことだけはどうか勘弁してほしい。想像するだけで寝込んでしまいそう。しんどすぎて。一度、レントゲンを撮ったことがあるのだけれど、暴れるオニはずっしり思い鉛でできたような網で固定されて「大漁」みたいな感じになって、親は退場、廊下にまで響き渡るその断末魔の叫びはこちらにとっても軽いトラウマになったほど。
それが……歯医者に連れてゆき、泣き叫ぶオニ寝かせて押さえ、歯を削ったりする……そしてそれを何回も繰り返すことになるのかと思ったらぶるぶると寒気がして、それに比べたら毎日の「ウッ」がなんであろうか……今日もせっせと歯を磨く日々なのだった。先取りすることで何かを回避できていると思いたい、そんな夏のはじまり。そして「歯というのは、どのような力によって生えてくるのか今もってわからないのだ」という説を思いだして、ああ、そういうところ、子どもと似ているな、と思ったり。エネルギーのでどころの不思議。生成の不思議。子どものくちの中にいつのまにか生えてきてひしめく白い歯を見ていると、入れ子感が炸裂して、なんだかそわそわしてしまう。

 

 

そして今日は、都内のいくつかの書店へお邪魔して、『きみは赤ちゃん』のサイン本を作成させていただきました。男性の方からは、
「これを読んだ知り合いが、夫にたいして、本当に腹がたっていたことをあらためて思いだして、家出したんですよ……」とか、
「妻がそんなに大変だったことを、この本読むまで知りませんでした……」とか、
「この数年間、なぜ妻の機嫌が悪いのか、なぜ妻がずっと怒っているのか、初めてわかりました……」とかとか、そんなご感想をいただいて、いやあ、出産&産後の家庭には、ほんとに色々ありますよね。
基本的には、妊娠、出産、育児における具体的なこと(出生前検査とか、無痛分娩のこととか)、女性の体と心の変化について、赤ちゃんという存在のあれこれについて書いた本なんだけれど、夫婦関係の変化や、その対策にかんしてみなさん興味を持ってくれる人も多いみたい。
いっぽう女性の方、とくに出産を経験された方からは、
「当時はうまく言葉にできなかったけれど、妊娠中とか、産後のあの日々って、ほんとにそんな気持ちだった。懐かしい」とか、
「わたしの乳首はタイムマシーンにはならなかったけど、でも似たような感覚、あった」とか、
「とにかく夫に読んでほしい。いまのわたしの気持ちのすべてが書いてある」とか、
「子ども生んでみたくなった。迷ってたけど、やってみるか」とか、
「あらためて、ほんとに子どもがいとしく思える」とか、
そんなご感想をきけたりして、うれしかったです。
そして現在発売中の『LEE』にインタビューが、日曜日の読売新聞にもインタビューが掲載された模様です。そのほかも、追って追って。

そして、19歳のときからの友人、『きみは赤ちゃん』にも登場するヘアメイクのミガンとわたしとの「ママ友対談」が掲載されています!
前編後編を合わせてどうぞ!!
なんか、大阪弁なので「うどんのうーやん」みたいなノリになってるけれど、どうぞよろしくう。

しかし今日は暑かったですね。息をするだけで、瞬きするだけで、何かを無理矢理に飲まされるようなそんな暑さだった。7月でこれ、8月は、どんな。

2014.07.16

赤ちゃんの登場と、この世界からの去りぎわ

 妊娠していたのはもうまるまる二年前のことになるけれど、ときどきぼんやり思いだすことがある。それはわけもなくやってくる安堵感というか、茫洋感というか、そういうような感覚。人によっては妊娠初期からそういうのを感じる人、あるいはまったく感じない人ももちろんいるみたいだけれど、わたしの場合は、臨月のころだった。体やホルモンの変化のせいで、うまく頭が働かなくなって、なにもかもをだんだん束ねられなくなってゆく、あの感じ。思考じたいが、どんどんだるーく、にぶーくなっていってゆく、あの頃の感覚を、ときどき思いだすんですよね。

 子どものころ、おばあちゃんとかおじいちゃん──そう、もう歩くのもゆっくりゆっくりで、話しかけてもこちらの言葉がちゃんと伝わってるかどうかもちょっとわからないような、そんなおばあちゃんやおじいちゃんを見るたびに、みんな、毎日が、こわくないのだろうかといつも不安に思っていた。
 正確な年齢はわからなかったけれど、たぶん85歳とか90歳ぐらいに見えるおばあちゃんたちは、このさき最大に生きたとしても、あと数年も経ってしまえばおそらく死んでしまうわけであって、そしてそのことは本人たちがいちばんよくわかっているはずなのだ。あと数年のあいだ、そんなにさきではないいつかに、必ず自分は死んでしまう。死んでしまうってわかっているのに、なぜ、おばあちゃんたちはそんなことに耐えられるのかが、子どものわたしにはまったく理解できなかった。もし、わたしがあと5年しか生きられないと言われたら? そう言われたら言われたで受け止めるしかないにせよ、でも、あんなふうに毎日を過ごすことってできないような気がする。なんでおばあちゃんたちは、平気なの? そんな、生きているよりも死に近いといえるようなおばあちゃんたちを見ると、いつもいいようのない不安と恐怖に包まれていたのだった。

 で、少しさきにやってくるものに対しての不安と恐怖といえば、妊娠と出産も、もちろんそうだった。
 スヌーピーの横顔かってくらいに巨大にせり出したお腹のこの中身を、あんな小さなところから出さねばならないのだ。出す以外にはもう、道はないのだ。出すしかないのだ。ぜったいに逃れられないのだ。あらためてそう思うと、妊娠してるあいだは ヘイッ! っと頭がどうにかなりそうだったのに、臨月に入ったころから、なんだか急に、何も考えられなくなっている自分に気がついたのだった。

 まるでふかふかのあったかいお布団でできあがったベルトコンベアーにのせられてただ横になっているようなそんな感じ。行き先もまったく気にならない。何かを考えようとしても、はしから思考がほどけてしまう。感情の粒立ちはやさしく均質化されて、すべてはゆるやかにかきすてられて、これまで味わったことのない、多幸感というか、安心感というか、そういう穏やかな繭みたいなものにくるまれたような感じ。
 なんか、脳の具合がそんなふうになっているとしか思えないような感じだった。このあいだまでたしかにあった焦りも、不安も気がつけばなくなって、ただただベッドで干し芋とかをくちゃくちゃ食べて、過ぎてゆく時間をなんとなーく、ただ眺めている日々。ただ、何もせずにそこにいるだけの、ある意味で満ちたりてるっていってもいいような、そんな日々だったのだ。

 で、わたしはそんな茫洋&茫漠とした頭で、なんとなく、ぼんやりと、子どものころにさきに述べたような不安とこわさをもって眺めていたおばあちゃんたちのことを思いだしていた。ああ、おばあちゃんたちも、もしかしたら、こんな感じだったのかもしれないなあ。こんなふうに、なっていたのかもしれないなあ。さきのこととか、こわいとか、自分がどうなるとかそういうこと、もうべつに何も思わなくなっていたのかもしれない。言いようのない穏やかさというか、鈍さというかに包まれて、だからあんなふうに過ごせていたのかもしれないなあ、と。

 もちろん、わたしは85歳にも90歳にもなったことがないので本当のところは知るよしもないけれど、この世界から退場するとき──もちろん事故やら病気やら退場の仕方にも色々あるだろうけれど、しかし少なくとも老衰的な大往生であるならば、そのときにはもう、不安やこわさというのはないのかもしれない、穏やかで、何も考えられなくなっていって、ただ毎日の時間をやり過ごすだけでいいような、そんな存在になるのかもしれない、ああ、だとしたら、これはあんがい大丈夫かもしれんなー、と、なんともいえない安心感を得たのだった。死ぬの、あんがい、いけるかもなと。

 とはいえ、今だってゆるやかに死にむかっているといえばそうにちがいないわけで、しかしなんとか日々発狂せずに生きているわけだから、人はそもそもそういうつくりになっているのかもしれないけれど。こんなような臨月の日々──だけじゃなくて、妊娠&出産&育児の2年のあいだに、心とからだに起こったことのすべては『きみは赤ちゃん』に書いたのだけれども、新たな生というか、人間というか、人生を世界に送りだすきわきわのところ、もはや赤ちゃんの登場のためだけに存在しているような自分が、退場するそのときのことについて、死について、あんなふうに感じてたなあ、などと、ときどきぼーんやり思いだしたりするのだった。だからみんな、場合にもよるけれど、この世界からの去りぎわは、あんまりこわくないかもよ!

2014.06.20

☆出産&育児エッセイ『きみは赤ちゃん』できたよん☆

 ああ、とうとうこの日がやってきた……!
 刊行はまだちょっとだけ先だけど、でもこんなふうにこみなさんにお知らせできる日が、本当にやってくるなんて……!
 怒涛の執筆中は、書けども書けども書かねばならぬことがあとからあとから溢れだし、「ほ、ほんまに終るんかこれ……」と日々おそろしい気持ちで生活をしておりましたが、ようやく!ようやく完成いたしました!刊行は7月9日なのですが、それにさきがけて今日はいくつかお知らせがありまーす。

 『きみは赤ちゃん』
『きみは赤ちゃん』
 妊娠してからの一年と、出産してから息子が1歳になるまでの、合わせて2年間のすべてをつめこみました。前編の<出産編>は、去年ウェブにて連載をしておりましたものに怒涛の加筆修正をほどこし、そして後編の<育児編>は、すべて、書き下ろしとなっております。

 そして、7月9日の刊行にさきがけまして、「CREA Web」に、特設ページが設置されました!わーい。

 前編のなかから、いくつか立ち読みができたり、
質問&お悩み相談室なるものも!
 採用させていただいた方から抽選で、『きみは赤ちゃん』のサイン本をプレゼントさせていただきます(今回はサイン会を開催する予定がないので、この機会にぜひ。。。>< )
 7月30日が質問などなどのしめきりになっておりまして、応答などなどは、それ以降に同サイトで掲載させていただきたいと思います!

 さらに、19歳のときからの友人(ヘアメイク・36歳)で、本書のみならず、これまでさまざまなエッセイにも登場してきた、そして現在はタイミングよくママ友(というほどママっ気は濃くないような気もするけれど)になった、ミガンとの対談も公開する予定でいまーす。
 それでは以下、目次など〜。

 

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 『きみは赤ちゃん』

出産編 「できたら、こうなった!」

・陽性反応
・つわり
・出生前検査を受ける
・心はまんま思春期へ
・そして回復期
・恐怖のエアロビ
・かかりすぎるお金と痛みについて
・生みたい気持ちはだれのもの?
・夫婦の危機とか、冬
・そして去ってゆく、生む生むブルー
・いま、できることのすべて
・乳首、体毛、おっぱい、そばかす、その他の報告
・破水
・帝王切開
・なんとか誕生
産後編「生んだら、こうなった!」

・乳として
・かわいい♡拷問
・思わず、「わたし赤ちゃんに会うために生まれてきたわ」といってしまいそう
・頭のかたちは遺伝なのか
・3カ月めを号泣でむかえる
・ひきつづき、かかりすぎるお金のことなど
・髪の毛、お肌、奥歯に骨盤、その他の報告
・父とはなにか、男とはなにか
・夫婦の危機とか、夏
・いざ、離乳食
・はじめての病気
・仕事か育児か、あらゆるところに罪悪感が
・グッバイおっぱい
・夢のようにしあわせな朝、それから、夜
・ありがとう1歳

・あとがき

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 気がつけば原稿用紙にして500枚弱とかのヴォリュームになっていて、はこれまで刊行した本のなかでいちばん分厚くなってしまいました。色々な仕事がありますが、『きみは赤ちゃん』はこの時期にしかできない、それに人生で一度、できるかできないかの仕事だったので、執筆は色々と悩むことも多く、今まで経験したことのない難しさがあったけれど、こうして無事にかたちにすることができて、ほっとしております。連載中も、そして連載が終わってからも、さまざまなところで頂戴しましたみなさまの励ましのおかげです。ありがとうみなさん、ありがとう2014年。

 で、ふりかえってみると、本書とはべつに日々の詳細を記録した日記やメモをあわせると、わたしはこの3年のあいだに妊娠&出産&育児にまつわるものすごく大量なあれこれを、つごう1000枚近くも書いてきたわけであって、よくもまあそんなに書くことあるよな……と思うのだけれど、しかし「もう、わたしは書いた、書けることはぜんぶ書いた」というところまで書いたはずなのに、しかしこれだけ書いてもまだ書き忘れたことがあるような、まだまだ書き足りないような……人間をうっかりそんな気にさせてしまうほど、妊娠とは、出産とは、育児とは、嬉しさもつらさも楽しさも、もう全方位的にすさまじいものでありました。
 とはいえ、それらのぜんぶのぜんぶ、現時点でのわたしの情熱と技術の限りを尽くして、「できてからと生んでから、心とからだに起こったすべて」を書き切りましたので、一緒に笑ったり、腹を立てたり、そうそうと肯いてもらったり、信じられへんと突っ込んだり、いろんなふうに楽しんでいただけると本当にうれしいです!!そして「きみは赤ちゃん」関連の続報、これからこまめにアップしていきますので、ひきつづきチェックよろしくう。

 
 
『きみは赤ちゃん』Kindle版が出ました!
専用端末じゃなくても、iPadやiPhoneその他のスマホで無料アプリをダウンロードすれば読むことができます。

2014.06.19

制圧するまで戦うしかないのって、しんどいよね

 さっきの夕方、息子を保育園にむかえに行ったらば、タイミング良くというか悪くというか、発熱しており顔面蒼白&白目(わたしが)。仕事から帰ってきたあべちゃんもふらふらで発熱しており、そしてわたしも追いかけるように発熱した。
 激しい関節痛……、目やにで視界が白く曇ってる……っていうか、わたし先月、扁桃腺炎で40°の熱をだして、それからこないだも病院へ行って薬のみきってなんとか大風邪を乗り切ったとこじゃなかったのか……それでまたこのめぐり合わせとか……。

 ウイルスは薬が効かないので発病したら最後、制圧するまで戦うしかないのだけれど、これがつらい。核家族にとってはもうこういう事態になるとちょちょぎれる涙もないのである。明朝、病院へ行くまで確定はしないけれども、おそらくこれはプール熱。そう、アデノウイルスで一家全滅まであと少し。これが毎年6月の慣例になったらどうしよう。っていうか、来年のことより、みんながいっせいに40°の熱にうかされたりするこれからの一週間のことを思うと泣けてくる。真剣に泣けてくる。おそろしくって泣けてくる。

 そんななか、今夜はこれからお知らせがありまして、日付が変わった頃にまたもやブログをアップします。どうぞお読みくださいませな、そしてみなさま、くれぐれも夏風邪にご注意くださいませな。

2014.06.17

口述はさておき、筆記はいかにして可能か

 晴天がつづいたけれどまたもや梅雨がもどるみたいで、さすがに蒸し暑うございます。
 小さな子どもがいる家はどこもそうだと思うけれど、この時期、ありとあらゆるウイルスがこちらめがけてやってくるような感じなのだけれど、先週、わたしはまたもや風邪をひき、薬を飲み切ってなんとかやり過ごしたところで、今度は息子の右目に、なんか、目やにが……。それを見つけた瞬間、ああこれで今週の仕事も全部ストップだな、と完全に脱力してしまいました。この時期の目やにはアデノウイルス(プール熱ですね)の合図でもあり、もちろん熱が出るまではわからないのだけれど。1歳になったばかりの去年の息子はまるまる一週間、39度の熱でそれは大変に長かった。今年は軽いといいけれど……去年はわたしも感染して、あの一週間は本当に苦しかった。しかしそれ以上に苦しいのは大人のかかる「手足口病」らしい。もう、何も飲めないし、食べられないし、もう、本当に最悪なのだそう。こんなのすべて、数年前までは知らなかったばっかりで、しかしまだ慣れてもいない。

 

 「FRaU」の今月号に、連載の2回めが掲載されていまーす。今回は資生堂の化粧水「オイデルミン」について。
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 それから翻訳者の友人にいただいたチョコレート。包装紙がかわいいのう。

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 そういえば、子どものころ、いつもりぼんとか包装紙とかを集めていた記憶があるけれどあれらはいったいどこにいくのだろう。捨てるわけでもなし、誰かにあげるでもなし。それから少女漫画の付録問題。シールとかね。封筒&便箋とかね。使うのがもったいなくて綺麗に保存していたはずなのに、気がつけば消滅しているのだった。

 Hanako連載「りぼんにお願い」の次号には「アナと雪の女王」について書き、つぎの週刊新潮の連載「オモロマンティック・ボム!」には太宰治の「ですます調」について書いています。こないだの県立神奈川近代文学館での対談の話の流れで2回にわたっての掲載で、そういえば6月は桜桃忌だったよね。わたしは行ったことないけれど、禅林寺は読者で賑わったのかしら。
息子の発熱がやってくるまでにできるだけ小説を書き進めなければと焦る。子どもが生まれてからパソコンに向かう時間が限られているから、頭のなかで書く癖がついた。最初は書き出しとか、短い文章をぶつぶつくりかえして推敲しているだけだったのが、やっているとどんどん長くなってきて、けっこうな長さを頭に留めておけるようになった。そしていざパソコンのまえに座って出力、という段になると、その推敲した文章がすらすらっとでてきてあとは書くだけ、という流れになってとても助かっているけれど、しかしさすがに小説まるまる一本をそのようにして書くのは不可能だから、やっぱり椅子に座りたい。
 ところで、「口述筆記」について。たとえば「ヴィヨンの妻」なんて太宰治はたった一度、お酒など、ういうい飲みながら読みあげただけで、ひとつの淀みもなく最初から最初までをそのとおりに話して収録された文章そのまま、完璧に終えたそうだけれど、正直「太宰も奥さんも、盛ってるよな……」と眉唾に思っているところがあった。
 がしかし。じっさい自分が必要にかられて頭のなかでの制作をやってみれば、それに近いことはできなくもないかもしれない、や、気合いれればできるかもなと、そんな気もするように。まあわたしのやってることは頭のなかの推敲で、太宰のは頭の中というよりは唱え損じのない完成形の口述なわけだから太宰の方法のと達成のほうがものすごく良いのだけれど。何事も慣れなのかもしれない……しかし口述はできても筆記してくれる人なんて現在どこにもいないので、まあいつもどおりに仕事するのが吉、という感じで。しかし蒸しますね。

2014.06.12

小さく、無力な、子どもたち

 今朝、週刊新潮の連載コラム用に、厚木の5歳児餓死事件についてのことを書こうと色々なことを調べていた。数年前にあった大阪での二児の餓死事件との報道内容の違いについて書くつもりだった。事件後、交友関係や異性関係、職歴やSNSでの書き込みの記録、そして家族関係のみならず、それぞれの職歴、プライバシーのほぼすべてが報道された大阪の母親への追及と、厚木の父親へのそれとの違いについて。こういった犯罪が起きた場合の、男女、あるいは、母親と父親における非対称性について、書こうと思っていた。

 たとえば、厚木の事件では家を出た母親は県警による事情聴取を受けた。そして見落としているかもしれないけれど、大阪の事件では元夫・子どもたちの父親は取材は受けても事情聴取はされていない。たとえばこういった差を作っているのは何なのか。前者はDV被害による家出で、後者は離婚が成立した状態だから、ということなのだろうか。

 それもあるかもしれない。しかし、「母親と父親への責任追及の差」は、それとはべつのところにも存在している。

 たとえば厚木の事件にかんしては「どうして母親はひとりで逃げて、子どもを連れてゆかなかったのか。DVが息子に向かうことを考えなかったのか」と多くの人が思ったはずだ。
 そして大阪の事件にかんしては「どうして離婚した父親は、子どもたちを引き取らなかったのか。養育費はちゃんと支払われていたのだろうか。ネグレクトは予想できなかったのか」と多くの人は思わなかったはずだ。
 また、大阪の母親の元夫・子どもたちの父親は、インタビューで「(母親を)子どもたちとおなじめに合わせてやりたい」と語った。もし今回、夫のDVが原因で家を出た厚木事件の母親がおなじようなことを発言したら、どう受け止められるだろうか。

 子どもにかんする責任の所在は、世間の心情的にはどうしたって母親にあり、また、そうでなければならないのだ。子どもを最終的に守るのは母親じゃないと困るのだ。だって母親なんだから。母性ってそういうものなんだし。母性って母親のものなのだから。このふたつの事件の母親と父親は、自分の子どもよりも異性関係を優先したというおなじような背景があるのに、前者には多くの人が「母親のくせに」と思い、そして後者には多くの人が「父親のくせに」とは思わなかったはずだ。父親が男であることは何の問題もなくても、母親が女であることは許されない───そういった、今に始まったことでもないお馴染みの世間の常識と心情への指摘と批判を、今回も書くつもりだった。

 でも、厚木の事件や大阪の事件のその状況をあらためて追っていくうちに、書けなくなった。
 
 何もできない小さな子どもが、部屋に残され、数ヶ月もの時間をかけて、餓死したのだ。ひとりきりで死んでいったのだ。電気や水道もとめられ、食べるものもなく、ただひたすらに親を待ち、たまに与えられたおにぎりを貪るように食べ、真っ暗な夜を過ごし、誰も帰ってこない、何も食べるもののない朝を、ひとりで迎えていたのだ。
 一分一秒がどんなに怖かっただろう。5歳だから、鍵を開けたり、外にでることだって、どうにかすればできたかもしれない。でもできなかった。父親に言い含められていたことに加えて、衰弱して、動けなかったのかもしれない。2トンのゴミのつまった部屋のなかでひとり、小さな子どもは何をしていたんだろう。どんな気持ちでいただろう。たまに帰ってきた親が、すぐに出ていくためにバタンとドアを閉めたとき、その絶望はどんなだったろう。虫の息で横たわり、最後はそれでもパパ、パパとすがった小さな子ども。そして置き去りにされて、ひとりで死んでいった子ども。誰にも知られずに死んでいった子どもたち。どんなに怖かったことだろう。ひとりきりで。どれだけ泣いただろう。かわいそうでしょうがない。胸がつぶれそうになる。悲惨すぎる。

 そんなふうに死んでいった子どもたちのことを思うと、自分たちで動くことができ、話すことができ、食べることができ、眠ることができ、そして今も生きている親たちについて考えることなど、どうでもよくなってしまった。
世の中にまかりとおってることについて考えることは大事なことだけれど、でも、そんな親たちにまつわることなど、書けなくなってしまった。どうしたって、死んだ子どもたちは帰ってこないのだ。子どもたちが味わった地獄は、もう、なかったことにはならないのだ。これは本当のことなのだ。そんなふうに死んでいってしまった子どもたちが存在したことは、なくならない事実なのだ。

 今も、おなじような状況にいる子どもたちがどこかにいるのかもしれない。
少しでも所在が不明瞭な場合や虐待の可能性がある場合は、その幼児たちの情報把握に、保健所や区役所、児童相談所、福祉事務所といった行政機関は尽力してほしいと切に願います。

2014.06.07

赤のしましまに最適な

 先月末の息子の大風邪で何もかもがストップした日々でしたけれど、今週は巻き返しというか、巻き返ったというほど仕事はできていないのだけれど、月曜日から金曜日までのすべてのお昼に外出をした。打ち合わせ、フィッティング、美容院、ラジオ、会食などなどの内容だったのだけれど、しかしこの予定は、先月末の失われた一週間にするべき仕事ができていてそのうえで、という仮定のうえに成り立っているものだったのだけれど、それが崩れてしまったので、けっきょく失われた一週間にするべきだった仕事は今なお失われたままなのだった。
 しかし明日は(今日は)もう土曜日じゃないの。土日は仕事ができないので何もかもは月曜日に再開なのだけれど、来週が想像しているとおりの来週として進んでくれるかどうかなんてもうわからない。誰にもそんなことわからない。わたしの都合、というものは、ほぼなくなった世界の住人だよ。
 連載エッセイやそのほかのコラムを書くのは息子が起きてくるまえの朝の一時間。今朝は、アスカ氏の、例の事件の報道のあれこれについて@週刊新潮など(せっかくの週刊誌連載なので、時事については書かないって最初に決めていたのに、気がつけば最近でも、小保方晴子氏のこととか木嶋佳苗氏のこととか、けっこう書いてはいるのだった)。

 

 今週の昼食はすべて外食だったので、ちょっとまえに作ったスパゲティ。これはアンチョビとキャベツとにんにく。
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 そして、ほたるいかとにんにくとみょうがのスパゲティ。スパゲティはいずれも製作時間は10分なので、やめられない。

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 わたしは一昨年くらいから急にみょうがが好きになって、玉ねぎとみょうがをスライスしたのにポン酢をかけてそのままさらっと食べるのだけれど、簡単なうえにこれがもう清々しいほどにおいしくてうれしい。今のシーズン、かつおにも最適ですよね。口当たりも、しゃりしゃりしてさあ。色もアンニュイでいいしさあ。

 

 そしてもう伸び伸びになっているけれど今回は赤のボーダーのネイルだったネイル。
 ネイルへの情熱は子どものときに思い切り夢中になった「プラ板」制作にそのすべてがあると思うのだけれど(小さな模様や色が小さな場所にぎゅっとひしめきあっているのを見つめる快感ですね)、しかし、やはり時間がかかることはかかるので、いつも「いよいよ今日はオフするだけにして、また、しばらく裸の爪で生きていこう……」とか思って予約するのだけれど、しかしお店に行ってみるといつも「あっ」と思うようなデザインが展示されていて、気づけば凝視しながら、「……これとこれ、正直、迷いますね」とか真剣に言っていて、いつまでも裸で帰ることができないでいます。

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2014.06.05

ココ・シャネル、ダラスに帰る

 

そして今日はシャネルのショーに行ってきた。
「シャネル 2013-14 パリ-ダラス メティエダールコレクション」。
ダラスということで会場に入るとアメリカ西部的な空間に。大掛かりで、徹底的で、さすがの完成度。

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ショーは迫力のひとことで、音楽も照明もブラウスもシフォンドレスも何もかも鳥肌がたつほど素晴らしかったけれど、とくに印象的だったのはセーター……。

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れもんらいふの千原さんと。

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「ココ・シャネル、ダラスに帰る」

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ココ・シャネルがブランクを経て再始動を決意するのが71歳のとき。代表作であるウールやツイードのスーツやジャケットを発表したのが70代半ばで、このときにはじめてバッグとシューズを制作したのだから、ため息がでる。小説でも美術でも詩でもファッションでも何でも、仕事をつづけることがとにもかくにも大事で、それがすべてではあるのだけれど、しかしその人生の最後のほうの仕事に大きな実りがあるということは、やっぱり有り難く、大変なことだよなあと思いながら家に帰り、妙にしんみりした気持ちで、まったく終わりそうにない仕事のつづきをした。ちなみに今回のテーマでもあるダラスは、完全復活を果たしたココ・シャネルがニーマン・マーカス賞を贈られた場所。フランスでこてんぱんに批判されたあとだったということもあり、嬉しさ&複雑さもひとしおだったのではなかろうか(そしてカール様による、今季のムービー『The Return』はこちら)。

しかし、70代後半まで生きるとしてあと40年かあ。10年を4回。それより早く死ぬことだってじゅうぶんに考えられるわけなので、働ける最大としてのこの猶予。いずれにしても、あっとういうまなんだろうなあ。まじで。ああ、いい仕事、しっかりと、たくさんしたいな。こんな気持ちになるときにいつも思いだすのは、『タイタンの妖女』のビアトリス・ラムファード。

 

 

2014.06.04

シャンデリアからは何が

 なんとか平常運転にもどったけれども、更新が滞ってしまって、心はあせるわ。
 なにからアップしようかな、と思いつつも、どれでもいいし、どれでもあかん、に地味に引き裂かれて、忙しいのもあるけれど結果的に遅々としてしまう。というのも、これまで長くブログを書いてきたわけだけれども(この数年は告知ブログを化してしましたが)、そのほとんどが文章だったために、そのあんばいに慣れてしまっていて、こう、写真をアップする決定に、いちいちいまいち、欠けるのである。

 週刊誌や女性誌でのコラム連載があるので、それとは違う、そう、文字少なめで写真などを載せる感じでひとつやってみよう……と決心したにもかかわらず、「誰がわたしの食べたものなどを知りたいだろう……」「誰がわたしの購入したものに興味などをもつだろう……」と思ってしまうとなんかむにゃむにゃとしてしまい、この体たらくなわけなのだった。でも、あまり考えてもあれなので、先月、息子が2歳の誕生日の記念に泊まったホテルのことなど(それよりも先に、先月に観た『アナと雪の女王』とか『ブルー・ジャスミン』の話も書きたかったのになあ、とほほ)。

 多くの男児とおなじように、新幹線に異常な興味を示す息子のために、東京駅ステーションホテルに宿泊しました。一泊だと疲れるだけなので二泊にして、二日目に新幹線を「もうええやろ」というくらいに見せてやるという段取り。抱きかかえているだけで腕がもげてしまいそう&必死で肝心の新幹線の写真が一枚もないのがどうなんだろうと思うけれど、新幹線というのもこれなかなかのもので、息子につきあって本やDVDやそうしたもので見ているうちに、こう、なんか擬人化とはいわないけれど、しかし独特の愛嬌が生まれてくるものなんですね……表情がわかるようになってくるというか、なんというか……。

 もちろんそういった感情移入なんてのは新幹線にたいする姿勢として野暮で無用であることはわかっているのだけれど、しかし「よくみると、かわいいよな……」「佇まいが、いいよな……」みたいな気持ちがやってくるのは隠せない。基本的にはかたちそのもの、色そのもの、そして動きそのものの素晴らしさなんだけれど、だから、やっぱり見てるとずっと見てしまう。基本的には物がそこで動いている、ということには前提としての感動めいたものがありますね。

 それにしても息子、そして子どもたちは、なぜ、「こまち」、「はやぶさ」、「かがやき」、「はやて」がすきなのだろう。いったい何を感受しているのだろう……(ちなみにわたしは『つばめ』がすきです)。

 しかし、わたし的にはやっぱりホテル……。ステーションホテルには初めて泊まったけれど、内装も好みでみなさんもすごく親切で、廊下も長く天井は高くとても快適でした。部屋の窓からは駅の真ん中、カーテンを開ければすこしだけ駅の一部になったみたいな感じだった。

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 そして室内には小ぶりながら素敵なシャンデリアが。これを見て、かつてシャンデリアが本当に欲しい時期があり、けっこう本気で探していたことを激しく思いだした。

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 過去にそんなことを考えていたこと、この日シャンデリアを見るまで思いだしもしなかった。けっこう本気で色々探していて執着していたはずなのに、そのことじたい、まったくなんにも覚えていなかった。たった数年前のことなのにと数えてみるとけっこうな時間、8年くらいが経っていて、そのことじたいもわからなかった。8年だったらそりゃあまあ忘れてもしょうがないかと思うけど、しかしどこを振り返ってみてもこのシャンデリアみたいに忘れていることばっかりなのだろうな、と思うと人生とはいったい何でできあがってるのだろうと思うけど、まあ、それは「今」なんだろうとは思うけど。

2014.05.30

熱につぐ熱

 これを書いているいまはれっきとした金曜日のはずなのだけれど、この一週間の記憶がほとんどない、というのも、この月曜日から昨日まで息子がアッツアツの高熱を出していたためで、朝も昼も夜も看病の連続だ。薬の効きのあれこれをしっかりやるために一週間に4回も通院することになり、わたしの仕事の大部分は麻痺して現在に至るというわけです。

 2歳になってさすがに高熱といえども少しは慣れた、というのはあるけれど、しかし39°〜40°の熱を数日にわたって出されると、このままどうにかなるんじゃないかとなんだかまったく落ち着かない。体の調子をまだ言語化できないのでお互いというかわたしが一方的にもどかしく、そういえば去年の今ごろ、6月は、保育園に通いはじめたばかりのためか、毎週熱をだしていて、そのたびに大人ふたりに感染し、二ヶ月がまるまるものすごくしんどかったことを思いだす。
 
 息子も去年よりは強くなった感じはするけれど、これから夏にむけて、アデノウイルス、手足口病、ヘルパンギーナ、などなど、病気目白押しのシーズンだ。世界にはこんなにもカジュアルに感染するウイルスがこんなにも存在するなんてこと、息子を生むまで知らなかった。ひとりが感染するとみんなに感染り、わたしが倒れ、家人も寝こみ、そして息子が高熱を出したりしたら、ここはいったいどうなってしまうんだろう。どうすればいいのだろう。去年の今ごろはそんな状態になってしまって、心細くて、息子からうつった病気の熱にうかされながらそのおそろしさに震えたけれど今年もそんなのをくりかえすのだろうか。きっとくりかえすのだろうなあ、なんてったって、そんなシーズン、子どもは病気して強くなって(大人は病気して疲れ果てて)ゆくものだもの。
 
 とにもかくにも連載以外の仕事はストップ。何もかもの予定がずれる初夏。


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