2021.09.13
ナタリー・ポートマンさんと対話しました。
『夏物語』の英訳版『Breasts and Eggs』を
愛読していただいているナタリー・ポートマンさんが、
ぜひインタビューを!ということで、お話しました。
インスタグラムに、映像をアップしています。
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2021.09.13
『夏物語』の英訳版『Breasts and Eggs』を
愛読していただいているナタリー・ポートマンさんが、
ぜひインタビューを!ということで、お話しました。
インスタグラムに、映像をアップしています。
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2019.07.10
新しい小説『夏物語』が、このたび刊行されました。
とうとうこの日が、と感慨深くてたまりません。
<長編小説『夏物語』。成長した緑子も登場する『乳と卵』の続編!>
わたしたちにとってとりかえしのつかないものの筆頭は「死」であると思うのですが、同じように、
生まれてくることのとりかえしのつかなさがあるんじゃないかと、子どもの頃から考えていました。
11年前に書いた『乳と卵』の緑子には、生まれてきたなら生きなくてはならないけれど、そもそも生まれてこなければ、嬉しいも悲しいもさよならも何もないのだもの、だから卵子と精子を合わせることをやめたらええんとちゃうんかという、いわゆる小さな反出生主義の直感的な実感がありました。
その問いは今もずっと続いていて、今回の物語に繋がってぐわぐわと広がりました。人が生まれて生きて死ぬことそのまま物語にして手渡したい、そのためにあの夏の3人にもう一度登場してもらって、けっか、このようになりました。『夏物語』は『乳と卵』の続編でありながら、まったく新しい夏子自身の物語になりました。
生まれてくるとはどういうことか、誰のためのなんなのか、善いことなのか悪いことなのか、あるいはそんな評価とは一切関係のないことなのか。ひとりきりで、ある意味で子どものままで、かけがえのない存在に会うことはできるのか。会いたいって、なんなのか。わからんことばっかりですが、夏子が何を考え何を選んでどこへゆくのか、見届けていただると嬉しいです。
原稿用紙で1000枚を越える長さになったんですが、従来の製本で行くと倍くらいの厚さ、重さになるところを、いちばん軽くて薄い紙を使っていただき、驚きの軽さ、最高の形状、手触りになりました。
『夏物語』が、読んでくださったみなさんの物語になりますように。願って願ってやみません。
このブログのニュースページ、Instagramでも、刊行記念イベントなどさまざま更新しておりますので、よろしくお願いします。
2016.07.13
ブログ上ではNYに行ったきりどうしてんねんな、みたいな感じになっていますが、東京でせっせと仕事をしております、毎日毎日。講演、トークイベント、撮影したり、対談などなど、そしてもちろん原稿書き。それでもやることばかりが増え、いったいどうしたことでしょう。そんななか、この数日、わたしはまさかの熱中症にかかってしまい、救急で点滴してもらったりして寝込み、これが大変につらかった。詳しくは来週とそのつぎの週刊新潮で……あれはほんまに危険やで。みなさんもどうかお気をつけ遊ばせな……。
5月には息子の誕生日ってことでディズニーランドへ行き、また、そのほかも色々な場所とかかわった。そのあたりの写真なども載せたいのだけれど、本当に時間がないのです。とほほ。順を追って日記風に更新したいのだけれども、それも叶わず、今日は最近の出来事として、京都にマームとジプシーを観にいったことについてなど。
2016年、またも青柳いづみさんによる、「冬の扉」、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」の再演を観ることができるなんて。本当にありがたい、素晴らしい時間でした。
京都精華大学内にて、8月1日までマームとジプシーによる「まえのひ」展が開催されています。最終日には、青柳いづみさんによるパフォーマンスが観られます。ぜひ。
そして、数年前のこの「まえのひツアー」にかんする一冊の本が刊行されました。
橋本倫史さんによる「まえのひを再訪する」です。繊細かつ詳細な記録として、橋本さんによる文章、そしてツアーの写真が収録されております。わたしの母校にみんなで行ったときのこと、打ち合わせで焼き肉を食べたときのことなども。それにしても、自分が覚えていない小さなふるまいやできごとや景色を、端正で、清潔な距離感、緊張感を持つ橋本さんの言葉によってふたたび語られるのを読むということは、とても不思議なことなのだな、と改めて感じ入りました。わたしにとっても大切な一冊になりました。みなさまも、ぜひ。
今回はアシスタントのミミと一緒に行ってきました
ツアーの写真がたくさん。どれも素敵
リハーサル終わり、椅子が並べられたところ
いよいよはじまろうというそのとき、またこの瞬間にいたいものです
そして、パフォーマンスが終わったあと、レセプションが。木の枝からぶら下がっているものは……
なんと、それぞれが食べ物であるのでした、歓喜!
木の根っこには、かわいらしい光りが
このあと、マームのみなさんとわたしたちは食事に行き、そしてなんとカラオケへ!!なんか、ものすごいパーティーにでも参加したような、個人的に気分はそんな盛りあがり(子育て中で、あんま外出できないから)。年齢がだいたい10くらい違うのでカラオケなんか成立するのかと震えていたけれど、みんなが好きなもの歌ってもなぜか世代を感じないでいられる不思議……(わたしはシンディ・ローパーを歌いました。みんな知ってた、よかった・涙)。
そうして京都の夜は更けていったのでした(翌日、ミミとわたしは京都の伊勢丹へ……着いたときも行ったけど)。次回はコスメについて日記アップしたいけど、いったいいつになることやら……(ニュース、更新しているので見てね!)
2016.03.25
すっかり春なのに少しさむい春の真んなかに、しゃがんでいるあの子の名前は何度きいても忘れてしまう、匂い編む、きみ沈む、そうしてるまにやってくる熱それは手紙それは挨拶それはお別れ、春のひとふれ、みなさまいかがお過ごしですか。
さて、朝日新聞で6年間、連載しておりましたファッションについてのコラム『おめかしの引力』が単行本になって刊行されました、わーい。見てくださいませや、この装幀……吉田ユニさんが作ってくださったこの色、この引力、このムード……裏もとっても素敵なイメージで、ぜひお手にとってごらんくださいませな。
連載『おめかしの引力』では毎回、おめかしにまつわるあれこれについて書いてきたのですが、そのなかで言及したものの写真……フリルとかパフとか靴とかコルセットとか、70年代ファッションが流行った20歳前後めっさがんばってたけど完全に空まわってる当時の写真とか、20年着てる寝間着とか……そういうの載せたらにぎやかでええんとちやうの、ということで、写真に解説もついたりなんかして、たっぷり8ページにわたって載っております。どうぞ、よろしくお願いします!
そしてそして、エッセイ『安心毛布』が文庫化されて再登場!シリーズ完結編がついに文庫になって、これで本当の完結的な。読みかえしてみて時が見えたわ……装幀は、単行本&文庫本、計6冊すべてを担当してくださった、浜田武士さんです。見てくださいませや……このバランス、このクールさ、目次に喚起されるものってありますよね。懐かしいし、またいつかもどりたい場所みたいでもあって、ゆれることです。手のひらサイズの安心毛布、どうぞよろしくお願いします、これであなたも安心毛布ァー。
目にたまるもの覚えて朝、指先ぐるぐるまわしたら春、からまって
2016.01.06
告知したばかりなのにすみません!トークイベントは満員御礼になってしまいました、ありがとうございました
昨年末に刊行された穂村弘さんとの『たましいのふたりごと』刊行を記念して、トークイベントを開催しまーす。
ふたりで78のキーワードについて語り合いました!個人的に思い入れがあるのはいくつもあるけれど、じつは「銀色夏生」だったりします……!! ぜひお読みくださいませ!穂村さんによるまえがき、そしてわたしがあとがきを書いております。装幀は名久井直子さん、表紙の文字は、それぞれが提出したお題を書いたものです。字がこんなに公的なものとして固定されるさまは、なんともいえない衝撃がありますね……顔なんかより、よっぽどパーソナルなものである感じがすごくして、なんか、めっさ、動揺しました。
2016年1月19日(火)19時〜(開場18時45分)
三省堂書店池袋本店 書籍館4階 イベントスペース「Reading Together」
お申し込みはこちらから!
なんかクレジットカードしか使えないみたいなのですが、もしわからないことがあったら直接書店に問い合わせてみてくださいね。ツイッターでは池袋三省堂さんのアカウントで、当日これについて話してほしいわ的なキーワードも募集しているみたいです。どうぞよろしくお願いします。みなさまふるってー!
2015.10.21
『あこがれ』無事刊行の運びとなりまして、きのう外出したおりに書店を覗いてみたらば、あった!本が手を離れてほかの本たちと一緒に並んでいるのを見るのはなんともどきどき面映ゆく、それでいて妙な勇気のようなものもやってきて、刊行までにお世話になったみなさまの顔がつぎつぎに浮かんでくるのだった。素敵な装丁をしてくれた名久井直子さん、そして素晴らしい絵を描いてくださった羽鳥好美さん、本当にありがとうございます!
東京でのサイン会は満員御礼で、申し込みに間に合わなかったみなさま本当にごめんなさい。せっかくだし東京二カ所でやりましょうかみたいな案もあったのだけれど、子持ちはつらいよで一カ所になって、でもやっぱり4年ぶりだし大阪ではぜひやりたいねってことになって、以下、決定しました!
サイン会は満員御礼になりまして受付を終了させていただきました。みなさま、ありがとうございます!
みなさまどうぞふるって! 大阪でするのはもちろんなんだけど、サイン会じたいが久しぶりのことなのでときめくわあ。お会いできるますのを楽しみにしています!!
11月13日(金)18:30~ 紀伊國屋書店梅田本店 紀伊國屋書店梅田本店にて「あこがれ」をお買い上げの 先着100名様に整理券を配布します(おひとり様一枚まで)。 お電話でのご予約も承ります。 お問合せ・ご予約|06-6372-5821(10:00~22:00) 詳細はこちら!
2015.10.09
4年ぶりの長編小説『あこがれ』が刊行されます!わーい。
それを記念いたしまして、三省堂神保町店でサイン会を開催することになりました。月末、海外出張なので来月になってしまうけれど、大阪でもサイン会いたします。こちらの情報は追って!
サイン会の申し込み受付はいっぱいとなりました。ありがとうございます。
刊行は10月21日です。東京の、サイン会の詳細でーす。
日時:平成27年10月23日(金)
時間:19:00~ 会場:三省堂書店 神保町本店1階特設会場
三省堂書店 神保町本店にて『あこがれ』新潮社/税込1,620円)をお買上、またはご予約の方先着100名様に、参加整理券をお渡しいたします。(ご予約いただいた方は、当日会場にて対象書籍をお求めになれます)。
◆WEBご予約は、こちらから! 三省堂書店 神保町本店 information@books-sanseido.co.jp
ふ
装丁は名久井直子さん、あこがれ、の文字とイラストの陰影はきらめく金の箔押しで、とても素敵な一冊になりました。左に見えるのは苺ジャム、そして右に見えるのは、卵サンド。数年越しの、ヘガティーと麦彦の物語です。店頭にならぶのはまだ少しさきですが、ぜひお手にとってみてくださいませなー。
2015.08.08
今日、郵便局に用事があってお昼間、外に出たのだけれどすごかった。まったくの夏のピーク、いくらなんでも、とぶつぶつ言いながらしかし暦のうえではもう夏は過ぎ去って、明日からは秋なのだ。そして新潮に、小説『苺ジャムから苺をひけば』が掲載されました。わーい!
この小説はちょっとまえ(っていってもずいぶんまえか)に、やはり新潮に掲載されました『ミス・アイスサンドイッチ』の続編で、そこに登場していた女の子、ヘガティーが主人公です。いわゆるスピンオフとでもいうのかしら。でもこっちのほうが『ミス・アイスサンドイッチ』よりもずいぶん長くなって、「こ、こんなうきうきとした気分でいいのだろうか」と何度も自問自答するほど、この二作は書いていて本当に楽しい気持ちだったです。
『ミス・アイスサンドイッチ』のときは小学4年生だったヘガティーも12歳になって小学校生活最後の季節を過ごしております。前作を書いてから、ことあるごとに、どーも、ヘガティーのことが気になっていて、今回書けてよかったなーと思っております。もちろん『ミス・アイスサンドイッチ』では主人公だった「ぼく」も(彼は麦彦くんというのだった)今回もヘガティーと一緒にあれやこれやと悩んだり走ったりしてちからいっぱい登場します。ぜひ、また彼らに会ってやってくださいませな。どうぞよろしくお願いします。
で、この二作を書いているとき、ずーっと聴いていたのが、みんな大好き、
Feist の「1234」でした。
あなたは変わってしまう
本当の自分を知ってるのに
優しい気持ち つらい思い
どっちなのかわからない
心地よさと寒さ
カートに馬をつないで
十代のころの希望が泣きそうになってる
小さな嘘ひとつがとてもこわくて
1234569 あるいは 10
あのころの気持ちはお金じゃ買い戻せないよ
あなたは変わってしまう
本当の自分を知ってるのに
あなたは変わってしまう
本当の自分を知っているのにね
十代の男の子たち あなたの心を傷つける
十代の男の子たち
あなたの心を傷つけるわ
ヘガティーと麦たちがやがて迎える季節だなあ。
『苺ジャムから苺をひけば』、楽しんでもらえたら、とてもとてもうれしいです(『ミス・アイスサンドイッチ』もよろしくね)。
2015.07.07
短編小説『彼女と彼女の記憶について』が、英国文芸誌『GRANTA』webに掲載されておりまーす。『GRANTA』の今号のテーマは「所有」。翻訳は、由尾瞳さんです。
オリジナルは柴田元幸さん責任編集『MONKEY』vol 2 に掲載されていますので、ぜひお読みくださいませ。
そして、少しまえにアメリカで刊行された『MONKEY BUSINESS』に、短編『十三月怪談』が掲載されています。こちらは短編集『愛の夢とか』に収録されたものです。こちらも翻訳は由尾瞳さん。うれしいな。書評もこちらでお読みいただけます。ぜひ。
梅雨ですねえ。蒸しますねえ。もう七月なんだねえ。こぼれているもの、やってくるもの含めてまたまたお知らせしたいと思います。追って追って。そして『きみは赤ちゃん』が、11刷に……。発売からまる1年、版を重ねております。読んでほしいなあと思っている方々に届いている実感がとてもあって、しみじみと嬉しいです。読んでくださって、本当にありがとう。
2015.02.27
先日、わたしが手がけさせてもらった、樋口一葉「たけくらべ」、現代語訳が収録された日本文学全集の刊行を記念して、「東京大学で、一葉、漱石、鷗外を読む」が開催されました。お越しくださいましたみなさま、本当にありがとういました。
とても寒かったのに、おかげさまで超満員、たくさんの立ち見が出るほどの盛況で、とてもうれしかったです。ありがとうございました。東大のあの教室、形も奥行きも広さもとても好きです。いいですよね。
や、最近はあんまり緊張しなくなっていたのに、今回はものすごーく緊張しました。自分の作品じゃなくて、人の書いた作品を扱うからか、最初からどきどき、終わってもどきどき、という感じでした。夏の終わりからつづいていた「たけくらべ」の自分的には総決算、みたいな感じもあったからかしら、いちおうぜんぶ終わってしまって、なんだか気が抜けちゃって、たけロスの日々を送っております。
当日は、「たけくらべ」の原文からすてきなところを抜粋してコピーしたものをみなさまにお配りして、おなじ箇所の現代語訳をわたしが読む、というかたちの朗読をしました。
目では原文を楽しみ、耳から意味がするすると入ってきて、目と耳の両方で「たけくらべ」を味わう、というあんばいですね。
朗読って、難しくって、わたしはあんまりしないのですが、今回は、みなさんにとても楽しんでもらえたみたいで、ほっとしています。よかった……。「おなじの、今度またやってください」というようなお誘いもさっそくあったりして、どこかでまた、こんなふうに「たけくらべ」の世界にふれることができたらいいな、と思っています。そして今回は、「たけくらべ」を未読の人もいらっしゃるよねということで、物語のすじを追いながらの朗読&講演、という感じだったのだけれど、いつか、「たけくらべ」の読書会みたいなのもしてみたい。このあいだは時間がなくてできなかった、細かいところまでを心ゆくまで話して念入りに入り込むような時間があればいいのにな……と夢想しています。読書会みたいな感じでやるには少人数でやらないといけなかったりもするし、まあ実現はなかなか難しいだろうけれど……。
そして、池澤夏樹さん、紅野謙介さん、ポーランドの樋口一葉の研究者であるカーシャさん、そして司会進行をしてくださった沼野充義さんとのシンポジウム。それぞれの作品が生まれた背景とその関連、そこから私小説の成立と受容、そしてフィクション論……などなどみるみるうちに話は広がって、あっというまに時間がたってぜんぜん足りなかったですね。またこんな機会があるといいのになあ。
そうだ、当日もちょっと話したけれど、美登利の変化については、「水揚げ説」はないと思っています。「検査場説」もちょっと無理があるなあ。だったら「初潮説」なのかといわれれば、必ずしもそうではないと思います。つまり、どれでもないんじゃないか思っています。
水揚げ説の根拠のひとつに「花魁の妹で、ああいう界隈で育った女の子が初潮くらいで動じるかいな」というのがあるけれど、や、もちろんどんな環境であれ、初潮は驚くにも変化するにも充分な出来事だと思うけれど、少女の変化には何かしら身体的なきっかけが必須である、という思い込みはどうかしら。
だいたい吉原の次のナンバーワンになることが約束されたような器量良し、しかも大籬である大黒屋を背負って立つことを期待されてる美登利の水揚げであれば、もっときちんと大々的に行われるはずだし、第一、明治の新しい公娼制度はもちろん、新吉原のルールの年齢にも達していません。まあ、ある種の伝統ってことで元吉原時代の裏ルールが適用された、ってことも完全にないとは言い切れないけれど、とにかく美登利の、いわゆるデビューとあらば相当な話題になることは必至で、しかし町も人々もそういう雰囲気ではありません。そして何よりもやっぱり、水揚げされたとするなら美登利にたいする母親の態度が不自然すぎると思います。さすがに水揚げされた娘の友だちに「いまにいつもの美登利に戻ります」とは言わないでしょう。「いまは中休みってところです」もおかしいです。
じゃあ美登利の変化は何によるものかといえば、やっぱり、これからのことを言葉ではっきりと説明されたんだと思います。そこにもちろん初潮があってもよいのだけれど、そこに加えて、今後はいついつにこういうことをして、こうなって、あなたはこれこれこういう感じになっていくんですよ、と説明されたのじゃないかしら。何となくわかっていたかもしれないけれど、これまではやっぱり自分の外にあった「遊女の仕事」というものが美登利のなかでリアルに認識されたのではないかと思います。世の中にセックスというものが存在していると知ったときの驚愕だけでもすごいのに、どうじにそれを、まだ体験したこともないそれを仕事にして、これからさきの人生を生きてゆかねばならない、ほかの選択はないのだと知らされたら。美登利の変化は、こうしたことをはっきりと認識させられたことにあったじゃないかと思っています。