川上未映子

2016.09.13

世界の秘密に指がふれたり

 

 SWITCHインタビュー・達人達、新海誠さんとの対談をたくさんの方に観ていただけたようでうれしかったです。わたしはばたばたとしていて未見なので対話のどこがどんなふうに使われたのかわからないのだけれど、『いい雲はどのようにして生まれるか』、『ここではない、もうひとつの世界が存在しているという実感』のお話がとくに印象深くて、でもどっちもあんまり時間がなくて、もっとお話を伺いたかったんだけれど……。

 

 映画であれ小説であれ写真であれ何であれ、優れた作品には必ずフィクションとしての強度が最大限に発揮される、その作品に固有の瞬間がある。『君の名は。』には、見終わったあとに「もしかしたら、自分のこの現実の人生にも、あの映画の中で起きていたようなことが、本当は起きているのかもしれない」と思わせる不安と恍惚の手触りがあるんですよね。

 

 つまり、今、自分が誰かといるとして、あるいは誰かといないとして、その誰かとのあいだに──三葉と瀧くんのあいだで起きたようなことがもしかしたら起きていたのかもしれない、我々はそのことを確認する術をついぞ持たないけれど、でもそれがなかったなんていったい誰に言えるのか、というような  ”そわそわ” を、言葉にしてもしなくても、受け取るんだと思います。フィクションと現実の結び目は作品の数だけ、人の数だけあるけれど、その実感こそが、現実の一回性を否応なく生きるしかない我々が飽きもせずフィクションを求める理由のひとつではないかと、そんなことをあらためて思いました。確かめることはできないけれど、それでもやっぱり世界の秘密に指先が少しふれたような、一瞬だけ横切るその影を認めたような、そんな瞬間がこれ以上はない物語のピークで炸裂していて、素晴らしいことだと思いました。

 

 人がある作品に出会うとき──そこには作品と自分以外の多くのものが立ち会うわけで、何歳で、どんなことが苦しくて、どんなことが不安で、どんな場所をふうに歩いていたか、どんなふうに風が吹いて、何がどんなふうに光ったり光らなかったりしていたか、何が遠くて、なにをさわって、何を感じていたか──何年も時間が経って、もしその作品と再会することがあるならばそのとき、それらがひとつのかたまりとなって、匂いとも思いとも記憶ともいえないような「体験」として、またその人にやってくる。

 

 今、十代、二十代の方々に『君の名は。』がすごくたくさん観られていると伺って、いつかずっとさき、彼らのなかで、時空をひょいっと飛び越えて、いつも何度でもふれることのできる特別な体験として保存されればいいな、素晴らしいことだな、と心から思っています(わたしの場合は、その筆頭はもちろん銀色夏生さんなのですが(笑)詳しくは、わたしが銀色夏生さんについて熱く語っている穂村弘さんとの対談『たましいのふたりごと』をお読みください!)

 

 とまれ、たとえば少年少女が出てくる 『あこがれ』『ヘヴン』が、もしそのような体験として誰かのなかに残るのだとしたらそれは本当にうれしいことよなあ……みたいなことをしんしんと感じつつ、次回作も一生懸命、書いて書いて、かたちにしていきたいと思います。がんばります。

 

 再放送は、9月15日木曜 午前0時(9月14日水曜深夜)だそうです!

 見逃されたかたはぜひ、ご覧になってくださいね!……しかし、初めてお会いした新海誠さん、何が驚いたって、ちょっと驚くぐらい人格というかそれこそ精神というかが安定していらっしゃる感じがすごくして、後日もその印象について考えていました。それで、「新海監督、パイロット感あるな……」と。機長です。わたしは飛行機が苦手なんですが、新海さんみたいなパイロットだったらもうしょうがないかな、と思わざるをえないような、それはもう破格の安定ぶりでいらっしゃいました。あとやっぱり医者ですね。しかも、現実に存在している医者よりも医者らしいというか、もはや概念上の医者というか。またお目にかかりたいです。

 

 


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