川上未映子

2014.05.03

今ごろ東京ではマームとジプシーが

観たかった、まじでめっさ観たかった。
全国ツアーも最後の東京、マームとジプシー×川上未映子、リーディングという名の青柳いづみさんによる一人芝居。
今日はどんな演目やるのだろう。大阪で観たのがわたしは最後になるけど、最終への情熱と巻き上げにより、どれともどことも違う公演になるんだろう。
これは忘れられない大阪での写真。
撮影は写真家の井上嘉和くん。舞台写真やライフ写真で活躍する彼は、わたしの高校時代からの大切な友達。素敵な写真を撮ってくれたよ。

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まだまだ心踊り胸走りだす写真がたくさんあるので、続きは東京にもどってから。
ジュネーブは今日も寒いみたいです。
わたしが参加しているSalon du livre についてはまたあとで。今日はこれから座談会と対談があります。
日本スイス国交樹立記念というだけあって、さまざまに盛り上がってる。こどもたちがいたるところにいて、本というものが楽しみとともにあるような。そしてわたしが静かに圧倒されているのはジュネーブそのもの。これもまたあとで。

2014.05.02

いつか能動的に旅する日

時差ぼけの予感におびえつつ、しかし思いのほかぐっすり眠れてジュネーブ時間で目覚めることができてほっとした。夜になるのは遅くても朝はふつうにやってくるので7時半ごろレストランに行って朝食。さすが、といっていいのかどうかわからないけれど、チーズとヨーグルトがおいしかった。

ジュネーブはしとしと雨。だんだん明るくなってきて霧めいた雰囲気。山が低く、湖を縁取るように建っている家もかわいらしく、左手には森が広がる。そんな風景を眺めながら、わたしはいま仕事だからジュネーブにきたわけなんだけれど、ここにいる人たちがみな仕事できているということはないはずで、とすれば純粋に、ああジュネーブに行こう、という自発的な気持ちによってここへきているはずであって、わたしはいつかそういう人になれるのであろうか、という疑問がふとよぎった。どういう気持ちが芽生えれば、ジュネーブへ旅しようと思いつく人になるのであろう。これまでヨーロッパにきたすべての動機は仕事であった。

ところで寒い。思っていたよりずっと寒い。なんかまたいろいろ間違えた気がするけれど、なぜか旅行にでると白いブラウスばかり持ってきてしまったことにあとで気づく。こんなには着ないよ。

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そして町歩きように持ってきたシャーロットオリンピアのぺたんこ靴。レオパード(もうヒョウ柄とは言わないんですってね)柄が気に入ってるけれど、くちびるの形になったまえのところが甲にあたってそれが痛い。もう何回か履いてるのに、あんがい慣れなくて困ったものだ。

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2014.05.02

ジュネーブ着

ミュンヘン経由でいまさっきジュネーブに着きました。12時間近くのフライトだったけど5時間くらい眠ったせいかこれまでヨーロッパに行くときに感じていた長さはあんまりなくて、しかし早くも時差のしんどさがでているようなそんな感じ。

ジュネーブは曇り空ときどき雨で肌寒く、東京も大阪も山口もそうだったけど、5月の陽気さなんてどこにも見当たらない。きけばパリもそんなふうらしくて、いい時期なはずなんだけどなあ。

羽田でうなぎを食べて、もう絶対に機内食はたべないぞと決心していたのに、なんとメニューに一風堂のラーメンがあって、無類の麺好きとしてはみなかったことにもできずいただくことに。6年くらいまえにパミール高原に行ったとき、お湯が沸いてもそんなに熱くなかったことなど思いだしながら、あのときあの場所で会って一緒に過ごしたアサリクは元気だろうかな、と思いだす。ときどき写真は見ているけれど、もう会うことは、ないんだろうな。きれいなお姉さんになっただろうなあ。

湖のみえるホテルの部屋からの景色、もうすぐ夜になる。

 

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2014.05.01

そろそろ出国

気がつけば羽田におり、飛行機にのる直前のいまなのだった。GWの並びのせいか、羽田はとても空いていて、しばらく食べられなくなる日本食を食べました。

ジュネーブはシンポジウムに参加するためにゆくのだけど、そのあとのパリは新刊のプロモーション。「すべて真夜中の恋人たち」のフランス版はこれ。

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今年中には「ヘヴン」も刊行される予定なので、楽しみ。ではそろそろ搭乗です。ねむれますように、なむなむ。

2014.04.30

中也、春春春春、連呼して

 きのうとおとといは、中原中也記念館開館20周年記念行事と、第19回中原中也賞授賞式に参加するために山口市におりました。
 ひとつまえにアップしたのは、帰ってくるときの写真。
 
 記念行事のほうでは中也の記念館にある中庭で谷川賢作さんのピアノで歌をうたせていただき、授賞式では穂村弘さんと中原中也とその作品をめぐる対談に参加して、街にはホテルでも部屋でも道路でもタクシーでも中也の顔写真と名前みることができるムードにあふれ、そして前日に山口市入りしたこともあってまる2日間、場所でも目も文字もどこまでもそれはとても中也めいた時間だった春の終わり。

 穂村さんとの対談ではいろいろな話をしたけれど、中也の創作のなかにある無音について。テクニックとして中也以外の人も使うことのできる技術と、そうでない部分について。中也の作品個々にみられるリフレインと、全体を覆うかたちで存在しているリフレインの関係について(たとえば、なんで中也は、あんなにも春春春春と連呼せずにはおられんのか)。
 
 ほかには、それぞれいくつかの作品の読解をしたりして、それが印象に残ってます。穂村さんは「夏の夜の博覧会はかなしからずや」、「春と赤ン坊」などについて、そしてわたしは「春の日の夕暮」、「月夜の浜辺」、そして息子の文也が亡くなって数日後に書いた、「暗い公園」について。どこかに収録されるかもしれないので、そのときはまたお知らせします。それまでに、ちょっと時間を見つけてここでもかけたらよいな。とにかく、授賞式や対談が終わってからも、なんだかずっと中也のことを考えていた二日間だった。今もまだそうなんだけれども。

 ところで山口に来るまえの日の大阪、そして山口市での数日は雨が降ったり寒くて夜は冷たくて、その前々日の東京が初夏みたいに爽やかだったために着るものやつめてきた洋服を完全に間違えてしまって寒かったよ。赤のボーダーT×ハイウエストのペンシルスカートサスペンダーつき、というどっかマリン調の浮かれた感じの組みあわせも調子でず、どころか心細くっておおげさじゃなくってなんやったらコートがあってもいいくらいの気候だった。

 40°を記録したちょっとまえの扁桃腺炎からこっち、なんか体調がしゃきっとせず、しかし病院行く時間がどこにもないので葛根湯を飲んでかろうじてなにかをつないでいる感じでいるけれど、しかし明日の早朝にはわたしはジュネーブへゆかねばならないわけで、半分白目でこれからあらためて荷物をパッキン。

2014.04.30

ばいばい山口

 

imageいまから飛行機

2014.04.30

四月の底、あらためましてのご挨拶

 いつか自分が小説を書いたりするようになるなんて思ってもみなかった二十代のなかば、ブログで日々のことを書くようになって、あっというまに時間が経って、これまで書いてきた日記は拙著「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」にまるっと残すこともできたし(こちらにはみっつだけ残しました。今後も増えるかもしれません)、そろそろサイトを新しくしてみようかなあ、以前のようにできるだけ日々の記録をつけるようにしてみようかなあと何となく思って、こんな具合になりました。
 とはいえ今はあんまり時間がなくていっせいに充実したさまをお見せしたかったのだけれども今の時点ではそれも叶わず、少しずつ、ちょっとずつ、進めてゆけたらと思っています。まずは日記から始めたいと思います。あらためまして、どうぞよろしくお願いします!

 四月は、マームとジプシーのリーディングという名の、女優、青柳いづみさんの一人芝居の舞台のアフタートークに出るために大阪へゆき(わたしの詩が使われているのです)、とても幸せな時間を過ごすことができました。
 ユニバースという元はキャバレーだった場所での公演だったのだけれど、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「冬の扉」、「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」、そしてマームのために書き下ろした「まえのひ」という演目と奇妙にきらきらと響き合い、とくに二日目、最後の一回は、音楽、光、見え隠れする言葉の発光、過ぎてゆく一秒一秒、観客の眼差し、そして何よりも青柳いづみさんの身体が、どこを見てもどうじにすべてを見ているとしかいいようのないあらわれかたをして、何もかもが現にそこにあるのに、現実には起きようのないものを目撃しているような圧倒的な体験でした。マームとジプシーについては、こちらで主宰の藤田くんと対談をお読みいただけます。
 マームとジプシーのツアーは5月4日までつづきます。くわしくはこちら

 四月も終わり。このあと連休は仕事でジュネーブと新刊のプロモーション(「すべて真夜中の恋人たち」がフランスで刊行されました)のためにパリに出かけます。あちらからも日記書けるだろうか。そうだこのあいだ、インフルエンザかと思いきや扁桃腺炎で人生初めて40°の熱を出しました。どんなにがんばっても減らなかった体重が3キロ減って、治って三日後には4キロ太ってた。ひっさしぶりのいかれこれ。

2005.03.27

私はゴッホにゆうたりたい

春が煙っておる。なんか立ち込めている。

何でもないよな一面をさあっと塗ったようなこんな空も、
ゴッホには、
うろこみたいに、飛び出して、
それは憂う活力を持ち、美しく、強く、見えておったんやろうか。

春がこんこんと煙る中
私は、
ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。

今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、

パンも食べれんかったし最後のパンも消しゴム代わりに使ってな、
あの時もどの時も、あんたはいっつもおなじように、描いててな、苦しかったな、
才能って言葉は使わんとくな、なんかの誰からかの命令なんかな、
なんか使命なんかな、
多分絶対消えへんなんか恐ろしいもの、恐ろしいくらいの、美しい、でも苦しい、
そういう理みたいな、そんなもんに睨まれてあんたは、
いっつも独りで絵を、絶対睨まれたものからは絶対逃げんと、や、逃げる選択もなかったんかな、
それでもとにかく、絵を、絵を描いて、

そら形にするねんから、誰かに認めてもらいたかったやろうな、
誰かに「この絵を見て感動しました、大好きです」
ってゆわれたかったやろうな、
それでもいつまでも独りぼっちでよう頑張ったな、淋しかったし悲しかったな、

それが今ではあんたは巨匠とかゆわれてんねんで、みんながあんたをすごいすごいってゆってほんで、
全然関係ない時代の日本に生まれた私も、あんたの絵が大好きになった、

教科書にも載ってるねんで、
夜もな、空もな、ベッドの絵もな、麦畑も、月も、デッサンいっぱい練習したやつもな、
全部観たで、きれいなあ、あんな風に観てたんやなあ、

みんなあんたの生きてきたことを知ってるねんで、
耳をちぎったことも、キチガイ扱いされたことも、
悲しくて悲しくて悲しくてしょうがなかったこと、
そんなあんたが書いた絵が、ほんまにほんまに美しいことも、
今はみんな、あんたのことを思ってんねんで、

私の知り合いの、男の職業絵描きの人とな、
随分前にあんたの話になってな、
私はあんたの生き様、芸術って言葉も使わんとくわな、
もう、それをするしかなかったっていうものと死ぬまで向き合ってな、そういう生き方を思うと、
それ以上に、なんていうの、ほんまなもんってないやろって思うわ、私は信頼するわって話をしたん、

そしたらその絵描きな、未映ちゃんがそう思うのは全然いいけど、
あんな誰にも認められんで苦しくて貧しくて独りぼっちでゴッホが幸せやっと思うかってゆわれてん、
俺は絶対にいらんわってゆわれてん、

ほんでそっからしばらくあんたの幸せについて考えてみてん、
幸せじゃなかったやろうなあ、お金なかったらおなかもすくし、惨めな気持ちに、なるもんなあ、
おなか減るのは辛いもんなあ、ずっとずっと人から誰にも相手にされんかったら、死んでしまいたくもなるやろうな、
いくら絵があっても、いくらあんたが強くても、しんどいことばっかりやったろうなあ、

そやけど、多分、
あんたがすっごい好きな、すっごいこれやっていう絵を描けたときは、
どんな金持ちよりも、どんな愛されてる人よりも、比べるんも変な話やけど、
あんたはたぶん世界中で、一番幸せやったんやと、私は思いたい。

今はみんながあんたの絵を好きで、世界中からあんたが生きてた家にまで行って、
あんたを求めてるねんで、
もうあんたはおらんけど、今頃になって、みんながあんたを、
今頃になって、な、それでも、あんたの絵を、知ってんねんで。知ってるねんで。

あんたは自分の仕事をして、やりとおして、ほいで死んでいったなあ、
私は誰よりも、あんたが可哀相で、可哀相で、それで世界中の誰も適わんと思うわ
あんたのこと思ったらな、
こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる私の気持ちがな、
揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵を観れたこと、
わたしはあんたに、もうしゃあないけど、
やっぱりありがとうっていいたいわ

だからあんたの絵は、ずっと残っていくで、すごいことやな、すごいなあ、よかったなあ、
そやから自分は何も残せんかったとか、そんな風には、そんな風には思わんといてな、
どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい。
でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。

私はどうにかして、これを、それを、
あんたにな、めっちゃ笑ってな、
ゆうたりたいねん。
ゆうたりたいねん

 

 

 

 

そらすこん

※この文章のような過去ブログの傑作選は、
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
というタイトルで一冊にまとめていますので、
ぜひ読んでくださいませ!

 

2006.03.07

大島弓子を読めないで今まで生きてきた

大島弓子。きっと、すごい、どうせ、面白いんでしょう。あらゆるみんなにとって特別な、みんなが目をきらきら輝かせて語り、語りたい、でも語りつくせぬ、みんながそれぞれに生きてきた思い出そのもののようなきっと大島弓子なんでしょう。素敵な絵で。言葉で。うん。きっとわかる。でも読めないなあ。なんでかな。ずっとまえ、漫画喫茶に一冊だけあった大島弓子。本屋でもあればいつも目を反らしてた。こんな場所では読めないなあ。じゃあいつ買うの。いつ、結局どうするの。男の人に「中高生のときに大島弓子を読んでないことは、未映子さんにとって最大の不幸です。読め。読め。大島弓子を読め。大島弓子を読まずして何を語れるというのだ」とか云われたりもした。そしてどんどん大島弓子が遠くなる。いっそもう、読まずに、だって読まずに来たのだから、読まないで生きて、死んでいこうか。そう思ったりもした。大島弓子。

そして私はこの冬に「バナナブレッドのプディング」を読んでみようと思った。そして読んだ。

私は生まれてきたことがいっつもなんでかわからなかった。子供の頃から毎日はこんななのに、いくら働いたって働いたってお母さんはちっとも楽にならんのに、なんで3人も子供を生んで、それで朝も夜も毎日働いて、お母さんはそれでいいの。しんどくないの。3人のうち私がいなくなれば、その分お母さんの働く時間が減るのになあ、って思っていた。お母さんのために死んであげたいと思っていた。3人のうち全員が大人にはなれないだろうと思っていた。食べるものがなくて死んでしまうだろう。だったら私がはやいとこいなくなればいいのかもと思っていた。いつも生きてることへの後ろめたさがあった。思春期になれば鬱の性格も手伝って毎日がしんどかった。生まれてくるとはどういうことか。誰が人生なんてこんなものを作ったのか。気持ちの底はいつも暗かった。そうやってずるずると、知らない間に私は大人になって、今度は子供を生む年齢になったけど、新しい世界をないところにつくる。
悲しむ苦しむそれだけじゃないけど、いいことだってたくさんあるだろうけど、私みたいに悲しむ癖のある子だったらきっと世の中は生きにくいだろう。世界を増やす。人を増やす。
それがいいことなのかどうかがずっとわからなかった。生まれてきた子供が私に「なんで私を生んだのか」って泣いて訊けば私はかわいそうに思うし、答えられないやろうと思った。だからもう、考えないでおくことにした。生まれてきたことも生むことも。でもずっと自分が間違ってるような気がしていた。全部が。ここでこうしてることも、依存してるだけなのに愛しあってると都合よく考えてしまうことも。もう、見ないように、見ないように。

それからずいぶんと時間がたって、「バナナブレッドのプディング」を読んだ。
沙良の最後の手紙のところで、私のなかの水門が予告なしに開かれて、とめどなく流れ出て、自分がふちだけになるような感覚に襲われて、思わず床に突っ伏した。
暗い部屋で、べたっと身動きできず、口のなかから巨大な熱い円錐の何かが出てくるみたいに涙が出た。
私は、正しいとかまちがいとか、人間関係とか表現とか、そういうことを知らなかったときのただの子供に戻って、わんわんと、ごろごろと転げまわって、ただただ、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになって、おかあさーんと叫んだ。
車が走っていく音にまぎれて、夜やのにカラスが何羽も鳴いてた。
生まれてきてよかったとか、生んでくれてありがとうとか、それは絶対に云えない言葉だったけど、そういう言葉ではなくて、今まで生きてきた言葉じゃないほうのぜんぶが混ざった、おかあさーんだった。

大島弓子を今まで読めずに生きてきた。
肩に力が入ってたのか、なんか怖くて、読めずにきた。でもそんなこととっくに見透かされていて、大島弓子は笑っていた。
そしてこんな風にも思う。今まで読めなかったのは、この冬のためにあったのじゃないか。
中高生の頃の私ではなくて、「生まれてきた自分」と「生む自分」の両方がある29歳の今の私に、大島弓子の物語が会いに来てくれたのでないか。「生きててもいいし、生んでもいいんやよ」って胸の中でひびいた。

大島弓子は読んだ人をひとり残らず抱きしめる。
なんも喋らずにひとり残らず抱きしめる。私はすっごい抱きしめられていっぱい泣いて、気がつけば眠っていた。まるでケープをかけられてるかのようなその眠りは安堵そのものだった。
このことは、私が28歳になって、27歳になって、10歳になって、5歳になって、0歳になっておぎゃあと生まれて、あかあさんの体に戻って、うれしいやかなしいやさようならがなくなるまで、私は忘れないと思う。

 

 

 

 

そらすこん

※この文章のような過去ブログの傑作選は、
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
というタイトルで一冊にまとめていますので、
ぜひ読んでくださいませ!

 

2006.05.19

フラニーとゾーイーでんがな

風邪が停滞してついに鼻水が出てくるので、寝起きがとてもつらい。蒸してきた最近、熱のこともあり、アイスノンを枕にして眠っているのですが、すぐに溶けてしまう。例の立派な冷蔵庫の瞬間冷凍室には肉ではなく、アイスノンを入れて、なんかサイズもぴったりで、そんなことのくりかえし。
明日はMTVの年に一度のなんとかアワード、という派手で豪奢なお祭りが、27日にあるらしくって、そのイベントのテーマ映像みたいなものがあって、それに歌を吹き込みに行く、歌っていうか声な。こんな鼻が詰まっていてはどうするんだろうかなあ。ああ。27日に、もしお祭りに行かれる方あったら、是非聴いて下さいね。まだ歌ってないからどんな感じになるのかはまったく想像もつかぬが。
熱のせいか、連続して現実が連なり、そのどれもが夢だった、っていう夢をぎょうさん見てなんかうんざり。

サリンジャーの「ゾーイー」、これってズーイーがほんまもんなんですかね、ゾーイーの兄妹喧嘩のあの台詞のやりとり、私好きやねんけど、ゴッホんときみたくいつか舞台で大阪弁でやったら面白いやろうなあってそこはかとなく思ってたら、なんと昨日たまたま読んでた本で村上春樹氏が「ゾーイーを関西弁で翻訳したい」つって書いててここにもひとつの共時性が。や、関西弁の人はけっこう思ってる人おるんかもね。
そうそう、なんか、標準語、っていうか、あの場合は翻訳調が、ってことになるのかな、ゾーイーの鬱陶しさとか真剣さとか優しさとか、フラニーの駄目駄目っぷりとかさ、自意識と若さの「不毛さ」から「太っちょのおばさん的救い」へ一気に駆け上がるあの素晴らしい素晴らしいくだり、その救いが観念的であればあるほどこんなにも素晴らしく、こういう文章に出逢うと「虚構」と「観念」の出自と効果の鮮やかな一致が、私をとてつもなく喜ばす!のだが、会話というよりもおのおのの独白の端々の素敵なところが、もひとつなんか、こう、爆発、する必要もないのかも知れんけど、開花というか、爆発して浸透する、っていうもっとそのための風景があるんではないかなーと思うわけで、んで関西弁。

例えばレストランでイライラしながらスノッブな彼氏に向かってフラニー
「ちゃうねん。張り合うのが怖いんじゃなくて、その反対やねん、わからんかなあ。むしろ、張り合ってしまいそうなんが、怖いねん。それが演劇部辞めた理由やねん。私がすごくみんなに認めてもらいたがる人間で、誉めてもらうんが好きで、ちやほやされるのが好き、そんな人間やったとして、そやからって、それでいいってことにはならんやんか。そこが恥ずかしいねん。そこが厭やねん。完全な無名人になる覚悟がないのが自分で厭になったんよ。私も、ほかのみんなも、内心は何かでヒット飛ばしたいって思ってるやろ。そこがめっさ厭やねん」

例えば居間の床に寝転んで引き篭もりのフラニーに向かってゾーイー
「そやけど俺の気に入らんのはな、こんなもんシーモアもバディも気に入るわけないけどな、さっきゆうてたやつらの話する時のお前の喋り方や。つまりな、あいつらが象徴してるもんを軽蔑するんやったらわかるけど、お前はあいつらそのものまで軽蔑しとんのじゃ。個人的過ぎるんじゃ。フラニー、ほんまやで。
たとえば教師のタッパーの話した時もやな、お前の目普通ちゃうで。人殺すときみたいにぎらぎらしすぎや。光りすぎや。あいつが教室に来る前にトイレ行って髪の毛わざとばさばさのぼさぼさにしてくるゆうあの話。そら全部お前がゆうたとおり間違いないと思うけどさ、でもそんなもんお前に関係なくないか?あいつが自分の髪の毛をどうしたこうしたってええやんけ、あいつなにを気取ってんねん、ププ、ダサイやつやなー思てたら済む話やんけ。悲壮美なんですねーゆうてそんなもんいちいち演出しなあかんほど自信ないんやなあゆうて、同情したったらええんとちやうの。そやのにお前は、ええか、これだけはゆうとくけどおちょくってるんやないで。お前が喋ってんの聞いとったら、あいつの髪の毛自体が、なんかお前の仇みたいになってて、それはちゃうやろ。んでお前がそれをわかってるっちゅうのがもっと気に入らんわ。
あんな、フラニーな、制度を相手に戦争でもおっぱじめたろかゆうんやったら、頭ええ女の子らしい鉄砲の撃ち方を、せえや。敵はそっちやろうが。あいつの髪の毛がどないしたとか、ネクタイがどうしたとか、んなもん関係ないやろうが」

なんか色々の象徴的な台詞ですな。って関西弁で書いたって、関西出身の私に近しくなるだけで、それやったら頭ン中で勝手にやればということになるね。なんか基本的にキャラと合ってないような気がしますな。
やっぱ標準語でいいかも。いや、でも関西弁でやってみたいなあ。装置もあんまいらんしな。あー。

 

 

 

 

そらすこん

※この文章のような過去ブログの傑作選は、
「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」
というタイトルで一冊にまとめていますので、
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