川上未映子

2017.09.02

早稲田文学増刊 川上未映子責任編集「女性号」 巻頭言全文

早稲田文学増刊 川上未映子責任編集「女性号」

 

<巻頭言>

 

  数年前、ある女性作家と話していたときのこと。

「いつだったか、どこかの文芸誌が女性特集みたいなことをやって、書き手を全員女性にしたんですよね。でもわたしあのとき、古いなあって白けちゃって。今さらフェミって感じでもないしなあって思ってしまった」。

 

 わたしはその文芸誌の存在を知りませんでしたが、女性が女性について語ったり書いたり、読んだりするそんな特集があるなら読んでみたいと思いました。毎月、無数に刊行されているなかでそんな雑誌があって当然だし、論壇誌や思想誌では逆のことが当たりまえに起きているのに、なぜそれが女性になると特殊な出来事のように思われるのだろう。他愛のない会話の中の彼女の何気ない発言をわたしはその後、折にふれ思いだすことになりました。とくに脈絡もなく、ふとしたときに頭をよぎるのです。

 

 今回、早稲田文学の外部編集委員になり、責任編集というかたちで特集を組むにあたって、わたしはすぐに「古くて白けて今さらフェミ」と件の彼女が感じたような特集をぜひやってみたいと思いました。とはいえ、女性という言葉にはご存じのとおり様々な問題が付随しています。

 まず、女性とは何なのか。誰のことを指し、またどのような認識や条件によってそれが可能なのか。仮に女性というものに定義を与えることができたとして、そのうえで女性をテーマにすることにどのような意義があるのか。性別二分法を容認し、より閉塞感を強めることになるのではないか。現在取り組むべきは女性に限定したものではなく人権全般について、あるいは性の多様性と可能性についてではないのか。女性が女性について語るのは退行ではないのか。問題はいつでも「人間」ではないのか。

 

 しかし、それでもなお、女性というものは存在しています。女性一般というものがなく、また、それがどのような文脈で語られるにせよ、女性は存在しています。

  SNSの普及によって性をめぐるポリティカルコレクトネスの議論が可視化され、以前に比べて人々が意見/異見を表明し、それをシェアする機会が増えました。世界中の様々な人々の状況や活動を知ることができ、これまでの常識や現状を相対化するための一歩を踏みだしたようにも思えます(むろん不毛な局面も多いですが)。性をめぐる問題は十年一日のもどかしさもたしかにあるけれど、しかし何かが少しずつ変化しているのではないか。もしかしたら今が、何度目かの、何かが変り始めようとしているその瞬間なのではないだろうか。あまりに楽観的な観測ですが、そう信じることで動きだす何かがあるはずだとも感じています。

  特集を組むにあたり、本当は2017年現在における、ありとあらゆる分野における女性についての表現活動と諸問題を今号に網羅し記録しておきたい──そんな強い気持ちがありました。けれどもそれは現実的に難しい。わたしはフェミニストですが、フェミニズムを学問として学んだことはありませんし、専門家による女性学やクィア批評、ジェンダーをめぐる慎重にして優れた特集や論考は数多くあり、わたしたちはそれらを読み、議論に参加することができます。そして言うまでもなく、創作の動機のすべてが、正しさの追求にあるわけではありません。多くの場合は秩序よりも混沌を好み、決定よりも保留を好み、安定よりも動揺を好みます。

 

 では今回、文芸誌である早稲田文学の特集では何に特化し、集中するべきか。既視感に溢れる動機だと思われるかもしれませんが、「女性」というものと「書く」という表現がどのような関係にあるのか、またそれらはどのように読まれ、あるいは、読まれないのか。過去に、「女性が書く」あるいは「女性について書く」、「それらを読む」という行為においてどのような抑圧と解放と変化があったのか。「人間を書く」ということと「女性を書く」ことはどのようにおなじで、どのように違うのか、あるいは違わないのか。そして現在、女性の創作をめぐる状況はどのようにしてあるのか──それらをしっかりと形にし、記録したいと思いました。

 

 生きている人たちの、そして死んで今はいなくなってしまった人たちの、素晴らしい作品を掲載することができました。この特集のために、多くの素晴らしい書き手たちが新しい作品を寄せ、また再録を許可してくれました。ついこのあいだ生まれたばかりの作品、百年以上も前の作品、そしてそのあいだに書かれてきた多くの作品たち──この本を開いてくれた読者の「今」に、それらがいっせいに立ちあがるところを想像すればこみあげてくるこれを、わたしはまだ言葉にすることができません。この特集を読んでくれたあなたは、いったいどんなことを思うだろう。どんなことに疑問をもち、どんなことに興奮して、どんなことに首をかしげ、どんなことを愉しんで、そして夢中になってくれるだろう──この一冊が、現在の記録であるのと同時に、読んでくれた読者を──とりわけこれからを作ってゆく読者たちを勇気づけ、新たな問いかけの機会になることを、心から願っています。

 

「どうせそんなものだろう」、そう言ってあなたに蓋をしようとする人たちに、そして「まだそんなことを言っているのか」と笑いながら、あなたから背を向ける人たちに、どうか「これは一度きりのわたしの人生の、ほんとうの問題なのだ」と表明する勇気を。それが本当のところはいったいなんであるのかがついぞわからない仕組みになっている一度きりの「生」や「死」とおなじように、まだ誰にも知られていない「女性」があるはず。まだ語られていない「女性」があるはず。そして、言葉や物語が掬ってこなかった/こられなかった、声を発することもできずに生きている/生きてきた「女性」がいる。そしてそれらは同時に、「語られることのなかった、女性以外のものやできごと」を照らします。

 

 そこで本当は何が起きているの。

 あなたは、どこからきて、どこへいくの。

 ねえ、いまあなたは、なんて言ったの?

 

 いつもあまりに多くのことを見過ごして、そしてまちがってしまうわたしたちは、まだ何にも知らない。わたしたちは知りたい。わたしたちは書きたい。わたしたちは読みたい、目のまえにひろがっているこれらのすべてがいったいなんであるのかを、胸にこみあげてくるこれがなんであるのかを、そしてそれらを書いたり読んだりするこれらが、いったいなんであるのかを、知りたい──その欲望と努力の別名が、文学だと思うのです。

 

川上未映子

 

 

 

 

WasebunJyoseigou2

 

 


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