川上未映子

2015.02.27

たけロス、美登利の変化は何によるもの?


先日、わたしが手がけさせてもらった、樋口一葉「たけくらべ」、現代語訳が収録された日本文学全集の刊行を記念して、「東京大学で、一葉、漱石、鷗外を読む」が開催されました。お越しくださいましたみなさま、本当にありがとういました。

 とても寒かったのに、おかげさまで超満員、たくさんの立ち見が出るほどの盛況で、とてもうれしかったです。ありがとうございました。東大のあの教室、形も奥行きも広さもとても好きです。いいですよね。

  や、最近はあんまり緊張しなくなっていたのに、今回はものすごーく緊張しました。自分の作品じゃなくて、人の書いた作品を扱うからか、最初からどきどき、終わってもどきどき、という感じでした。夏の終わりからつづいていた「たけくらべ」の自分的には総決算、みたいな感じもあったからかしら、いちおうぜんぶ終わってしまって、なんだか気が抜けちゃって、たけロスの日々を送っております。

 

  当日は、「たけくらべ」の原文からすてきなところを抜粋してコピーしたものをみなさまにお配りして、おなじ箇所の現代語訳をわたしが読む、というかたちの朗読をしました。

 目では原文を楽しみ、耳から意味がするすると入ってきて、目と耳の両方で「たけくらべ」を味わう、というあんばいですね。

 朗読って、難しくって、わたしはあんまりしないのですが、今回は、みなさんにとても楽しんでもらえたみたいで、ほっとしています。よかった……。「おなじの、今度またやってください」というようなお誘いもさっそくあったりして、どこかでまた、こんなふうに「たけくらべ」の世界にふれることができたらいいな、と思っています。そして今回は、「たけくらべ」を未読の人もいらっしゃるよねということで、物語のすじを追いながらの朗読&講演、という感じだったのだけれど、いつか、「たけくらべ」の読書会みたいなのもしてみたい。このあいだは時間がなくてできなかった、細かいところまでを心ゆくまで話して念入りに入り込むような時間があればいいのにな……と夢想しています。読書会みたいな感じでやるには少人数でやらないといけなかったりもするし、まあ実現はなかなか難しいだろうけれど……。

 

 そして、池澤夏樹さん、紅野謙介さん、ポーランドの樋口一葉の研究者であるカーシャさん、そして司会進行をしてくださった沼野充義さんとのシンポジウム。それぞれの作品が生まれた背景とその関連、そこから私小説の成立と受容、そしてフィクション論……などなどみるみるうちに話は広がって、あっというまに時間がたってぜんぜん足りなかったですね。またこんな機会があるといいのになあ。

 

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そうだ、当日もちょっと話したけれど、美登利の変化については、「水揚げ説」はないと思っています。「検査場説」もちょっと無理があるなあ。だったら「初潮説」なのかといわれれば、必ずしもそうではないと思います。つまり、どれでもないんじゃないか思っています。

 水揚げ説の根拠のひとつに「花魁の妹で、ああいう界隈で育った女の子が初潮くらいで動じるかいな」というのがあるけれど、や、もちろんどんな環境であれ、初潮は驚くにも変化するにも充分な出来事だと思うけれど、少女の変化には何かしら身体的なきっかけが必須である、という思い込みはどうかしら。

 だいたい吉原の次のナンバーワンになることが約束されたような器量良し、しかも大籬である大黒屋を背負って立つことを期待されてる美登利の水揚げであれば、もっときちんと大々的に行われるはずだし、第一、明治の新しい公娼制度はもちろん、新吉原のルールの年齢にも達していません。まあ、ある種の伝統ってことで元吉原時代の裏ルールが適用された、ってことも完全にないとは言い切れないけれど、とにかく美登利の、いわゆるデビューとあらば相当な話題になることは必至で、しかし町も人々もそういう雰囲気ではありません。そして何よりもやっぱり、水揚げされたとするなら美登利にたいする母親の態度が不自然すぎると思います。さすがに水揚げされた娘の友だちに「いまにいつもの美登利に戻ります」とは言わないでしょう。「いまは中休みってところです」もおかしいです。

 じゃあ美登利の変化は何によるものかといえば、やっぱり、これからのことを言葉ではっきりと説明されたんだと思います。そこにもちろん初潮があってもよいのだけれど、そこに加えて、今後はいついつにこういうことをして、こうなって、あなたはこれこれこういう感じになっていくんですよ、と説明されたのじゃないかしら。何となくわかっていたかもしれないけれど、これまではやっぱり自分の外にあった「遊女の仕事」というものが美登利のなかでリアルに認識されたのではないかと思います。世の中にセックスというものが存在していると知ったときの驚愕だけでもすごいのに、どうじにそれを、まだ体験したこともないそれを仕事にして、これからさきの人生を生きてゆかねばならない、ほかの選択はないのだと知らされたら。美登利の変化は、こうしたことをはっきりと認識させられたことにあったじゃないかと思っています。