2010.07.22

事実関係について

小説家の津原泰水さんがご自身のサイトで、わたしのことを書かれていると教えていただきました。
それで読んでみると、端的に事実と違うことが書かれてあったので、ここで訂正しておきたく思います。

くわしくはリンク先の文章を読んでみてください。
その文章では「川上氏は尾崎翠の字も存在も知らなくて、おしえてあげた」というような内容があります。
津原さんもブログで仰ってるように現ユリイカ編集長(当時は編集長ではありませんでした)に紹介されたのですが、当然それははじめての詩「先端で、さすわさされるわそらええわ」が掲載された「ユリイカ」2005年11月号が出たあとになるはずで、はじめてお会いしたのは正確には2006年の4月のことです。

しかし、わたしは尾崎翠についてはこのブログの2005年3月の日記にアップしていますし、この内容はそこからさかのぼること1年以上前、月刊Songs2003年10月号(Songsサイトのバックナンバーの目次では、残念ながら2003年は載せていただけていませんが、尾崎翠の「第七官界彷徨」をもじった連載のタイトル「第九感界彷徨」が2004年からは確認できます。このタイトルによる連載開始は2003年8月号。)に発表したものなんです。これは津原さんにお会いする以前のことです。そこにも書いているように、そもそもわたしが尾崎翠を知ったのは二十歳前後のことなのです。まあお会いしたのは酒席でもあったことですし、人もいたし、おそらく津原さんはなにか聞き間違いをされたか記憶違いをなさっているのか、そのあたりのことはよくわかりませんけれども、これが事実ですので記しておきます。時系列をご確認ください。

それで、記事のしたのほうに、芥川賞についても言及されていますが、小説を書くと決めてもいなかった当時のわたしが津原さんに芥川賞について訊くはずもありませんし、そこに書かれている津原さんのことば──もちろん引用は控えますが、わたしの小説「乳と卵」を読んでくださった読者であれば、そんな単語はこの小説にただの一カ所も書かれていないことはおわかりくださるだろうと思います。そして「乳と卵」で扱った主題は、はじめての詩「先端で~」を書いたときから存在しているものですし、これも「先端で~」を読んでくださった読者であればおわかりになると思います。こんなことを書いたらいいなどと、誰かからご教示いただくようなものでもありません。
「乳と卵」と「先端で~」を読んでさえいれば、すぐにおかしいとわかるこのような話が出てくることに困惑しています。

そもそも、お会いして話をしたのは大勢の人をまじえて2006年の4月と夏の2度で、あとは編集者に誘われてサイン会でご挨拶したぐらいです。メールのやりとりは当時そこそこあったのですが、いつお会いしたのか確認するために4年も前のメールをひっくり返していたら、お会いする前の「ダ・ヴィンチ」2006年1月号にわたしが尾崎翠について寄稿していたことに津原さんが気付かれて、はじめてお会いした直後に感想のメールをくださっていたりと、尾崎翠にかんしてそういう経緯もあるのですが、いろいろ謎だったりします。うーん。わたしもすっかり忘れていましたから、津原さんも記憶違いをされているだけなのでしょう。


というわけで、津原さんに対してではなくて、あの文章を読んで誤解された読者の方に対して、あくまでも「事実関係」として、ここに記しておきたいと思います。以上です。


そして、新人賞選考委員、がんばります!


7.26追記
最初からわたしは津原さんと対話などするつもりは一切なく、読者の方に時系列を再確認していただくためだけにこの日記を書きましたので、読者のみなさまも津原さんのサイトにこの件で書き込みなどされずに、一切関わり合いを持たれませんように、できましたらよろしくお願いいたします。勝手なお願いで申し訳ございません。
この件は時系列だけがすべてで、対話などまったく必要ありません。

投稿:by 未映子 10:21 PM [第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

2005.08.18

小林秀雄 第九感界彷徨

理屈で語られることを拒否した「美しさそのもの」と、それでもその正体を明言したい「言葉」が最大限に密接するのはいつも、小林秀雄の目を抜け走らせるペンの先であった!
桜自身に桜の美しさを、ゴッホの絵自身にその美しさを、語らせることが出来るのです。今月号は、評論家、小林秀雄。


評論家という人はいったいどんな仕事をしているのかというと、
事象や物や、ま、自分の得意なもの追求するもの出来るものについて、めいっぱい語る、

しかもそれを生業としている以上は、そのへんの素人さんが感じる切り取る読み取る、そんな触手の強度繊細さではいかんのであって、
読み手をどきっと溜息つかせ、あらまこんな風にあなたはこれを理解して、まるで私の中にもう一個の感覚が芽生えたみたいだわ、へえ、あの人のあの作品はこんなだったのね、面白そうではないか、と、
目から鯨が飛び出すほどの、人々を感嘆の海へ突き落とさねばならないのであって、
評論家も受け手の一人に過ぎぬのに、私たち受け手と作品の乖離の聖域に、
わざわざ存在してるのはそういうことなんである。


小林の前にも後にも評論家なし、といわれたみたいで、言葉について、考え抜いた人である。
人々がよくいう「好き嫌い」について考え抜いた人である。

もちろん文章が美しい。読んでいくと説明もしたくなくなるような色彩の美しさを感じることもある。
そしてその色実を構成してる言葉の意味を追うと、こっちの感受性が求めてた輪郭が世にも美しい形でもって露見する。
小林秀雄の中には彼の美に対する、ぐっとくるところの、その宇宙大のルールがあって、ま、琴線ですよね、それをめぐる言葉の物語だわ。
そしてここが小林の最大の魅力、
ある作品について小林が語るとき、それはもう小林という概念を離れて、小林某が放つ言葉ではなく、作品が作品について自分を語った言葉として残るところなんである。
小林はいたこみたいなもんである。
作品に自らを語る言葉を与える、媒体なんである。
そしてその語り口の美しさったら、ない。


彼の処女作「様々なる意匠」の名文、


古来如何なる芸術家が普遍性などという怪物を狙ったか?彼らは例外なく固体を狙ったのである。あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語ろうと希ったのではない、ただ個々の真実を出来るだけ誠実に出来るだけ完全に語ろうと希っただけである


この小林の目が、私をどれだけ勇気付けたことか。
よし、お前は生きてる間は生きていってよろしい!と、声高らかに肯定された気分であった。
もちろんこの場合も、小林某に云われたというわけではなくて。


私は小林秀雄を好きですが、何が好きと問われても、そしたら好きとはまた違うんかなあとも思えてくる。
信頼してるのです。
小林秀雄は本を沢山書き、色々なところで色々な小説、作家自身、美術品、人生論、数え切れないほどを語り語らせ、
死んでいなくなった今もなんか何処かで、胸にぐっとくるものの正体を、じっと見詰め、そして言葉を連ね、静かに胸を焦がしてるに違いないと思うんである。


お前はそんなに美しいが、その美しさを身に湛えてるのはどんな気持ちがするものか
ちょっと俺に語ってくれよ、お前のその果てもない悲しみの生まれ育った風景を、
ちょっと俺に聞かせてくれよ。とまあ、そんな風にしているのではないかと思う。


このページ読んでくださり、なにか人に表現を伝えたいと願う人、小林秀雄、興味もたれた方は、是非。
短いから「様々なる意匠」読んでみて。


この文章は、ドレミ出版月刊Songsに連載中の「第九感界彷徨」からバックナンバーを加筆修正したものです。
冒頭のリード文も未映子が書いています。
ソングスには未映子の詩と絵も併せて掲載されていますので、ぜひご覧ください。


投稿:by 未映子 09:59 PM [書籍・雑誌, 第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

2005.07.20

中原中也 第九感界彷徨

ひとりの男の肺を突き破り伸びてきたのは暖にして冷、狂にして静の言葉の茎々であった。結ぶ実は悲しみを湛え、花弁は風と感嘆にためらう。悲しい悲しいって、一体何が、悲しいの。怒りでもなく喜びでもなく、詩人を詩人たらしめたのは、出自の明らかでない、純粋悲性であった。今月号は中原中也。


今回からわたしの好きな思い入れのある詩人や詩や絵や作家について、わたしの思うところ感じるところを話しつつ、言葉の魅力や表現の内部を想像したり夢想したり、ちょっと一緒に覗き見などできたらなあという気持ちで、やっていきたいと思ってます。
詩について、人が読み方とか感じ方とかを説明したりするのって、野暮というか、たいていが上手くいえないそこのところを味わうから詩なんだ、というまあ気になるところもあるけれど、とにかく。感覚のために使うものは感覚のみ、といった感じで。


初回は「中原中也」について。
中也は1907年に生まれて、1937年に死にました。30歳でした。
死因や生活については色んなところで書かれているので興味が出ましたら一度読んでみてください。文庫の後ろにも大体ちゃんとついています。
生きてる間に刊行されたのが「山羊の歌」、死ぬ直前に編集して死んだ後に出されたのが「在りし日の歌」という、たった二冊。定職にもつかず初めから自分の人生の仕事は詩を書くことなんじゃ、とわかっていたはずの中也に、なかなか世間は反応しなかったみたいで、一冊出すのにほんとにキツかったみたい。
ううむ。どんな才能もそれだけではどうにもならんくって、反射して初めて存在価値があるという、世界はいつもそういうつくりになってるみたいです。
でも中也に限らず、これだと魂で理解してるそういう芸術家は手を止めない。止められない。
だからそうやって全人生を賭した嘘のない作品、生き様に出会うと、時空を超えてこう、信頼できるわけです。否応なしに。

わたしと中也の詩との出会いは、中学の国語の教科書の中でした。
「ひとつのメルヘン」という蝶々が出てくる美しい河原を描いた幻想的な作品で、これが、ほんとに美しかった。
その当時は詩を読む機会もなかったし、ふうん詩って、センチメンタルなもの、ぐらいにしか思ってなかった中学生のわたしの心に、こう、さあーっと文字通り河原の水が、さらさら流れたんです。

それはすごく、幻想的で知的で不思議な体験で、
「詩ってすごいわ」って思った。

見たことない景色と、それを紙に書き記した中也の気持ちが、
厚かましいけど自分の思い出みたいに押し寄せて、熱い涙がほんとにじわりとにじみました。

それから文庫本を買ってひたすら読んだ。
この会ったこともない、そして今はもう生きてはいない男の人が、何を思って何を見つめ、何を恐れて何を愛して何をそんな忘れられないのか。それを全部知りたかった。

その頃に直感したのは、この人はほんとに悲しいんやわということ。
しかも自分でも、何がそんなに悲しいのかが分ってないんやなと思った。なんで自分は生まれてきたん?と同じくらいの答えのない悲しみが、生まれつきにあるんやなということ。

生きること、世界と自己、すべてが訳もなく悲しくて悲しくて、
それをもう自分でどうすることも出来んくて、
それで悲しいその核みたいなものを、「春」って云ってみたり「夜」って云ってみたり「これが僕の骨だ」って云ってみたり、
ずっと同じところで、ずっとずっと悲しんでるんやわ、って思った。

自分の中の得体の知れないものを掴んで、お前は一体誰なんやと、延々と問いただし疲れては抱きしめ突き放してはまた戦う、

その表現の根拠は、表現というものを考え始めた十代の私に、大きな呪いというか、約束というか、
巨大な儚さ、あきらめと永劫に続くイメージを、残しました。

中也の詩によって、
私の感受性の中の何かが大きく決定づけられた感触を今でもよく覚えています。


中也の詩は、
春や夜や青や過ぎてゆくもの、悲しみで満ち満ちています。
以下引用。


雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだか、はるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示かせない……

 
かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(春宵感嘆)


や、この詩のタイトル、
「春宵感嘆」、「春宵感懐」、「春宵感慨」、などなどあるみたいですけど、
私の本では感懐で、私の好みは以前読んだ感嘆でして、これでは69歳と70歳ぐらい違うえらい違いで、
中也は本を作るときにも余白の量、文字の細々した指示、あんなに細かだったのに、
しかもタイトル、現世のこの曖昧なこの感じ、聞いたら癇癪起こして倒れそう。


・・・
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです

(春の夕暮れ)


是非読んで見てください。
言葉にならぬところだけを言葉で実践しようとしています。
気持ちを書くというのは、そういうことです。

春の夜みたいに、青い闇みたいに、中也が語りかけてきます。


さて今回のわたしの詩は、わたしの夕暮れを切り取りました。
しるし、という言葉はわたしの中で特別な響きがあります。運命、吉兆、無常。わたしはどうしようもない悲しみに捉えられて告白し続ける人が好きです。
絵は、暗闇にも善きものはあるということです。

この文章は、ドレミ出版月刊Songsに連載中の「第九感界彷徨」からバックナンバーを加筆修正したものです。
冒頭のリード文も未映子が書いています。
ソングスには未映子の詩と絵も併せて掲載されていますので、ぜひご覧ください。
※月刊Songsの連載は終了しました。


投稿:by 未映子 06:29 PM [書籍・雑誌, 第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

2005.04.19

倉橋由美子 第九感界彷徨

活字が金属製に見えてくるのよね。頁を繰る指が冷たいのよね。謎めく文体の左脳、響震する細部。水銀の悲性に静まり返る、ストイックであるということの恐ろしさ。今月号は倉橋由美子。

 えー、倉橋由美子。倉橋由美子先生。漫画家の方ではありません。倉橋由美子。
 この五つの漢字の並びに皆様方はいったい何を感じ取られるか。倉橋由美子。しつこい?もう一回、倉橋由美子。

 わたしは倉橋由美子、というこの記号に、高級コンパスとか高級定規セット、正しく図面を広げるための無機質な銀色で統一された冷たい道具一覧、それでいて軽やか。そんなものを受け取ります。

 倉橋由美子、1935年高知県生まれ。明治大学文学部でフランス文学専攻。学長賞に応募した「パルタイ」で受賞、まあこれがいわゆるデビュー。
 
 パルタイをわたしが初めて読んだのが17歳の夏、気持ちの悪い小説であった。
 気持ちの悪いというのは読後感。そこには何にもないのである。感動も感心も、一度ではこちらの常識的な感受性がてんで反応しないのである。
 それでもう一回読む。無理。この小説の目的がまるでてんでわからないのである。
 わからない、とはどういうことか。言葉にできないということである。
 わからないものは放っておけばいいものを、まるで無視なぞできぬわからなさに、わたしの知的・感覚好奇心は誘われ続けてはや10年。なんでか知らんが受け入れた、ならば人は理解したいのである。
 ああ一切の虚構!出来ない相談とはわかっていても、わたしは倉橋由美子の世界を理解したい!
 
 わたしの初パルタイ体験が17歳。倉橋氏がパルタイを執筆していた年齢になるか。恐ろしいね。
 「パルタイ」という小説において、そのあらすじを説明することには何の意味もない。
 当時の若い共産革命主義者たちの「パルタイ」という組織との「意識」の物語である。
 内容、物語、小説を作る要素すべてのものに先立って、文体。文体こそが目的。文体を鍛え上げることにおいて絶対的なのである。
 物語の徹底的追放。懐かしさや思い出なんてもの何処にも見当たらない。
 「思いが・・・」とかそういうの、ないの。どうよ。読んでみたくない?その出発点が「パルタイ」。
 
 全集の巻末に添えられている倉橋氏のパルタイについての物言いに、彼女の創造感覚が見事に表現されているので、引用。
 
≪例えば一方に観念的な左翼を哂いたい気持ちがあり、他方にカフカ風の話をカミユの文体で書いてみれば面白いだろうという興味があり、今一つ、賞金稼ぎの欲があれば、「パルタイ」のような小説を書いて投稿する気持ちになる≫

 どうよ。10代の、物を書く動機としてこれよ。
 それまで小説の「良識」としてあった、テーマ・思想・人生体験・教訓・真理、小説が扱うべき、または扱うべきとされていた、まあ感情とかリアルとか、まあ情ものっていうか、物語よね、それらに対して叩き付けられた倉橋氏の「否」が、今日に至る倉橋作品の動脈なわけよ。文体がすべて。

 これは乱暴かも知らんが音楽にもいえることで、もちろんわたしは感心よりも感動を求める性質ではある。
 的確なピッチ使いよりも歌総体としての震えを求める人間ではある。
 でもな、その一音を、その的確な一音を出すために為され続けてきた努力、賭けてきた時間、そういう事実に支えられて出す的確な一音というものがある。
 その一音を出すためだけの努力に、我々は人間の仕事に対する「姿勢」を見、そして震えるのである。
 歌手でいうところの声の構築は倉橋氏にとっての文体の構築、その貫かれた修行の潔白さに息が止る。
 掴めどそんなものもともとない、それでいて機械的物哀しさが蔓延している。自己憐憫では決してない、水銀のような純粋悲性がきらめいている。
 わたしは、虚構・架空、金属製の騙し絵のような倉橋作品のとりこであります。

さて今回の絵はなんでしょうか。わたしは毎日夢を、みるのです。


この文章は、ドレミ出版月刊ソングスに連載中の「第九感界彷徨」からバックナンバーを加筆修正したものです。
ソングスには未映子の詩と絵も併せて掲載されていますので、ぜひご覧ください。

2005.06.14 倉橋由美子、その死と永劫完成も読んでみてください。


投稿:by 未映子 05:59 PM [書籍・雑誌, 第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.05

尾崎翠 第九感界彷徨

夢が夢であるための条件、少女が少女であるための。小さな胸の第七官界は遥けき恒星の営みをも掬いとる。今夜すべての苔は恋をする、今月号は尾崎翠。

 先月号が中原中也だったので、今回は誰にしようか何にしようか、ちょっと迷っていましたが、尾崎翠。尾崎翠のこと、っていうか「第七官界彷徨」についても、ちょっと。
 尾崎翠は1896年に生まれて1971年に亡くなりました。鳥取県生まれで、後に上京して文学活動を始めました。
 それまでの、いわゆる自然主義と呼ばれる、ありのままをありのままに表現したり書き写したりする文学の傾向に「つまらな〜い」と感じたのかどうかは定かじゃないけれど、まあ自分の感覚に忠実に、記憶、体験、実感、映画や音楽や演劇や色彩など、もうとにかく自分の感覚が反応するところ、それらを見事に織り上げ、夢見る夢子でどこが悪いのよと言わんばかりに、幻想的で、ユーモアたっぷりの彼女独特の世界を作り上げていきました。
 そしてばりばり小説を書いていくんですけれども、まだ若い時分に頭痛薬の飲みすぎで中毒になってしまって苦しんで苦しんで恋人と別れて鳥取へ帰ります。
 そこからはもう書かなかった。書けなかったのか。
 その後の生活は戦後を逞しく生きたという説もあれば、やはり病でぼろぼろになり、独り寂しく雑巾を縫っては売り歩いて寂しい晩年を送ったという説もありますが、後者がよく伝えられるところではあります。
 兎にも角にも、彼女にとって、波乱万丈な人生であったことは確かなようです。

 わたしが初めて尾崎翠の作品に出会ったのは、二十歳の頃で、本を読んでると何処にでも行けるし何にでもなれるし生きてる人と話すのとは違う潔さがあるしで、音楽よりも何よりも本当に本をよく読んでいました。
 活字を追っている間だけは自分から離れてられるし、頁を開けばいつでもそこに、その大好きな世界がわたしを待っていてくれるわけで、夢中になって病み付きになるのは当然のことで。
 そんな中、十代もやれやれ終わって、毎日毎日なんじゃあ、てな時に、本屋で尾崎翠の「第七官界彷徨」に出会ったわけです。
 
 まずこのタイトルですよ。どうですか。これは唸った。初めて目にした人も唸るところです。
 「第七官界彷徨」。このタイトルの吸引力については色々なところで色々な人が体験談や素晴らしさを語っていますが、多聞に漏れず、わたしもタイトルにやられたクチです。
 何よ、何処よ、第七官界って、ってな感じで。どきどきですよ。ちくま文庫で出てる集成がお手ごろで他のも併せて読めて鞄にそっと忍ばせておけるし、尾崎翠世界的にナイスです。
 
 わたしは、小説「第七官界彷徨」が手放しで大好きなのです。町子ちゃんという詩人を夢見る女の子が主人公で、従兄弟たちとのめくるめく共同生活の日々の物語です。
 ストーリーのニュアンスや登場人物の面白みは実際読んでもらわないとなかなか伝えきれんけど、何がわたしにとって大きな魅力かっていうと、町子は無論のこと従兄弟たちも筋金入りの感覚少女で、そして永遠の少女なわけ。たまらん。
 従兄弟たちは苔を栽培したりコミック・オペラを作曲したり町子は自分の縮れ毛に思案したり。そんな彼らの会話や論争がたまらなく面白いの。
 ときどき間が抜けてて、ときどきはっとする。「恋愛」もこの小説の大切なテーマなんだけど、人間は片思いや失恋ばっかで結局ここで「恋愛」に成功するのは苔だけ、という、これだけでもなんかそわそわするでしょ?
 尾崎翠の小説が、少女趣味的世界であって同時に何故一流なのかというと、単純に文章が上手い。それも極上に上手いのと、戦前から映画に親しんできたせいか、視点が抜群に面白い。
 カメラワークっていうの?情景を喚起させる能力がズバ抜けてる。漫画と詩と映画と小説と写真を同時に観る感じがいつもする。
 町子が云う台詞、
 
「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう」

この台詞はほんとに長くわたしの頭の中に残っていて、このわたしの連載とタイトルは、この作品へのオマージュでもあります。
 「第七官界」が結局薬局何かというのは、読んだ後にきっと自分だけの感覚で感じるはず。他の短編も是非に!
 
 さて今回のわたしの絵と詩は、人生で自分で選んだり決定したり出来ることっていうのは、実は絶望的にほんとに少ないということで。絵は、勝手に騒ぐ、ヘモグロビン。


この文章は、ドレミ楽譜出版社『月刊Songs』に連載中の「第九感界彷徨」からバックナンバーを加筆修正したものです。
月刊ソングスには未映子の詩と絵も併せて掲載されていますので、ぜひご覧ください。
※月刊ソングスの連載は終了しました。

投稿:by 未映子 09:59 PM [書籍・雑誌, 第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

 


純粋悲性批判