2008.04.02

春の嵐で収録など

Takekuma 写真は竹熊健太郎さんとわたし…。放送日が決まったらまた連絡しますが今日はテレビの収録でした。(竹熊さんの「篦棒な人々」、文庫本に帯文を書かせていただきました!)写真きらいな人もいるだろうし、色々迷惑かも…とか色々含め、それでも「一緒に写真撮ってもらえますか」とかミーハー根性丸出しでお願いしたのなんていつぶり?って思うにたぶん中学校の卒業式に好きだった男の子以来だよ!(しかも初対面で。しかもヘアメイクのミガンまで調子に乗ってリクエストしてわたしより接近してなかなかいい笑顔な始末…)

 三軒茶屋の交差点、去り行く竹熊さんの背中をミガンとふたり、お姿が消えるまで見つめていました。振り返れ!振り返って!お願い!とか暴風のなか、二人でエイエイ!と念じていたけれど(もし振り返ったらなぜか敬礼する所存だった)竹熊さんは振り返ることはなく、そのあとも竹熊さんの話で大盛り。ああ緊張した。そして楽しかった。時間が足りんかった。また今度お目にかかりたい。そんな余韻をかみ締めながら今からお風呂に入ってそれから原稿。誰が原稿。わたしが原稿。まじで?まじで。うひー。

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2005.10.20

フィヨルドを挿入

新宿に色々なものを買いに行って、新宿はなんか人が多くてさ、すごいもう、
人が全体に四角くなってるわけ、そしてそのうちの私も一個の四角であるわけよ、みんな徹底的に四角よのう、なはんて思いながらてくてく歩いてさ、歩いてなんか買い物をしたわけ。
買い物ってゆってもあれ、色気のあるものじゃなくてなんか必要なものを紙に書いてあれするああいう買い物なー。

新宿で買い物終り、車に乗ろうとして大きな道に出る時に、
「愛のコンビニ」という店を見つけ、ふらりと入る。
何のことはない普通のアダルトショップなのであったが綺麗で品物が多く、スタッフがてきぱきとし、それでいてスカすことなく、大きなテレビにはなんか猪木の勇姿が映し出され、棚にはそれぞれのグッズの用途もわかりやすーく表示されてて、へー。
色々検分してみる。
色とりどりのビョーンやボーン、クルッとなってこうなってるよーな、
色々なものがぞくぞく陳列されていて、その中でも、その店が全精力かけて売り出してる感ばりばりの、とゆーことは売れてるんであろーか、
なんちゅうの、名前忘れた、や、男性用の、なんちゅうの、どこまでも白い器具、
フィヨルド地形めいてて、
しかもほんまに大量にぶらさがってあった。店内それ一色。激プッシュ。

解説を読むと男性のお尻につるんと入れると書いてあった。
なんかもーそれを入れるともーすんごいことになるらしいのよ男子が。でもってケッコー芸術的な形してて私はじっとみてしまった。グエル公園の手すりみたいな、あれがこう当たってこうなって、…鶴のよーな寄生獣のミギーのよーな。
裏には、すんごく丁寧に男性ご自身でそれをソツなく使う方法が書かれてあって、私はその文章のキメ細やかさに不覚にもぐっときた。文章が、うまいやんけ。
丁寧や。やさしいわ。臨場感を演出しつつ、わかりやすく、女の私が読んでもへーとなる。ほうほう。私が男子なら躊躇してても「や、やってみるか」って思えるよーな、ほんとに安心させてくれる確実な文章であった。
値段は一万円ぐらいやったが、この値段もなんか、説得力あるのー。買うよなー私が男子やったら。

なーなー。世の中の男性諸君はあのフィヨルドを使っておるのだろうか。
うーむ。自分でやるのだろーか。彼女にしてもらうのだろーか。どっちなんだろーか。や、でも彼氏がそういうの持ってきたら最高よね。そういう男の人って最高にいいと思う。でもって世の中のカップルたちがそのフィヨルドを持って、「お互いをすごく気持ちよくさせたい」という目的へ向かって愛し合うのはなんと平和でなんと素敵なことだろーかと思いながら私はなんかへへへーなんて思ってしまったのだ。

平和やのー。セックスって平和やのー。裸でお互いが見つめ合ってさ、お互いのなんかを満たす行為を、我々当たり前に行ってはいるが、
よくよく考えたらものすんごく、素敵なことやなー。私はセックスを毎日でもしたい。


んでもって階段を下りるところに「銀杏BOYZのドラムさんのサイン」があって、フィヨルドを買ったわけではないんでしょうが、
「当店にてお買い物していただきました、とても好青年でした」ってお店の人のコメントが書いてあってなんか、良かったぜ。

投稿:by 未映子 10:29 PM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.24

あほらしやの鐘が鳴り、ます?

皆さんクリスマスらしいわよ。らしいわね。らしいよね。渋谷の街はえらいことになってるんですの?錦糸町は?蒲生4丁目は?どうですの?誰かぷちぷち踏み潰されるんじゃないかしら?犬は歩いてるんかしら?心配。黒いブーツ履いてる女子の数は。どうですの?ジャパンの皆んな、ガールズアンドボーイズ、諸人こぞってどこへ行くとゆうのだよ。何がそんなに楽しいの?正直にわたしに教えてちょ。いやんいやん、や、別に何もいやくないけど。クリスマス、なんか美味しいものをお食べになってカチンカチン、なんか浮かれちゃうんだわね。全然悪いことじゃないわ、浮かれて接触、なんか諸々おめでとう。

クリスマス、キリスト教、大晦日、仏教、お正月、神道?
ようわからんが、わたし、正直云って楽しみ方がわからんのだわ。子供の頃はやれ障子の張替えだわ買出しだわなんだわ喧嘩だわ泣くだわせつないだわ家族がなんか家族であるだわ、そういうの、放棄できなかったが放棄できなかったから鬱陶しいものなのであった、選択権は子供にはなかったのだわ。なんて今身軽。なんて感動的で溜息。なんて死ぬ直前ではないが走馬灯が。なんて今誰も何も云わない。なんてなんてなんて?でもこんなのはちっとも自由なんかではないのだ。自由なんていらんのじゃ。そんなもんはただの言葉じゃ。言葉なんか紙に書いて机に貼っとけ。や、別に貼らんでも全然いいです。んで寝てまえ。や、まだ早いよね。ああん、もう、いろんなことがどよっと押し寄せて、関節がいたいのだ。風邪の予感。みえちんはもう、わたしはもう、白だろうが雪だろうが12月だろうがもう、どよっとぶるんとお疲れ様でした。

投稿:by 未映子 07:44 PM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.08

外へ中への大合唱。

わたしは今からシャワー姫。シャワー姫ですの。
お風呂につかるパワーがないのでシャワーを浴びるだけでよろしいのです。
髪の毛を洗い髪の毛を洗い、体を洗い、全体に皮膚をふやかすのであります。
するとどうでしょう!別に何にも変わりません。


この季節、この時刻にもなれば部屋は西日で溢れるのですよ。
皆さんご機嫌いかが。さては仕事をなさっているですね?ずるいずるい!
昨日わたし、実にしあわせなのだと嬉々として連呼したが、負けそう!や、まだ大丈夫。わたしはあの充足感を絶対に、断固として錯覚とは認めません。認めたら死ぬる勢い。


次の曼荼羅でのライブは、「私の為に生まれてきたんじゃないなら」という新曲を歌おうと思っています。どうなんこれ。この歌。
デモを作ってるときに、歌詞の内容の、あまりの身勝手さ幼稚さに、最後の歌詞のとこで、ギター弾いてくれる高橋くんも私もやっぱ噴出してしまってやれん、どうにもこうにも面白い曲であります。
まあ、本格的に録音、なんてこと、このような、本当に真に自分にしか受けない自己満足の曲は、大人たちはなかなか認めてはくれないのであって、まあ認められても困るところはあるが、まあ、個人的にこれはこれはと思えるものを、まあ皆さんにもお聞かせしたいのは心情なのですが、まあ社会と契約、常に問題はそこであります。そして様々なこと、納得させるのも私であります。


私、嫌いな個人はいない等しいが、苦手な人の質というのがある。非常にある。
ネガティブな言葉を使う人。崩落とか全滅とか終わりとかそういう、なんかそういう言葉で以って、なんか脅かすというか、なんかそういう種類の人。なんでか妙に威圧的な人。あんまり居てないけど、威圧的な人。

そういう人は、女子はともかく、男子で高圧・威圧的な態度を(言葉でもね)とって人と接する人は、総じて頭が悪い模様。視野が狭いんである。人を動かす能力が皆無なのである。そういう人も文体も嫌い嫌い。大嫌い。
苦手なんかじゃまったくない、ほんまに大嫌い。きゃーっとなって虫唾が走るくらい大嫌いだ。男子でそういう人って、もう、なんというか、無理。わたしの人生にまったく必要がない。どれくらいないかっていうとわたしにとって草間ヤヨイ(漢字変換が出来ん)の水玉くらいない。


男子は優しくなければ、ならない。のだよ。受け止めなければ、ならない。のです。わたし脳ミソにファッキン糞フェミニスト女子擁護意識的に平等なんたら的考えがまったくないので、平気で「男子は〜」とか「女子は〜」とかガンガン使います。だって違うもの、明らかに男子と女子は違うもの。男子は、ほんとうに怒ったりせず、優しくなければならない。怒るときは静かに怒ればいいのです。優しく優しく。


あ、相手の女性を愛しているならということね。向き合ってる人間にはということだ。
向き合ってない女子にいい顔をするのはそれは単なる八方美人だ。優しいのとはまったく違う。八方美人というのは、知ってる?一番人間と向き合ってない状態のことを云うのだよ。翻り、無関心な癖に表面を取り繕っているという、一番人を嘗めている状態のことを云う。優しさというのは理解しようとすることだ。受け止めてあげようと思うことだ。そして相手が悲しむようなことを、絶対絶対、しないことだ。


でも、ま。
わたしが、「こいつは人の気持ちがわかってない」とある人に対して思ったとしても、
向こうも「こいつは人の気持ちのわからぬ奴め」と間違いなく思ってるのでしょうから、
そういう二人は、気があわぬのですから、簡潔に、話をしなければいいのです。


わたしは眼科に行き、処方箋をもらい、それで新たなコンタクトレンズをもらうだけのことが、出来ぬ。
こんなわたしは生きているのかしら、死んでいるのかしら。
生理2日目。お腹が痛い。何もかもを、この部屋の何もかもを炸裂させてしまいたい欲求。でも面倒なんでやめ。
片付けないと、あかんもん。そんなん無理。あ、比べることが出来てる。


わたし、最近、すごい毎日、人を殴り続ける夢をばっか見てる。謝ってごめんすみません許して〜とか親しい人も、土下座で懇願してるのに、わたし、殴りやまず階段から突き落としたりするのだ。で、殴り続けているのだ。恐ろしい。自分が恐ろしいのです。なんなんこの夢連。起きてもぐったり疲れてるのだ。しんどい。


お湯を出すぞ。くるっとひねって、お湯を出すのだ。
そして服を脱いで、とにかく湯気の中に、移動する。
ほんでもうずっとそこにおりたいわ。って無理。


投稿:by 未映子 03:59 PM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.07

冷蔵庫を買ってもらうのだ

相変わらず机の上は散らかっているのですが、
いったい散らかっていない机などというものが存在するのかどうかも怪しいものであって、そんなのはなんか、なんか冷蔵庫みたいだわ、冷たい冷たい物云わぬ冷蔵庫みたいやわ、思わん?冷蔵庫みたいに、わたし大嫌いだ、寒々として文字もない、メロディもない、ネギとか小瓶、卵の食物の霊安室だわ。
でもそれはわたしの家のこの、これ、この冷蔵庫に限るのであって、大きな家の大きな家族の、幾つもの胃に収まるであろう大きな様々な細々としてもよし、食物は愛に、愛のようなものの洗礼をひっそりと受けたかどうかは知らんが、まあ、ほっこりとしていて、いい。
わたしは人の家の冷蔵庫の中を見るのがすき。安心する。嬉しくなるわ。


色々な書類が山積し、わたし、何にも手をつけていないのよ。
社会と契約して生きるとなればもう色々な契約があるってもんで、面倒だわ。
やっと、公共料金を特定の口座から引き落とす手続きをしたのが夏のことで、それだってすごく大変だった。なんか、わたしは色々最近、友人にきくと、保険とかに入ってるとか積み立て預金をしていると云ってた。預金はともかくよ、保険に入って、とか、そういうのは誰から学ぶのか。
わたし、未だに飛行機の切符が買えぬ。でも、もう一人の仲良しミエコ(また詳細は書きます、ヘアメイクの大阪からの友人)に頑張ればわたしにも出来るといわれた。
切符はさておき、保険とかなんか、保険、そういうことがどれ良しあれ悪し、くんくん判る、すごいことだと思う。例えば名義。名義という言葉がわたしはすごく嫌い。ぞっとする。あ、「ぞっとする」、ということを、時々「ぞっとしない」って書く人いるけどあれはなに?意味は同じ?


結婚をして、実際何ら変わらなくともある面では妻になり、子供の母親になり、おしめを変えることは大変だ。それが毎日続くのはもっと大変だ。大変だと云っていた。でも幸せなんだって、とけそうな顔で云えるのは本当によい事だ。


これを読んでらっしゃる方々の強迫観念はなにかしら。何をしてると呼吸が荒くなりますか?
冴えない毎日は恐ろしいか?お金があると、いいんでしょうか。なんでみな、わたしも含め、単に生きてゆくだけのこのこういうことに、こうも悩むのだろうか。それは向上心かしら。ないものねだりであろうか。
石がころっとあるように、なんでか風が吹くように、もうすべてうっちゃって、努力をし、我々人類も、目をつむり耳をふさいだら、世界は思ったより何にもないんではないだろうか実際。変化を恐れるな、とはよくいうが、実際変化なんてもの、そうそうないものであって。

でも最近わたしはしあわせなのです。
目もあけてるし耳も開いてはいるけれど、わたし、しあわせなんですのよ。すげいしあわせなんですのよ。しあわせ、と打ち慣れてないので妙な違和感がありますが、すげいしあわせ。なにがしあわせ、なんかがしあわせをわたしに主張しているのです、わたしのなんかが。


今までは、しあわせを強烈に感じたことがあっても、暗い影、および終末思想が付き付き、生は苦である納得観念、それしかなかったのですが、纏っていたのですが、今は、そんなことがないのです。すんげいことだ。

つってもそんなこと今の気分などは当てにはなりませんが、12月は良い月であります。
わたしのアタリ月であります。人間のこういうような気持ち、充足感は、きっと魔法のようなものであります。誰が誰にかけるかは知らんが、魔法なのであります。
いわゆるこんな人生の一切合財は、宇宙の塵のチンダル現象、きらっと光る、その瞬きであることは承知してますが様々な世界は同時に多様に存在するのであります。
わたしは、「人知」をあまり当てにせず、生きてゆこうと思います。思いました。わたしにとって何が大切。わたしには、それが、ちょとづつ、わかってきたぞ。


「今朝本気で死んでしまいたいと思っていたのに夕ご飯、君と何食べようか、迷ってる」。
というこの心性は、軟弱であるかも知らぬが、これもまた真実であります。


わたしは結婚したら、すんごい大きな冷蔵庫を、買ってもらうのだ。
でっかい白い冷蔵庫を、買ってもらうのだ。

投稿:by 未映子 10:14 PM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.11.17

契りを交わす

曲をたくさんつくり、歌詞を書き、
わたしは色々と、愛とはなにか、とか色々キヨミと言葉遊びではなく、
最近は身につまされる出来事もあり、
もう頭の中は「りぼん」から「ヤング・ユー」、
ああ、人って私って、皆んなって。


誰とでも、自分の気分で都合でノリで生物学的に肉体の関係を簡単に持つことが出来てしまう、
この時代のこの男女のシンプルな仕組みがあるからこそ、
「愛している」などという気持ちを持って、それを知って欲しいと思える相手、
大事な相手とこそ、その相手とだけ、
愛情と行為の交歓を、
すべきではないか。
何年経っても、そう思いたいのである。


回りくどい云い方にヘキエキだわ。


これはわたしの間抜けなロマンチシズムか。


とにもかくにも、
わたしは今色々やっています。

曲を書いております。
皆さんどうしていますか。

投稿:by 未映子 01:13 PM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.10.28

最高の口説き文句ですってよ

馬鹿馬鹿しいほどの青天、一発変換が何故青い天になるのかはどうでもよいとして、晴天、まったく馬鹿にされてるのではないだろうか。ないだろうか。や、実際馬鹿にされているのだよ。誰に。何に。や、多分、摂理に。見よ、空が光っている。断然燦然と輝き、小部屋でこの小さな体を持ち息を吸ったり吐いたりしているわたしを馬鹿にしているのだよ。「いるのだよ」ってなに。今寝起きなの。寝起きにぱちゃぱちゃキー入力してるのだよ。のだよ。ああんもう、わたしステーキ食べたい。モーニングステーキで200グラムとか食べたい。猛烈に食べたい。ぎゅっとしてぐっとくるやつ。わたし本当に肉好き。本当に肉好き。毎日焼肉でも全然結構。胃もたれなんかないもんね。


昨日はキヨミと同居の決め事を作った。
キヨミがいつまで東京に居るかは本人にも謎であろうが、今はのってる感じなので、一応取り決めを作ったのである。

光熱費一切は半分づっこ。
消耗品はいちいち割りかんなど鬱陶しいので、相手を思いやる気持ちを忘れず、暗黙の交代制。
基本的には友達を招かない。その時のムードで我々死んだりするからね、人が鬱陶しくて。よって互いがよく知る旧知の友人、しかも二人のテンションがいい時に限り。
そして男性は入れない。入れないように。決して入れないように。
家帰って知らない男が居たらブルーでしょう。即座に喧嘩になる意志と可能性しかない。

で、云いたいことは腹に溜めず、でも面と向かって云うとなると、そういう気分ではないときもあるので、メールに書くということになった。そしてメールによって送られた苦情、感謝の念、独白、色々諸々の内容のことは、絶対に普段口にしないこと。これが重要である。メールで罵詈雑言を書き立てた後、相手がそれを読んだにしても表向きはスルー。スルーなのよ。飽くまでメールだけにするのである。

今、「たむいたむい~きよちゃんたむい~」
といいながらキヨミが風呂から出てきた。

あ、キヨミへ変態なのよ。
すっごい変態なのよ。ごめんけど。まじごめんけど。変態って変態。ノットノーマル。や、でも頭の中って皆そうよね。そうに違いない。本当にあの人にやりたいことを云ってみろ!ほんとにあの人してほしいことを云ってみな!我々は非常に正直なだけなのであるよ。わたし普段考えることなんか例えばここに書いたりラジオで喋ったりしたら抹殺されますからね、人々の恥じらいと良識に。ちょっとだけ云うとわたし台本書きますからね。そんなこんなでキヨミとは高校一年から一緒にいるけど、最近知った、この女の嗜好。なんか微妙。いつの間にあんたはという感じ。それマジで、という感じ。

や、その内容をここに書き並べることは関係者に多大なる迷惑を掛け、名誉毀損などで訴える術を知らぬ人々ではあってもわたし間違いなく恨まれるのであって、なんせ他人の話でオモロくてほんと勿体無いのではあるが、潔く断念したいと思う。

一昨日の夜、ある変態行為について、見解を確認しあったのであるが、それがわたし大変に勉強になり、にんげんっていろいろなんだなあって溜息つきました。行為よりも心情に。単なる行為なんて全然面白くもなんともないですからね。その行為があなたの気持ちのどこに響くの!なんでそれが愛の証明になるの!なんでそんなことに感動するの!

や、でも所謂変態的嗜好に寄った方々も、所謂ノーマルと云われる方々も、正直に晒したらばその比率は半々なのかも。や、でもあれは。すいません、わたしには無理す。

昨日夜テレビ見てて、
心理学者たちが考える「最高の口説き文句」というのをやってて、たくさんの心理学者たちが会議であれこれ話し合って自説学説から言葉を選んで口説き文句を作ってくのね、で、心理学者の皆さんが考える最高の口説き文句というのが、

「来年のこの日も、ふたりで一緒に、笑っていよう」

らしいっすよ、どうよこれ。なんだそれ。りぼん・なかよし級で単にがっかり。
でもこれには色々人間の心理のいいところを突くエッセンスがひたひたに溢れているらしいのですよ。どう、口に出して云ってみて。誰かに云ってもらってみて。でもどうなん。ぐっとくる?くる?まあ色々説明してたけどね。まあ不満。激しく不満。でもこういうものなのかもね。マスっていうのは。とかマスであるわたしが云ってみる。うふふ。

あ、でも最近口説き口説かれのハウツーを耳にする機会が結構あって、面白いのもなんこかあったので、今度はそれを、覚えてたら書きます。なるほど、と思うのもあった。秋ですしね。なんかいいやん、オータムななんか。ちゅうとかなんか。抱きしめしめられとか。いいよね、耳がしんとして、いいわ。関係が始る前の関係ってよくない?めっさすき。一回きりになるかも、でも続くかも、みたいなのよ。

オータムななんとか、とか云いながら今日は部屋に篭ってしなければいけないことが色々あるのよ。
地獄。生きて出れるかしら。大げさやわ。や、でも大げさ上等。君だけは大げさに生きて行ってくれ誰か。
それにしても出来るのかしら。わたしは出来るのかしら。

投稿:by 未映子 11:13 AM [恋愛] | 固定リンク | トラックバック

2004.09.29

帰京

疲れて新幹線。いや、そんなに疲れてなくても新幹線に乗って。乗ってた。
シートの後ろから足の先がごんごんとあたるんでしょうけど、ちょうどその振動はわたしの胃の真裏で、
そういうのにわたしは瞬時にほんとにかっとしてしまうので、すごく苛苛とし、またもやぼんぼんと後ろの男が隣の女と笑うたびにぼんぼん、わたしは身を後ろへ乗り出し「あたる、足」放ちしばらく見やった、そしたらなんかわたしが非常にならず者というか心狭き者のような体でもってさ、いくつもの視線は厭な感じだった、確かに堪え性の無いのは事実、少し憂鬱になれば俯くことも苦しい、新幹線は途中で降りることがなかなか出来ない造りというか目的になってるから、苦手、点滴と良く似ていて苦手、すごく苦しい、苦しくて苦しくて息切れがする、こまかみがきゅっきゅと軋んでいいとなる、わあ、といって窓ガラスを叩いてしまいたい気持ちになる、でも叩いたところで何がどうなるわけでもないので頭の中でわたしは叩くので、そうすると窓際の男性が、「そうでしょうそうでしょう私の分までめいっぱいとことん叩いてください」と云う、わたしはあらほんとうにほんとうにありがとうと云って、目的を持たぬ衝動、ああそんなことをいつまで云うのかやればしんやればしんと手首を分厚いガラスにぶつけてゆくのである、無論ガラスの勝ち、手首はいつもこんな調子で青くゆるやかに腫れ上がる、最近は、特に夢見が悪くてかなん、最悪の時期のよう、泣いてばっと起きて非常に苦しい、苦しくて苦しくて起きてもあんまり区別がつかんから濃いさ増えた苦しさとああもうが膨張してからだの感覚は実際的になってきて、大変、恋人と眠っていた時にも怖い夢ばかりみていて人によって対処の仕方が違うので寂しい思いを余計にすることにもなったり、けれども小さな子供が羨ましい、泣けども理由を聞かれても答える術がないというのは両者納得の上で泣くやむまで抱いていて貰えるのであるから、こんないいことってない、省みるものがなくてよろしい、わたしは羨ましい、小さな甥が夜中怖い夢を見たといって泣き出し母親である姉はママがいるから大丈夫もう泣かんでだいじょうぶとこちらが泣きたくなるくらいの慈愛が零れだすような声と包容力でもって抱きしめていた揺らしてした、わたしは寝転がって眠れぬ体を暗闇にごろごろとしてえを見ていた、次第に甥は泣き止んで安堵がふうっと就寝、わたしのこのおおきな体とこの言葉と言い訳に満ちている脳髄は黙ってだきしめてもらうにはもう充分に汚れすぎてるのであって鼻がつんとした、わたしだってほしい、わたしがいなければ文字とおり生きていけない絶対者を、わたしがいなければ呼吸の出来ない絶対者を、決してわたしを忘れることのない絶対者を、でもそんなのは絶対にないのであって、いわばそれが悲しい擬似の恋愛であってもわたしは恐れぬ、わたしはいつか結ぶのである、わたしがいなければあの目もあのゆびさきも瞬時に息が止まって死んでしまえばいいのに。

投稿:by 未映子 06:59 PM [恋愛, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック

 


純粋悲性批判