2010.07.28
7月退場、8月登場(じきに)
窓と玄関を開けていると風がドラえもんのムーンライトのようにまっすぐに太く流れてゆくから夏は、それから冬もおなじように低い日射しがお祝いのようにやってくるのでエアコンはリモコンもどこにあるかわからないくらい、数年おなじところに住んでいるんだけれど、今年は風じたいがとても熱いのでクーラーを入れて涼しい中で仕事をしている、昨日、薔薇、薬指と、木曜日や中森明菜など。
今日はコンタクトレンズをつくりに駅前へ行って受け付けて並んで待って、機械に額をつけて匂いがして匂いがして匂いがして計ってもらってそれは新しいレンズをつくるための準備なのだけど、わたしはこれまで使っているのとおなじのを簡単に欲しかったのだけど、そのための処方箋が切れていたのでそれを入手しに行ったのです。しかし、しかし新しく紹介されたレンズはなんだか違和感があってしまって、しかしいつも使ってるものがどこの何なのかをすなわち名前を控えてこなかったのでそれでは手に入らないよと断られ、あらたに日を約束して持って行くことにしたのです。目医者には目をもつ人が目をもちながらあふれていて目医者には目にまつわることが満ちていて、わたしは詩集に入っている「夜の目硝子」の主人公になった気持ちになってしまって植木鉢についた産毛をそっと見つめてしまう、コンタクトレンズを購入するためにバスに乗って渋谷へ出かけるだけの話のすべてがわたしは今も気になって、あの子、家計簿を無くしてしまったあの子はあれからいったいどうしてるのとときどき思う、そういう意味じゃ「乳と卵」の緑子も、いったいどうしているのだろうと、夏だし、ふだんはあまり考えない種類のことをほんのときどきそんなことを考える、緑子はあのままじゃおそらくわかりやすくしんどい性格になってそうだし、思い込みだし色々あるし、考えや世界を丁寧に鮮やかに更新するようなそんな誰かと出会っていればいいのにな、なはんてしかし、出会わせるためには自分でつづきを書く手もあるけどわたしでない誰かが書いて、そこにどうしようもなく生きてしまう登場人物たちを読んだりできるのもこれはこれで素敵でとても贅沢なことだろうとそんなことを夢想すれば今日は眠りが親切なのだ、浅く、それは立ち上がろうとする奥行きにふるえ、名状しようもない連綿がうっとりきてめまい、めまいが最初に表示される。
角ばっかり、奥ばっかり、愛ばっかりペンばっかり、生きてる人ばっかり、犬ばっかり、これから死んでゆく人ばっかり、スノードームばっかり、泣いてる人ばっかり、生まれてこようとする人にはまだ会えない、頑張っている人もちょっと多くて夏は、泣ける、夏は入道雲を、膨らます、総合、禁止または促進の夕暮れはとめどもなく泣ける色、とても泣けてしまう色をしてあなたの衣服の右側にとても泣ける色がながれてる、怠け者は瞑想、父親は新聞、週末を支払い、音楽は鳴り、できることなら過去にいるすべての人々に約束したい、これ以上に生存をことさらに編む必要もなくただ落ちているだけでもなく、見えるもの見えぬもの書けるもの書けぬもので抱きあわさったそのままのあなたをそのままでしあわせにするしあわせな夜の九時を。
投稿:by 未映子 06:31 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2010.01.01
2010年、あけましておめでとうございます

2010という数字の並びに思った以上に未来感があるのですがいまはなんとか現在だ、昨日更新したばかりだけれども今年もどうぞよろしくお願いいたします、今年は寅年、寅、という漢字を見ると山岸先生の「日出処の天子」のなかで鬼だったかなんだかったかが「うし寅の~」と歌いながら行進してるコマを思いだす、去年は念願の斑鳩を練り歩き、友人のミガンと「夢殿」で厩戸と刀自古の土壇場をやってみたりと今思いだしてもニヤ……としてしまう思い出をありがとう、2010年きっとまた行きたい場所はやっぱり奈良・斑鳩で、あんなところゆっくりとなにも考えずに歩けたら最高だろうな、なんでもないよな話をして、ゆるゆる歩けたら最高だろうな、中宮寺の菩薩のあのえもいわれぬ魅力は筆舌に難し、私の中の小さな和辻哲郎が雄弁にわくわく輝き出す一瞬だった、
そういえば年賀状を出したのはたぶんおそらくもう小学生の頃が最後だったのけれど、それでもしんとした朝冷たい鉄製の郵便受けにどこかから葉書が届くのは何とも言えずうれしいのだった、来年は書いてみようかな、来年は2011、これもたぶんに未来的な数字なので、今年も適度にがんばれる人はがんばろう。写真は白い寅、洗われて日に干された我が家の古いぬいぐるみたち。安静にしているところからじっと見ればあちらもじっと見てるのでかわゆいな。わたしがいつまで生きるのかわからないけどもう捨てることはできないね。

投稿:by 未映子 05:47 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2009.12.31
大つごもり
そんなわけでみなさん2009年もその前の年からも大変にお世話になった一年で心底ありがとうございました。っていっこ前の日記で書いたのでもうあんま書くことないのだけれども、来年もみなさまにとってよい年でありますように、まあ大事なことって色々あるけどかなりの割合で健康が大事、健康にとっては運動が大事、丈夫な足腰、柔軟な手首を確保して、それからみなさんにとって大事だと思える仕事を一生懸命できればいいね。大事だと思える仕事なんかなくても大切だと思う人といい関係、いいおつきあいがでたらいいね。大切だと思う人なんかなくてもぐっすり眠ることができたらいいね。ぐっすり眠ることのできるベッドがなくてもある程度に身体が疲れたら否応でもぐっすり眠れるはずなので、やっぱり運動は大事だね。
一応区切りなので部屋も掃除したことはしたけれど書斎はけっきょく手つかずで今日あたらしい加湿器が届くので晩ご飯はなにを食べようか、洗濯物が冬の聞き分けのよさそうな光にすかされてじっと見ていれば切れ端のところから、溶けて、なくなるんではなかろうかと思うもそれは誤解だね、安静に安静に、光の推移を見やる午後、午前、空腹、目の前にある甘い緑の瓶の直立不動に降りかかるものの検分をじっと座って2分だけ。
Twitterしないんですか、してよ、じゃなくてしろよ、と言われたりするんですが一応アカウント持ってるんだけれど(友達のつぶやきを読んでたりしてるだけだけ)、だらだら書くのが好きなので140文字だっけ、なサイズはやはり自分には合わないなあと思う今日この頃だしまあこれもつぶやきとゆやつぶやきだけど短くつぶやくってむずかしい、つぶやきとは少し違うけれど突如誰かに電話して話したいと思うことはあるのだけれど、もう誰も電話でなんかしゃべらないようなそんな気もしてくるね。とはいえわたし電話もいまもまだとても好きだなあ。電話で起きることの全部が好きだ。声は聴けるのにしかしたったいま会ってない、会えないという前提された中途半端な欠如が苦しくてとても必死でいいねよかったね、もちろん文字でも同じことが起きるけど、音にしろ文字にしろああなんたる恋の伝統だろう、手紙の国の、音の国の、文字を送り合う国の、あらゆる言葉にあらゆる思いをこめてしまうあらためてわれわれはそれがとてもすきな国の住人であるのだったね。
そんなわけで今日は樋口一葉の「大つごもり」を読んで年越しだ、好きな人と、あるいは家族と、あるいは喧嘩しながらあるいは眠りながらあるいは笑顔であるいは何か書きながら、色々あると思いますが、みなさまよいお年をお迎えくださいましーな。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿:by 未映子 08:05 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2009.09.19
連休・サイン会・牡蠣など!
東京の二カ所、大阪、京都と、サイン会も半分おわって、各地で読者のみなさんに会うことができました……!
来て下さったみなさんありがとうございました。
「ヘヴン」の感想の手紙もたくさんいただいて、ホテルでよむよむ。
そこに書かれてある言葉のつらなりからいままでと何かが決定的に違う手触りを感じて、
緊張と励みがどうじにうずまき、たいへんうれしいことでした。
京都なんて土砂降りだったのに、本当にありがとうございました。
うれしかった。ヨリモ随筆のほうで色々と書いたので、もしよかったらばお読みくださいませ。
そして後半につづくサイン会の詳細です。
札幌なんて何年ぶりやろう!ルイベ……、というのを食べた、あとにも先にも一度きりの思い出が!
あと雪が降って、ちょっとだけ積もってた。
・9月25日(金) 18:30~ 三省堂書店 札幌店 tel 011-209-5600
・9月26日(土) 16:00~ 丸善 仙台アエル店 tel 022-264-0151
・9月27日(日) 16:00~ 紀伊國屋書店 福岡本店 tel 092-434-3100
お近くにお寄りの際は、ぜひ、いらしてください。
どうぞよろしくお願いします。
ときに、連休はみなさまは何をされるのでしょうか。
カレンダーがないので、おまけに今年は手帳ももっていないので、
そういった具合がわからずに人にきいて黄金につづく連休であることを知った次第です(予定は日時を紙に随時書き込んで、終わったらマジックで消してゆきます……)。
とまれ、最近は過ごしやすいし、こう、なんだかしみじみとしてしまうね。
どこかへ行ったり、何かを食べたり、一緒にいて心がうきうきするような人たちと会ったり、
気になる場所へでかけたり……、そういうのって慣れてないと、なかなかうまくできないことかもしれませんが、
でもそういうのって人生を彩る数少ない良い出来事だと思うので、
仕事のこととか心配事とかはちょっとはしに置いておいて、秋のひとときをめいっぱい楽しんでくださいね。
わたしも随筆集のゲラが今日出るのだけれど、それはちょっと置いておいて、今日は牡蠣を食べ、
それから買っておいた本なんかをじっくり読もうかなーと思っています。
投稿:by 未映子 10:39 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2009.01.02
謹賀新年 2009
年賀状が届く、匂いがする、動物がいない、毛のうねり、何か食べたい、
いずれにせよ元日も今日も晴天で気持ちがいいことだ、窓が渾身で光っているのでやあやあという気分になり、お雑煮もおせち料理も何もないけれど、ぐっすりと眠ったことを追いかける、そういえばお正月に備えるかたちで家族でもって巨大なビニール袋をさげてする、大晦日あたりの買い物がほんとうにきらいだったことを思い出す。けれども、もう誰にも何も言われない体と年齢を持ったので、たとえば、お正月だからといってお正月でなくすることができてしまうけれど、でも家から出ないこの感じ、三日間ほど何も動かないこの感じ、いいねいいね、と思っていてテレビをつけたら初詣にすごい人!疲れてしまうよ、
さあさあ、せっかく晴れているのでお茶を飲んで、仕事をしよう2009年、できればいいなあ、
残った時間はどうせ短いのやから、わたしのこんな調子ではどれくらい書けるのかなあの謎、たとえばドラクロアの40年の画家人生で残した点数が9100と聞いて驚く、
ほとんど毎日が絵の完成、質と量の問題はさておいても、いったいこれはすごいじゃないか、
昔おばあちゃんに(まだ元気で生きてる)、「今年の抱負は」とにこにこと聞かれたときに、おばあちゃんは普段から布団のことを「抱布(ほうふ)」と言ってたので、それと同じものだと思い込んでいたから、
新年になればずっと新しくて巨大な布団がぼふん、とやってきて体がぐるり抱えられる、抱負といえばいまだにそんな映像が、
去年は文章を書かせてもらえる機会をたくさんいただいた、あっというまの一年だったです、
ありがとう、ありがとう
文章は、色々な段階があるけれど、
やっぱりわたしの好きなのは、「読者が読んでくれるときの文章」で、
そうして読んでくれはったときに、革命の興奮、共感のふるえが同時にめくるめくような、
そんな文章をぐんぐん書けるように、がんばりたいと思います。
というわけで目標は色々あるけれど、
それに向けてこつこつと丁寧にがんばりたいと、まず思う、
今日です、今日の積み重ね、
顔を洗って、うがいして歯を磨き、水を飲んで、床に座る、
まだ窓は、ひきつづき発光の最中・まっしろの最中、
というわけで、今年もみなさま、ごきげんよう!
投稿:by 未映子 05:27 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.10.09
金木犀パニック
昨日の劇的3時間ショウ、お越しいただいたみなさま、本当に長い時間、ありがとうございました。雨が降っていたので来てくれるかなあとか思っていましたが、300人以上の満員御礼。ありがとう。3時間があっという間で、みなさんの集中力もすごくて、そして暖かく、本当にありがとうございました。
前半はだいたいこんな感じになるかな?と想像していましたが、後半、ユリイカの編集長と早稲田文学編集長を迎えての話は、あっちにいったりこっちにいったり(わたしだけですが)しながら、普段、文章を書いてそれを編集する関係でどんなことを話しているのか、わたしが個人的に文章表現の周辺でどういったことを考えているのか、…そういう生の感じそのままの現場になったと思います。
そしてこのやりとりの中で、プロフェッショナルな(そうだ!今回のテーマはプロフェッショナルだったのだ!)「編集者の仕事」が、その存在を含め、どんなものであるのかを、じかに感じ取っていただけたのでないかと思います。みなさん、いかがだったでしょうか?何か、大きくても小さくても、変化や残るものがあってくださったら、本当にうれしく思います。
しかしながら全然時間が足りなくて、せわしなくてすみませんでした。個人的には話が全然おわらず、いつものことですがショウの前も後もずっと話の続きをしていました。後半はもっときめ細やかに(わたしだけですが)言葉も回路も整理しつつお話できたらよかったのですが、それはまったく続いていくので、またの機会にみなさまとお話できることを楽しみにしています。最後にちょっと告知しましたが、批評と評論のなんと10時間にわたるイベントがありますので、詳細はまたお知らせいたします。
質問もたくさんいただいて、まったく全部にお答えすることはできませんでした。ごめんなさい。全然時間が足りなかったです。一生懸命手を挙げてくださっていたのに、お聞きできずにごめんなさい。また、機会があれば、わたしももっと成長しますので、また違う形であってもこのような機会を持てたら、と思います。
そして、うっかりしていたので忘れちゃったのですが、本当は最後はひとりになって「プロフェッショナルとは何か」についてひとこと言わな、ならんのだった。
プロフェッショナル、という言葉はわたしは自分にたいして使うことはありませんが、
次も依頼がくることや、色々な具体はありますが、抽象的になりますが、仕事の中で、常にわからないものが存在していること、ではないかと思っています。自分の仕事のなかの、どの部分でもいいのだけれど、「わからなさ」がどうしても見えてしまうこと、わからなさいの手触りがあることは、やっぱり重要なことだと思います。
さて、町は、金木犀にあふれてどこからでもやってくる、充満とはこのことです。柔軟剤に金木犀のかおり、とあるだけで、せんたくものを干すだけで、頭が痛くなるわたしには、秋、窓をあけても外に出ても、大変だ。
同じ秋でも今住んでるところにくるまではこんなに顕著じゃなかったのに、このあたりに金木犀がきっとたくさん植わってるのやろう。
しかし金木犀のこのにおいでとてもたまらなく頭が痛いので、この症状を調べてみるとけっこうポピュラーなんですね。金木犀で頭が痛くて弱ってる、なんてあんまり人に言いにくい、ということで困ってる人もちらほらいます。
でもほんまに痛いのよ。
投稿:by 未映子 10:04 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.09.30
九月、退場
というわけであっという間にこんなですね。
最近は、缶詰でも自宅でもどうにもならなかったので、版元に出勤をして仕事をする毎日だったです。
しかし枚数は進んでも物語が進まないので困ったことです。しかし、終わらない仕事はないのです。
そうして、いなくなるのは人ばかり。
WB(早稲田文学フリーペーパー)で、内田春菊さんと対談しております。
歯の形をしたクッキーを焼いてきてくださり感激。きめこまかくとても素敵な女性でした。しかしこれももう、ずいぶん前の仕事になります。Hanako WEST随筆連載「女子は人生で何を」も8回目です。ダ・ヴィンチももうすぐです。あと、ROCKSでは、エリエールとちょっとしたコラボレーションをしております。(本から文章を抜粋頂いただけでわたしは何もしていないのですが)。
書くのが仕事であるから当然であるが、毎日20枚以上書いていてもなんというか一向に進まないから、わたしがやってることって何だろう、とぼんやり思ってしまう。
変な寝癖がついたのか、何をしていても、ごんと殴られるように眠気がやってきて困る。すごい睡魔が。なので毎日、ユンケルを飲んで起きてる時間をやり過ごす。それでも眠くて眠くて仕方がない。涙が出るほどいちでも眠たい。今この瞬間だって眠っていいなら瞬時に眠れる。何時間でも眠ってられる。起きてもまたすぐ眠ってしまう。あくびばっかり出てしまう。こういう時期が一年に何度かあるのです。眠い眠い。困ったことです。友達に話すとナルコレプシーじゃないのかしらと言われたけれど、そういうのじゃないと思う。
投稿:by 未映子 09:16 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.08.12
近況とお礼と告知
10日の講演会にいらしてくだった皆様、本当にありがとうございました。400人近くも人が集まってくれれば年齢層のあまりの幅広さに一瞬なにを喋ってよいのかを見失い、でも、個人的には結果的によかったのではないかしらと思うにいたる一時間半でありました。太閤園もなかなかに素敵でしたね。
感想メールもありがとうございます。でもまだ今は読めないので、でもきっと全部拝読いたします。ありがとうございました。
そして翌日は一日中NHKの撮影で大阪市内をあちこち。8時間。車移動で大変にラクでありましたが炎天下で体力の消耗されゆくさまが水蒸気をみるように確認できました。みなさまお疲れ様でした。そのあとすぐに新幹線。
しかし何をしていても心は晴れず、問題はむろんいつでも執筆なのだった。
編集者には、書けたら、わたしから、電話をしてみよう……。
色々な告知があるのですが、人に仕事をしすぎですよ、と言われてそうだ!最近思うようになってきた。しかし本当はご依頼はすべて受けたいのにままならず断ることがほとんどなので言うほどは仕事していない感があったけれど、もうよくわからない。しかし毎日忙しいのは事実なのでこの小説が終わったら、ということばっかり考えてる。そうすればわたしは何もせず何もせず、お化粧などしっかりしてどこかへ遊びにゆき、お酒を飲んだりして好きな人たちとあれやこれやとどうでもいい話をしたりしたいのだった。
でもそんなことにあまり日常的に触れてないからきっと時間が出来ても家で安静にしているだけなのだ。ベッドからいつもと同じようにベランダを眺めるだけなのだ。お昼になればウインナなどを焼いたりして白いご飯をちんするのだ。食べ物にも何たる執着がないのはいいのだけれどもないのだった。はあ。このあいだも新幹線でばったりとリリーさんと福山さんと同じ車両になったときに楽しく話するも冷たいお弁当をひとりで食べてるのがけっこう悲しいと笑顔で指摘された。そうか。そうなのか。確かに長生きの秘訣というのは冷たいものを飲まない食べない、これなんであって、体を冷やしちゃ、いけないね。足首も冷やしちゃ、いけないよ。やっぱり暖かいものを食べたほうがいーよーという助言とマドンナさんの元シェフが作ったマクロビオティックなクッキーをいただく。マクロビオティック甘くなく今まで食べたどんなクッキーよりも濃厚な味であった。
小説、頭の半分はやったことないことを試してみる喜びと自由にあふれているが、もう半分は何もかもを打っちゃりたい気持ちでみちみちだ。はあ。カーテンは閉めても閉めすぎるということがない。憂鬱なり。
そして「ニコン」では写真を募集したキャンペーンをやってて、私が選んだ写真にエッセイを書きましたのでぜひ見てくりゃれー。※フォトエッセイは8/31で終了しました。
投稿:by 未映子 09:08 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.05.30
5月の終焉
一ヶ月のこのおそろしいまでの速さよ。つってこんなこともうこの十年、あはん、毎月毎月思うのだが、こうなればもう死ぬまで毎月つぶやくよ。なんだか色々がたまらない。大阪出張を終えて、これからの十日間は、来月に天竺へ旅立つためにすべてが前倒しになりその前倒しすべてがのしかかってくるので、全部を前倒しで前のめりでやらねばなるまい。
広がる海原と我々の新しいボタン、そして健康な体と健康なひざの骨をもち、あー。
こないだ行って来た「日本文学再生会議」の感想も書きたい気持ちがなくもないのだけれども、いかんせん時間がないなり。しかし、時間がないということとは別に、ああいう場っていうのはわざわざにして非流通なのだから、行った人にしかそれがわからないというのは断然道理であるから、別に感想なぞ書かなくてもいいともいえるわけで。知りたい人は行くだろうし、それぞれが体験して持ち帰るものでしかないのだから、なんというか余計なお世話というものやも知れないわけで。
税理士さん、会計士さんがようやく決まり、家になんというかオブジェのように積み重なり合ってた領収書をそっくり渡して心の澱が放出されたようなそんなようなで目がようやっとすうっとして快。
最近知人が家を購入するブームでわななく。わたしなぞどうしてよいのかわからない、でも捨てるなとだけ念押しされている領収書の束があるだけで心身が拘束されている気満々であるのに、名義とか分割とかそんなのすごく能力が要るよなあ。なにもかも気が向けば常にすべてを出来るだけうっちゃれる身軽でなんとかいたいと思うので、しかしこれはいつまでたっても気弱なことで。
新幹線で小林秀雄。かつて、や、本を開けば今もって日本語がこのような美の発露を持ち、その文章にたち現れ再現される表現の品々を見れば、もう溜息にまみれてなんだかなあ。飛び去る畑の緑のびゃっびゃっを硝子越し、左肩あたりに感じつつ、わたしは今、なんやしらん生きていて、最高の文芸を目に腹に入れているのだという静かな興奮。
何を食べてよいのかわからない。体重が増えて、顔がまるくなってきた。
いまだメール絶えず。多し。っていうか、数日前の日記なんて誰も見ていないということでしょう。なむなむ。
投稿:by 未映子 09:10 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.05.14
業務連絡
みなさまいかがお過ごしでしょうか。お元気ですか?
お仕事のご依頼を毎日たくさんいただき、ありがとうございます。
そして大変にありがたいことこのうえないのですが、ちょっともう、全方位的に時間がなく、届くメールを読み、企画書を読み、お断りの返事を書くだけでも毎日数時間を要しています。春になればさすがに落ち着くだろうと思っていたのですが、そんなことはまったくなく、もうどうしようもありません。うひー。
このままでは小説を書く時間がいつまでたってもできないので、色々考えて少なくとも8月いっぱい、9月まではこのサイトからいただくものを含め、ご依頼はすべて基本的にストップさせていただくことにしました。
(それでもやっぱり、なんというか、言葉について、作品について、の大事かつ真摯なご依頼などもたくさんあるので、色々を一緒ごたに判断してしまうことは非常に残念、無念なのですが、やむをえず。本当にもう、時間がなくて、あかんのだ)
ありがとう&ごめんなさい。したがってメールはしばらく読めませんので、ご寛恕くださいませ、寛恕寛恕。
なので、各出版社のほうにご依頼をいただいても、この期間につきましては基本的にはお返事を出せませんので、なにとぞよろしくお願いもうしあげます。
なお途中の仕事についてとか、また別のことで連絡をとりたい方は、なんとか直接電話をくださーい。
以上、業務連絡でした。
投稿:by 未映子 08:30 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.05.01
5月の開始
さっきクリーニングに引き取りに午前中歩いたらばすっかり初夏ではないですか。
瞬きしてるまに四月が終わり……、
そのことがどんなに憂鬱なことか、わが身を振り返って寒くなる。
しかし過ぎ去ったことにはくよくよせず、今日も字面だけでもがんばろうと思う今日このごろ。
昨日は一日取材の日で、打ち合わせ、それからラジオ、もろもろでありかえってきたら泥のように眠る、どころかわたしがそのまま泥だった。顔もどろどろ。先日はあまりの疲労困憊ゆえに洗顔もせずにそのままリビングで撃沈、31才の美容に関しては自殺行為でありました。んでそのせいではないと思うけれども、コンタクトレンズをはずした目にくっきりと浮かび上がる原因不明の肌荒れにわななき、ものすごく、紙やすりのようになった手触りに落胆。
ああ。最近気温が上がってきたせいで、羽毛が熱く、何度も夜中に目が覚める。悪夢ばっかし。でも衣替え全般をする時間がおへんのよ。原稿書いてるとき、あと色々考えて照るときに左目のうえのほうんとこの髪の毛をぶちぶち抜くくせがあって、気がつくとそこだけ円形に地肌が見えていてあせる。
うれしいうれしい仕事のお誘いいただくも、いかんせん時間などなどさまざまな兼ね合いむずかしく、残念無念このうえなし。うーむ。
なんだかんだといって、結局小説にとりかかる環境になれてないことの焦りが焦りを生み悪循環。ああ、ああ、仕事ものすごくしてるのに、どこか仕事ができていないという現状。本も読めてないし。はあ。というわけでこのブログも愚痴っぽくなっちゃって厭だ厭だ。アーメン、あるいは、な、むー。こんな文芸でない文章なぞ、書いても書かんでも、とじっさい思うのだけれども、トークショウで読者のみなさんにお会いすると「なあ、ブログ読んでるから、更新よろしくな」という激励いただくので、そういうわけで。
こないだの市川さんとのトークショウ、なんていうか思いのままやってみたという結果になったのでありますが、感想のメールを非常にたくさんいただいて、うれしす。やってよかった。ワークショップの感想も拝読してます。みなさんえろうおおきに。おおきにどすえ。
投稿:by 未映子 11:53 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.04.23
なにやら活気のようなもん
今朝は8時に起きて書斎というか作業部屋のなかのゴミを拾った。ゴミといっても、紙なんですけど、封筒の切れ端とか、包み紙。それでちょっと風通しがよくなり、そのまま仕事へ突入。ゲラゲラゲラ、送信、するり。書いて、エンター。メールのお返事、もろもろ。いわゆるビジネスメールというものは基本的にむずかしいけれども、せっかくご依頼くださった内容に対してやむをえずのお断りのお返事を書くとき、たいへんに時間かかり、あぐねてしまう。あぐね。
まだ1時、これからなんとクリーニング屋さんに衣類を出し、それからめがねをつくりにゆき、お昼ごはんを表で食べようかと思うとなんだかいい一日みたいで心がすこしわくわく。ヘアメイクのミガンを誘うも、お仕事ですって。それからほかに買うものはないのだったけ。豆乳ぜんぜん飲んでないな。昨日は『モンキービジネス』出版記念お披露目お目でとう会だった。サントリーミュージアムにて。きれいだった。緑色の食べ物しかなかったのが、印象的だった。盛装でいらして、という噂をきいたので、わたしは黒いワンピースに、赤いプラッティック製の蝶ネクタイのネックレスをつけていったのだけど、(今がんばって写真撮ってみたけれど、新しい携帯電話の使い勝手わるく、いらいらしたのでまた今度写します。だいだいニュースみたいなのが画面に帯状に流れてくるあれはなんなの。すごく余計だ)、これかわいない、と友人に聞いたら、うーん、まあ、とかそんな感じ。むっとして値段ゆったら(こういうところが大阪っぽいのかなあ)目をみひらき、そ、それはないよ、技術室に行ったら俺でも何個でも作れる、と言われた。たしかに。と書きながら、すでに家から出るのが、微妙に億劫になってることに気がつきため息。午前11時が6時間くらいあればいいのになあ。
投稿:by 未映子 01:32 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.04.20
四月のほぼ終焉
朝から一歩も家を出ずに、色々な仕事をやり続け、続け、続けて、やっとひと段落した。うひー。
今度の小説の編集者から、どうですか、の留守電を震えながらきき、この人をがっかりさせては、ならないな、って本気で思うのだが、ずいぶんましになると思ってた今月の先週今週と、なにがなんだかものすごく忙しくて、郵便物の開封をままならぬままに積みあがってゆく。いったいいつまで続くのか。雑誌とか、ラジオとかの出演の情報が、なんだかわたし自身が把握できてないので、(何月売りだとか、いつ放送とかが、まざっちゃって)うまくタイムリーに書けず、読者のかたから、見逃したじゃないの、ここしか情報ないのだから、ちゃんと教えてほしいのよね、というお願いメールが届きますが、ほんとにごめんね、書き物の詳細だけは、がんばって書こうと思う。それ以外は、出会い頭的にお願いできたらと思います。いまぱっと思い出したのが、ハイファッション。後藤繁雄さんとお話させていただいたのが、もうすぐ、のはず…。あと穂村弘さんとも、新刊展望で、対談してるのが出てるはず、あとロッキンオンジャパンでも小説のお話させていただいた。
来月はドイツだ、ほいでもって再来月は天竺だ。時間だけがするすると通過し、しかしまだまだお返事書けてない人、たくさんいらっしゃる、気がかり。
そうこうする間に、今週末は大阪で講演ひとつとワークショップだ。ワークショップの献立を一生懸命考えて、課題を送信。人さまに課題を出してる場合ではない、とわたし自身が一番知っているのだけど、しかたないぜ。ああだこうだ考えてたらなんだか面白い会になりそうでよかったです。日本文藝家協会(去年、感じる専門家~を載せてもらった単行本を編纂してはるところだ!)から入会オススメ、という通知が届く。たくさんの作家が在籍。うーむ。いつ書けなくなるかわからぬ、不安定な収入、まったきフリーランスである文筆家にといっては色々頼もしい機構ではありますが、その中に、ゆくゆく、お墓もありますよ、ご利用いただけます、という箇所を読んで妙にどきりとする。は、墓かあ。遠いのか近いのかのバランスがとれずにじっと見てしまう。生きてるうちは色々な心配があるものよ。
部屋のあまりの散らかり具合に、すべてをこのままうっちゃって、お仕事部屋という名目で逃げ場を作ってやろうかしらんと本気で思う午後。そこに本棚とお風呂とベッドがあればしかし、家に帰る必要がなくなるのは目に見えているからそれもいかがなものなのか。
告知できていなかったけれど(年内になんとかまとめるつもりでいます)、毎日新聞の連載終了後すぐに始まった読売新聞での週に一回のコラムの連載も無事終わり、来月から朝日新聞で、「おめかしの引力」というコラム、始まります。これは一ヶ月に一回でながく続く予定です。あと色々エッセイの連載の告知もしなくちゃならないけれども、またおいおい。エッセイの連載はふえてもむしろ頭の中が整理されて楽しいのですが、創作はまったくむずかしい。
携帯電話を買い換えた、四年ぶりくらいに。何を買ってよいのかわからなかった。
投稿:by 未映子 10:38 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.04.16
明るくて曇りでいいね
なはんて書きながら、読まなければならない本の積みあがり具合にめまいがする。
問題は、実際、読まなければならないのだけれども、それと同時に読みたくて仕方のない本でもあるから精神衛生上たいへんにやきもきする。
ベッドに入って本を読み始めても、以前ほど長く読めなくなってすぐに眠ってしまうので、こんな調子ではいったいわたしはいつ読めるのかしらがわからないので、まためまいの思い。
再読したい本もある。木のぼり男爵、言語と妄想、オーランドー。
今月末の京都でのワークショップの献立、というか内容を友達に手伝ってもらいながら、
ああでもないこうでもないと思案する。いい会になればいいのだけれど。
月末のトークイベントの詳細は、また追って。日程はいちおう決定、
25日、大阪ジュンク堂難波店、29日に東京青山ABCで。両方を文芸評論家の前田塁氏と。
投稿:by 未映子 01:15 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.04.10
春のいんうつ
12日から次の小説を書き始めるのでそれまでに部屋を片づけようとしてるけれども、これは、いったい、なんだろう。だいたい、もう本棚がないのだから、本が納まらないのだから、床に伸びてくるのは仕方がないから、もう、色々が仕方ないんだと思う。今日は昼から取材に出て、それから早稲田文学新人賞の授賞式。エッセイやコラムに書かないようなこと、つまり予定とか、あったこととか、そういうことを書こうとしてみても、味気なく、これもまた仕方ない気分になってしまう。まったくの、何のエネルギーもないつぶやき。こんな四角を積み上げてゆくことが人生ならば。や、いいよ、いいけれども。
25日は大阪で、そして29日は東京で、早稲田文学+「小説の設計図」(前田塁著)関連のトークイベントをすることが決定しましたが、それぞれまだ時間・場所が確定ではないので、決まったらすぐに書きます、創作と小説の色々について話をするのですが、もしよかったら遊びにきてください。いまからご予定空けていただいたりすると、幸いです。
この春はばたばたと時間が折りたたまれてゆき、お誘いいただいてたのに行きたかった演劇に軒並みいけなかった。今月末は母校で講演と京都でワークショップ。四月いっぱいで、取材や、出演、のお仕事はいったん終わらせて、執筆に入るので、まじでおそろしい気持ちになってくる。結局、受賞してからの二ヵ月半で三本の短編を書き、コラムやエッセイを50本以上書き、それから数え切れない数の撮影と取材を受け、受けるだけじゃなくて、その分の原稿チェックがあるであって、加えて対談の数々、もう、ごく控えめに言って健やかにまったくのエンプティなわけで、小説の発表の時期がずれ込み、なんせ次は3作目、まわりはまったく関係なく自分自身にこの3作目に対しては思い入れがあるのであって、そんなわけだから編集部に、このエンプティ感が回復するまで筋トレの意味を含めた短編製作に勤しみ、中篇ないし長編はしばしお待ちくださいませんかと提案したのだけれども、話し合いの結果、12日から書き始めることになりました。って書きながらこんなこと、自分に言い聞かせているのでしかないのだけれども、どうなることやらか。
しかしながら挑戦せずに色々を頭で考えて身を引き、結果的に保身したところでこれ、仕方がないのであって、「書けない」、というのはやっぱり書いてみて「書けなかった」ということでしかないだろうともはっきり思うので、とりあえず、出来なくても出来てもとにかく体を動かしてみようと思う、まったく気の晴れぬかろうじて午前である。しかし、しかしだよ、作品を待ってくれている人がひとりでもいるというこの状況が、わたしにはどうしても当たり前のことには思えない。これは、すごいことなのだ。作品を待ってくれている人がいる、これは本当にありがたいことなのだ。まずは絶対にがんばろうと思う。失敗したらそのときに考えるしかないもの。
しかしこんな曇りの陰鬱な気分のする日には、シンディ・ローパーにならって明るい服を着ることにしているのだけれどもそんな気分も追いつかぬほど、気分は陰鬱。憂鬱。はっ、とユーミンの「守ってあげたい」が聴きたくなるがどこにあるのかが、わからない。出てこない。ネットで買う気力もなし。ファックスのインク切れ。群像今月号の侃侃諤諤が面白かった。ヤスダの飲むヨーグルト飲む、舌の至福。野中ユリ、「彷徨引力」の初版が見つからない、見つからない。
投稿:by 未映子 11:18 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.03.12
サイン会のお礼&近況など
サイン会無事終わり、きてくれはった皆様ありがとうございました。東京、名古屋、大阪×2、福岡と駆け足でしたが、この三日でななんと500人をゆうに超えるかたがたとご挨拶&握手させていただき、興奮・感激いたしました。みなさん笑顔でいらっしゃるので、わたしも。この三日間でかなりヤバめの原稿を抱えていたので、寝ずに新幹線にそり、そこからさらに寝ずに原稿を書き、送りゲラを書き、3時間インタビューを終え、対談のゲラ戻し、さらに二稿、ゲラゲラゲラ、移動、着地して、なんとか完成、エトセトラ、エトセトラ。鏡見たらば、灰色んなってた31歳、徹夜はもう無理なんだってば。あきらかにデッドラインが見えた春。
どこのサイン会も無理だったといって、東京から来て名古屋駅で待ち伏せしてくれたあなた、大砲のようなレンズで激写してくれたあなた、わたし、びっくりしました。交通費、大変だったでしょう。あと、とんでもなく遠いところから参加のみなさん、交通費のことを思うと胸がせつないであります。それからどうやって整理券を入手なさったのか…4箇所に参加された人…もういつお会いしたのかまざってしまって昔から知ってるようなそんな錯覚。それから素敵なお手紙、お土産、ほんとにありがとう。おいしくいただきました、そして何度も拝読いたしました。ありがとう。一生懸命に書いてくださったの、ほろりとくるお手紙もあって、ほろりとした。アンケートも大切にします。ありがとう。ありがとう。
あと、メールも拝読しております、感想もすごくうれしい。励みになります。が、なぜか最近多いのが、「未映子さんの弟子に!」というような内容のもので、「なんでもやります!雑務から掃除から、学ばせてください!」という若い男女まぜまぜ、熱心なメッセージが多く、「ほんまになんでもするねんな!」と念を押したいところですが、掃除も雑務もなんとか人として、ひとりでがんばりますので、あしからず、よろしくお願いいたします。
サインと握手が終わったあと、去ってゆくときのお顔を見ると、横顔しか見えないのだけど、みんなすっごい笑顔で、わたしはそれを見るのがすごくうれしいのです。どきどきする。ほんまにうれしそうにしてくれるから。よかったなあ、来れて。と思いっぱなしの三日間でした。乳と卵もおかげさまで大好評です。読んでくれはった人のなにかに繋がれば、ほんとにうれしい。
それから13日、大阪の大人気番組、「ちちんぷいぷい」に生出演いたします!よかったら見てね。
そんな激務を縫って今日、這い這いの体で確定申告へ。今日しかないものだも。そしたら担当のおじさんに「ひょっとして芥川賞の・・・」と声をかけられ、わあ、やだなあ、と思いつつも、ほぼすっぴんなのにな…それでも気がついてくれて、うれしいのかめんどうなのか、わからないな、とか思うつつ、「えぇ、はい」と答えるとちらりと数字に目を戻し、「えー!!先生、こんなもんですか、所得、こんなもんなんですかぁ!!」とびっくりされ、これは、去年のなんですよ!っていうかこれでもわたし、めさんこがんばったほうなんですよ!と内心叫びながら「…そうですよお!」ともう泣きたい気分。「でも、今年はすんごいことになりそうですね!」とかなんのフォローか最後に言ってもらうが、どうせ来年会ったって「賞とっても、こんなもんなんすか!!」って言うんだろうよ。もう来年は自分では行きたくないし、行かないぜ。傷ついたらあとを引くお年頃なんであって難儀。
投稿:by 未映子 01:27 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.01.21
火曜日
朝から家を一歩も出ないであれやこれやの原稿書き。チョコレートを口に入れてから熱くした牛乳を飲む。期待した味のまったくしない不思議なことよ。スパゲティーを作りすぎる。部屋の乾燥。電話が鳴る。こんにちはーと挨拶して、歯の治療もそろそろせねば。体操したらコードに足がひっかかってこけそうに。色んな花の混じった匂い。明日に何も用事がなければ、一日は放射線状にのびてゆく単に単なる空間だ。そして本はたいてい、だいたい四角。書きたいことがまるまるとなって、そうそうそうそうその調子、こっちにゆっくりおいでやす。お花が届いたり昔の知人から連絡がきたりして気まぐれも暖かな、昔から思えば想像もつかないほどの、やっぱりこれはわかりやすくって直線の、穏やかな日々。
投稿:by 未映子 08:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2008.01.01
あけましておめでとうございます・2008
元旦は音もなくやってき、年賀状は15枚届きました。
原稿がすすまず、大晦日を越えて去年の遣り残しに胸がすさむ思い。家にずっといるので、このままではエコノミー症候群の間近、ということで元旦くらいは散歩でもしよかと三軒茶屋の駅前をうろうろとしてみれば人がけっこう歩いていました。まあ一応に薬局、スーパー、漫画喫茶、もろもろがのきなみ正月に合わせて閉まってるのに、メガネスーパーだけがやるきまんまんでびかびかと開店していて、むしろ薬やさんとかのほうが元旦の区民にとっては必要なのでは、とか思ったり。
三日の帰阪はあわただしかった。テレビの取材で母校の工芸高校で恩師に再会。楽しかったなあ。それから母親が公園で幽霊をみた幽霊をみたと興奮していて、姉の話題は熱烈になんていうか江原さんだし、いったいどうなっているのだか。母の話に戻すと、なんでもその公園付近の住民の数人の目撃も相次いでるようで、ちょっとした騒ぎになってるみたい。わたしも子どもの頃から遊戯に慣れ親しんだ公園ではあるけれど、たしかに今思い出しても、当時も、なんというか陰鬱なイメージの残る公園ではあった。なんか、暗いのよな。
がしかし、母が目撃した幽霊というのが腕を組みながら長崎ブルースを歌うカップル、そして老人男女合わせて6人くらいがおそろいのエプロンをしてひそひそ談話している集まりであって、その両方の全員に明確に足がない!なんて、なんていうかどうよ。でも母親のテンションは幽霊であがりまくりで、犬の散歩に朝も夜もよりいっそう熱心にその公園へ出かけてるみたい。そんな幽霊までみちゃってまだ通うなんて怖くないのかときいても「わたしにはイエスさま、おるから」とか、もう霊界や宗派や派閥や思惑を完全に無視したわけのわからないご都合主義な強気に多少いらっとしたりもして。
はあ、元旦そうそうからなんだか帯状に疲れた感じがしてしまうのは、仕事に終わりが見えないからで、今年はなんというか、仕事のやり方をしっかり考えなな、そして実行せなな、とか思いながらきっとずるずるとこんな調子で一年が終わるのだろうなあ。こんな調子では一年てなんだよか。ともあれ、いつもこのブログを読んでくださってるみなさまにとって、すこぶるすてきな一年になりますように!ビッグ・ラーブ!!
投稿:by 未映子 11:52 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.12.01
近況、毛のための花火?
寒さが続くなか、あまりに寒いので、タートルネックを着ても、乗り物のなかで苦しくなってくる。首のまわりにふわっとしたもの以外が密接してあると、しんどくなってくる。これは前からわかってることで、以前はあまりに苦しいので鋏を買ってトイレのなかでくるりと首周りを切って窮地をしのいだこともあり、昨日も大変に苦しかったが、切り取らずに家に着くことができてよかった。
12月の中旬に「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」、これまでにユリイカに寄稿した作品と、書き下ろし作品をまとめたのが出ます。表紙もうんといい感じになる感じ。この作品集を出せることがものすごくうれしい。そしてその記念的に穂村弘さんとトークショウもします。これはまたおいおいちゃんとした告知をしますが、1月12日、神保町で、お昼間で。よかったらお越しくださいね!
乳と卵についてたくさんの書評が載った新聞が版元さんから送られてくる。新聞をとってないので知らなかった。新聞を読んだ実家から電話があって、みえちゃん本書いてるの!と驚きの母トシエの声。ゆってよ!とか云う。か、書いてるし、ゆったよ。
それから31才、気合の脱毛に出かけた。とてもデリケート部の。巨大な打ち上げ花火を直にぶつけられてるような痛みに思わず施術者を二度見してしまう、簡易ベッドのはしっこを握りながら、わらけてくる、こ、この痛みについて、か、書く!という気持ちだけで、季節外れの花火大会のひとときを乗り切った。すごかった。共同通信さんの連載が読めない、見つからない、というお手紙ようさんちょうだいします、が、すみません、わたしもまだ読んでないです。うーむ!
投稿:by 未映子 09:38 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.11.28
甥っ子は電話を拒否
このように、曇りがおもおもしく茂げり垂れてる最中に、暖房器具がないので、寒いわけで、厚手の靴下をはき黙って部屋で仕事をするというのは、行ったことないけれどもなんとなく北欧の気分で、いいね。
しかしあまりにも何の音沙汰もないでの、大阪の5才の甥っ子に母親(姉)経由で電話をすれば、「みえこ、うーさい」ってな具合で最近は拒否されているわけで、生意気になったものです。「今度ね、ってみえこにゆうたげて」とか電話の向こうであしらわれたりしてるわけ。
先日、父親が倒れたときも、母親(姉)があわてふためくなか、ゼリーなどを食し、「とりあえず、お薬のんだら治るでしょー」と放ち、母親が「薬で、治らんかったらどうするの」ときけば「え、そしたらお薬、倍のんだら治るでしょー」とか云う始末。何が倍か。
そしてこの前、電話でわたしが、
「あなた、最近ピカチュウにご執心らしくって、わたしはとことん残念やわ。あんな誰も彼もが無反省に追いかけてるキャラクターをおまえも好きだなんて。どうやの。あんなの、単に黄色いだけですやん」と苦言を呈せば、
「えー、そしたらみえこがこどものときから大好きなドラちゃんはどう。ドラちゃんなんて、単に青いだけですやん」。
わたし、ま!つって、もういっかい、ま!つって、結局、ま!しか云えず終い。「じゃね!」とか云われてそのままプッ。曇りはよく見ると、真っ白であるな。
投稿:by 未映子 03:16 PM [日記・コラム・つぶやき, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック
2007.11.22
近況、しかし近況とゆうても
近況を書くことに、何の意味があるのだろうかなあ、と今日は晴天で、ぼーと思う。
午前中に仕事がひとつ終わったので、今日は溜まっている本を読もう。先日は坪内逍遥賞の授賞式があって、受賞者側で式に参加するのははじめてでしたが、わきあいあいとして、にこやかで、笑いもあって、素晴らしい式でありました。記者発表のときにはお会いできなかった、高山<学魔>宏さんにお会いできたこと、イン歯ーや、そらすこんについて、抜粋や相関図、関係図書、もろもろ、きっとスピーチ用にお書きになった紙を記念にもらってうれしかった。学魔。このネーミング、晴らしすぎると思わない。そんな学魔の髪形がなんともうっとり。祝賀会が終わっての慰労会ではワインを水のごとくがぶがぶお飲みになり、雄たけびあり、このエネルギー、ど、どこから。そして少しの時間でありましたが村上春樹さんともお話は楽しくあっという間。スピーチはせすじのぴっとのびる思い。物語の大海原がここに。本当に素敵な人でした。
そして翌日は、我らが「ムーたち」の作者・榎本俊ニさんと待望の対談。わたくし率・歯医者・痛みつながり。これも尽きず、買い物帰りの空子がわたしを見つめる、という絵をサインとともに書いていただき、対談が終わってもごはん食べてても興奮は極まり何度も取り出しては見入り飛び出し車に轢かれそうになる。
こらえきれずではさようなら!と云ってそれをつかんでタクシーに突っ込みムーたち好きの友人のもとへ深夜駆けつけ見せにゆく。榎本さんは理路整然とした話口調で丁寧、所作振る舞い、確認の仕方がまるで先生のよう。かつ、ハンサムであった。(ハンサムって、もしかして死語?)
絶えず軽い吐き気がするのでいよいよ胃に大変な疾患が、と思いきや、ためしにサクロンを飲んだら完治。お薬って、すごいなあ。髪形がミックジャガーみたいなので、えー、なんつって最近はかつらをかぶってるけれど、おでこがとてもかゆい。電車の中などでおもわずはがし取り床に叩きつけたくなる衝動になんとか耐えることができて、大人。
投稿:by 未映子 01:30 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.11.06
スズメバチ・パニック
この前、ゆうごはんを食べながらあまり音的に寂しいものがあったのでテレビをつけたら、なんというのかスズメバチ・ハンターというのをやっていたので、見ると、スズメバチのビジュアルが、も、も、も、ものすごくてあなた、あなたなんていうの、こう、シマシマのところとかぶっくり垂れて、顔がものすごいことになってるわけだ、もう、これこそが筆舌し難いという極北で、見るからに悪党というそれであり、殻っぽく、牙があり、ミツバチのふさふさした小さなみんなが何万匹って集まってがんばって蜜を作ってるところに30匹で押しかけて、手でミツバチをつかみふたつに折って噛み殺し、もののちょっとで制圧したりしてその残虐な様たるや、わたしはまじで絶叫した、あんなん、あんなん、おそろしすぎる、おそろしがすぎる、なんといってもスズメバチのあの顔、それをペンカメラで撮影してるのだけど、宙に浮かんだスズメバチの一匹がじっとこちらを見て突如ぶつかってきたりして、あの形よ、何よりもあの顔、あの目、なんていうかおそろしく、スズメバチの巣の映像もそらえらいことになっており、幼虫が白く、うにゅうにょと頭を出して、繭をつくるときにでる唾液の中のアミノ酸が、成虫を100キロも飛ばさせるエネルギーの素らしく、100キロって!燃費良すぎで飛びすぎっていうかこわい、こわいねん、ものすっごい攻撃的で、そらアニメにしたら槍も持たせるでっていう、もうその形態は正視に堪えられず、誰か勇気のある日とは画像でなんとかして見てみれば、わたしのこの絶叫の少しはわかってもらえるのだが、そしてなんとわたしはもう声も出なかったのだが、宮崎県のある地域ではスズメバチ料理がなんと郷土料理で、スズメバチ成虫の素揚げ、んで幼虫、にもふたつ段階があり、真っ白いの、それから目だけが黒くついたのと、なんか炒めたやつがあり、お、お、お、お、それをまじためらいの知事が食べて見せていて、まじで気の毒、わたしは座ったまま後ろに倒れそうになった。その夜、悪夢はもちろんスズメバチから電話がかかってくる夢であり、わたしは受話器に泣きながら、「もう、かけてこないでくださいね!」と何度も絶叫するのだが、スズメバチは電話を執拗にかけてきてぶうん、ぶうん、ぶぶぶうん、とか低く唸ってゆうので、それからまたわたしは「お願い、もうかけてこないでくださいね!」と泣きながら懇願して、朝起きて夢でよかった、と思ったら夜明け前の五時ごろに非通知設定で着信があったので、なんか。しかしおっとろしい。おっとろしいのや、とてもこわい、一対一でも勝てる気がせぬ。
投稿:by 未映子 02:08 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.11.04
そやかて夢を、みるのやも。
この数日間はいろんな取材を受けたり撮影したり〆切を飛び越えもろもろの毎日ではあったけれどなんだかそれとは関係なく半分が怒りとぐらつきで死んでるようで、死ぬといえば、ぬ、といえば、わたしは、ぬ、と打とうとすると必ず一回目は、む、と打ち損じ、例えばぬま、は、むま、になり、逆もまたしかり、むり、は、ぬり、と打ち損じ、そんな人生である。19日は坪内賞の授賞式で、大賞は村上春樹さんということもあり、式にはぎょうさんの人がいらっしゃる模様でパーティーなんて久しぶりなので、ということはお酒を飲むのも久しぶり、そしてもうすぐ久しぶりに一年が終わろうとしておるな。
作品について夜中飛び起きて怒りに震えることがある。何に対する怒りなのかを考えてみても怒りが渦巻いているのでその詳細はきちんと見えず。そしてそれを怒りと表現してみても、こういう場合は実は怒り以外の感情であることが意外に多いのだから、印象が連れてくる言葉は特に信用ならないものだ。
書き手が主観的に語ろうとしたこと、と、書かれた作品が客観的に語ることはどこまでも別のことであり、それに対してはなんの異議も問題もないのだけれど、このふたつのあいだに、もうひとつ、わたしが真にその姿をとらえ格闘しなければならん重要な何かが孕まれていると思い、その孕み自身がぼけぼけと眠ってるわたしに頭を蹴りあげて怒れ!と叫んでもう一発蹴りあげたりするので心臓がえらい。
先日、永井均先生とお話した際に出たアイデア、その具体的な方法はさておき、小説には、書き手に明確な主題やメッセージがある場合は、それに対して出現するであろうと考え得る限りのすべての同意、誤解、反論、もろもろをその物語の中にすべて、余すところなくぶちこめばいい、議論をまるまま小説の中に予め再現させておけばいい、ってそらドストエスフキーやねんけども、この姿勢が今のわたしの感じている苛立ちや、わたしがやりたいと思える考える小説にとっては一番よいんではないのか、今のところ、たった今は、というようなことも考えるわけであります。それが可能か不可能かとうことはこのアイデア自体にはあんまり関係がなく、わたしが問題にしているのは単なるこちらの姿勢のことであるから、今度、これを書くのだ、というものがなぜか明確にある作品を書く場合には実践できればしてみようとする努力を思ったり。わたしは自分で思っているより完璧主義者であることを何となく知り、たとえば最近はもうライブが出来ない。どんなに素晴らしい演技でも歌唱でも読書でも、最近はそれに接すること十五分以上の集中力が保てず、何度も気が動き、じっとしていられなくなり苦しくなり、それが素晴らしければ素晴らしいほどそうかもしれず、たとえば読書なら数行でこの小説を読み終わったときにくるまれるであろう感激が想像できればできるほどその作品が早く終わってほしいとさえ思ったりするのだから、ライブを聴きにいってもそうなのだから、そんなわたしがライブなんかしたりすると聴いてくれている人の中にもきっと同じようにそわそわしたり、同じようなことを思ったりする人がいるだろうと思うと十五分以上の何かをすることがとても出来ない。まあ本ならとても個人的な速度と空間内のことゆえ、まだましで、それぞれのいい具合で投げ捨ててくれればいいけど、ライブはまた少し勝手が違う。いらん気を遣わせるのは気の毒で厭なことでどうにも仕方がない。
何人でも何百人でも何千人でも、居合わせるみなが同じ気持になどなれるわけがない、ってだいたい同じ気持ちってなんだよっつう話で、でも同じ気持ちっていま書けるぜ、言葉なら、ってまあ現前あるとゆやあるわけで、しかしみんなそれぞれでみんながそれぞれでだからいい、バラエティ・イズ・ビューティフル。なんて生まれたときからわかってることで、わたしだってそう思う。そんなこと何もかもド当たり前のことで、それは絶対的な事実であるという予測もたつ。たちすぎる。しかしそんな感嘆、そんなしたり顔、そんな言い訳、聞き飽きたし、だからどうした、とわたしは思うし思いたい。人には<絶対的に無理なんでないの>、というものに対してなぜか夢をみる力だけはあるわけで、個人がひっそりとそんな夢をみることには根拠はいらぬ。無理だとわかっていても、わたしには説明しがたい理想がある。説明しにくい実現したいことがある。たとえばわたしが埴谷雄高から学んだことはこの一点、「無理だとわかっていても、やるのとやらないのでは、やったほうがいいんであってね」。
誰が無を表現できるか。そんなもん、無理なことや知り尽くしたうえでの埴谷雄高の五十年。わたしの相手は無ではないが、きっと埴谷雄高も感じてたであろう苛立ちと不安が、このようにして夜中にわたしを怒りという体を装って、何度でも蹴り起こすのである。
投稿:by 未映子 10:55 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.10.28
目玉ティーシャツ
結局今日も一歩も外に出ず髪を切りに行くのも面倒になって断念。しかし天井でくくれるくらいに長くなって伸びるもんやな。っつことで写真をば。でもって家でずっと毎日毎日もうこれしか着てない、洗っては乾かしてすぐに着るという、もうまじでわたしにはこれしかない、着てないという目玉ティーシャツ。というかワンピース。すぐ乾くしこれ一枚でコンビににもいけるという本当の優れもの。目玉がいっぱいでなかなかに精神分析的。今から最後のゲラチェックイ電話。
12月のあたまに友達がタイのチェンマイの奥の首長族(ほんとはカレン族というらしい)が住んではるところで結婚し、子供を生むので遊びに行こうか考え中。ヤムウンセン食べれるしなあ。年明けにニューヨークもひかえてるのでもろもろが迷い中。
投稿:by 未映子 10:26 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.10.06
お金を遣う
カードの請求額を見て悶絶。
いったい何に使ったのだろうか。まじで。何度明細を見ても、これを全部足して行くとこれこの数字になるのか、ということがわからない。で、全部ちこちこと足していったら、この数字になった。たしかに。
以前、二十代前半のころにカードを利用していて、そのときになぜかテンションがあがると、そういう人ってときどきいると思うのですが、「わたしが払うわ!」という感じに、どうしても、なってしまう傾向がわたしにもあって、一ヶ月で限度額を超えてしまうというのを数回続けてしまったために、わたしは自力でカードにはさみを入れたことがあるのだが、秋にフランスにいこ!と思ってたから、マイル!マイル!ということで新たにカードを作り、せっかく消費するならマイル!マイルな!って積極的に使っていたらば、昔を越える浪費の波に飲み込まれて、少し震えておるのです。先月も、先月も、そのまた先月も!何十万となぜか請求請されて、(まあわたしが遣ったのだか)、貯蓄は小銭程度になってしまい、友人のヘアメイキャッパーのミガンは「限度額3万円ぐらいにしてもらえ」とかいうし、もう、こないだ入ってきた印税でぎりぎりセーフ、とか思ってたのに、もう、あとかたもなく・・・・。はあ。気がつけば絵も買ってたし、貯めるのはあんまり好きでないし、得意でないけど、こんなこといつかちゃんと見直さなければ、ならない・・・実家のことをちらっとでも考えなさいよ、とか思いつつ、先日ぱらっ雑誌を繰れば、ある作家の人が、原稿料も初版分もすべて前借しているので、お金がない、電話も止まった、犬も猫も家にどんどん増えてゆく、でもって借金は2億円、とかゆってて、その人はたしかすんごい本が売れいているのに、それでもそれを上回るほど、遣ってしまうのらしい・・・・。おそろしい・・・・・。借金を返すためにえんえんと書き続けなければならぬ原稿・・・・。それはおそろしいすぎる。それに比して、わたしは借金はかろうじてないのだから、まあちょっと励まされたりして、今後は借金に転じぬうちにしっかりした倹約術のスタンス、を、身につけようと思ったり。迷惑かけぬように、とかいいながら、所詮こんなもん、お金ではないか。と確かに思うわたしもおり。そんなことに関して暗い気持ちになること自体がおかしく滑稽なことであり、けっきょくこんなこと、いつでもどうでもよくなるのであった。お金のない惨めさ、大変さ、滑稽さは骨身にしみているが、だからこそ、長らくあんな気持ちにさせられたお金に、お金のあるなしに、価値観が左右されてたまるか!という気持ちで生きてきたのだったからして。わたしは、わたしだけは、所詮お金の問題はお金の問題ではないか、という姿勢でいなけりゃうそだろう、と思って生きてきたのだった。だいたい株マジックの数分で得る金銭と一日十何時間汗水たらして働いて得る金銭とが、等価であるはずがない。加えて、そういう意味でけっきょくお金なんかどうでもいいと思ってるから、毎月こうなるのであって、なくなったら、ないのだから、そこからは遣えぬのだし。ま、なんにしても明瞭なことで。
お金がなければ食えぬゆえに死んでしまう、資本主義、という虚構に否応なくのっけからぶち込まれ、しかしのってなきゃ生存できぬこの枠組みへの強制参加のルサンチマンが、まわりまわってこういう様子を、つれてくるのだった。あーあんまり脈絡のない結末だが、やっぱり入ってきたお金は、色々な方面に、色々と、さっさと遣ってしまうべきだと自分に思った。
投稿:by 未映子 03:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.09.22
歯ー時計もろた
これから大阪ー。ライブもお芝居も楽しみなり。少し遅れの誕生日プレゼントに時計もらって感激がすぎる。よく見て!歯なのよ!針がいろんな治療器具!死ぬる!嬉死も辞さず…。時計は持ってないことなかったが、恥ずかしいすぎるほどバブリーなやつなので普段づかいにできる激かわゆいのが初めてきたのでがんがんつける。うれし。新幹線が混んでるよ。かろうじて席を確保。
投稿:by 未映子 08:37 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.09.07
ネックレスを解く
慣れぬネックレスをつけることになってしばらくたつけれど、取り外しが面倒くさいので、つけたままにしておきたいと思うも、首を洗うときなんかになんかややこくて、やっぱり外したりしたのだがついに絡まってしまった。あーもーといって手先がまったく器用に動かぬわたしは苛苛して以前ならばそのままあきらめて放置してシルバーなら真っ黒になるまで見ぬか、捨てるかなどしていたのですが、最近なんだか憂鬱なことばかりが、とくにないけれど、何もうまくゆかぬので、そんな気持ちなので、せめてこれぐらいは、って、一生懸命に団子になった部を爪でえいえいとほぐし膨らましをして、一生懸命ほぐしていた、しかしそれは永遠に解けぬもののように思えたが、あ、爪楊枝、とか思って、爪楊枝でいつやったか成功していた所作を見たことがある、と思い、しかし爪楊枝が家にないので、やっぱり爪ですき間を見つけながらなんとかほぐしをやってると、一瞬ふわっと鎖が広がって、そのすぐあとに結びめが目に見えて解決してゆく様を見て、あ、と思い、思わず涙がこぼれた。できた、と思った。それから色々なメモをとって考えごとは鬱蒼、八方塞になって苦しくなってきたのでボウルに氷水にはって顔をつけると、これはけっこうおすすめでしゃきっとするのですが、それでもなんか、顔が痛いだけで気持ちはしんどいので、郵便受けを見に下へ降りたら、たくさんの書籍の茶封筒が溢れながら突っ込まれてて、最初の投下にされたのなんてぐちゃぐちゃになってて、あ、と思って一冊一冊を取り出そうにもサイズが合ってないうえに突っ込まれてるからぺったんこになってるからなかなかしんどくて、これもまたほどけぬ、ああ、と思って引っ張ると、すこんと抜けて一メートルほど後ろに飛ばされた、びっくりして、しかたないけど、郵便受けが小さく荷物がそれを上回るのだからしかたがないけれど、なんだかとても、悲しいとか悔しいとか怒りとかではまったくなく、なんか思いっきりその拍子に涙が出て、泣きながら部屋に戻ってトイレに入るときに鏡を見たら、そこにはまるでの老婆がいて、わたしはびっくりして自分の顔を思わず触ってみたら、目がぎょろぎょろとしてしたにくまがあって顔がまだらでとても毛が散らばっていた。
投稿:by 未映子 08:31 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.07.17
こころ、笑った顔がまあ
蒸す蒸すするのでクーラーを入れたが完全に死んでいたので業者さんにテルするも数日後。あー。なんかの折に理想の男性はどういう?とかって話になるじゃないですか。わたしはその都度すごく困って、あんまよう知らぬし、ジョン・トラボルタ、とか苦し紛れに云ってたのやけど、理想つってもなあ、だいたいが知らぬしなあ、日本人なら葉隠覚悟かなあ、とかも思うのだが、いかがなものかしらん。風が強いとこのまえ大阪に帰ったときに5歳の甥っ子とともに自転車で全力疾走したときのことを思い出す。
びゅわびゅわごんごんと風が耳を襲って渦巻いて、我々はあの日、大阪は鶴見区の花博跡地で、完全に風そのものであった。そんな風の吹きし切るなか、
「みえこぉー!みえこぉー!」と絶叫する甥っ子。
「なんじゃあーーーー」って返すわたし。
「み、みえこぉー、に、(←風に負けてる)、にんげんのぉー、こころはぁー、どっ、どこにあるのぉおおおおおおー」。
「そんなもんがぁー、わかったらぁあー、くろうはせんのじゃー」ってわたし。
その瞬間、「みえこッ、止まって!」と甥っ子。
きゅっと止まって、キッと見つめ合って我々。
そこで甥っ子、
「じゃあ、どことどこが、いま、喋ってんのーん」
つって髪の毛もさもさんなりながら笑った顔が、なんというかまあ。
投稿:by 未映子 02:44 PM [日記・コラム・つぶやき, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック
2007.06.16
行ってきまうま
タイに行くんならここ行け!これ食え!これ見ろ!これ買え!っつうとっても嬉しい情報をありがとうございますみなさまー!がんばって行ってきます!
朝起きて荷造りしてたのだがなんと100ミリ以上の液体を持ち込んではならぬという信じがたい掟があることを知り、軽くパニック、化粧水もなにもかも、コンタクト保存液も何もかも、わたしの持ってるものはすべて100ミリ以上なのだったよ!しかもそれもこれもが液体でないの!きー!出鼻くじかれたぜ!ファンデーションすらその対称らしく、もう化粧用品は面倒なのであきらめた。というか、わたしデジカメとかも持ってないのだったよ。っていうかわたしの行く場所、ちゃんと聞いたら、サムイ島というところなのらしい。タイじゃなかったのかな。
半泣きで〆切も終わったし、行ってきまうま。週末には帰国します。いただいてる連絡はそれから差し上げますのでお待ちくださいませ。気がかりなこともたくさんあるが (旅行中に30枚くらい書くことになったり、連絡を差しあげねばならぬことなど)、とりあえず、行ってきまうま。
ってそのまえに、今から永井均氏の講義だぜ!気合はいるぜ!
投稿:by 未映子 12:53 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.06.14
あとタイ王国では
この本を読むつもりー。
「すべての終わりの始まり」キャロル・エムシュウィラー
これ読むんだ!っつうのだけがこの旅の喜びであって、タイ料理ももうそんなに魅力的でなくなってきた。ごはんがなんやの。海がなんやの。つかなんでタイやの。あーあ、やっぱやめとこうかな…、やめときたいな…、いまここで起りうる旅行を断念せざるを得ぬ強度を持つ出来事ってなんかありますか。あーあわたしやっぱ無理じゃないの、とかを直前になってひたすらに思う性分でこれだからいままで旅行の経験がほとんどなく、なんか不安で不安で泣きたくなってくるのであった。箱根に一泊ででかける前日も不安と興奮で眠れず、着いてからずっと寝ていたというそんな始末。や、でもニューヨークには行けたじゃないか。大丈夫だったじゃないか。二泊四日だったけども。ベットミドラーを聴きに行くために行ったじゃないか。そしたらニューヨークっ子で友川かずきフリークの日本語べらべらの向こうの友達に、二泊四日?あはは、クレイジー。しかもベットミドラー。それって二泊四日でニューヨークから日本に小林幸子を聴きに行くようなもんだね。とか云われたじゃないか。なんか納得しちゃったじゃないか。そんならばタイだって大丈夫じゃないか。ああ。出発が近づいてくる。激しく不安。タイよりニューヨークに行きたい。ニューヨークに行きたいぜ!
投稿:by 未映子 12:00 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
夏が来るまえに夏をなあ、思っても
〆切の当日ほど事務および家事および健康志向が強まること極まりない様子でいかれこれ。これからラーメンなど作って食すかなあどうかなあ。 巻上公一さん率いるヒカシューの<入念>が届く。静かに、そしてめらっとうれしい。聴くぜ。清水一登さんが鍵盤で参加してるんですの。今月はライブもあるらしい。みんなで行こうヒカシューライブ。いつかな、タイ王国とかぶらぬことを祈る。 でもって今月の29日は吉祥寺マンダラ2で、COTUCOTU と、清水一登のAREPOS のライブがあります。どんだけ久しぶりのコツコツやねん。わたしいまからぐるぐる丸で、ああこんな嬉しいライブもないでよ。みんなで必ず行こう、必ず聴こう、コツコツ・アレポスライブ。コツコツの、夏、という曲は、わたしの一番好きな曲だ。一番だぜー。吉祥寺でお待ちしております。だからカレンダーにぐるぐる丸をつけてー。素晴らしい音楽を聴かせたいし一緒に聴きたいのだよってこれって何だろうか、愛だろうか。 年内のスケジュールらしきものをざっと予想してたら、そんなことおまえに出来るのかというようなきゅうきゅうなものになってびびる。そのくせ編集者さんには、「で、枚数と、〆切はいつ的な?」みたいな感じでひょうひょうと云ってしまえるのだからなあ。で、帰ってきた枚数に内心びびりながらも、「そーですなあ、それやったら夏の終わりにでも、サクっと、すんごいおもろいの、ひとつ」とか笑顔で云ってしまうのだったからなあ。夏の終わり、夏の、終わり、夏の終りっていつよ。わたしが終わった!と思ったらそれが夏の終わり、になるわけもなく、夏の終わりは夏の終わりですよ。みんなにわかる夏の終わりですよ。でもって夏が終わったら冬が来るんですよ。冬にも冬のご都合があるのだよ。あー今年はなんかもう色々たくさん死ぬ気でやれよーとこれからのわたしに思うわけです。投稿:by 未映子 10:51 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.06.13
こうしてまた6月も
おまえぜったい、無理、といわれていたビリーズブートキャンプも、なにをなにをサクっと6日間やっちまったよ。もちろん初心者ゆえビリーバンドはつけなかったのだけれども、それでも恥かしいくらいの効果が出るので、どうですか。だってさ、腹筋なんだかんだで30分はやるんだぜ?これで効果でらいでか!でるっちゅうねん。もうあかん、と思った瞬間すかさずビリーが、「根性みせてくれよ!」とか「痩せたいんだろ!」とかテレビの中からゲキるわけで、こちらはもちろん痩せたいわけであってついつい根性みせてしまうのである。ほとんど泣きながらではあるけれども。でも一週間やるとさ、二週三週とやりたくなるよん。これにヨガを加えればさいこうなんでないの。
今週の日曜日からしばらく、わたしはタイ王国へ行きますので、メールもろもろなどは再来週になってしまいます。どうぞよろしくです。タイ…、なぜタイ…。なぜならば、ほかに思いつかなかったから。秋には一ヵ月間フランスに行く予定をたててて、これまで旅が出来なかった自分をささやかに変革しようと目論んでたのですが、今年はまだまだ小説を書かねばならぬので、わたしの鈍くささを思うと企画倒れになるのではないかという気がいまからすでにしています。土曜日は永井均氏の講義の最終日。ああ。そっから出国だもんで、今日、明日、明後日でしなならんことがもりもりだん。とかいいながら昨夜はいろいろのもろもろで延長、飲んでいたら隣の酔っ払いのおじさんがあまりにうるさく、かつこちらの話にかなりの頻度で入ってきて、やいやいゆうのでキー!となり、それでもほっておいてくれないので、「もー!うるさいうるさいうるさいうるさい!話に入ってこないでくれたまえ!しかもその突っ込みはまったく面白くない!」と云ってしまい静謐なバーがまるで険悪。で朝の3時に帰ってきてんで7時に起きてゲラチェックしてをするっとファックス。書評を書かなならんくせにまだ本を何も読んでないという体たらく。うーむ。書類作成もむずー。
投稿:by 未映子 11:07 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.05.28
色々が割れてる
別にいい気分で、ということでも全然なく久しぶりにギターを弾いてならばやけくそになり爪のさかむけ部がすり割れちゃって頓挫。しかし興奮は続くのだから痛くとも一生懸命うたっていたら、目線の先にに足の爪が割れててそこから血が出てることに気づいてどきっとする。血が固まるくらいに出て甲とかにも筋になってる模様なのやが気がつかなかった、と思えば、ぱっと見やれば肘だってもなんだか皮がめくれてて血の固まった様子、が、これも気づかず。昼頃にお風呂に入ったときはシャンプーの際に沁みなかったので、いつなんどき、なんやろか。そういえば高校生のときは大阪の地下鉄谷町線というのにのって通学していたのでしたが、コーデッツの<ロリポップ>を学園祭で歌おうじゃないの、ってときに、わたしは、歌のなかのあそこ、♪ロリポップ、ぽぉん!っていうあの、ぽぉん、をやることになって、電車の中で練習してたわけなのですが、あれは人差し指を唇をすぼめた入り口のさしこんで頬のうらっかわに充てて絶妙な角度とタイミングで外側に弾けばいい感じの音が響くのでしたが、なんにせよ地下鉄はごうごうゆってうるさく、一生懸命にやってたら乗客のみなさんがこっちを見てるでないの、音も全然鳴ってないのに皆さんなんやろか、失礼やったかしらんなどと思って電車を降りて、駅構内の鏡をちらっと見たらば、口の周りがえらいこと真っ赤になってて、なんかねずみでも食べましたか、みたいになってて、ぎょっとした。ぽぉん!で爪で頬の裏から色々を削っちゃってて血がすごいことになってたんであったよ。お昼にごはん作ったらフライパンから油の塊が飛んできて瞼にくっついてしまってまだ痛い。なんか1日が6時間くらいの感じで過ぎて笑える。来月に出かける外国のことを思うと嬉しいけれどちょっと億劫でもあり楽しく不安、色々が割れてる。今日はなんだか寒かった。半そでで失敗しながらも目の前のお店でお汁粉を食べる。食べながら楽しいのだけどなんかそわそわして気分がぐらぐらしてるのやった。たぶんそのときに見てたものとか舌のうえとか感じてた色々が、限りある時間のなかで、とてつもなく素晴らしく甘かったせいで。
投稿:by 未映子 09:14 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.05.10
越境、ゆうがたの嵐
投稿:by 未映子 12:30 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.04.17
甥っ子、宇宙焼き
こないだ5歳になった甥っこから電話がかかってきて、「ミエコに質問。あー。でも答えれたらでいーよ。宇宙と世界ってどうちがうのん」とか聞かれて絶句、うへえ、こんな種類の質問てばうかうかとは答えられへんやないのとか思って構えて、「そ、そ、それは、それは、」と、もごもごゆうてると、「知らんの」「や、それは、…ちょっと待って」「…」「えっと」「…」「まず、」「…」「まず、…宇宙と世界は、」「…」「う、宇宙と世界はぁ、」「…」「宇宙と世界は、こ、言葉がちがう、」「…それから?」とか云われて答えられずにおると「もういいー」とか云われて電話をぷっと切られた。 ほんでそれから二時間ぐらい色々と一生懸命に考えて、結局うまいこれ!っていう言い訳を考えてよしよし!とか思ってうしし!つって電話したら、甥っこはおもちゃを片付けてる最中やったらしく、「あのね、いまボクおもちゃかたづけてて、ミエコが電話かけきたら右手にもつでしょ、そしたら左手でしかかたづけられないでしょ、そしたらかたづけるのが半分になってて今すごいこまってるからきっていい?」とか云われて、はっ、すみません、つって電話を切。ひゅー。
投稿:by 未映子 04:18 AM [日記・コラム・つぶやき, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック
2007.04.12
ヴォネガット、死去
なんかようわからん。
とびきり素敵なおっさんがとびきり素敵な本を書いて、んで死んだ。
よくわからへんが、素敵なおっさんがどっかに生きてるということそれだけで、なんでかそれはとびきり素敵なことやった。
なんか悲しいとかそういうのでもなく、とにかくよくわからん気持ちで落ち着かないので書いてる。
84歳、肉体的な死がショックなのか?肉体なんか知らんのに。
読者にとって作家の作品以外の死てなんや。なにこの気持ち。
投稿:by 未映子 02:30 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.04.10
日常生活を記録する挨拶
今日は起きてから届いてたインタビューのゲラをチェック。んで昼間ちょっと原稿書き。部屋が散らかりすぎていて涙が出てくる。でも、これは甘え以外の何でもないと云われるかも知れんが、物を移動することは出来ても、片付けるということは、実のところは物がどうなることなのかがよくわかっていないのだからなんかどんどん山のようになってるのであった。点在。
出てきた石の写真をとるかどうか迷って結局、断念。じっと見て、ぱらっと捨ててやった。昼間にそれについて喋ったミガンは、「あんた、つくづく終わってんな…。そやけどあんた、そんなことして、ざるとかゆうて、あんたの音楽きいてくれてはるみんな、読んでくれてはる人みんな、確実にドン引いてんのがわからんか」などというので「でもさ、ここだけの話、なんちゅうの、石っていうか出てきたあれさ、グリーンでさ、なんていうかパワーストーンみたいな感じでなかなかいいで」と告げると「ほんなら天日干しでもなんでもして首から下げとけや!」みたいな感じになって、「じゃあそのパワーストーンに穴あけてネックレスにして犬猫の首輪なんかにはどう」とかゆって、「それは悪い気を誘導しすぎて犬猫がすぐ死ぬ、すぐ死んでしまう」とか「では人間の携帯ストラップにどう」とか、ま、そういう按配で切。(あ、携帯で思い出したが、いま私の一押しの私の物まねは、ボーダフォンのキャメロンディアスが携帯で喋りながら爽快に歩くというのを、歌付きでやるというあれである!こないだ張り切ってやってたら、見ててくれてるはずの人が振り返ればいなくて、けっこうあせった)、けっきょく、ミガンも洗浄はやらんみたい。うーむ。そのようにしてつかのま盛り上がりをみせた肝臓洗浄ではありましたが、数日後に変化が見られるという噂もあり、楽しみ。
んで今日、そんなこってでおなか下してて、ふらふらになってた私は、新宿でヒヨコ舎の田中女史とひさびさに待ち合わせ、それから某駅で某アーティスト先輩と落ち合い、それから、なんでかヘヴィな焼肉を食べたくて食べたのだが、それぞれの健康の話になって盛り上がり、そしてなんでか、なんでか、焼肉食べたあと、そこから新宿まで5キロ弱ある道のりを、なぜか、なんでか、歩いて帰ろうぜ!ってなことになってしまったのであった。しかも私、10センチヒールで!! これではもう実質タケウマに乗って歩いているようなもんであるが、某先輩は部活ノリで、川上、声出していけよ、とかそんな具合で、道案内してくれたりとか、趣のある家屋を検分したりなど、夜はなかなかにとても楽しく、数ヶ月前までこのようには繋がらなかった3人が、なぜか夜中、このようにして目的をともに歩道橋をわたり川を覗き込み、なんやかんや云いながら歩いているのはやっぱ不思議なことであって、かみしめながらこれは人生の妙であるな。
しかしながら上京してこんなに歩いたのははじめてであるような気もなんとなくして、ネオン爆発、新宿駅があんなに恋しかったことはこれまたはじめてのことで、しかも某先輩はきっちり新宿まで歩いて、それから今来た道を電車に乗って帰って行った。だって先輩のお家は焼肉食べたとこらへんなのだもの。これはオリエンテーリングのようなものであった。三十路の。家に着いたら足がわらわらと震えていて、湯につけたらじんじんして、生きてるやないの。んで顔を洗ったら、はら、なんかつるんとしてるやないの。云う人云う人に馬鹿にされた肝臓デトックスではあったが、や、まだわからんよ。
最近は寝る前に何年ぶりかにレインの「狂気と家族」を読んでて、なんか涙が出そうになる。あと、サリンジャーが死ぬ夢を見た。門のとんがったとこで頭を打って。
投稿:by 未映子 02:33 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.04.08
最近・春・洗浄開始
最近の数日は、春風怒涛のゲラチェック、んで朗読会にでかけ、打ち合わせに打ち合わせ、海猫沢めろんくんがべらつきをするというのでそのトークショウも兼ねての「悪魔のいけにえ」のdvd発売記念上映会に行って、ああ!私はホラーをどう見ていいのかまったくわからんからこれまでホラーとかかわったことがないのにもかかわらず、これがたいそう美しく面白く感激、帰り道、何が面白かったのかと考えてると、音楽においても文章においてもなんにたいしてもしぶとくある私の好みの傾向がはっと理解できたのであった、んで取材を受けて、床に積もった服を泣きそうになりながら畳んだり、都知事選の投票へ行き(家の真裏に投票場があるでないの)、体脂肪にがっくりきて、めげずにヨガをし、友達の誕生日会へ行ったり、新曲をつくり、エッセイを書き、新しい原稿の打ち合わせをし、色々やってるがたくさん眠って、けっこう暇であり、本の装丁してくれた大阪の友人と話したりなんかし、そして今日は肝臓洗浄のまっただなかなのよ。かなしい断食であるのよ。
投稿:by 未映子 07:20 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.04.01
ご挨拶・また春になる
一年はこのようにして過ぎるのだなあということを一年が過ぎると思い知るがしかしすぐに忘れてしまうのだなあ両方を。
生まれたから死んでゆくのは当たり前であるけれども、三月は悲しいことがあって、ぐらぐらしてた。や、三月でなくとも、かつてぐらぐらでなかったことなどないのだけれど、人が死ななかった日などないのだけれど、そのぐらぐら部がどこであるかというのは激しく大きな問題であったのでした。ああ、春がやってくるな。もう、来てるのかなあ。今年もまたすべてのわたしが春になる。桜が咲いたらしいけど、見やんようにしてる。なんやろ。
そしてなにわ音楽ショウ、一年間聴いてくれて本当にありがとうございました。こういうときはなんか、何を書いてよいのかわからないので、これだけで、なんとか、どうか、よろしくお願いいたします。最後んとこはぐっと来て、わたしぽろっと泣いたのにブースの外では誰一人泣いてなかったぜ。さすがに慣れてるぜ。プレゼントに電子辞書をもらったぜ。んで帰りの新幹線で客死という語を引いてみたのだが意味が出てこなかった。ずっとまえに別の電子辞書で引いた、ブタ草の意味がすっごい綺麗で胸をうたれたので今回もこの辞書で早速ブタ草を引いたら、アレルギーの原因になることが多いなどとえらいしっかりしちゃってて、電子辞書にも拠るのなあ。ラジオ終了のご挨拶です、聴いてくだすった皆さま、一年間ほんとうにありがとうございました。
今月は22日に大阪でライブがあります。主催者である会社の女史が、風の強い春の日になればいいですねえと仰ってた。いいですねえ。前売りのご予約はこちらでお願いします。んでグランドピアノがあるっていうんでいても立ってもおられなくなりピアノの清水一登さんもお迎えすることになりました。楽しみです。
色々を書くぞ書いてるぞ、曲もなんか長くなっちゃってお経みたいなっちゃって、でもやってるぞ、作ってるぞ、色々も始まるぞ、どんな角度であったってなにかしらん、あってもらえたら、うれしいぞ、ぞ、ぞ、ぞ、と書きながら、ごそっと涙が出てきてしまうのだ、死んでしまってもういない人には、読んでもらわれへんような気が聴いてもらわれへんような気が、死んだこともないくせにやっぱりどうもしてしまうので、まいったね。んで読んでもらう聴いてもらうにはどうしたらよいのかを天気のよいこの春の中考えて、や、読んでもらうことももらわんことも、やっぱし同じなことなのかも知れへんなあと、そういうことを教えてもらったんではなかったかと、でもこの悲しい気持ち、スパゲティゆでても涙が出てくるこの気持ち、考えて考えても分らないのだから、考えなくてもいいのだけれど、やっぱり色々あきらめきれずに、考え中。
投稿:by 未映子 01:34 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.03.04
集英社文庫30周年記念特集号に寄稿と、お知らせ
3月10日発売の「青春と読書」別冊、<集英社文庫30周年記念特集号>に,
私の集英社文庫を三冊挙げてというわけで梶井基次郎<檸檬>、樋口一葉<たけくらべ>、太宰治<斜陽>について短文を寄稿しました。短文は書くのも読むのもとても好きです。是非、お手にとって読んでください。無料だそうです。お求めは書店で。どうぞよろしくお願いします。
ちゃんとした日記でもないけどいつも日記を読んでくださってありがとうございます。お元気ですか。毎日くださるメール、叱咤激励などなど、毎日読ませていただいています。ありがとう。
しばらく、日記をお休みしたいと思います。何かありましたら、またお知らせします。どうぞよろしくお願いします。
投稿:by 未映子 11:10 AM [日記・コラム・つぶやき, 書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック
2007.03.01
癖毛パニック
襟足がえらいことになってて、でももう髪の毛は伸ばすと決めたのだから、先週、時間を見つけて美容室に行ってきたわけだ、でも私はうねうねのくれりくねりの髪質でどうにもぱっと見、なんとも毒々しい呪いのカラスみたいな有様で、伸ばすにあたり、昨今は、縮毛矯正パーマなどをあてるわけなのですが、私あれキライであって、ぺらぺらんなるしなりすぎるし、適度な厚みは欲しいわけで、で、昔にあった普通のストレートパーマはないのかときくと、なんだかんだ云ってもないそうなんどえある。ヤキゴテを充てなければ普通だとかいうのだけれど、たしか縮毛矯正に使うパーマ液は特用であって、毛のコアをくるっと変革するんでなかったかしら、その変革がいらないのであって、ヤキゴテはまあいいんだけども、とかいいながら、結局、もともとの髪の癖を飲み込むようないい感じのウエーブパーマをあててはどうかというわけで、全体的にパーマをあてた。前髪は重めがいいのらしく、重めに長めに作ってもらった。前髪にパーマをあてるのも生まれてはじめてでどきどき。
で、翌々日など、寝起き、洗い髪で見るとウエーブもあるのだったが、乾かすにつれ、癖のもっとひどいようななんというか、巨人のわき毛に顔がついてますよというような、なんともえらいことになってしまうのであって、前髪が重たすぎて、きんとうん、のようになっておる。ちょうど目のあいだに前髪の裾ラインがあるんであって、ほう、ドラえもんってリアルでおったらこういう塩梅やのやなあと感心するも、それから雨の日なんかがあったりして、も、広がって広がってどうしていいか分らん始末、消え去ったウエーブを取り戻そうとおおろおろとカーラーを巻いたら、も、えらいことになって、爆発と発火が同時にあって唖然とする。誰にもパーマあてたかという指摘などされなかったし、だいいち目の前が髪の毛で見えないことで駅の階段などで発狂しそうになり、大阪からの帰り、またくだんの美容室に行ってきたわけであって、スタイリストも私もどうしようもなくなり、結局、パーマをきらいなヤギゴテで落としてみることに。んで落としたらとんでもなくオモロイ頭に成り果てて、ムッシュかまやつ氏も裸足、ああでもないこうでもない、ここがこのラインがちょっとキツいだの重いだのイカスだのなんだのしてたら、伸ばす伸ばすといいながら結局、なぜか、何故、どうしてこのようになってしまうのか、ほんまに、誰が、誰の、誰のもくろみか、や、1月から3月は鬼門といわれていた私であったが、はーあ、なんでか鏡の中にくりっと森昌子がおるわけであって。
私は伸ばしたいのだよ、もう、美容室に何年も行かずに済むように、長くしたいのに、ほんまに無理なんです。<未映子、長いときもあったやん>と先日友人に云われたが、あのときは縮毛パーマの世話になりつづけてあそこまでなんとか伸ばしたわけだが、だからおのずと髪の寿命も短くなって、痛んでポッキーのようになってたわけで、私の理想はこう、たっぷりとした重みのある、純で潤な長髪なんでるのに、ああ、なぜまたショートカット。また森昌子。またかつら。また小学生。またセクシー事情がこっぱ破綻。また猿。またきのこ。また何らかのボタン。しばらく誰にも会いたくないぞ。平和やで。美容室の女の子が妊娠しておなかが突然突き出ていてびっくりした。人の頭、それもパーマについての失敗談など誰も読みたくなかろうが、仕事について書いても何について書いてもそれは結局同じであろうから、まあこんな感じで。子供なあ。どうするかなあ。
<人がこれ以上考えるなら、今この場で発狂してやる>
猫のゆりかごp47・カート・ヴォネガット・ジュニア
おやすみー。
投稿:by 未映子 11:46 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.02.26
週末で半年分くらいの移動が
このひと月ほどラジオの仕事で大阪以外、ほとんど外出をしてなかったせいで、お金を遣うことがなく、また人にあんあまり会うこともないので、でも一稿があがったこともあって、ずいぶん前もってから約束したりご招待いただいてた催しに二日連続で出かけてきた。家から出るとびゅんびゅんってお金がなくなってびっくりする。えー。ほかにも行きたいお芝居や展覧会がこの二日に集中しており、行けなかったのもあり無念。しっかしこの二日間は非常に寒かったね。午前四時ごろ死にそうになったよ。世田谷で凍てつきそうになったわ。
土曜日は、青山ブックセンターでの森達也氏×斎藤美奈子氏の出版記念トークショウ、晩は下北沢タウンホールでのいとうせいこう氏×奥泉光氏の文芸漫談<テキストは野火>、んで日曜日は横浜でチェルフィッチュ×ほうほう堂の<耳かき>、続いて身体表現サークルの<しんぱい少年>を観劇。このよっつについて感想を書くのは頭的に無理なので記録のみ。全部が全部何もかもが違ってて、その場その場に行けばその場になるのであったからそれもとても面白かった。移動に聴いてた音楽は坂本弘道の<零式>。うーむ美しい。今バスに乗ってるみんなにまんべんなく聴かせて一緒にうっとりしてはおうかと笑顔で提案したいようと思ってしまう。週末は色々な人に会えて、ほんで久しぶりに長い時間を一日を、人とベタづきで喋ったので、どれくらい喋るのが適切なのかどうかを逐一見失いつつも楽しかった。大阪では百発百中のおもっしろネタも東京では5回に2回は外すのでこれもどきどきする。振った話の面白さが伝わってないとき、いわゆる滑ったというようなとき、顔が真っ赤になる思いじゃなくてじっさいにくわって赤くなる。なんの宿命。明日からまたしばらく原稿の毎日。曲をまとめねば。家に帰って湯につかってから赤すりをしてると恐ろしいほど垢が出てどうにも止まらず止められず、どこまでもどこまでもこすってるとどこまでもどこまでも垢が出るから、全部だしたろやんけと意気込みが意気込みを呼んで気がつくと酸欠のようになって白い風呂場が壁が目の前が真っ暗になって、椅子に座ってんのにぐらっとよろけてつるてん、頭打って焦って、どきどき音が文字で見えるくらいにどきどきした。今、髪の毛乾かそうか乾かさんとそのまま寝よか考え中。平和な週末。今日の帰り道、さんざんこの日記でも話してる<明晰夢>こそが来る格差社会(もう十分来てますね)において金のかからぬ最高の遊びであるから、これからは、も、これやで。と力説。みんな<明晰夢>をちゃんと検索して、なんとか見れるようになってみよう。起きてたくなくなるのが正直つらいところではあるが、がんば。
投稿:by 未映子 01:20 AM [文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき, 書籍・雑誌] | 固定リンク | トラックバック
2007.02.23
最大最高の明晰夢
原稿もとりあえず第一稿などがあがってしかしここから怒涛が怒涛に始まるのであってでも楽しみだな。色々なことが重なって、ちょっと時間も出来たしなー。顎にニキビ(吹き出物)が出来て困るというかもうこれ繁殖しておってから、ホルモンバランスとかストレスとかが原因よ、と色々いわれる部位ですが、このような原因を述べられても欲しいのは対処方なのやよ。私今ストレスを感じている、とタイミングにのりながら思ったことがない、正しくは振り返って、ああ、あのときのあれがストレスというものか、てなことはあるけれども、ストレスではね、どうもね。
今日は午前中に自宅で打ち合わせがあって、そこから今月末の原稿のあれこれを考えておったらば、睡魔が来て、あ、これはもしや、と思うと、これが、最大最高の大物であって、大漁であって、豊作であって、なななななななんと私は覚醒時間にして4時間ものあいだ、<明晰夢>でフルで遊んでおったのであった!!!!!!すっごい得した気分すっごい得した気分!明晰夢マスターのみなさまにおいては垂涎必至の状況であると思う…。
イメージする映像、重力、飛び、快感、あらゆるものが完全に自在する夢のような世界。夢ですから当たり前ですが、普通の夢と、ちゃうんやで!金縛りが来たらチャンス!ああ、今起きて動いてる体のなんと重たいことよ。
だいたい電話が鳴ったり現実のほうで何かアクションがあると明晰夢がいちいちさめたりひっぱられたり逃してしまってチッっつうこともあるけれど、今日のはもう今日の明晰夢はもう、なんていうか巨大な塊でやってきて、さあ遊べ!遊んでしまえ!といわれたようで、ものすごく遊んでやった。至福であった。至福。マジで至福。ものすごいブランコに乗った。ものすごい高速で飛び続けた。ものすんごい森へ行った。ものすごいセックスもしたし、ものすごい泳いだー!なんていうか、マトリックスのネオのあの動きをマジで体験できると思って下さい。明晰夢のやりかた、明晰夢については検索などしてみてくださいね。<寝て見る夢>と<起きているときの意識>のはざまでやるこの世で一番気持ちがいい遊びのことです。
明日は撮影や。朝早いので今から寝てもう一回明晰夢来てくれんかなーとかちょっと思ってるけど、それはさすがにないでしょうな。ないと分ってても期待してしまう私ってば欲どおしいな。
投稿:by 未映子 01:25 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.02.15
春が来たというのではないの
けっきょく雪も降らんともう春一番やったらしいなあ。私はいつまでこのような生活を続けるのであろうか。書いても書いてもよ。
ラジオの放送作家と談話してたら、笑いながら、「努力したら必ずやり遂げ成功できるというわけではなく、やり遂げ成功した人たちは皆努力していた、というだけの話であるのや(長州力)」
という私がんばるわ、という駆け込みをばっさ切られ、まあ、そんな二月。
ああ。こう、トンカチ金盥で頭をガンと殴られて、目覚めたら完成原稿が!ってことはないかな、ないよね、ないんだわ。もしくは中島らものごとく泥酔して目覚めたら完成原稿が!ってなこと。そんなんで出会ってもな。しゃあないしなあ。
着地したいイメージがあってそこへどうしても行きたいんやって、どうしてもどうしても行きたいんやって、こんなに求めてんのに、やのに、何でいかれんかー。
投稿:by 未映子 01:25 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.01.22
日記がすすむよ!お母さーん!
コーヒーいけるやんこれ美味しいやんってゆってがぶりがぶりと飲んでたら覚醒してして死に至るところであった。どきどき。ぎらついてぎらぎら。大阪では車に積んだ覚せい剤をパトロール中の警官に見つけられたときにはすかさず「今からみんなでお好み焼き焼くんや、子どもまってまんのや、何ゆうてまんのや、これお好み焼きの粉やがな」という人がけっこうおるらしいのやが、おとといは渋谷まで避難して気がつくと「ウシジマくん」を読んでいた。ウシジマくんにも覚せい剤がでてきたよ。冬なのでドラッグストアに売ってる巨大なボトルで980円くらいのヒアルロン酸のよくあるペラいローションを腕とか脚用にと思って買っておいたのを3日前何気に顔につけてみたら、これが劇的に感動的にイイのあってなんたること! 髪をかき乱したくなるほどにイイんであって、今までの投資は一体なんであったのであろうか、や、広告費に飽きもせず大枚はたいていたことは知っていたが、や、私はもう980円で半年は持つであろうこの安いローション一本でこれから先やって行こうと思う。やって行ける気がするの。そして春は四月、招待いただき大阪でライブすることが決まりました!関西のアーティストと共演だッ!ひさしぶりすぎて嬉しいね、どうなるのかなあ、詳細はまた後日ということで今からトムヤムハルサメ食べるます。そして先日書いた、例の獅子文六全集16巻揃い、状態抜群の品を、ななんと友人のピアニストからたったの1万えーん!でゆずってもらえることになって、このラッキー、どうしたことかしらん。
投稿:by 未映子 03:13 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.01.21
眠らないためにコーヒーを飲んだよ。
月末まで10日となり、こうなったらやるど!やったるど!やるしかねえだに!とか思いつつ、このメラメラ具合をいい具合に請けあうにはまずは周辺機器の整備からっつうんで、私はコピー付きプリンタと、まだ書いてもない原稿の来るべきゲラチェックのためにファックスを!ってなことで大量販売店コジマへ走ってゆき、これを購入し、んで最近目が疲れるからいかんのだということで医療用のアームライトを買いに行った。買ったのはいいがプリンタがプリンタとして機能するためにはインストールをしなければならんのであるが、パソコンをワープロ並みにしか使いこなせていない私にはすごく難しくやっとの思いで段取ったら、空き容量が全然足らんということを警告されて、パソコン雑誌に記事を書いているエキスパートな友人に深夜にもかかわらず電話で泣きつき、はじき出された数字を伝えると「動いてるのが奇跡」的なことを云われ、とりあえず緊急避難的にドライブCからDに色々を移すのだよということを云われ、なんでか思いも拠らんあんな画像、こんな映像でぱんぱんに膨れ上がっており、削除するにも削除されてくれないファイルもあって、取捨選択どころではなくて、そろそろ限界、おばあちゃんの貴重なスクワット映像も何もかも一括で全部なかったことにしたるわい!とすべて削除!しようとしても何回も何回も応答なしーとかしらばっくれて固まられて、忸怩、結局朝の五時までかかって泣きながら移動してやっとの思いでCのなかを1ギガ空けてインストールしてプリントアウトが成功したとき、生まれつき目が少し出ているのと目を見開き急激に使いすぎたので、右目のコンタクトレンズがひとりでにコロンと渇いて落ちた。まわりがドレープってた。んでさっきまで風呂で読んでた本がない!どこ探してもない!20分くらい探してるのにない!んで夕方買ったヘアバンド、シールだけ貼ってもらってなんか浮かれてて脇に挟んできたはずが家に帰ったらなかった!ちなみにそれと同じヘアバンドを私は以前買ったことがあるがどういうわけかそのときも家に帰ったら気がついたらなかった!なんやねん!本みつかった!
投稿:by 未映子 11:45 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.01.12
あかんあかんあかんあっかん
ヤフーからテプコ光に変えましょうゆうことで、申し込んでいたのやが、ついさっきテプコの人が工事に来はった。ちょうど蕎麦をゆでてるところやったので、あっあっ、と思ってあたふたとしたら蕎麦がコンロの上にこぼれてしまって、さっぱわや。あーあ。工事に来て、工事が終わって、んで玄関まで来て器具を渡してくれたけど、その彼の手のすべての指には指輪がはめられてて、ネックレスもすごくて、ベンツのエンブレムみたいなマンホールみたいな、なんか色々ごっつくて、よく見ると服装だけであれですけどラッパー風味の人で、これまでを振り返るにラッパー風味の人とこんなに近くで話すことがないのでなんかあれやった。そういえば説明の口調もなんかラッパーな感じ。私がマジラッパーやったらこのひとときの会話とてクールに韻踏んで返すのにな。本場では犬の散歩してるおっさんをビーボーイがラップでちょっかいかけてからかったりすると、犬のおっさんの方も即興のラップで韻踏んで説教するというではないの。
テプコ光グッズをめりめりと開けるもなんか接続のやる気がせん。締め切りが刻一刻と近づいてるのに、全然書けてない。小説に加えて、もう一個の連載の方もやらねばならない。そしてもう一個の連載のタイトルを今週中に、んでそっちの締め切りも今月末。小説を別にしたら、や、小説とて量は全然大したことないのに、なんで出来んか。友人の文芸評論家の人なんて、本読んで書いて本読んで書いてを繰り返しクールな文章を書きつづけ、怒涛の締め切りをこなしてやり続けていてうーむ、日記を拝見するにすごい仕事量に原稿力、最近はあんまり眠ってない、とか書いてあるのをみると我が身の情けなさに身震いする。私はきっちりと睡眠をとりごはんもたくさん食べ昨夜なんて卵パックええんちゃうのん、とかゆうて卵白を泡立てるのに腕が痛くなってちょっと運動になったかも、うしし、とかゆうてるこの体たらく。私が阿呆になってる間にもみんなコツコツと仕事をしていらっしゃるわけで。せめてあなたのぶんまで私がちゃんと眠りますから赦してくださいというような額をこすりつけたい気持ちになる。睡眠だけはまかせてくださいみたいな。はーあ。書けよ。お前は書けよ。初めて買ったカレンダーは一日が終わるごとに油性の極太黒マジックで激しくバッテン印をつけて、視覚的にも一日一日の完全なる抹消を脳髄に焼き付けようと目の前に貼ってあるけれども、気のせいでもなんでもなく、ここに座ると気分が悪くなって息苦しくなって死にそうになって絶え絶えリビングへと非難する始末。あかんあかん。マジであかん。この5日間ほど逃避という名の読書に埋没、数えれば16冊を読んでてそれで何かをした気になってるわけで本格的にあかん。人様の書いた完成された小説を読んで満足してるこの体たらくはも、あかんあかんあかんあっかん。生きてれば一応多分しなやかに月末がやってくる。残りの枚数(とか書いてるけど実は…)を残りの日数で割る計算ばかりをしている。月末。そのときに私の手元に150枚はあるのやろうか。あるのやろうか。はあ。この気持ちをリリック書いて町へ出てラップしてみよっかな。なんか刺繍したくなってきた。簡易マラソンもええな。ハリウッドヨガ。あと食器の漂白とか。床磨き。ファブリーズ。毛穴パック。クッキーつくる。脱毛。ペットショップめぐり。
投稿:by 未映子 03:10 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.01.07
加湿器っつうぐらいのもんで、kiiiiiii !!!!
なんか思いついてメモ書き、本来ならばノートにくんくんと書きするところを、私の場合、ノートはどこに書いたかがあんまりわからんことなるゆえに、開かなくなることもままあるわけで、目に飛び込んでくるのが吉、紙に殴り書きて、最近は糊のついてる紙もあったりするので、また、ピンなどで壁にはっつけてゆくという方法をして、そんなことを一年も続けているうちに壁が紙だらけで、それを見ながらぴょんと選んで、そこから文章を書くという方法なのでしたが、
年が明けて熱はないものの咳がこんこんと止まらないので、加湿器をフル稼働させていたらいい按配で、部屋が潤ってええ塩梅で、加湿器っつうぐらいのもんですごいね、まいったね、確実に部屋が湿ってるわけ。とか云ってて作業部屋に入ったら、壁にはっつけた紙がもろもろのくるくる、新しく買ったカレンダーもしめしめのうねうね、ためしにボールペン滑らすも何も書けない。キー!なんとゆうこと! もしやと思ってぐるりと見るも、本棚のソフトカバーの本の表紙もぐにゃりっと波打ってしめしめ、部屋中がしめしめで、壁自体も濡れておって、紙のすべてがロール烏賊のごとくまんまるくくるっとなって、あーあ。あかんぞな。不断の環境がこんなことで一新されて、難儀なことやなあ。せっかくいい調子であったのに、
ということで、壁から一年ぶりにすべての紙をはがして、棄ててもいいけど、ここに書いていた案もあるし、でもしめしめのもろもろやし、ならば乾かして再利用、というほどのものでもないしで、どないしよ。そんなこと思ってるうちになんとなく本の整理しよ、という感じで、そしたら機能的な本棚がそも要るんじゃねえの?っつうことで、ネットで色々検索したりするが、そういや私ここに引っ越してきたとき、一応本棚をちゃんと買ったはずやのに、何回もサイズ測ったはずやのに、来たら全然サイズが違うくて、平積みの憂き目に遭ってるのであったが、本屋さんで使ってるようなシンプルで頑丈な本棚はどこに行けば手に入るのか、誰か教えてください。どうぞよろしくお願いします。検索したら、なんとか先生のなんとかカスタム、という本棚がイチ押しだったのやが、なんや組み立てが不安であって。で、で、おすすめの本棚がもしあればこっそり教えてくださいまし。
ってなことでキーキーゆうてる私に、春から連載で一緒にお仕事をすることになった、kiiiiiiiのレイキンことアーティストの多田玲子つぁんからkiiiiiiiのdvdが届いた!封筒とかがいちいちかわいい。ので今から食べるど。じゃなくて、観るど。すんごいええ絵を描くのだよ。ずっとみときたくなるよな絵。連載の詳細はまた後日!もうちょっとあとやー。咳がこんこんと胸んとこがいたい。最近3日続けて悪夢を見てる。
投稿:by 未映子 12:01 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2007.01.01
明けながら明晰夢
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
大晦日は朝まで生テレビをぼーと見ていておかげで元旦はまだら睡眠という体たらくで、起きたり眠ったり。番組の最後のほうで、画面から離れたところでパネラー同志、声を荒げる小競り合いがあって、東京弁というか標準語というかで怒ってるのを聞くと、それがどれだけ激しくても、「どれくらい怒っているのか」を判断するのに、大阪弁のときのそれの、倍以上時間がかかる。しっかし!不安定な眠りのせいで、今日の一発目の夢が明晰夢だった! ラッキー!! 気持ちよくて、うれしかった。目覚めたくなかった! 明晰夢を体験したことない人に、私はのきなみ体験してもらいたいぜよ。たとえば山岸涼子著「日出処の天子」で厩戸王子が夜、体を離れて時空を自在に浮遊するくだりのセリフ、
(気がつけば月の高さくらいにまで飛んでいた)、(風のまにまに)、(あれほど夜空を軽快に走ったことはない) などなどはすべて明晰夢そのままの実感に感じられるのや。(実際あれをすべて人は夢というのだ、しかしわたしには夢ではない)。しかりしかり! そうよ。そうなんよ。明晰夢者の私としてはなみなみならぬシンパシーでもって、このくだり、まさしく共に浮遊する感じ。や、素敵な年の始まりでした。今年もよろしくおねがいいたします。それにしても目をとじながら、つぶりながら、普段の視覚にたよらずにくっきりと映像を見ているなんて、こんな不可思議な体験をなんとなく毎晩のように繰り返しているこの不可思議。探りたい目と夢の関係。
投稿:by 未映子 11:20 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.12.26
するめなイヴ、木曜日はフットボールアワーのラジオに出演!
ちかごろ過眠。うっかりするとどこでも眠たくなって困る。食べると確実に眠たくなるのでいっそも、ごはん抜いたろか!と思うも、三十路でリバウンドはもうこれ致命的に致命的であるから危ない橋は渡れないのであり。クリスマスイヴは漫才大会みながらするめ食べててするめ噛みながら寝てしまってて、起きたらするめの足がくちからころんと出て、夜中の2時やってめさんこブルー。眼が覚めてあわわわとなったのでアイポッドを耳につきさして小林秀雄の講義録を聞く。大和魂について。一発ですっこん眠りに落ちる。
今日は井の頭線に乗って吉祥寺まで、来春から始まる連載の打ち合わせ&顔合わせに出かけたのやが、面白かった!うっしし、早くお知らせしたいもの。それにしても電車はふくらはぎの裏んとこから熱風がいいあんばいに出てるのでこれまたうっかり寝てしまって、降りれば駅は出口もようさんあって、確実に迷う。うーむ。来月の中から一週間、や、ラジオ終りからラジオ始まりまでなので実質5日くらいか、詩の朗読が半分、遊びが半分でトロントに行く予定だったのですが、俺ん家に泊まってねって映像作家の友達が申し出てくれて、私はそのように予定をばっちり組んでたのに、「川上さん、今さぁ、撮影してて、壷撮ってて、家中壷だらけなんだよね、割れたりすると困るから、ほんと、ホテルとって」とか云われて、こんなことでは費用がうえしたちゃうわ、どないしよ、とかいいつつ、よくよく考えてみると費用問題も去ることながら、1月はなんやらかんやらでけっこう締め切りがあるので、トロントくんだり出かけてる暇がいつあるのやろうか。気合はどこにあるんやろうか。いくら考えても謎であって、っていうか無理であって、来月にしよっかなーとか今考案中。
明日はラジオで大阪!そのまま水曜日は大阪におって、木曜日のフットボールアワーの番組にもゲストで参加しますので、関西方面にお住まいの方は是非、チャンネルをば合わせてくださいましー!!! 後藤くんと岩尾さんに会うん久しぶりィ。
投稿:by 未映子 12:18 AM [日記・コラム・つぶやき, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック
2006.12.12
おしっこちびるわ!
おしっこちびるわ!というのは大阪で、あるいは、私の周りだけで、非常に面白かったという意味で使われるんですが、使われてると思っておるんですが、本を読んだよーというおかんと姉から電話があって、少しだけエッと思うも、本の中の「キャロルとナンシー」という、姉と私のことを書いたところを姉は読んでくれたらしく、読めたらしく、読むことができたらしく、おしっこちびるわ!と云って嬉々として電話を切った。インターネットも何もない環境で姉は暮らしてるので、自分のことが活字になってることにも興奮したみたい。明るい声の電話はすごいうれしかった。
さすがにおかんは52歳なんでおしっこちびるわ!とは云わなんだが、おかんもどこかで入手したらしく、「うち一生懸命読んでるねん、うん、なかなか面白いわみえちゃん、でも表紙、もっとハデハデやったらよかったのにねえ」とか云うので、これは野中ユリって人が、といいかけると、「そうなんかあ」とそんな感じ。ハデハデって。や、派手なことはいいことよ。シンディ・ローパーの言葉思い出す。
「気分が落ち込んでるときは、ものすごく派手でにぎやかな服を着るのよ」
デビューした時も、インストアライブでお客さんが全然おらんライブのときも、ちょっとでも盛り上げようとして誰よりも大きな拍手をしてるおかんを見つけると恥かしいのとかわいそうでいっぱいになったりしたものでしたが、やっぱりいつでも駆けつけてくれるおかんは、私が元気で楽しそうに何かをやってるのが一番嬉しいみたいで、早く、なんていうの、もっといい気持ちにずっとさせてあげようと思った。こういうことを書くと昨今あふれている家族小説ならびに家族愛、家族賛歌かよっつうんでもおええっつうんで辟易する方も多いのではないかと思うけれど、そうやなあ、こんなこといちいちこんなところに書かんとおかんに手紙でも書けばいいなあと、自分でも書きながら思ったりもやっぱりします。ううむ。でもさ、ライブで歌ってるときにお姉ちゃんとかおかんが見てるのを見つけると、こう、かなんー。なんかどわっと泣けてくるわけで。あの反射ってなんやろか。今でも、デビューした時の雑誌の切れ端とか、新聞とか、なんか色々を宝物みたいに大事にしてて、そういうのってなんか切ないというかなんというか。がんばらねばーと思う。
お父さんとは訳があって、仲は普通にいいのやけど、会うとすごい緊張してなんか雰囲気が悪いというか、固くなるっていうか、なんかあれなんやけど、お正月はちょっとだけ長く実家に帰って、おとんも連れて、なんか食べに行こうかなあとか考えてるけど、実際に顔みたらどうかなー。お年玉だけあげて、すぐに東京に帰ってまうんかなあ、いつもみたいに。どうかな。
本を出してまだ間がないけど、色々な感想をどうもありがとうございます。大切に読ませていただいてます。すごく励みになります。ありがとう。ライブのリハーサルもいい感じです。金曜日、お楽しみに!私も楽しみにしてます。早川義夫さんと峯田和伸さんの歌も今からものすごく楽しみでわっくわくします。「人生は工事中」、6時開場の、7時開演です。今回、チケットがなくなっちゃって取れなかった方、ごめんなさい。関西でもライブしたいなあ。来年はそうそうにでも…やりたいなあ。ラジオで毎週帰ってるから、近い感じがどうしてもしてしまうけど、ライブしてないもんなあ。京都でほぼ二年間ラジオしてたときにお便りくれたみんなのメールを時々読み返したりしてる。色々な人がいて、みんなは私のこと覚えてくれてるかなあ。忘れてもうたかなあ。あんときに喋ってたようなことが本になったって、知ってくれてるかなあ。大阪でのラジオも聴いてくれてるかなあ。どうしてるかなあ。みんな元気かなあ。
投稿:by 未映子 12:08 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.12.07
12月、まだ生きておる12月
●先日の第2回<薔薇を生むわたし、薔薇を愛でる、あなた>イベントに参加してくださすったみなさま、どうもありがとうございました。前回大人数、今回少人数ときて、人数のあれやこれやで発見が色々あり。途中酸素が足りなかったみたいでした。すみません。とにかくトークイベントはなんというか今、個人的にむずかしいっす。気持ちも技術的なことも。ゲストのみなさんは三者三様で、作品に対するスタンスがまったく違うのであったから、もっと時間があればもっと面白かったと思う。お客さんの参加もけっこうあって、これは少人数ならではのいい様子でした。やっぱもうちょっとひとりに対して時間欲しいなーと思いつつ。感想も公式サイトで受け付けておりますので、よかったら是非お願いいたします。
●今朝の9時に実家にオレオレならぬミエコミエコ詐欺な電話があったららしく、それはずばり私を名乗っていたらしく、なんやのそれ。なんか立体駐車場で困ってるからどうのこうの。立体駐車場で困るなんか最悪。考えたくない。けれどもこんな電話、なんかおかしいとは思っても心配になるらしく、ま、事なきを得たのだが実家の電話番号なんて数年前に変えたばっかりやのに、変やわあ。
●めっきり寒くなってきましたが私の今住んでる家は夏涼しくて冬暖かいというばっつりな環境であって、夏にクーラーを入れたのは5回程度、暖房は3回くらい。三軒茶屋やけどこんな感じ。でもま、コタツはなんとなく欲しいけど、私にはベッドがあるから、ま、兼ねて。エレクトロラックスの遠赤外線パネルヒーターで書き物の足を暖める。
●年明けそうそうに、や、もう取りかかりたいところであるが、や、取りかかれよ、取りかかろうよ、けっこう長めの原稿を書くので、様々を考えているのですが、私は結局一晩で30枚とかを書くしかない窮地にいつも立たされるのであって、ということは完全な1週間があればよ、都合210枚が我が手中に!!!!っつうトラム田向き、ちゃう、私は、ぬ、と、む、の入力をいつも間違えるのでこのような按配にいつもなるのですが、とらぬ狸の皮算用、いわゆる、とらたぬ、はあかんけれども、これ、一週間死ぬ気でいけば、一週間でいけるんとちやうん。とかゆって。とかゆって。かとゆって。今まで何回挫折したかわからんこの口が云うんであって。でもでも原稿の案を練ってる最中。くしし。やりたいことがあるんやよ。
●早稲田文学に寄せた詩に、じつに様々な方面から反響あり、びっくりしながら嬉しく感激。本も平積みの様を見かけたりして感想もどしどし届いております。皆さんありがとう。なんや好調です。今月はそうそうに歌人の穂村弘さんとの対談もあって、おもろかった。それもじきに詳細お伝えします。
●で、来週はライブライブライブ!チケットはもうすべて売切れてしまいましたが楽しみ。久しぶりのコツコツと清水一登さんとの演奏。週末のリハーサルまでに色々な準備をしてる最中。人生は工事中。楽しみにしていてくださいね。
●今年は色々なお芝居を観たり、お芝居にもひとつ出たり、人に出会ったり、面白いことが仰山あったわけですが、しんどいことも仰山あったし、個人的にも仰山があったけれど、ま、いわゆる普通の一年ではありました。なんか色々があったけれども2006年の総まくり、来年へのなんやかや、などはまた今度ゆっくりしようと思いますが、今月もまだまだ呼吸は続き、や、色々あることですから、みなさん風邪がすごいことになっていますからうがい手洗い忘れずにって、あれすんごい面倒臭いのも事実。でも病院へ行くのはもっと面倒ってこれも事実。っつうことで、ひとつよろしく。
投稿:by 未映子 05:34 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.11.14
業務ではないけど連絡ですみませぬ
一身上の都合により、しばらくのあいだ、正規の、というか個人的に使ってるアドレスに来るメールが読めなくなります。ので、御用の方は、電話などにしてください。どうぞよろしくです、とりいそぎー。なはんか一応、公開してる日記の場をこんなことに利用して後味が勝手に悪いけれどもどうぞよろしくです。や、mieko●mieko.jpのほうは読めますので、●を@に変えてどんどん送ってくださいね。
投稿:by 未映子 11:41 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.10.29
連絡網打尽、ぐっすりねえな
ある人に返信メールをしようとすると何故か決まってメールの送受信がエラー!になってしまって、も、ほんまになんでこんな始末になってしまっておるのか、そのたびにヤフーに電話して待たされて待たされて解決するのであったが、明日も朝から電話せねばならぬと思うと非常に億劫どころか、こ、も、なんちゅうの、ぶち割りたい気持ちになってしまうんであって、ということで、メールのほうも、なんちゅうの、しばらくというか、今晩というか、明日ヤフーが繋がれば問題はないのだが、受け取れませんし送れませんので、明日、や、締め切りの文章を送れないってなことになると、これはけったいなことになるんであって、ま、何が面倒って明日ヤフーに電話するのがただとても億劫なことなだけであって、想像するだけで、あ、しんど、私は、お風呂も入ったし、掃除機もかけたし、詩は明日きっと、きっと出来上がる予定やし、も、ベッドに身を投げて厩戸の王子と毛人のまぐわいをじっくりじっくり読むのだも、くしし、こうなったらば、もう寝るで、寝るよし、おやすみなさい、明日は朝7時に起きるれ、最近は好きな夢をみれるようにまたなったので、楽しいなあこら、明晰夢明晰夢っすよ、こんなもん連日寝てても起きてるみたいでちょっと気疲れはあるものの、みなさんもぐっすりおやすみなさい、ってぐっすりって英語のグッド・スリープからきてるのらしいがとにもかくにもぐっすりねえな。
投稿:by 未映子 11:25 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.10.04
いなかっむ。
こういう誤植を見つけるとほほほんという気持ちになる。しかしなんで今まで気がつかんかったのか不思議やなあ。大阪で10年前に気が違うほど食べてたラーメン屋さんでラーメンを食べるが、今はまったくなんつうの、よくわからん。なんであんなに入れ込んでいたのかが不明。しょっぱいだけで。今日は何度も金縛りに合う。金縛りというか、明晰夢というか。新幹線で2度も。武田百合子、ことばの食卓。
投稿:by 未映子 07:41 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.10.03
直角のうたたね
これから大阪へ行く。遠い。誰が今から大阪。私が大阪。
新幹線で寝れなかったのに、それは首が痛くなるからという理由でしたが、この度、寝るコツを理解した。座席はいっさい倒さずにそのまま寝るということ。これは起きたとき爽快でなかなかいいよ。
昨日は一日打ち合わせ。それから来月、某紙に寄稿する詩の断片をつくる作業を始める。楽しみ。壁に貼った紙に書き付けていって、それを組み立てていくという感じ。そして原稿を書く。このまま書けたらいいのにな。しかしもう出なければならない。お化粧するのが面倒。新幹線が面倒。
昨日COTUCOTUライブ行きたかったのにやはり無理やった。無念。昨日は編集さんが家に来たので朝から必死で掃除した。そして夜、絨毯の上に寝転がってだらだらとどうでもいい非常に面白い映画をぐずぐず観る。なんたる至福。頭の中がぽこぽこする。だらだらして至福。顔も洗わずに寝る。明日がんばろうと思った。明日というのはすなわち今日のこと。原稿書いてるがもう出ます。昨日寝る前気持ちがよかった。枕にマスカラの固いのがあたるけどもういいと思った。至福。久しぶりに真夜中お腹こわして今朝もんもん。時制がわや。
投稿:by 未映子 03:29 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.09.25
メールのお知らせ
いたずらメールに堪忍袋の緒がきれはせんえけど、面倒なのでアドレス変えます。
ま、いたずらメールにも20件に1件は、お、と思わせる掴みもあるのですが、そういうの集めた面白い文章群、誰かが文芸誌に載せてたの読んだけどなんやったか忘れた、集めてる人おるでしょうねえ、どっちにせよいたずらメールが殺到していて選り分けが手間なのので、すみませんがメールを送ってくださる方はこちらでよろしくお願いします。ご連絡。
投稿:by 未映子 11:16 PM [日記・コラム・つぶやき, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック
2006.09.02
極ではないけど私日記。
眠るタイミングを逸して今日は一日自律神経が失調。体が熱いよ。食欲がまったくないのでそのまえに薬局に寄ってウイダーインゼリを飲む。打ち合わせ。仕事の話から色々まで話が尽きぬ。お土産にぶっとい、でも軽くてクールな荒木経惟チョ、「東京日記」を頂く。どこを開いてもいまんところすべて同じ匂いを放つが、手当たり次第に読んでいけばおのずと総体が現れるやろうで楽しみ。しっかしぶっとい上に二段組。3000日を濃縮した超極私日記、とあるが、看板に偽りはなく、開けば吉永小百合のうどんのうた。ヨーコアンマ、人間は一生に2度ほどいいせりふを言わなきゃいけないんだそうで。少しまえ、銀座の画廊の瀧口修造展でのアラーキーのポラロイドマンダラ思い出す鮮やか、でも一個一個は思い出せない。昨日も張り切る打ち合わせがふたっつあり、色々な本みて回る。色々な形の本。電話をかける。メモをとる。痩せたといわれて確かにしんどい。店で3年ぶりの友人にバッタと出会う。昨日から書き続けてる文章を見てそのときはほおほおと思いながらも今読むとさっぱ、わや。くちゃくちゃとしたくなるもそれも出来ん貧乏性。一応とっておくメメシサ。ユリイカに掲載した詩について鋭い感想を昨夜頂いて、そこを読んでくれてたことに内心が爆発して踊る。午後は読むことも出来ないフランス語の発音を電話で情熱家の友人に失礼省みず喋ってもらう。ボ、しかわからなかったフランス語。きれい。文章の話をしてると一時間があっというま。あっ、あっ、っていう見解がごろごろ出てきて驚。私の中の私のものでもない部分がべらべらにわななき興奮する喜び。世田谷区役所へ行く。大阪のイカす写真家の友人に電話して撮影して依頼。来年中にでもウィトゲンシュタインとポパーのあの10分間の芝居したい。朗読のしたくせねば。
投稿:by 未映子 05:27 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.09.01
顔on顔の恐怖
七月と八月は芝居の稽古や本番でまるっと姿を消した。消したというか、巨大になった足で一跨ぎしたような瞬き感。演劇祭で富山からこっち、顎の辺りにもうひとつの顔に発展しそうなぐらいの、恐怖マンガよろしいニキビを超越した膿んだ小山のような塊が出来ていて、歩くだけでも響いて痛くて寝返りをうてばじゅるっと汁が出る。口をあけるにも熱を持ち、じんじんうるさいので、二キロ減ったわ、
んでよく行く肌クリニックに診てもらう。これはひどいわね、原因は疲労らしいのだが、私はそんなもん認めませんよ、疲労でいちいちこんなもんが顔に出来てどないすんねんっつうんで、とりあえずその処方たるや針でぶちっと刺して穴をあけて、五円玉刺抜きの原理で形成された器具を使って中の膿みをなんつうの、押し搾り出していくのだがコレがコレがもうコレがもうコレがもうコレがもうもう痛いという知覚をすっとばして涙へ直結。耐えに耐え、もう顔のどこ部が痛むのかがわからんことなるのにも耐え、こんなまでして出てきた膿みはぜひともこの目でみてみたい。見ねばならぬ。だってそれ私の膿だもの。そう、私は体内から出てくるものにひとかたならぬ愛着を感じて数十年、
涙で煙る美肌の女先生に「膿みを膿みを、見せてくだしい、」と懇願してちょっとヒキ気味の先生はえ、とかいいながら見せてくれたのだが、そっらもう、なんつうの、見たことない色した膿が、コロコロとネチネチと私の顎から採取されて立体、調子よければ球体よ、そらもう立派な膿が、こんな膿が、痛いし嬉しいし涙で煙ながらも私は「写真写真をこれでカシャと撮らせてくだしい、」とかゆうたわけ、写真もばっちり撮ったのですがそれをここに載せたい、このなんともいえぬ快感を是非分け合いたく思うのだが、これは流石にどうもね。訴えられるわね。痛みと感動で診療を終え、んで薬で化膿を撃退しつつ、今日の夕方の地震はなんか刺されたようでびびったね。ドンときてぶるっとしたね。自身から数分後、この感じなんかに似てると思いながらそれが何であるのかわからぬのだからイラっとして寸後そうだこれはいけてるセックスの一場面に似ているのだと合点して打ち合わせへ出かけたの巻。
投稿:by 未映子 02:09 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.08.03
どうも奇跡
暑くなったり寒くなったりの七月は済んだので、八月にはこの際しゃっきりと判決してほしい。や、先月末に締め切りだった詩を書き上げて寝たのが朝の9時なのに外が明るくなるので寝てもられんのだよ。今回書いた詩はしんどかった。詳細はまたいずれ。頭の中がしくしくまだ痛い。
少子化に泣くほど悩む夢をみる。夢の中の私は激しく少子化について困っていたので起きてからぼーと解釈に悩む。最近ご飯を食べては眠たくなってどうにもならんのでご飯を食べタイミングを考え中。ボンといきなり眠気がやってくるので何もかもへの情熱と行動が中断されるのだから、かなん。
今日は夕方から夜まで稽古や。行ってくるわ。鈴木メソッドというのを芝居稽古のまえにやるんやけど、みんなは楽々ときりっとやっているのに、初めてやったその日、私はふとももを筋肉痛というにはファンシーすぎるくらいの、もはや損傷というレベルのあれを受け、階段が降りれんかった。登るのは出来るのに、人の足というものは降りるときにこそ頑張っているのだね。
今日私を含めて道を行き来する人々をみていたら、これまでの我々はなんという任意の信頼関係で結ばれて、なおかつ先天的な距離をとりながら、完全に棲息していることだろう今のところ!だって歩いていたって突然噛み付かれたことはないし、熱湯をかけられたことはない。けれど当然ながらこの先はわからない。
偶然の信頼のうえで成り立ってる何事も起こらない日常と、突然殺されたりする日常の、どっちがいったい奇跡に近い出来事やろか。ううむ。
投稿:by 未映子 05:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.07.30
メロンに転向する日を想う、夏は。
●車に乗っててそれが大変に調子悪く、大阪弁で後部座席からやくざ口調でまくしたてるとなんとか動くので、激しくそうやってたら、目覚めても喉が痛かった。昼の稽古から戻って、締め切りが明日の原稿というか詩を書こうとしていて、なぜか爆漠と眠たくなり寝てしまったので、なんか頭の一部分が畳の一部になったように、編みこまれて、痛む。しばらくは畳をあんまり見たくない気持ち。よくみると日常品は常にただならぬ形状が形相で責めるのでひとりで眠るのは六角形の無風地帯、無辺地帯、ときどき入り口を間違えるけれど。
●台詞を入れはじめるのですが、この言葉の色々、頭の中にいつまで入っているのかなあ。記憶するということをわざわざにやることなど大人になってからはあんましないもので、多分に刺激的なことではあるけど、システムの原理がわかってないのに応用していることが人生の殆どだ。微々たる体の発動においても、どんな些細な認識においても。
●運転免許があればいいなあと最近なんとなく思うのですが、例えば助手席に乗っていて、(私はいま、運転しているつもりになって、この目の前の大きなガラスから向こうの景色を注意してみるのだ、みるのだよ)と思って注意してみていると、パラパラと雨が降ってきたりして、すると、どうやってもガラスにつく雨、水滴のほうが気になって気になって仕方がなくなる。水滴はけっこうまるまるとしていて、肉感的ですらあり、信号の色やなんか色々を吸収して発色し発光するのでどうしてもその存在感を無視することが出来なくて、いや、お前はいま運転手、道路を、標識を、信号を、前の車を見よ、と思っても、視点がちらちらと動いて、こんなんでは到底無理だと本当に思う。こういうことは誰に相談すればいいのかわからないけどこれとて不安、不安ですけどこういうのにはぼんやりとした不安印はつけられませんね、無記名から脱出すると、それぞれがめいめいに騒ぐので。
●自動製氷機で氷が作られるときは氷が音をたてて落ちてくるのだが、その落ちてくるときの音がなんていうかごっつい骨を難なく折る音に聴こえる。あるいは誰も見てない花火が散る音にも聴こえて、それは予想しない時にいつも鳴るので、いつもぎくりとする。地震みたい。予測したことは必ずや裏切られるという理想に基づき、地球上の人類が地震のことを忘れるほんの一瞬があってその劇的な間隙を狙って地震というのはやってくる、という懐かしい恋人との仮説を思い出す。なので、その仮説に拠るならば、地震について考える一定の時間を全人類の義務にして、それをリレーすれば、地震は起こらないということになるのだったが、そんなことを云いながらたまにやってくる地震におどろき、あ!いま世界の誰ひとりとして地震のことを考えてなかった!といいながらうきうきした気持ちにもなるのだった日本の世田谷の四角の白い一室で。
●古本屋で野中ユリ装丁版、尾崎翠全集を見つけると持っていても買ってしまいたくなる、放っておけなくなる、後ろ髪ひかれる思いというのを人生の5度目ぐらいにしてガンガンに感じてしまう。頭を撫でて、撫でてもらって、そして靴を履かせて家に連れて帰りたくなってしまう。あの本はなんていうか、抽斗みたい。これはひきだし、と読むのだけど、なんだか柚子、という漢字に似ているね。
●本ばっかり読んでてもあれなんでたまには映画を観ようと思うもどれも最低に面白そうにみえるしどれも極上につまらなそうに見えるので、何をみていいのかわからないので、私は彼女の漫画が人の顔ばっかりでけっこう好きなので内田春菊が主演の「ビジターQ」を観てテンポ良くもさくっと落ちる。でもさ、内田春菊氏をあそこまでやらせるものって、それが目に見えるものでも見えんもんでも、説明できるもんでもできんもんでも、とにかくそれって何やろうか。監督の魅力かしら。内田春菊演じる母はシャブ中で学校では半端なくいじめられてる息子から家ではシバキまくられ、ああもう母乳がすごい飛んでた。飛ばしてた。子どもを生むとあのような乳首になるのはこれは仕方ないことかしらん。植物の茎のような。ううむ。エンディングの歌が湖のようにとてもとてもよくて思わず調べたら坂本弘道氏もライブをしたりしてる「リアルタイム」というアーティストやった。私が本当に見たことある湖は琵琶湖だけですがそれはあんまり全然奇麗ではなかったが、イメージは必ずしも実体を母とせず、おたまじゃくしの詩を書こうとしてる時なんかに本物のおたまじゃくしなんか見ちまうと書けるわけがないという詩人の話を思い出す。湖というのは本来奇麗なものなのだと私の頭の中では。
●西瓜というのは悲しい食べ物だ。食べながらあれやこれやと特に出来事もなかったくせにやってくる思い出を思い出して、あの味はたまらない気持ちさせる。体の細胞はすっかり入れ替わったのだから厳密にいうと幼少の私は私ではないのだからもっとリラックスしてはどうかと思うけれど、味は何故かいつもおんなじ。おばあちゃんと夏になればいつも食べていた。西瓜はすごく美味しかった。あ、この夏はおばあちゃんと西瓜を食べよう。おばあちゃんが死んだらもう私は西瓜を食べられなくなるのがなんとなく目に見えているので、その暁にはあんまり思い入れのないメロンに転向しようと思う、夏は。
●このようにしてある日突然自身とともにあった人生のなかほどは、誰の了解も得ずままにして水道水のごとく過ぎてゆく流れてゆく。手を洗いながら、この世界、誰の思いつきかは知らんけれど、趣味の善し悪しはおいといて、まあ、いいんじゃないの、と思う、笑う余裕もある夜の中。
投稿:by 未映子 12:59 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.07.13
ポッドキャスト、「両面感情機械」第2回が無理無理に配信
人生がはかどらんと思ってたら何や、世界が暑いのであった。家にいる間は冷房をつけぬのだったから暑いのだった。汗が流れたら水をかぶるので知らぬうちにきっと体力が減ってゆく。昨日は突然やってきた躁でしんどかった。今日はどうだろうか。鬱でもしんどいのであった。蒸すぜ。
というわけで誰もちっとも覚えてないとは思うが、暑さにうかされてラジオやってみました。第二回。やれば数分で完了するのに。このままでは半年に一回のラジオになってしまうなあ。なんとかまあちょいちょいやるぜ。暑いからくれぐれもご自愛よろしく。
ところでベランダの花がちっとも咲かん。丸で草だぜ。
投稿:by 未映子 04:59 PM [日記・コラム・つぶやき, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック
2006.07.08
素敵な戸川純
曇りの昨日、試着室から出てきたら同じワンピースを着た人が隣から出てきて、それは戸川純だった。生きてる…。戸川純でなければ、それはもうなんていうかもう、山の人のようになってた。
髪は屏風にかかれた獣のたてがみのようだった。今たった今、山から都会に転がり這い出てきた戸川純は店員とも誰とも質問も何も独り言にしかなってなくて、私のネックレスが目に触れたらしく「おへ、ヨウロップねへ」と独り言。
素敵な午後でした。
投稿:by 未映子 01:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.06.25
歯で穴をあける
ラジオで大阪に帰ったついでに姉の家へ行ったらば3歳の甥がいるので加えて1歳半のもうひとりの甥と連れ立って公園へ行ってブランコに乗せてやったらばものすごいテンションになって「ワンツースリーホウ!阿部ッ!阿部ッ!」とアタマが悪いんではないかというほどに舌を垂れアタマをまわし絶叫していた、もっともっともっともっと押してくれーというので一生懸命それを持続させてたら一瞬間、急に黙ったのでブランコを止めてみたらエラエラと白いものを戻してめっさ焦った、酔うというのがいまいちわからぬのらしいで、大人からしてみれば難儀な過程も子どもにしたら結果以外は難儀なことではないのだな、夏に出るお芝居の台本を読みながら人間が人生と教訓と感動について記録することと綺麗な足の女性についてイメージを浮かばせても子どもが近くにいると考えは何処にも溜まらないのであって、子どもといれば子どもであるなと思うわけであった、る、またまた昼下がり、テレビを見てるとでっかいピアノが出てきたので、見てみ、あれは世界で一番か二番目かに美しい楽器。おまえピアニストになる気はないの、頑張ってピアノ弾けばどう、鍵盤とは白と黒のふたつで見てるだけでいい気分になるよ、いうと、シャワー屋になりたいというのであって、シャワー屋てなに、というと、シャワーの水かお湯が出るあのたくさんの穴をあける人のことらしい、穴は何であけるのときくと歯であけるのだそうだ、大きさが全部一緒でなけりゃああかんので難しいのでは、ときくと、全部好きな大きさでいいのだそうだ、雨は睨んでおるな、雲も体も、重た、重た。
投稿:by 未映子 01:59 PM [日記・コラム・つぶやき, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック
2006.06.16
送信は無理 蕎麦は食べる
ヤフーよ ヤフー
一昨日から色々勝手にメールの設定が
変わったみたいで モロに被害を受けてますー
受信は出来るが
送信が
出来ない様子になってまい
目から入った情報はそのまま体にたまるから
苦しいのよねと
伝説聖女がゆうとった
乾燥イチジク体にいいからお食べなさい
っつうんでぽりぽりかじっていたものの
裂け目から内部をじっとみてしまったら
気色が悪くて
お口の中にめだまがなくてよかったわ
お口やて
ヤフーに電話して解決しよかと思ったが
そんな元気がないので 友達に電話してあれこれ聞いても
わからないのだって
メイド喫茶に対抗して
執事喫茶があるんやよて
執事 執事
執事って何をする人か
銀河荘なの!
思い出す
私は8月にお芝居に出るので
劇子式ではなくて
客演というのかすら
本稽古に先立ちプレ稽古に行ったりしていて詳細は
また前売りチケット発売が近くなったらお知らせ
だって観たいと思ったらすぐに買えるのが
とてもいいと思うんですわ
青く沈んでいく夕方に白青く光るでっかい果てに電子看板
私がからすとかやったらば
あれを目指してとりあえずは飛ぶんですけど
投稿:by 未映子 07:11 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.06.11
量はおのずと質になる
夕方になればどこかからピアノの音が流れてくる。練習。音階。助け合ったり凭れあったりつんのめったり。毎日、私がこの部屋におったらば時間は同じくらいにゴリンゴロン、ゴロンと教会の鐘が鳴る。誰が鳴らすん。毎日毎日。日常の義務というものがもしあるならば、彼にとっては鐘を鳴らすことかいな。もしかして自動鳴らし機。義務。私にとってのそれはなんだろう。子どもの頃は我慢であった。んで通学だったね。学習だったね。親子・家族関係だったね。たくさんの人は大人になって、誰かを感心させるための説明ならいつまでも続けることは出来るようになるけれど、ただぼんやりと、言葉にせず、しかしながら胸のうちで、何かを云わないでおきながらそれが自分にとっての最高の答えになる、っていう、そういうのはいつの間にか、もっとも馬鹿馬鹿しい所作のように思えるようになってしまって、黙ることが出来ないのだった、だったね。
しかしながら大人になるというのは好都合もありながら、やはり不自由なもので、本当に厭なら、本当のところは何もかもやめてしまえることも出来るのだった。やめてしまえる、うっちゃれる、この恐ろしさ。この恐ろしさに気づいてしまったのだった。
どこにあるかわからん教会の姿はまだ見たことない。
薄闇の中ベッドの脇の電気をカチとつけてサリンジャーの「ゾーイ」を読んでいたら昨夜から登ってきた熱を冷ますために敷いてたアイスノンが分解。ぶにゅとして固定も分解。
「うわサリンジャー。もー29歳やのに!」と先日、人にからかわれる。シーモアが死んだのは31歳。これ何処で書いてはったっけか失念したけど「量はおのずと質になる」
ほんまかいな。嘘でもいいけど。
投稿:by 未映子 11:05 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.05.30
手紙、青色ト息で気散じ
ドトールに座って手紙を書いてたら、横一列が全員何かを紙に書き付けていて、今このとき、誰かが誰かに語ろうとしているのか、ひとりごとなのかはわからないが、とにかく詩やら切ないやらメモやら怒りやら業務連絡やら宿題やら思惑などが、それぞれの頭蓋か心の中にあり、まったく見知らぬ我々ではあるが、何かを書いている、という点では同じじゃないの我々、ふふ、面白いねつって、頑張って生きようよねつって少々心あったまる気持ちと本当に馬鹿馬鹿しい気持ちの半々。レモンティーは時間が経つにつれ苦くなる。
しかしながら右隣の少年っつうか青年っつうの、二十歳は越えてるやろうが椅子にもちゃんと腰掛られぬほど参ってる様子で、彼は一行書くごとに、「あふぅ」だの「おっほぉ」だの「えぇふ」だの青色ト息を漏らすのでこっちが気散じてしょうがない。ま、手紙っつうのは書いてる最中にちょっと興奮しちゃって感情耽溺五割り増し、泣けてきたりもするものなんであって、ま、いい具合に鼻腔あたりにツンとするオセンチを蹴散らしてくれたのはありがたがったけども。
ト息の発せられる感覚も狭くなって、多分それは自意識と自分で認めるまえの自然の発露であって、別にポーズというのでもなんでもなくて、青年はとにかく苦しいものなのだ。青年の裡には箸を持って椀に目を落としているだけで「切ない」と「無常」と「うどんの麺」が結ぼれて身動き取れなくなる沸点が無数に点在するのであって、や、青年だけが苦しいわけでもないですが、青年の苦しみというのは大体が好んでするもんである。拾わんでいいものまで持ち帰って用途、収納に困るというような、自分が拾うこと自体に何か意味があると勘違いしている節があり、それはそれでいいのだけど、使用方法も捨てる方法もなかなかに思いつかず、人にやるには勿体無い、のでただ置いておき時々眺めてはこれの値打ちがわかるのは俺だけだねと、とにかくそうこうしてるうち、そんなもんには一切の値打ちはなかったのだと悟ることろには部屋は埋もれ臭いもするわで、最近出来た彼女にはこんなものを集めてたとは絶対に知られるわけにはいかんのであって、おいおかん、今度の日曜までに捨てておいてくれと丸投げしやなしょうがない始末、ま、けっこうしんどいものなのだ。
とはいえドトールで何がそんなに苦しいねんと、部屋帰れぁ部屋ァ、と、ちらと見やるとでっかい文字でなんか色々ランダムに書き殴ってあるある。モロモロになったノートに思弁タコ殴り書き。
「人は名作を読むと影響されるか」「人は誰もが伝えたいことを持っている」「僕はある本に出逢った、ラッキーだった」「この世界で生きるということ」「ただ君に逢いたい」「たとえ絶望が僕らを満たしても」
などなど。ほほー。私はもうすぐ三十路であって、ト息はもうあんな風にはつかないけど、突っ伏して書き姿は同様、ついでに考えてることも結局のところ同じであった正午。
投稿:by 未映子 04:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.05.27
一億総記録魔
携帯電話のアドレスが急に初期化されていて自動的になんか長ったらしいのに変わっていた。暗証番号すら覚えてないから端末での操作ではないみたい。いやん。
メーカーに電話をして初めの女子の説明のえー、えー、えー、という甲高く綿毛のような発声と応対にうまく中心が掴めずお腹も痛いし時間もないわで別の人に代わってもらう。しっかし結局、解決、はしなくて、なんでやろうねーという世間話で終り。アドレス変わりましたという連絡も手間がかかって疲れた。まあ携帯電話ぐらいどうでもかまへんおす。
週末は大阪で所用があってMTV観にいけなんだ。ああ。雨が降ったり止んだりしてるなあ。振り向けば書き言葉で社会は溢れていて、世界はいつだって静かなのだった。
社会では戦う姿勢は美しいのらしい。人は人にようさん云いたいことがあるのだなあ。自分に向かっていいたいことが、自分に向かって言うだけでは物足らなくなるのだろうなあ。
釣りが出来たら私の人生も大幅に変わるだろうになあ。ぼんぼんぼんとちょろっと京都に寄って自分のみやげに貝合わせを買う。ちゃっちい夕顔の絵。新幹線はいつも混んでいてみんなが絶えず移動しているのです。ここはたくさんの無言。
日記っていうかこんな具合に。果たして誰が何のために誰に話しかけているのやら。乱射された説教はどんな彼方を連れてくるのだろうか。人生賭してのプライド合戦というのは、優れた記録を残すという一点のみに集約されているのであって、どっちを向いても一億総記録魔。
そうでもせんことにはこの恣意に始まって恣意に終わっていく人生を生きるしんどさに、なかなか説明がつけられないと、そういうわけで、結局はただではしんどい人生生きてはやらんという損得勘定であろうか。
や、人は言葉があるので、単に、記録をしたいだけなのであろうな。しやん人もおるけれど。
投稿:by 未映子 11:39 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.05.18
永遠のはざま、キャーとかないわ
今からこう、しゃきっとばしっと風呂でも入って、や、シャワーでいいけど、こう、水洗いされたキュウリのように瑞々しく、生まれ変わって出かけたいのですがバイク便、今から手配しますよってに、という電話から一時間以上も経ってるのに音沙汰がなくて困っちゃう。ほな音楽でも久しぶりに聴こか、つっても音楽は耳に充てて聴きたいからそんなことしてたら誰ぞが来たってわからへん。そうやって見逃したこと何回もあるのですから、果たして音楽も無理。
はあ。何をするか。何やって時間を真綿で追い詰めよう。部屋を見回す。あ、冷蔵庫。そうよ冷蔵庫。私はスキップふたっつで台所へ跳ね飛んでいき、バチャっと扉を開けてみるけど、中はすさまじくがらんどう。ええ肉をジューシーさを新鮮さをパキっと固めたらあとで美味しくいただけますからね、まかしとけっつっていう個室もあったりするなかなか大きな冷蔵庫なのに、ふきすさぶがらんどう。そうやった。忘れとった。私は、自炊のためにはまず保管場所がなけりゃあ始まらないね。っつって大きいの、買ったんでしたが、忘れてた。
私は元来、ものを貯蓄、そう、貯蓄に関するすべてのことにてんで能力がなくって、金はもちろん、銀行を基本的に使わんし、生活においても、ためしに洗剤などのストックなんか買ってみてもその存在を忘れてしまっていて無くなればその都度購入するからストック分は永遠になくならず場所をとるだけで、そこにまたあの悪夢のような収納とのせめぎあいが繰り広げられることにもなり、ああここにもひとつの永遠が。なんてゆうてても私のすべて何の役にも立たず、ストックと私、この互いの無意識裡の苦しい思いだけが其処かしこに漂うのみである。食べ物とて同じ。私のストック能力が及ぶのは玉子6個ぐらいです。なので、結局、私は今日ぐらいのことしか考えられず、明日の私が何を食べたいのかを想像する気力も能力もなく、そうして哀れな冷蔵庫はキンキンキンとただなんもない空間をおとなしく電流の云われるがままに冷やし続けているのを続けていくしかないのである。友人の家の冷蔵庫はぎゅうぎゅうににぎやかである。どきどきしながら何が入っているのかを検分したことがある。
さらりとした梅酒。ソース。マヨネーズ。豆腐。キムチ。ウインナ。なんかレトルトのなんか。ドレッシングが何瓶も。ベーコンの塊。美容ゼリー。ビール。タッパーに入った惣菜ようさん。ビニールにくるまれたなんか。玉子。納豆。奥は、もう、見えない。よー。野菜室も、冷凍室もぎゅうぎゅうやった。
私は跳ね飛んで机の前に戻る。積まれたCD。壁に貼られた粘着部付メモ用紙。はさみ。書かれた番号。色鉛筆。ブローチ。電話の子機。財布。全員がしらけてる。ほー、と息をつきつき、バランスボールをばいんばいんと鞠つき。しーんとなって、曇ってんのか晴れてんのかようわからん天気やのーと口に出して独り言。こうなったらガーデニングでもやるか。土買うて。種買うて。刺繍でもするか。丸いの買うて。布買うて。そういや私、小学校の時刺繍クラブやったんやわ。クロスステッチ、な。そういや私、生まれて痴漢にあったこと一回もないんやわ。キャー!とか、な。ないわ。
投稿:by 未映子 02:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.05.15
もしもし、万能機関ですか
インターホンが連続で鳴っているのに途中で気がついたので都合何回鳴っていたのかは不明、しかしながらその連続音でびっくりして起き、みるとまだ朝の5時。えー。んでちょっときちがいじみた、でもちょっぴり冷静さがまた病的なピンポン攻撃にびびりつつ受話器をとって「ハイ」とか云ったのだが無言。
気色悪いっつうんで、うわーとか内心云いながら、受話器を戻す。んで段々もっと気色悪くなってきて、うちは一応オートロックなんですけどあんなもん何の役にも立たんし、もしかしたらピンポン鳴らしてた人は新聞屋さんに紛れたりして上がってきててこの扉のすぐ向こう、マジ玄関におるのかも知れん。どんなビジュアルがそこに展開されているのやと思うと覗き穴を見る勇気もなく、こわ。んでこちとらパンツ一丁やし、集合玄関に下りていくのとか無理すぎる。こわ。
したら10分後にまたピンポンの連続が!なんでうちやねんな!コラ!この部屋のピンポンを鳴らすということは、どの部屋でもなく、この部屋を意識しなければピンポンは鳴らせないのであって、つうことは確実にこの部屋のピンポンをこの時間に鳴らしたいっていう確かな欲求に導かれて誰かは「呼ぶ」ボタンをプッシュしたのち、部屋番号をプッシュ、一回につき鳴るピンポンは一回だけなので、鳴り終わったあとにすぐさま「消」ボタンを押し、また呼ぶボタン→部屋番号→鳴る→消ボタン、うわ面倒くさッ、それを繰り返しているのであって。こわ。こういう所作は断じて酔っ払いの仕業などではないのであって。こわ。もう一回受話器をとり、今度は輩調で力強く「ハイ」。でも無言。こわ。どころか夜明け時の青い部屋で私はぽつんとピンポンピンポンピンポーンに周りを囲まれ、怖すぎる。なによ。で、何なんよ。落ち着いて水かなんか飲んで、溜息。んで、はっはーん。わかりました。これは誰かがやっぱ私を殺しにきたんちゃーん、とかざっくり思って、だって世の中の殺人なんてのは詰まるところすべて理不尽なもんであろう。まったき理不尽。どこの誰かはわからんし動機も想像もつかぬが、なんかそういうめぐり合わせでもあったんでしょうね。こうやって事件は現場で起こるわけですよ。都会の闇から愉快犯がむしゃくしゃして気晴らしに。などなど。この度私にお鉢が回ってきたという、それだけのことではないのかしら。でもやすやす殺されるのもいかがなもんか。友達と「強盗などが部屋に来て、殺されそうになったらまずどうするか」というシュミレーションを好んでしていたことがあるが、まったく役に立たないことが判明。玄関出たらなんでか武器や包丁持った人間がおることをゆるく想像してみて脱力。ちょっと在り得そうでこわいよね。こちとらパンイチで寝起き。しかもコンタクトレンズ未装着。視力0.03では戦いにはならない。基本テンションが違いすぎる。そういや私部屋にカーテンしてないしな、私の日頃の体たらくを誰かがどっかから見ててさ、んで見かねてこのアマだらだらしやがって死ねば?つって己の正義を根拠に、成敗欲っつうの、天誅下したい欲っつうの、おるやんか、そういうのに心身駆られた人がさ、んで掃除よろしく私をさくっと刺しにきたんちゃーん、とか思って、あーこのあとまだ生きてたらカーテン買いにいこ、とか思って、いや、もしかしたら若い頃に私の彼氏と浮気して、浮気したことは別段その女に関してはどうでもいいのだがあの日あの時あの女は私についた嘘が私をヤクザにしてしまったのだ、んで考えうる限りのひどい目に遭わせたあの女が頭おかしなってここを突き止めて、とか思って、それやったら全然いいが、あ、もしかしたらこれは宗教の勧誘かもしらんなーとか思って、普通の時間に来て普通の勧誘したってんなもんひっかからんから
「失礼します。こんな時間に参りましたのは当方の神からのあなた様限定の強烈な啓示がありましてうんぬん」とか青い光の中ゆわれたらばこっちも「まっ。私様限定の啓示。そうしましたらそば茶でも」なんてことになりかねんからこの時間の宗教勧誘ってなんかええんちゃうの、とか思って。でも受話器の向こうは無言なんでして。んで不安でありながらどこか確信に満ちた気色悪いピンポンが連続。こわ。
というわけで私は面倒くさいの半分と滅茶苦茶な恐怖の気持ち半分で、私の気持ちどっちかにまとめようよ、とか思いつつ、ピッピと警察に電話した。スムーズ。世田谷警察に電話して事情を説明したら最寄りの派出所に回してくれて、そこでまた事情を説明。もちろん警察にとっては全然スペシャルな出来事でもなんでもないらしく、淡々としていて、でもま、とにかくこっちに来てくれとゆうたらオッケーだというので、これ以上ピンポンの音を聞きたくなかったので下に着いたら電話下さい、とお願いすると勤務時は携帯電話を持っていないという。ほー。意外であった。出先でなんかあったら携帯で誰かに連絡するのがまっさき好都合な時ってどうするんやろうか。携帯持たん理由がわからん。小学生が持つよりはるかに意義があるんやないの。
でもって警官は比較的早く来たが、単なるいたずら、ということで落ち着いた。来た警官の靴があまりにもピカピカであって光りすぎで制服からモロに浮いててこれはいったい誰がどんな目的で磨き上げたのだろうと一瞬よぎる。奥様かしらん。しかし靴ってどうやって磨くのやっけ。けっこうややこしいのよね、などなど。んで最近こういういたずらつうか被害ってありましたか、なんでウチの部屋だったのでしょうか、こんないたずらオモロクもなんともないわ、この階までベランダ登ってこれますか、などと矢継ぎ早に質問&感想、するとこのような時間帯のいたずらってけっこうあるらしくって、「みなさん「なんでウチなんですか」って仰います」らしい。ほほほ。
こうやって警官を呼んだり警察に電話したりしたときに思うことっていうのはいつも同じで、けっこうなタイムラグがあるのよね。警察やら救急車やら消防車やらっていうのは、私だけかも知れんが、それぞれの存在意義に即して超エキスパート、パッパとスーパー・リズミカルというか、万能機関というか、徹底的に迅速っていうか、もっと動きが秒単位なもんかと思ってたが、けっこうのんびりしていて、電話一本してもそれがどこかにまわされ、もう一度状況を説明しなならんかったり当然のことながら時間がかかる。緊急つっても時間がたくさんかかるわけで。私の今回の場合はただ気色悪いだけで一刻を争うもんではなかったけども、これが目の前で首から噴水よろしく景気よう血が噴出してたり、たんすや床がごうごうと燃えてたり、まさに目の前にへらへら笑う強盗変態殺人鬼が。などであったら、こんなに待たれへんし、っていうかまったく役にたたんよ。電話してる暇もないが、電話してから色々が到着する時間はこれの何十倍にも感じるやろう。うーむ。電話やネットやメールでの情報の動く速度、たとえば意味の解決の速さなど、なんたらアクセスの速度になんやかんやゆうても慣れてきている私は、こんなときに、やっぱ人って。物体であって。直接対峙するっていうのは。最低限の時間を経過しなあかんもんであって。当たり前のことだが移動するには時間がかかり、説明するのにもある程度の根気がいり、大きな意味での面と向かっての「対話」というのは、そうやって成されるもんだと改めて感じ入ったのでした。こうなれば「私とは言葉と時間です」やで。人間が人間に行為するわけであって、そこには万能機関なんてあるわけねえっすね。
んでまる1日過ぎたる今も、私はカーテンを購入していないのであって。
ほんま喉もと過ぎればなんたらで、死ぬまできっとこの体たらく。
投稿:by 未映子 10:00 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.05.06
ご機嫌さん、ご機嫌さん、つってたら人生がしゅん
枯らしてしまったサボテンのサボコのあとに新しく花を植えてみようとおっきい鉢をこれまた大きな私の骨盤を支えにしながら運びよって店先で一番強く、長生きするやつはどれかと尋ねたところ、店主は雑草にペンペンとしろっちょい花がくっついているのを、「これが強くてやりやすい」って出してきたので、まあ単純な草っぽいけど、かいらしいやんか。つってそれをいただきます。その場で店主はモリモリと土を捏ねいれ、ざっくと花をくっつけてくれた。
部屋の片づけが遅々としてまったくやるだけ散らかっていくようなのでもうやめることにした。した。んですっぱりやめればいいんですけど、挑戦欲というもんは人を頭から騙すもんで、それがどれだけ矮小だねって蔑まれようとも小さな希望は捨てられない。これからもまた私はこの一室で不毛な戦いに敗れ破れ腐ったビニルのように柔らかくなり、知らんまにもろもろになっていくのでしょう。がーん。何が部屋の整頓ごときで戦いなどと阿呆かしらんと思ったあなたは人生をご存知でないのかもしかしてラッキーくん。人生に横たわるすべての瑣末な事柄を前にして、もしも向上心というものがまだあるのなら、それは関係をすべて戦いと認識することでしか乗り越えてゆけぬ馬鹿馬鹿しい半端な壁もあるのだよ。つって私はずっとこんなことを云っていて、部屋のひとつもまともに整頓できないという事実だけが残りその事実と暗い部屋でふたりきり。ハ、いよいよ人生からも見捨てられるであろう金曜日。
文章とか音楽で私のことを知っててくれはって、んで実際会ったらまったく印象が違うくて吃驚しましたぁーと云われることがここ最近何度かあったのだけど、不思議やわ、もっとすっごく暗いと思ってましたぁ。とか、こんな風にちゃんと喋れる人だとは思ってませんでしたとか云われるけれどもやっぱり私はたぶん根がどこまでも暗いから多分暗いというのはそのままやろうけど、私はいったい今までどんな作品を作ってきたのだろうかとこっちが吃驚。ちゃんと話せない人だなんて。そ、それって…。最低な人なのでは。私の生まれつきに弱い小胸はすっごい傷ついて、しゅん。私なりにものすごくポップに生きてきたつもりやったのに。人間になってこっち、15年間くらい。
文章と生身の人柄、どっちが大事かゆうたら、みなさんはどっちが大事ですかね、どっちも好印象に越したことはないけれど、会うことなけりゃあ作品だけでよろしいし、会うしかないのであれば作品なんか七面倒なもん存在せぬも同じやし、ましてその人が作家・表現者であるとの認識なんかまったく必要ないし。
かくいう私も作品・文章などから窺い知る人柄と実際おうて見ての印象の違いさに吃驚することもたくさんあり、装置としての文章としての衣装としての文章としての理想としての文章。ぐるぐるしよる。私はメールのやりとりや手紙よりも実際会って話したりするほうが好き。ひと段落置くと人は「容子」する生き物なのであって。う、めんどくさ。素直さと時間の多さは反比例するとまでは云わんがしかし、ま、メールとかさ、作文とか装置を介することによって今燦然と発揮されるよさもあるかもしれんけど、わかりにくくもなりますよね。や、両者とも譲れぬ喜びが満ち満ちているのは事実であって、しかし私がなんでメールより電話が好きなのかと考えれば、それは考える時間も、待つ時間も、昔から苦手なのだという、ひとりで喫茶店に入って優雅なひと時を過ごすということが根本的に出来ない自身の癖に思うに至り、慎重派にとっては甚だ迷惑な人種であるが、やっぱ電話などは即効の即興であって、同時に呼吸があって、音がして、息がして、そういうのも、いいよね!
八方美人は自分にも相手にも頭があることを忘れることなく、でもって気難しく高飛車な表現者を自負する人間は自分には体があり性格がありそれは時として誰かと触れ合うのだということを忘れることなく、色々あるけれど、それぞれを頑張ろうずー。私も断固なんとか出来るだけゆっくりですけど自分なりに少しずつでもいつかは目には見える形に出来るようにそして笑って暮らしていけるように、なんて全然思ってもないことを今書いてしまったので撤回、別に笑って暮らすのが目標でもなくってやっぱ人間一生のこれっつう仕事をやり遂げた俺は私はやり遂げたのだいうそんな実感がこう、死ぬ前に、ありますなあ、と、こう自身で分かち合えるようにこれからは頑張る。って何を頑張ってよいのかがもう、わからぬほどに暑くなったり寒くなったりいったい誰を殺す気なんですの、んで何を生んでるんですの、もう5月とかゆっちゃってさ、はー、この調子でしたらあっという間に人生が、しゅん。
投稿:by 未映子 08:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.04.23
砂漠、世田谷、銀河
冴えない毎日は何のためにあるんでっしゃろか、と鳩に問うても答えてもらえるはずもなく、たとえば私が今、仮に冴えまくっているのだとして、では果たしてその冴えまくっている毎日がいったい何のためにあるのかっていうとそれってばやっぱり何のためでもないんであって、そう、私にもあなたにも人生はあるのだけれども人生はやっぱり恣意的なもんであって、何のため、などという問いじたいが、ちゃらしい。ちゃらしくてあかん。何もしてない、なはんてゆうてみても結局人は色々をしているわけであって、そう、たとえば私は今日本を読んでいたし最後のほうでうるっときてちょっぴり涙が垂れたりして、ムーブっつうの、ムーブドっつうの、まあご飯を食べたりトイレに篭ったり色々な場面で気持ちをゆらゆらさせており、をしていた。さあいったい何をすりゃあ立派な一日でしたなあと、これまた誰に報告できるのかはわからんが、何かまかり間違いか狙ってか人の役にでも立てることでもしたんなら同じこの時間に座っておる同じ私であってもそりゃあ気持ちは違うんであろう、そう、私はここんとこ調子が悪くていやんなる、なのにぐっすし眠れてしかもご飯はお腹いっぱい食べられてしまうのだからなあ!
隅田川乱一のナンセンス文を寝る前に読んでわけもなくしんみりとした気持ちになって野中ユリの詩を読んで絵をみつめれば真っ赤な銀河にランボーがそらまあ賢い顔して立っててさ、アレー砂漠に行ったんとちやうのん兄ハン、なはんてつっこみながら野中ユリのおかげで私はまたランボーに会えてしまった、今夜。
こんなところにおったんかいや、私も砂漠どころか世田谷ですし、ここでこんなことをしているけどもさ、もともとが無目的な銀河の偶然の一粒なのだから、言葉があるのは誰のせいでもないんじゃんつって意味はなくても胸を張って生きればいいじゃんなどと励ましてもらったり、ヴォネガットを読んでは新たな<非ノイローゼ的勇気>を編みだしてみたりやな、なんかそんなことをしてると体が痒くなってくるんや。
そう、最近体にまるい斑点状であると思われる痒み、実際に痒くはならない痒みというのを皆さんもこれだけ長く順調に生きていればそう、あの痒みのことはご存知でしょうからその痒みが私を不安にさせるのですからそう、私はおののきながらベッドにもたれておるのです、そうです、私は暗い部屋のベッドにもたれて襲われる20秒前の痒みを想像、襲撃されることを予感にふらふらになって、最近はそうして生きているのです、とにもかくにも日本は世界の世界中の人々の視点から場所からみれば隅っこ端っこ問わず、みかんの皮めくったときにみかん本体についてる味のねえ白いすじみたいなもんであっても生きていればそこはやはり立脚地点であるのだからその日本だけでみたっても素晴らしい人間はたくさんいるわけで、世界にも素敵な人はぎょうさんいてはるわけで、隣にも、物や言葉を介して相互にかかわりあっておる、という事実か幻想かはさておきまったくもって君の味方であるから大丈夫ですよ、今日も走っているときに、私は耳に白いイヤホンをぶち込んでいて、素晴らしい音楽を聴いていた、ああ音楽を聴くのはほんとうに久しぶりで、気持ちが高まればもっともっと肺をしめつけたくなって頭が何も思わなくなるまで苦しいよーで満たしてやるのだつって足がこれ以上はまわりませんというくらいに走れば、目論見どおり心臓の音は遠のき<ふち>が曖昧になって指の輪郭もなくなり信号見る質量と肘を降る重さが同じものだと思えたとき、世界はその音楽で満たされていて涙はこのためにあるもので汗に混じり首を伝って地面が木々が風が<ふち>や<概念>をゆゆうに飛び越えてただあるものとして震えていたのを私は見たとも感じたともいえないその気持ちになって、髪の毛の先端までに音楽の成分がひしめきあい、ああ私が今、このどうしようもないありふれた安っちい絶望の淵から今こうしてあなたに手を、にっこり涙笑いで走りながら手を振っているのです、この手を振っているのが見えますかー、今、私が走り出した私が全身を浸らせているこの感激の正体を私は私はなんとか誰かに伝えたい、生きていればたまにはこんなことがあるんだよーということを、よく人は見せられるもんならおのれのからだ切り裂いて、などと血迷いごとをいうが、血迷っているから血迷い文句はも、全然オッケーなわけで私だってこう、胸をさくっと切り開いたらば砂漠の砂や銀河が流れ出すのかも、しれないよ、見える人には見えるのかもしれなくて見えたらそれはおまえの砂漠と銀河であって遠慮することありますかいな、誰が世田谷を見たんですか、ああ、高まるこの多幸感、この感激は頭の中だけにあるのではないっつう直観がギンギンにしていて私はぱっくりとこのどこかっつったらやはり胸にあると思うのです、おーここらへんに、ここをざっくり開いたならば、何が出てくるのかはわからんがきっとそれを見たもうひとりの私がもうひとつの人生をさらっぴんで生きてもいいかなあーってヘタしたら思えるような、もうそらえげつないほどのすんごい善きものが、つまってるようなそんな気持ちにさせられて私は紅潮してゆく顔面や体に涙をだらだらさせて足が足でなくなるまで、たったたったと走り続けたのでした。
投稿:by 未映子 11:31 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.04.14
尻が痒い、それ以上も以下もなく
まだ桜が咲く前に、大阪の姉と小さな子供二人と、弟とその婚約者、とその犬2匹が東京へきて家に泊まっていった。目的は弟が東京に越してくるための部屋探しで、姉はディズニーランドに行くためについてきた。
私は断固ディズニーランドは遠慮しとくと云ったのだが、来てくれると本当に助かると懇願されること1時間、云われるうちに目の前の仕事から逃げられるという気持ちがふらふらと湧き上がり、これはいわゆる人助けなのであって、と言い訳しながら逃避の成立、行動は車なので座っているだけでいいのだし、願いを叶えてやることにした。しかし行ってみれば私は何もすることがない。乳母車を押すだけ。そしてパレードを近くで見るための席取りをお願いされ、一時間半も歩道のようなコンクリにじっと座ってることに。本も何もなく、首に巻いてた厚手の布を広げてその上でぼーとしていた。
ランドは人で溢れかえり、遊具に乗るためには3時間並ばなければならないらしかった。人があまりに多いのでランドが口にみえてきた。人々は口からこぼれるように動き回る色いろな形や大きさの歯。さっき入り口のところで小さな口の男が笑ったとき、綿かポップコーンが詰まっているようにみえたのだが、それは大きすぎる乱ぐい歯の数々がこぼれるように見えただけであって、その印象がそのまま移動したのである。
花よ蝶よと育てられているであろう子供がおのおの好きなキャラクターの気合の入ったコスプレをしており、ドレスドレスドレス。白雪姫で被ろうもんなら「ねえあの子とどっちがかわいい?」と母親の太股にしがみつき、幼心に競争心までがぐにぐにと芽生えて成就されてゆくさまが少し怖く、心細くなってきた。後ろではデコラティブにすぎるもはや半球に近い爪と扇子のようなまつげのギャルが「ミッキーよくね?」「ミニーやばいんだけど」「やっぱバズっしょ」とかを連呼していた。となりの小学生の女の子は母親が買ってきた食べ物が気に入らぬらしく駄々をこねて父親がまた新しいものを買いに走らされていた。
そんな光景を見ながら何年か前にNHKで見た、大阪の下町の特集、母親は蒸発、父親はアル中の果てに動けなくなり、父親の車椅子を押し身の回りの面倒をみながら生活保護を受けて暮らしている小学3年生の女の子のドキュメンタリーを思い出していた。その子には雑種の犬がそばにいてその犬はとても利口そうな顔をしていて、なにか行き違いが事件に巻き込まれるでもして、いわゆる魔法などで犬に化けさせられた賢く心優しい頼りになる人間の男のようであった。訳があって今は犬となり話すことが出来ません、しかし私は守っておるのです。というように見えた。凛々しかった。カメラが顔の汚れた女の子がぼろぼろの台所で食器みたいなものを洗ってる様子を映す。インタビュアーは「どう?」見たいな事を聞く。女の子は「台所は、ほんまはもっときれいにしたいけど、だからはずかしい」と恥ずかしそうに答えてた。
戻ってきた姉に「私は今、テレビで見た生活保護もらって父親の面倒見ながら犬と暮らしてる小3の女の子のことを考えてた。あの子は白雪姫に変身したり、差し出される食べ物をいたずらに要らんとゆうたり、こんな大金を使うこともなく、今もきっと車椅子を押してるやろう。ああこれは、この差は、いったい何の差か。あなたはどう考える」と云った。すると姉は「あーもう暗い。暗くなるわ。あーネガ。ネガティブ。あんたそういうことは頭の中で考えて。口に出さんといて。楽しんでるのにすごく疲れる」と云われた。う、と詰まり、黙ることにした。
私が何を思い出そうが出さまいが、髪をカールしたドレスの少女たちはくるくると踊り、いやんいやんと駄々をこね、赤んぼは言葉がないぶん泣き叫び、大人は子供にひとつでも多くの世界を見せてやることに成功し、一秒追加されるごとにかけがえのない思い出と経験は増えてゆく。目を閉じれば大阪弁が行き交う中、少女は犬に自分が大人になったらこんな家に住むんやよ、と砂に線を走らせ話しかける。もっと目を閉じもっと体をなくしてゆけば、もっと遠くで、もっとはるかに、同じ人間である誰かの意思によって、突然に破壊された家が崩れ去る音や、逃げ惑う群集の怒号、助けを呼ぶ無数の声が聞こえるかもしれないが、やはりそれはあまりに遠すぎるのであって、どんなに耳を澄まそうとも、私の頭を打つ質量は少女が欠けた茶碗を洗う、ちろちろと流れる水道の音だけであった。あきらめてゆっくりと目を開ければ、長い時間座り続けたためにしびれた尻が今度は確かに痒くなるのであって、ぼりぼりと尻を掻くうちにそのぼりぼり音は段々と大きくなって、少女の微かな水道の音さえを、あまりに自然に飲み込んでしまうのであった。
投稿:by 未映子 08:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.03.25
「楽しさ」の意味がもひとつ掴めない、「贅沢貧乏」もわからない
かくして諸々の金はすべて私のシャンデリア貯蓄へと回されたのであった。
これは写真家の杉本青子さん宅でそのシャンデリア遣いに魅せられて、も、畳の部屋に低い目の位置でシャンデリアが燦然と輝き、私の部屋には和室がないが、かねてから欲しかったシャンデリアへの思いにようやく踏ん切りがついたといわけでシャンデリアを近々に買うぜ。や、買わないような気もするが団地育ちの私が云うのもあれですけどもシャンデリアっつうのはそんな贅沢なもんじゃないと思うのよ。私にとっちゃあんまり精神性がないし、明かりは必要なもんやし、なんか生活必要経費のよな感じがする。
どうにもぐうたらな私は人生において保証というものを、その保証のために頑張るということもあんま好まぬので、
好まぬなはんてえらそうなことを書いたくせに実は保証の為に何をどうすりゃ保証の為になるのかわからんわけで、そう、頑張り方が皆目見つからぬのであって、銀行がそもそも苦手であって、そういうの、あればあるだけぱっぱと買ってしまってあとで困ってしまうのである。
私の父親も考えうる限りのアウトロー(いまいち意味がわかってませんが)というのかヤケッパチというのかどうしようもない体たらく、父親どころかそのまた父親も定職にもつかず、女が働く系統なのか母親にしたところで自分の父親がこれまた働かぬ人で道楽者なわけで自分の母親が働いておって、男が働かない環境に見事適応していて、私の親は定職も保険にも入らず何故か3人の子供を生んで一応育てて現在に至るというわけで、これを奇跡という人もいるが、そういう感じで耐性が出来てるというか、人生をナメてるかもしれんが否なめてるわけではなく、貯金や生活計画を、も、何もしないでそのときどきを生きてゆきたい。ゆきたいって、ひとりでさくっとゆけばいい話のなのだが計画の立て方が不知なのだから、大人は自分なりにしっかりと働き、それで貯まらんのなら仕方ないじゃないのか、これもいわゆる季節外れのオン・ザ・エッヂ、嘘かほんまか夏木マリだって家も貯金もなんもないというではないか。ま、夏木マリがなにという話だが、夏木マリは時々スイートルームに泊まったり、高級エステに行ったりいわゆる自分への投資っていうんでしょうか、そういうので夏木マリは散財しているらしいのだが、私にはそういう自覚的な自分への投資感覚も、旅行や贅沢や食べ物享楽にも別段興味はないし、そうとなれば些細な金銭を数えながら生きてゆくなんてぞっとする。爆砕爆砕。
贅沢、ああ今以って私にできる贅沢といえば、ああ、特になんも思いつかないのだなあ、というこの時点でシャンデリアがいったい欲しいのかどうかわからなくなってきたわけでああきっと買わないのだろうといま感じる、そして何かを強烈に欲しいと思えるのは健全なんじゃないの、今、ぐるっと頭の中と部屋を見回したところでほんとうに欲しいモノが見つからんわけで、行きたい場所もないし、こないだ人に「何してるときが楽しいですか?」と聞かれてえ、え、え、え、え、えと必死に探してないないないないないないこれではあかんえ、え、ええーっとですねえ、あー、そうですねえ、あ、楽しい。ですよねえ、えっとお、そうねえ、マ、マラソンとか、してるときとかかなあ。なあ?などとでまかせの始末。マラソンて。それ以上話膨らまずで、何が「楽しい」なんて人は普通答えられるわけなんですか、どうなのか。「しあわせ」よりはまだなんか攻略の敷居が低そな「楽しさ」ですらこの始末。
オサレカフェでなんか複雑なものを飲みつつ人々が行き交うのをまったり眺めたりするのが楽しさなんであろうか、楽しいってなによ。どれよ。あとショッピングとかか?どうでもいいが「ショッピング」ってなんか悪い技の響きがあるよなあつうんで、ああ、そういや温泉に行って気持ちよく浸かるのとかも、なんかうしろめたいしなー、そう、私はお金をかけて得る快楽に関して例えばマッサージ、例えば楽しむ美味しいものを食べる、例えばふかふかのベッドなどに自分が今、と思うとうしろめたさを感じるややこしい性分でいわゆる「うしろめたい系」でなのであって、快楽で駄目ならブツ、ブツで欲しいものといえば服飾系統も本当に欲しいというものとはちょっと違うし、こうなってくるとないのであって、自分と物欲、ひいては楽しさとの赤い糸がもうすぐ切れる、切れそう、切れるんではないの。
んで「私今すっごいシャンデリア欲しいんですよね、マジなやつ」ってこないだのレコーディングの時に佐藤研二氏にゆうてみたら即答「悪趣味」、三木黄太さんにゆうたら「いや、自分で作れば」、坂本弘道さん、ノーコメント。
投稿:by 未映子 08:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.03.20
答えなんてないぜ、そもそも質問がないのだぜ
ああ気持ちよく晴れた空はしかしながら私とは無関係、などとは出来るだけ、思いたくないが、なんともすがすがしいではないか、まだぎらぎらしたりするまえの午前九時の太陽、や、太陽がくっこり見えているわけではないが明るいのだもの、そういうことであるに違いない。
春雨のタイのサラーダが食べたいばっかりに私は金銭を握り締め一番口に合うからと云って表参道へ奴隷のような、そうそう奴隷のような気持ち面白半分で出かけねばならなったのだがこの度、タイの台所シリーズという調味類を大丸ピーコックでその陳列を発見して私は数々ある種類の瓶口から瓶の形を指のはらで確認これとこれとこれやろうがなどうかしらんが、と云いながら3種の調味料を買い求め、ラッキちゃちゃちゃうう、見覚えのあるグ材を切ってコマコマにし適当にじゃぼっとあえくるっと返せば、ああ表参道をはるかにしのぐ美味のいわゆるヤムウンセンが完成したではないか。これでもう表参道などという長い場所に出かけずとも500円あればこれが手中に口中にあるのだなあと思うとうっとり、あまりの美味しさゆえに大量に大量に大量につくってしまう、春雨が茹で茹で茹で茹で茹で食べ過ぎてよく朝手足がなんか厭な感じでじんじんと重い、具はイカでなくタコ、ああ、ああ陳腐であるが等身大のなにがしかへの到達でもない到達が。
テレビとかオモロイか?本も別にオモロない。人生は長いと思ったら長い。そ、ポッカレモンというのは、あれは凄いね、ぜんぶすっぱい。
平和やなあ。悪くないけど。
天気がいいなあ。
日本の上で戦争もなく、狩り出されもせず、食べものもあり、こういうのがいつまでも続くのだとしたら、
たまたまラッキーだったで済ましていいのかなあとか思うことも何分間かはあって、
きっとどんな形でかツケが回ってくるような気がしないでもないけど、
これが「調子悪くて当たり前」的な東洋人の「平和がつづくと不安を思って仕方がなくなる」基本的な考え方で、
西洋人は調子よくてあたりまえで、この平和及びこの幸せが続くことが当然のことで疑ったりなんてしない傾向にあるのだがはあ。彼らの大多数には幸せに飽き足らず来世まで!
保証してくれる神様がおるからだね。来世って。
投稿:by 未映子 02:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.02.03
サラダ記念日の心意気や、よし。
けっこう親しい友人が今年連なるように結婚をするらしく、それに伴って挙式や披露宴などもするようで、最近では披露宴ほど大げさでなく二次会よりは引き締まっている1.5次会というものもあり、だいたい葬式と一緒で結婚式というのは本人のためにするものではないらしく、まわりや親のためにするもんなんだって。ということはこれだけ大人になりました、一生寄り添ってつがう相手もみつかりました、安心してねの親孝行が、結婚式の存在理由か。そして二人の確認作業か。確かに花嫁はきれいなべべを着、角隠しの形態は個人的に好みである。白無垢はこう、ええ。角隠しかぶって癇癪が収まったというのは聞いたことないが、私の場合、治るかもしれん。だって角隠しなのですからして。んで確かに母トシエに結婚の晴れ着姿を見せたったら喜ぶやろうなという気持ちもある。親孝行か。プライスレスな親孝行。それが結婚式なのね。憂鬱でどうにも仕方のない冬で、このように日記にしたためることなど何もない体たらくの冬ではあるが、放置しているのもなんだか無責任やなと思う私もおりまして、女子最中、いわゆる生理の愚鈍さで青空も胃液に見えてしまうこんな私でも年頃の女ゆえ、いわゆる結婚式っていうのはどれくらい費用がかかるものなのかを軽く調べてみました。
まずは実際結婚式を挙げた友達に電話。
Q君、太閤園、私も行った。装飾がバブリーでギラギラしてた。結婚に伴う諸費用、指輪、引っ越し、新婚旅行、なんかいろいろで、総額い、1千万円。結婚式には、な、700万円
S子、南の島で二人きりの挙式。帰国後大阪のホテルで友達主体の200人規模の披露宴、そして親族だらけのプチ披露宴の都合3回のメモリヤル。新居などは別で結婚諸費用だけで350万円。
K君、
おされな空間及びマンハッタン調空間での挙式と披露宴80人お呼びで諸費用320万円。
H子、新潟の由緒正しい神社で挙式、親族だけの食事会、それでも200万円弱。
M子、長野のおされなハウスウエディング、なんか諸々で300万円。
…どんなけ使っとんねん。マイク一本1万円の世界らしい。オプションに次ぐオプションの嵐!オプションの鬼!オプションでなければ人でなし!はー、打つの疲れてきた。金額にも疲れてきた。とにかく、これから挙式する友人などにも聞いてみたらば挙式+お食事会で和装の場合で、最低予算で、200万円弱はかかるらしい。に、200万円だぜ。着物を着せてもらうのに20万円かかるのらしいだぜ。着物借りるのに最低25万円かかるのらしい。それでも「あらこれええわね」と思う色打ち掛けなど50は別段通常らしいのですから、加えることのカツラが15、化粧が15、万円つけんのしんどなってきた、花嫁の装いだけでざっと80かかりますのか。全然プライスレスとちやうやんけ、感動と資本の正比例図が笑っておる。なんか違うような、なんかが違うような気持ちになってきましたぞ。
重ねて云うが私も年頃ゆえにリサーチしてみたが、あーもー、挙式に対するふわふわ感、およびモチベーションが一気に下がってきましたぜ。や、君がサラダおいしいとゆうたから今日はサラダ記念日というので行こうぜよ、自分の大事な約束事に、金はからませたくないぞ、からませてたまりますかいなという気がいよいよしてきた。大事なことに金はからませるなと先人はゆうたではないか。逆にいうと金でどうこうなる出来事は大したことではあるめえということにもなるのであるな。資本主義の中でしか生きれぬ寄る辺なき人生の中で、今一度、思いを巡らしてみれば、生まれてくるのにも、死んでいくのにも、本当のところは金はかかわらないのである。人を好きになるのにも嫌いになるのにも金はかかわらないのである。貨幣を使うのは便利だからで、体を維持するのにも、原理的にいうと金はかかわらないともいえる。しかしながらそれはなかなかに今となっては難しくって、生きることって資本主義!ってなこともまったき事実なんであって、貨幣のルールを黙認してのっていかなきゃならぬのに、これ以上自らゲーム参加数を増やしてたまりますのか。生活の中のたった一個でも貨幣のゲームの呪縛から逃せよ!にというわけでトシエが晴れ着姿みたいなどと抜かしよったらおまえの頭はなんのためについとんねん、好きなように想像せえ!と一蹴することにします。私の契りはお金に関与させないかたちで交わそうと、この度思うに至りました。
とかゆってバリバリに恥ずかしいベタな結婚式したりして。
投稿:by 未映子 10:29 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.01.20
冗談青年と境目女
色々なものを親の仇のように捨てる。なんかを殺すような気持ちで捨ててゆく。捨て去る。燃えないゴミの袋がたくさん出来上がる。ノートの類、それも重い。気持ちはいいが、少し憂鬱でもあり、や、荷物が少なくなるというのはええことやというふうに感じる、たかが整理、そやのにもう、あとには戻れないようなしゃっとした気持ちなど。とて、なんかを捨てるという行為なんかでしゃっとしたって。
物がなくなる前なくなった後について思う。さっきまで大事に保管されてたものがゴミ袋に入れられるとただのゴミになる。これはレストランなどの卓上に似ている。さっきまで食べ物だったのが、客が立ち去り、ウエイトレスさんが食べ残しをひとつの皿に集める。その上から灰皿を空けたり、皿を重ねたりして持っていく。ついさっきまで食べ物だったものがゴミになる。私はあれをみるとき、境目に夢中になる。
状態と認識の境目。なんでも境目というのは人を夢中にさせる。夢と現の境目、生と死の境目、愛情と嫉妬の境目、境目にはなにがある?境目になにか真髄があるんじゃないかというような、興奮すらふっふっとしてくる。ふたつの極端が生む中道のようなもの。例えば、なあ、こないだご飯たべながら話した、<冗談>のようなもの。
<本当>と<嘘>の間にいつも笑いながらじっとしてる<冗談>のようなものが。
私だって、本当は自分のことを、この馬鹿げたほど底なしの宇宙も人生も<冗談>だと<思っている>のやよ。私だって、本気で冗談。笑い泣きで、渾身で、冗談を生きているのだよ。誰を笑わせるためのものかはわからんけど。誰の用意したものかはわからんけど、でもこんな風に、<思っている>のでは、やっぱり違うな。本質は自らをわざわざ言語で理解しようとしたりはせんもんなあ。私の<冗談だと思っている>のは処世術にすぎんなあ。では人生に処世術以外のものがあるのだろうか! 真理?
まさか。そんなものも、あれもこれも、言葉じゃないか。なあ、言葉は誰が用意した?
言葉の対義語は? ひょっとして、沈黙?
言葉になる前と、言葉になったあとの、さまざまな感覚の境目。言葉以前と言葉以後のあの境目! そんな場所があるなんて!まさに今、私はそこに座り込んでいて、座り込んでいて、耳を澄ますと、目が熱くなってくる。体の、反応。私には体が、あったのだ。
遥かな気持ち、
子供の頃も今も、雨が降っている地域とそうでない地域の境目のことを思うと、どうなってるんやろう、不思議な気持ちになったものや。あるいは遠いどこかの大陸の、国境を思う気持ちなども。
投稿:by 未映子 11:57 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.01.10
猫マーク
みんな知ってるか。我々が使うびっくりマーク<!>と、
疑問があるとき使う<?>マークは、猫をお尻の方からみた模様なんやということを。上のは部分は、びっくりしたとき、及び疑問を持ったときのしっぽの形、下の黒丸は猫のお尻の穴だということ。
昨夜素敵なメールを頂いて、ミルクを暖めて飲むというのを書いてくれてはって、そして買いに行って暖めて飲むというのを一本分飲んで甘い気持ちになった。そして私はなんととうとうパンを食べた。バターを塗って蜂蜜をかけて食べたのだ。パンの感触。食べてる端からじわっと涙が出た。大島弓子といいヴォネガットとといい、松本人志の「いきなりダイアモンド」といい、最近の私はことあるごとに涙をにじませて泣いてばかりである。うちのおばあちゃんも何を見ていても泣いていた。まだ生きてるけど。水戸黄門を見ても(泣きながらおならしたりもしてた)、火サス見ても、ムツゴロウを見てもハイジを見ても泣いていた。すごく自然に鼻をほじりながら笑い泣きをしていた。私も、おならもないしほじってもないが、泣きに関してはそんなことばかりでいる。まあ誰も困らんし、いいやろう。ひっそりとした出来事なんである。
涙なんかはな、勝手に出てくるんや。涙はかつて胸のそこかしこ、ぐっときてる具合の計りであったが最近の私にとっては一周した感も極まり、涙というのは心の汗とはようゆうたもんで、今となっては私とはほとんど関係がないということにしている。しておるのだよ。だから私が歩きながら泣いていたとしても悲しいのでもなんでもない。ただ歩いてるから涙がでているんだというだけのことである。
一方ピクルスはなんだかものすごい色に変わってきていて、あれを開ける気にはならない。到底ならない。心底ならない。色とりどり、誇らしげに店で販売されているピクルス群をみた。劣等感で目線が落ちる。一緒にいた人が「どれも、にんにくとかとうがらし、ガーゼでくるんだりしてないよ」というのでムカっとした。それがどうした、私はくるんだ、それでいいやんけ、と思った。そして心の中の悪態の幼稚さに我ながらどうしようもねえなあなどと再度深く落ち込み、や、私の深く落ち込み、つってもそれはま、大したことでもないのであって、そして陳列されている彼らはやはり美味しそうなのだった。だいたいきゅうりからして違う。私のは恥知らずの化ケモノきゅうりのようなでかくて太いうやつであったのに、彼らはこじんまり、しゅっとしておった。
そして今晩は友人の結婚パーティーの打ち合わせである。九時から。パーティー。パーティーという単語がうまく掴めない。パーティーとは何か。もっと云うとパーティー・ピープルっていうのはもっと何か。しかしそのパーティーで歌ってちょうだいと云われての段取り打ち合わせ。段取り、というのもなんかがむずかしい。私はご存知のように自分の楽曲で結婚式で歌える歌がないのですがな、というと、なんか、なんでも、というので、そうか、パーティーには歌は内容はともかく、やはり宴の付き物なのだなと思って、私の歌と宴の関係をぼんやり思ってみた。歌手が歌わんでどうするねんという気持ちと、歌手が歌って何がおもろいねんという気持ちがこういうときもぞっと動く。でもまあ、<僕はもう、うきうきしない>とか歌ったら、それはそれでいい感じに、なるわけがないよね。
今年私に来た年賀状は都合4枚。
このブログの、性格の、何ともいえぬいやな感じをなんとか修正することは出来ないものか。
投稿:by 未映子 09:20 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.01.05
夢みる機械
新しい携帯電話になってから、なんだか電話にさわる機会も減って、あんまりメールもしなくなり、と同時にメールもあんまりこなくなり、電話も鳴らないし、置いといた場所を忘れる始末よ。電話の機能を追求する気持ちはもともとないけど、なんか色んなハイパーな機能がようさんあるみたい。これを買いに行ったとき、勧められたのはテレビが見れますよってのばかりで、信じられへん、電話でまでテレビみるなんて、と思ったが、趣味や時間の潰しかたはそれぞれなんで、便利な人には便利なんやろうと思い直した。
前の長く使ってた電話は、なんか、閉じた時の様子が、パンダがパンダとして受精するまえのキキとした分裂感があって、気に入っていた。このたとえは恐らく誰にも伝わらないだろうけどね、こう、カメラのレンズが目に相当し、赤い縁取りがしてあるの、ボディは白、所々に黒が効いてて、ぱっと見た目にパンダを連想するしかないのであります。キュビズミックなパンダとでも申しましょうか、パンダと想定しての、崩れ具合が気に入っていたのだよ。
私の緊急に買い換えた新しい携帯電話と同じ機種を使ってる人は、便利だよね、なんていうけど、普通にパソコン用のサイトがそのまま見れるのらしい。へー。んでもってカメラ機能。確かに画素数が一番らしくて、私はデジカメもつぶれたし、まあ、いいところではあるけどな。でも新しいのに替えてからあんまり撮ってない。
写真は車にひかれて潰れた前の電話。キカイダーというなんつうの、特撮アニメを思い出します。みてよ。これ。もげちゃって。ぱっくりもげちゃってさ。かなんなー。もげっ、って感じがするわな。しかしながら機械がもげちゃってるのをみるとさ、一応心的なね、まあ思惟性とでもいうかね、そんなんをもってると思ってる人間としての私の、またそれらを日々フル稼働してる優越感か妬みなのか老婆心なのかなんなのか、黙んまりの潰れた機械みてるとちょっと物悲しい気持ちになるのな。
血の通ってないものが、もげてるとなんか過失を隠蔽したような気持ちになるのはなんでかな。
あー、寒い。時々が眠たい。自分が騒がなければ、全部はどんどん静かになる。
投稿:by 未映子 11:43 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2006.01.01
私の元旦
年はあけたが私は今朝、ビニール手袋を買いに行き、ひじまであるやつ、洗濯機では洗えないもの、毛糸のものや、なんだかラベルに×印のついてあるものなどを、沈思彷徨しながらもくもくと洗いつづけ、あれはなんかすごく楽しいな、どんどん持ってこい!みたいな感じになって、洗面室に椅子まで持ち込む始末であった。先週からは唇に、肩こりなどから、疲労などから出来上がる、熱の花が出来て、えらいことです。もー。顔洗うときに鬱陶しい。痛いし。
この一年に何があったか、なはんてことを、昨晩12時に間に合うように書いたつもりがなかなかアップされず、結局やめにしました。ラジオが最終回だったのが、やはり年末の大事であったけれども、たくさんたくさん頂いておりますメールはすべて大事にすべて読ませていただいております。しかしながら数が多いので、なかなか返事が書けど追いつかぬ感じで、すみません、気長にお待ちいただけたら幸いでございます。
全部、大事に読んでおります。ありがとう。
無事に原稿を書き終わって、今月はもっとたくさん書かねばならぬ。もとい、ならぬのではなくて、書きたいのだ。
昨晩から松本人志のビジュアルバムを観る。何個か観たのあったけど、全部を通してみたの初めてやった。面白い。
大阪出身者の我々、特に同年代の人々にとって、<4時ですよーだ>がもたらした笑いの性質の礎というのは確かにあって、毎日毎日ダウンタウンとその仲間達のコントを小学校から帰ってきてかぶりつきで観ていたのだよ。面白かったなー。面白かったっていうより、あれが毎日基本的にテレビから流れてたわけで、まー素敵な街で育ったもんよ。ビジュアルバムを観ながら、この人らと同じ時代に生きてるっていうのはラッキーやったなってちょっと思った。だってうちのおばあちゃんはたぶん<いきなりダイアモンド>の悲しい笑いとか、<ミックス>のやっぱりやれん気持ちとか、そういうのって分からんと思うしなー、人を笑わせるってすごいですね。んで大体がアドリブで撮ってるらしくて、驚いた。がちがちに決めて臨んでも、なんも決めんで臨んでも、どこまでがどうでどうなのか、きっと本人達にも説明つかぬところもあるやろうけど、どうやったらあんなに面白い物語が出来上がるのか。芸人って役者より演技うまい人がざらにいるけど、芸人って一体なんやろうか。笑かしたるんじゃ!っていう意気込みだけであないに隅々まで、魅力的になれるもんなのだろうか。<4時ですよーだ>観てたあの頃からもう15年、もうちょっとか、それぐらいぐらい経つのかーと思うといったい何が15年。
みえちゃんの年で私もう利明が7歳、未映子が8歳、佐知子が9歳、やったんよー、と云って母親の利江は、子供を生め子供を生んでしまえと電話で云うのがあからさまに多くなってきてる。気持ちはわかるけどさー。私最近スーパーに入ると上も下もわからなくなるほどどきどきし、憂鬱の洪水、またひどいパニックが出るようになってきてるのにさ、そんな大人が子供を連れてスーパーに行けるのかっていう話よ。目標などない私ではありますが、何事もあまり興奮しすぎるのは、よくない。と思った、ので、なにかにつけて、なにごとも、こんなこと、ちっともたいしたことではないという姿勢を保ち続けようと思う。
興奮すると頭がいたくなるではないか。特に家事において私はどきどきするのです。何かを炒めたりしてみると、興奮しすぎて涙が出てくる。食器を洗ってみても、苦しいのはなぜかと思うと、歯をものすごい力でかみ締めているのです。そういうのをもう、やめたい。ほんとに脱出したい。もっと日常の作業を事なかれな感じにしたい。
そしてスーパーで普通に気楽に買い物をして、そして帰れるようになりたい。そして平穏に調理できるようになりたい。
まずはそれが出来なくて、私には何も無いであろう。
ということでありますので、支離滅裂な今回でしたが、滅裂は今に始まったことでなし、そういうわけで、皆様におかれましても、がんがん楽しい一年でありますように。
元気がないときは落ち込み過ぎる前に、なんとか松本人志のビデオみようぜ。でもま、元気ないときは、なんも観れないですけども。
投稿:by 未映子 08:42 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.12.26
この場合、書いたやつってどこいくの
携帯で今朝アップしたはずの分がアップされていないことを今知って一瞬めまいがしたけど、理由がわからず。
あーまじで。そうか。あー、これってあれってこと?アップせんでよかったなってこと?確かになんかようわからん状態で書いたんや、タイトルは〈たとえそれが忘れてしまう許しであっても〉や。
大島弓子を読んだことについて書いたんや。消えたんや。軽やかに胃が痛い、ちゃんと紙に書かねば、あきませんね、もう中心がほろろや。なむー。
投稿:by 未映子 11:44 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.12.20
この、すっとこどっこいが!
皆さんご心配お掛けしました。
やっと携帯電話も新しいやつに変えることができて、
財布も無事、発見しました。友人の車の中に落ちていました。もー!
このすっとこどっこいが!どこにおってんな。
でも、よくよく思ってみれば、よくも車の外に落ちず、バランスを保ち車の中におったものよ。何もかもが質量を保存し現状維持のまま私の胸に無事に戻ってきたこの財布、ねえ、こんな奇跡があって?
ポイントも溜まっていたのを使うと電話、一万円くらいで購入できたし、ま、よかろう。
まー、携帯真っ二つになっててさ、でもさ、使えるまま落としてたら!なはんて考えると、ま、ちょっとぞっとしなくもないな!写真ですよ写真!メールもやーな。一応ロックはしてたけどな!まあ、気に入ってる写真とかもあったけど、仕方あるめえ。
あーあ。
あ!例の携帯電話にささっていたなんとかカードは無事で、なんつうの、墜落した旅客機の様々な真相はこのブラックボックスにありますから級の、このでかした感!お前!こんな小さいのに!すげえな!誰がいつそのタイミングでさしたのだっけ!私か!でもありがとう!とゆーわけで、
みなさんのお電話番号、並びに携帯電話番号なども無事でしたので、ご報告いたします。そして明日またご連絡いたします。
心配してるよメールもたくさんたくさんありがとう。う、うれしかった。
お金ありますからここに連絡してね、という、な、なんという、面識ある方でも嬉しいのに会ったこともないあなたに驚愕、
個人情報どうたらでこのせせこましい世の中に惜しげもなく個人情報のみを送信しちゃって、どんだけ私を信頼してるねんという、泣けるね、お母さん、私は歌などうたって私にこんな捨て身かつ慈悲のメールをくれるそんな関係を結ぶことが出来ました、
けれどもあなたほかでは決して騙されないでね、私は大丈夫になりました、大丈夫です、うれしかったっす、ありがとう、沁みるね、沁みる、どっかに沁みるぜ。
そして他方それは「日頃の行いが悪いからですな」、という追い込み系のメール、でも最後のほうでは「頑張ってね」メールに転じておるところがなかなかええではない
か。みんなありがとう。とにもかくにもお騒がせしました。
さて年内は引越しの準備だぜ。その前に原稿書かなきゃ駄目なんだぜ。図書館、満身創痍30歳女、の話を書くんだぜ。書けるのか、私は書けるか、気持ちは燃えるが燃えているのだが動けなくなったりする。動けるときもある。世界がうるさいし寂しい。気持ちは燃えすぎて燃えているのを私の中のもう一対の目がじーっと見つめすぎているせいや。多分。
投稿:by 未映子 12:52 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.12.18
生まれ変わる準備であってほしーが
あーもうえらい、えらいわ、状況が、結構大変です。
ふてぶてしく、もー災難、夕べ家に戻ってから携帯電話がいくら探しても見当たらず、落としたとしたらそこしかないという現場に立ち返って検分すると、なんと車に轢かれてこなごなになってしまった携帯電話の遺体を発見、よろよろと近寄ってみると何ともいえぬつぶれ方。発見第一のあの気持ち、所詮携帯なんやけど、なんといえないあの気持ち、この日記も携帯から書くことも多かったのになあ。保護マークつけてる大事なメールも何個かあった。家族の写真もそれなりあったのになあ。ってこうしてみると私えらい活用してたのだなあ。そしてそれら一切がわやになった。まあいい、まあいいのそれはいい。所持するというのは所詮そういうことなのです。そしてしかしながらデータカードがまぐれでささっておったので、番号などはなくならないような気もするが、そのカードとて無事かどうか。まだ一切の処置をとれていない。今日は楽しみにしているライブがあるのに、どうなっちゃうんだろう。これをこうやって書いているのはここにしか書くことが出来ないのであって、連絡がとれない皆さん、私の携帯電話はつぶれたので、そういうことですので、すみません、復活したら連絡します。そしてたった今、テンションというテンションが下がって動けないほどの新たな不安な要素がもうひとつあります。
…夕べから財布が見当たらない。何処へ行ってしまったのか気配がない。部屋中を探してもない。中身はさておき、カードもなんもなくなった。コンビニにもいけぬ。あ、千円があった。友達にお金借りるにも、電話番号が分からぬ。記憶している番号は実家と、今では電話したって仕方ない所の番号ばっかし。精神的に陸の孤島。家から出れない。隣の部屋のかほりんも留守だった。
電話、こなごな、財布、不明、お金も下ろせないっす。これはもう、外界との一切を断てちまえ、ということなのしらん。誰にも連絡が取れない。携帯電話新しくするのにもお金がいる。どうするのかしら、私、今日の夕飯は?こんな事情で家から出れないってことを今日伝えたい人にも伝えられない。
はー12月に些細ででっかい色々なことが私をめがけて走ってきて刺さってしまった。これも生まれ変わる準備だなあって思いたいけど今はなんかぼーとしてる。紅茶なぞ飲み、とにかくなんか読もう。もうちょっとしたらかほりんが帰ってくるはず。家の電話久しぶりに使ったよ。かほりんの家の留守電がかほりんの携帯電話に転送していたので助かった。
なんか色々落ち着かせるために早川義夫の「たましいの場所」読みます。あー。
投稿:by 未映子 08:09 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.11.20
犬猫屏風と結婚式
洗濯物をはやく乾かしたくてコインランドリーに行く。コインランドリーはよそよそしい、普段音沙汰ないからや、狭くて音がどらんどらんとリズミカル、棚に詰め込まれた雑誌の一頁までもが完全に湿ってて蛍光灯がちりちりと震え、なんだか恐ろしい気持ちになる。あ、恐ろしい、と声にしてみるとあんがい間の抜けた形容詞でもって、一気にどっ白けて恐ろしくもなんともなくなった。
乾燥機はあと6分なんで待つ。しんとしてる音とどらんどらんを全背中で受けて黙って座ってる。動いてるのは私の洗濯物入れた乾燥機と誰かのを洗ってる洗い機がひとつ。
その洗い機にはまるで漬け物石みたく蓋のところになんか荷物が置いてあって息苦しく見てるだけでなんだか私が肺の上に鉄板を置かれてるようなよう。盗まれるの防止であろうなと乾け乾けと思ってたらその洗い機が突如ものすごい勢いでごんごんと暴れ出した。
洗い機の中、左右にごっらんごっらんと体をぶつけて中でもがいておるような暴れが洗い機の中で、それが脈絡なく繰り出されて私は唾を飲みじっとみていた。洗い機は動物が風呂上がりのようにぶるっとし暴れて蓋のうえの荷物が落ちそうになっていた。
私は猫か犬やと思った。猫か犬が洗い機に落とされて回されているのやと思った。猫と犬が回されてるところを考えてみた。犬猫、つながる犬と猫の顔、四つの目と無限の毛、八つの足とちいさいギザギザの歯、飛び散る茶色や白や黒、小さい脳の匂いや思い出が黄金色にたなびいて、台風一過の夕焼けみたくなんだか分厚い屏風になって。
洗い機の主を待って中をちらっと確かめようと私の乾燥機が止まってだんだん冷えてきてそれでも主は帰ってこないで私は帰ってこない主を待ったが犬猫はずっとどらんどらん、凸凹のどらんどらんを聴いてるうちに、犬猫の鮮やかな屏風の前で結婚式をあげるおばあちゃんとおじいちゃんの夢をみた、おばあちゃんは今のおばあちゃんで綺麗なお化粧で角隠しで笑ってた、おじいちゃんは上は軍服、すこぶる若く、下はフンドシ一丁で辛そうな姿勢でしゃがんでた。
投稿:by 未映子 10:14 PM [日記・コラム・つぶやき, 非・文] | 固定リンク | トラックバック
2005.11.18
幾ら私がぜっぺきやとゆうても
どうこれこの木。すっげー四角ない?あはは四角いぜ、四角すぎるやろ。わたし興奮しながらかろうじて激写。すんげー。
明日は京都でライブだの、来てね、茶和会したかったぜ、6曲ぐらい歌うので是非お立ち寄りください。
投稿:by 未映子 05:14 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.11.06
人は多分、とても感動するものだ
晴れましたが今日は「人は多分、とても感動するものだ」という言葉を3回くらいつぶやきながら世の中ではなんでか感動するということが非常に素晴らしいこととされているし私も素晴らしいことやと知ってはいるが、何ゆえそれはどうして素晴らしいこととして世界で動き回っているのだろうか。感動。感動とはなにか。感動とは感動という言葉以外の何かでしょうか、感動するのが素晴らしいと感じるのはどうしてか。とかいいつつ、それは「素晴らしい」というのは苦し紛れの感想であって、感動自体は素晴らしくもなんとも実はどうでもなくただそこにぽくっと生まれてじんときて、そう、なんだかじんとくるというただそれだけのことで素晴らしくもなんともない感動というのも多分存在はするのだろうと思う、と思うと世界はなんと、そういえば世界はなんと、素晴らしくもなんともない感動で満ち満ちているのだろうか!という気持ちで動けなくなり呼吸を整える。あれもそうこれもそうさっきもそう、たったいまさっきもそう!素晴らしくもなんともない感動が敷き詰められた日常に点として素晴らしいといえるような感動が時々。そして歩いたのですがそのまま小さな本屋に入ると目当ての本は全くといっていいほどなし、ほしたらやっと気分が沈み、や、なんでこのように気分が沈むのだろうか、なんでか今日はそんな感じで一日が始まっていったのでした。
引き続きライブのことを考えつつ、坂本さんが出演するイベントを観る為渋谷のクラシックスへ行く、それぞれが20分の猶予で表現を持ち寄るイベントであった、さがゆきさん、原マスミさん鮎生さん、などなど。坂本さんの演奏を聴きながら私は、坂本弘道よ、と私は何度も思った。
日記に書こうと考えてたことが途中どうにも魅力を失い結局書かずにいることに。
「君は引越しを嫌いだそうだが色々考えて引越しはしたほうがよい」、という丁寧で独立した文体を引率するメールをいただく。や、します。引越しはするのですが何処に暮らしたものかしらな、名前だけでいうと桜上水が素敵だが、隣の牧かほりと離れがたい。離れがたいが今住んでるところで探すのはなんか損した気分がしないでもない。違うところへ行って私は何度でも生まれ変わるのだ、つって移動したぐらいで生まれ変われるんやったら人生要らんわといわれそうですが、ま、生まれ変われるんであって。前髪を短くしたのにうっとい。お腹が減り友達がオーナーの焼き肉屋があって、顔みよーと思って行ったら友達はオーストラリアに行ってしまった後やった。残念。
友達はおらんかったけどイチローがおった。
投稿:by 未映子 01:44 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.11.03
日常は点々と晴れ、憂鬱をぐさりと刺す
●髪の毛を切り、コンサバチィブの極端・プログレな、や、プログレなつばめのような髪形になってリハーサル。一時間ぐらい歌うのであれやこれや考える気持ち膨らみ行き来する体が跳ねる。
●おとといの夜ふとテレビを点けたら火垂るの墓の実写版が。なんやあの子役。なんやあのせっちゃん。すごい子役女子を発見。っていうか老婆。老婆が子供の演技をしているのようなもんであった。目を瞑って開けるとき、黒目が上にあがってて、ぴくぴくまぶたを震わせながら黒目を落としてくる速度まで完璧。きっとこういう子供というのは大人に「ねえ※※ちゃん、せっちゃんはここで死ぬからここからはうごいたら駄目よ」とか云われたら直ちに完全に動かんのだろうな。テレビのあのぺライ感じでもかもし出したたきつけてくるあの表情、映画とか舞台やったらどうなんよ。あのカツゼツ、あのなんやかや。どえらいなあ。松嶋なんとかさんという女優も出てたり同じ年頃の子役も出てたが、すべての感情はあの子を中心に。や、あの子供すごかった。
●ライブでする楽曲のテキストのことを思って歩く。
うーん、あれもやりたいしこれもやりたい、そんななか劇子式の次のテキストの案もぐわっと浮かんだりもする、みなさん感想を本当にありがとうございます。ほーと思いニューヨークへ行く気持ちもぐっぐと動き出し、ああと頭を叩いて落ち着ける。原稿の締め切りをにらみつつ、今日は声がよう出た。
●今まだとても健康な83歳のおばあちゃんとあと何日この世で共生できるのかと思うとしばしぞっとする。足りるなんてこと、あらへんから私はまめに大阪に帰っておばあちゃんの目に少しでも多く映りほいで私の目にも映そうと思う。そのこと思うとたまらない気持ちになって今すぐぜんぶうっちゃって走って飛んで帰りたい気持ちで死にそうになる。この気持ち以上に大事なものなどないのだという一面の真実。
●掃除はもちろん、裁縫が、ミシンのセッティングが、まったく出来ない私ではあるが、得意なこともやはりあって、私の得意なことは、マッサージ。マッサージが上手なのです。あとは人が書いた字でその人のことをこうだとかああだとか色々お話することなどなど。あとはお店に入った時の迅速なメニューのオーダーなどです。
●寒くなって来ましたからご自愛ください、7日は曼荼羅でライブですのでお互いがお元気でいるというのはすばらしいことですからどうぞご自愛くださいませ。
●まつげというのはすごい。オレンジのモヘヤのショートコートを着てるのですけど、家に着いたらまつげにモヘヤがぐるぐると巻きついている。すげー。まつげがなかったらこれ全部目にいくんか。すげー。まつげ。いま人間にあるもので必要の無いもんなどないのだね。盲腸も必要だとかいうしね。でも男子の乳首はどう考えてもどの角度からも、要らんというのは聞いたことがあるぞ。恥の部分でも、もうないみたい。
●眠りが足りることがないのは私だけではないでしょうけどどこまででも眠れそうなこの錯誤、少々、うっとりしてまたうっとり。眠って脳がゆっくり解けてゆく思いをこの脳が追いかける奇妙な午睡。
投稿:by 未映子 09:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.07.27
台風ばいばい!
うおっし!ガー!晴れた!晴れたぞ!つかフクジョウジ女史、いくら晴れ女つってもこれ、晴れすぎですから!
我々よかった、台風ばいばい!
投稿:by 未映子 09:14 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.01.20
思ったとおりに書け
お花畑も蟻地獄もユングも向上心も餅つきも、
無意識も見得も盛り上がりも活字もお金も、
思い出はるさめレキシンコン、皆さんどうもお疲れネ、わたくしキレイにばいばいきん。
木っ端微塵になる瞬間、体が沈んで向こう側にゆくんだわ。私はどれだけ睡っても睡っても、睡り足りるとゆうことがないわ。
単独ライブで美術をしてくれた44ちゃんが(シフォちゃんと読みます)、
タイに留学するとゆうので壮行会を決行した。タイを拠点にねり動き回るのだそう。
タイ。なぜタイ。理由は聴かなんだ。もうそら行くということだけでええではないか。
タイ。タイなあ。想像つかんす。花が原色で鮮やか濃厚イメージ。
メンバーはカメラマンの横田くん、44ちゃん、お隣さんのペインターの牧かほりん。かほりんの妹。
ワタリウム美術館の近くの北欧料理屋へ行き我々は食した。
でら・美味しかった。
私はあんまし普段凝った料理に執着がないが、かほりんは、
たくさんそういうのをご存知で、みえちゃんにあれを食べてもらいたい、これはどう?これも食べて欲しいんだよね、プリンもすごく美味しいんだ、ホットワイン飲んで、このスープほら、などといって神業的になめらかに、
かつ上品に私に斡旋してくれるので、
私はそういうこと、そういうことというのは、知らないものを目の前にずらずらっと差し出されるとゆうこと、
そういうことされるのがたまらなく好きなので、身悶えるのであって、
嬉しすぎて心踊り駈けずり回りたくなるんであって、
その気持ちを行動に変換し次々に皿を丸裸にしてゆき、すんごく食べた。や、美味しかった。や、本当に美味しかった。
と、このように活字で書くこの味気なさ。味気なさすぎ。さっきの事実が活字ではまったく反映されぬ。
美味しかったは美味しかったでは伝わらんのだ。
フードライター、?あ、料理のなんかそういうの、美味しいとかを文章で書く人って偉いな。
でも美味しすぎた。あの肉。
その人に会うと、無条件に元気が出るという人が、稀にいるのでして、
かほんりんは私にとって間違いなくそうであります。明るさに無理がない。明るさが天然である。
私はそういう人がすごく好きだ。なので、部屋にいるとき、私はかほりんに電話をして仕事の様子をうかがって、
んで遊びに行くのです。遊びにゆくというか、話をしにいく。
私はあまり人に相談しない。
どうしよう、などとはよくいうが、つまりは全部決まってての単なるどうしようであって、相談して何かを決めたり、とかゆうのは仕事ではあっても、個人的なことではいっさいない。
だからかほりんと話をしていても、相談とかアドバイスとかの相互関係はないんだけれども、
かほりんと話をする前とした後とでは全然気持ちが違っているから面白い。すごく助かるしありがたいのな。
水飲んで、椅子座って、最近の話をしたりとか、
ボランティアのアマチュアとプロの違いとか、常識はいったい誰が作るのかとか、
寄生獣を読め、とか、そういうお喋りなんだけれども、話をしたあと、なんでか気持ちが嬉しいのだよ。
私にはそういう素質がないやろなあとは思うけれども、
もし、もしもよ、誰かが私に会えば、なんかすんごい元気が出るとか、本気でそう感じてくれるのって、
なんかすごいなあ。元気が出るってゆうか、そういうのを世間では前向き、とゆうのやろうなあ。
私が長く付き合ってた人は、真逆の人で、
一緒にいてなんかこう、時間の流れが超スロー、遥かな気持ちになったり、
私たちは非常に特別な間柄である、というようなスペシャルな気持ちになったりはあっても、
太陽のような抜け切った明るさというのは皆無、明日は希望!生きてるって素晴らしい!
大丈夫!うまくいくよ!的な要素は微塵もなかった。
基本的に考え方が仏教徒、
「みえちゃん、生は苦なり、大いに悲しみ大いに苦しめ。
泣いたり叫んだり、そういうこと出来るのは、人生の一番美味しいところですよ」
というような人であった。
冷たいんだかえらいんだか、その割りに抜群のユーモアがあって、おかしい人であった。
ああ、私はそういう人と、
人格形成の時期に一緒に育ったわけで、それに慣れてしまったせいか、
幸せがとにかく怖い。そわそわするのである。なーんか怖い。幸せな気持ちって、なーんか信用できひん、
ぬくもりとか、なんか暖かい気持ちに漂っていると、非常に恐ろしい気持ちが、なーんかどっかから私を見ているのです。
しあわせ。しあわせなあ。なんかさあ、どんな顔したらよいのかわからないのです。
幸せがそこにあっても、この躊躇する、この何がしか。
でも私は、少しづつではあるが、
変わってきているような気もしているのだ。
今日は、すんごい個人的な話であった。や、いつも個人的な浅はかな物云いではあるが、
今日はね、すんごい楽しかったのだ。めっちゃ笑ってめっちゃ騒いでめっちゃ冴えてた。みんな。
んでもって、人に明るい気持ちを与えることが出来る人は、
いいなあと、なんか、相田みつをの日めくりみたいなメジャー感と平和感でもって、
そういうことを思ったのでありました。
かほりんの妹さんに、
「みえちゃんは思いついたことをすぐにそのまま喋る、面白い人ですね」と云われた。
みんな思いついたことはそのまま喋らないのか?謎。
投稿:by 未映子 02:44 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.01.17
夜と夢想の解除
脳細胞が緩んで、とか腐って、とか減ってゆく、とか、なんかゆうけど、脳細胞が本当にこの世界を作っているのかはよくわからないところですけど、なんか著しく緩んでいるような、気持ちはとてもする。
どこが、どこが緩んでるの。と訊かれればもっとあやふやになってゆく。こういうの曖昧ともいう。
エロメールの数が今更に物凄いのでして、拒否するにもやり方がわからない、
そしてメールアドレスを変えようとするもそれには暗証番号が大切になってくるのですが、そんなもん私は忘れた。
auの携帯電話でメールアドレスを変えようと思ったら一日3回までしか暗証番号の照会にトライ出来ず、
で、私は4桁の私の人生でベタな数字を入力するのですが、パターンはいつも決まってるゆえに、
しかしなんでかまったく違うみたい、
色々入れるが私はまったく違う数字をセットした模様で、何度となくトライしても、
また24時間後にどうぞね、とゆうことになる。
解除は面倒な手続きを経てさえすれば私は設定した、今では皆目見当のつかない暗証番号が凄く気になるので、このまま当たるまで。
しかもエロメールの掴みのタイトルに、おおっと感心することも、15件に一件はあるのです。
しかもこのメールを送信した誰かが、いるのは、面白いことだ。
そしてそれを私が受信するこのこと。無記名とか、無の枠組み。無の当てかた。
なんだか現代詩のきっかけのような事実だ。
選択、削除、の繰り返し。
解除とか、なんかをほどくとか、そういうのが苦手なのだ。
浴槽に湯をはってこう、入浴剤なんかを入れると、青だか白だかピンクだかの塊が、ぼっとんと湯の底に落ちてです、
非常にトロイ速度で浮かび上がってくるわけ雲のような、あれはなんというんでしょうかね、粉でもないし、煙でもないし、まあ、入浴剤が。
その水の中に、その入浴剤がもわもわと登り立ち込める速度は非常なものでして、
まるで夢を見始めるときのなんだかゆっとりしたものでして、
巨大な爆弾で水没した美しい国を、思い浮かべてしまうのでした。
水中のきのこ雲の動きを凝視。実際の爆発はスローなものなのだろうか。
久しぶりのこの部屋は寒いのでコートを着ています。
暖房は嫌いなのです。袖のトコたるみがうっとい。
部屋は散らかっている。
よく知らない匂いがして、真昼間明るく部屋はしんとしている。
解除と解消は、別物。
行ってくるわ!と飛んで来たカラスに飛び乗ること。
夜がきちんと、やってくること。
投稿:by 未映子 11:59 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2005.01.05
退屈凌ぎ自慢in人生
明けました、よ。何が。12から1へ回帰したのだよ。
年が明けてまた新しい一年だという話だという話。めでたい。か?や、めでたくてよいではないか。でもまあめでたいの実感はないにせよ何回か云ってるのも確実なんであって。
やあやあ皆様おめでとうございます。ございますっす。や、そもそもおめでとうございますって何だ。何だっす?
こういう時思う、葬式とかなんか冠婚葬祭の折によく思う、ああ何かが絶対的にマインドをコントロールされている。
普段、信心なんぞこれっぽっちもないのによ、
我々はなんと無意識に、ただ与えられるだけの慣習・習慣に検証・反省なく乗っておることか。
仏壇しかり、墓参りしかり、なんでもしかり。
よく墓前で手を合わせろとゆうが、なんで眠る前に布団の中ではあかんのか。
故人に対する気持ちは場所で左右されるのか。
気持ちは私にしかわかるまい。その気持ちに場所は関係ないわよ。
そういうのって様式美ではないのか。
とにかく日常、フン然たるノン!もなく熱狂的な支持もなくただなんとなく。ううむ。ちょっとううむ。
なんか違う感じはないのか。なんかはっとするような、なんか新しい習慣は。
占いの番組がようさんやってあって、2005年は東京で大災害があるとテレビでゆうてたと誰かがゆうてた。
占いねえ。私、嫌いではないが、まあ宇宙には人間に知れぬコトワリの営みがあって、秘密があって、気象、寿命、始まり、終わり、なんでか知らんがまあ色んなことがめきめき作用しあってるという話はそれでいいのだが、そういう人知の及ばぬところのものをなんで人が知れる道理があるか。
そういうとこで私の興味は破綻してしまうま。
つまるところ、つじつま合わせを人は楽しむという傾向が、なんでかある。
なんでかな?なんでか意味を持ちたがるこの呪い。出会いに運命を感じてしまいたいこの気持ち。
モチロン私も「これも縁やのう」、と思うことしばしばあるけれども、それはそれ以上でも以下でもないという風に置いときたい。
けれども、私の理想としては、なんかこう、もっと、ガチンコ謙虚にいきたい。
なんかこうもっと、奥ゆかしさとゆうか、なんかもっと謙虚によ。
こう、なんてゆうの、人生を生きることはすんごい特殊なことではあるけれども、
一方、実は、この人生、そんな大したことでもなんでもないのかもしれないとゆう姿勢をね、
「~かも知れない」、とゆうこの姿勢をね、ちゃんと持っておきたいのだなあ。
信じるんであれば、まったく違う真逆のふたつの可能性を、同時に信じていたいのだ。
信じるのであればの話。
いわゆるシンクロニシティ、そうな。そもそもなんも、意味のないものを無理クリコネてコネてあれして喜びたいのだよ。知恵である。長生きくんの知恵な。
そう、人は不自由なのであるのだよ。舌まわらんわ。不自由なのでだわ。意味からは決して、自由になんか、なれないのだわ。頑張って放棄意味。今年こそ出来るだけ意味放棄。無理すけどゆうは勝手。
意味なくして生きるには、人生はあまりにも長いのであります。
人生に本当は意味なんてない、そう思って生きてゆくのはあまりに辛いのであります。なんでか知らんけど、きっと象の鼻が長いように、月が光って見えるように、なんでそうなって、おるんでしょう。
言語を持つ我々は、意味なくして生きることは不可能なんでありましょう。
でもよ、その屁理屈のコネ方には世界への了解のセンスががっつり出るんであってそれはなんちゅうの非常に愉しいもんではあるのな。私は好きだ。
気の利いた哲学は古今東西を問わず、おしなべてそれぞれの脳の思考の癖を大前提にした屁理屈自慢以外の何ものでもない。
しかもそれは人生を賭すに値する最高級な退屈凌ぎであります。
投稿:by 未映子 07:55 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.12.17
刺繍狂想曲あははん
針と糸をちょ。針と糸が欲しいんやわ。
めっちゃ種類の刺繍糸が欲しいんやわ。刺繍を完成させたいんやわ。
頭の中には私の存在理由が曼荼羅の形になってさ、
美化でも何でもええけど、森羅万象、宇宙のコトワリ、それに加えてこのなんか、眼?意識?わたしとの織り織り、刺繍してゆくのよ曼荼羅を、もう目にみえて私の美しい曼荼羅は、おおきな口を広げて私が完成させるのを今も今も待っているのに、私には手が出ないんだからなあ。
一色だけ、好きな色を手に持って、どんなけ丁寧にしたって塗るだけでは駄目なのだわ、
ちゃんと、何年もいつまでもそのままあるように丈夫に、私は一刺し一刺し全部を賭けて、刺繍をしたいんだわ。
色だって、構図だって、頭には綺麗に結んで刺繍は完全にされているのに、こんな私にはいつまでたってもつんてるてんで、針も糸もないのだからなあ、あははん。
っつうことで、今まで意識的に避けていたのですけど、もう一回、ピアノを習うことにしました。
21日の夜、曼荼羅で歌う曲をスタジオで練習してきたわ。
新しい曲ふたつ歌うことに決めるわ。「結ぼれ」と「私の為に生まれてきたんじゃないなら」を歌うわ。寒いし寒しわ。「結ぼれ」なんか何年も前に作った曲やからちょっぴり感慨深いわ。う、歌えるなんて、あの曲を。お披露目。嬉しいわ。
これ書いてる足元は熱くて眠たくなる。悲しいわ。瞼が重いわ。スーパーは苦手やわ。スーパーは不思議な気持ちになること必至で、平気な時も大変に多いけど、スーパーは総じて貴重なんやろうけど、だってあんなに食べ物や日用品が終結してみんなも毎日集まって、腹を満たすことを充足してるんだわ。
ねえ、生きてれば自然にお腹が減るっていうのは、人類にとってでっかいルールよね、あははん。
何かを作ろうと思い立った振りだとしても、私は財布を持ってスーパーに行きスーパーに入るよ自動ドア。
その時私のアタマは家にある残り物の水菜とウインナーを気にしてるよ。偶然の導くところによってなぜか同居したこの二つ食材をよ、うまく使って私は今日ご飯をつくるべきなのだよ。難しい。なんて難しいの。いちいちがこうも何故。生きることってベリーハード、あの二つ、を過不足なく使い切ることが今日のテーマ。今日の私が生きる理由。
まずウインナー。じゃあポトフだわ。ポトフの材料を薄くためらいながらかごに入れる。
カレーとあんまり変わらん。じゃあ水菜は。サラダにしてあれしようか。ドレッシングか。
でもさ、なんかポトフとサラダなんて、なんか馬鹿げてるわ。薄いわ、熱量がなんか。らしくないわ。なんっかちゃうわ。なにがポトフじゃ。間違ってるわ。ポトフ。だいたいポトフって名前があかんわ。なんじゃそらポトフ。大体なんでポトフ。でもって材料を一個一個もとの場所に戻す。
私、ずるずる空になったかごを腕にかけて店内をぐるぐるぐるぐる歩き回る。
目が回ってくるわ。ああ食べ物がいっぱいだわ。でも食べたいものがないわ。でも色々と陳列されてるわ。これらは全部誰かがここに持ってきてよ、誰かがここに並べてよ、見てごらんよあのお肉。そんな大きさになっちゃって。君たちはいったい何処から来たのか目が回る。
ごらんよ冗談みたいなパプリカの色!びかびかしちゃって。ダイヤモンド失敗す、みたいないびつなトマト!取り出された肺のようなブロッコリー!君たちはいったい何だ。君たちはいったい何処から。
きゅうりの模様を凝視める。なんで私はきゅうりではなかったのだろうか。不思議。
食べたことないきのこがある。人々は難なく食べ物を手にとってぽいぽいかごに入れてゆくのだ。恐るべし食の建築家。いちいちがクリア。すんげいなクリア。すんげいわ。無駄ゼロ。人々の技をみながらわたし驚愕、私だけがなんか権利のない感じ。疎外感。間違ってる感じ。
この食べ物とこの食べ物でこれこれこういうものが出来る!という図や絵が、人々の頭に浮かんでるのだわね。
その組み合わせのパターンが料理の出来、不出来か。
スーパーを練り歩き頭にはこの宇宙で一番美しいと思いたい曼荼羅が嵐の空のように巨大な重低音を地鳴り響かせ、巨大な雲のように私を覆ってゆくのが見える。
何にも買えずに何にもわからずに、ピーマンとこでおった人に、「今晩は何を作るんですか」と聞いたら思いのほか女性はびっくりして、「は、・・・・、考え中・・・・?」と云われてしまったわ。
驚かせてごめんね、あははん。
投稿:by 未映子 08:59 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.11.05
黄金国
難しいなあ、もうほんと。何が。や、別に何も難しいことはないんですよ。やらなきゃいけないことをするだけなのですが、何がこれ私を憂鬱たらしめているのかしらん。ごめんね憂鬱。なんで憂鬱。暗い水色の空が沈んで行ってしまうよ。遣り残したことはないか。まだ遣れることはあるか。明日もし。明日もし、と頭に浮かぶが続きはないの。感情はいつもどんな時も単純で明快なものなのだ。それをいつもどんなときも複雑にしているのは言葉だ。ごめんね言葉。やっぱ言葉。わたし、みかんを食べて、食べて、また食べて、なんかを見つめる。言葉にするとこういうことだけど、傍から見たら何もしてない。言葉言葉。歌詞。詩。
今日打ち合わせはお昼ご飯と重なり、パスタをみんなで食べた。黙ったりしゃべったりしながらもぐもぐと食べた。
それで音楽の話や歌詞のこと、楽器のことこれからのこと、方法のこと、色々を短い時間で話して出て、乃木坂を駅に向かって歩いてそれで家に帰ってきた。
なんだかどうしようもない気持ちが溢れては空中に散り、心臓の音がうるさくなった。途中バスの中で西本明氏の「他の誰かではなく」を聴いてたらじんわり涙が出てきて、夕日に向かって走るこのバスを。西に向かって黄金に染まりながら走ってゆくこのバスを。わけもなくこの空間がこの共有がとても哀しいものに思えてしまった。「どうして僕は他の誰かではなく、どうして君は他の誰かではなく。どうして」
西本さんが優しく尋ねる、わたしも思う、どうして?
懐かしくて儚くて脆く、でもわたしたち、なんでかそれを紡いで、もう、生きてゆくしかないというこのことが。青いね。や、生きるということはその青さ。
おばあさんの目もボタンも床もガラスも黄金に震えてる。ぐるりの大きな帽子だったのでそれを目深に被りなおして窓にもたれて揺られて走った。
玄関のドア開けたらキヨミは電話をかけながら泣きべそをかいてて、わたしも溜息。
今日が終わりますよ。
投稿:by 未映子 04:49 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.10.26
土砂降りの羞恥心の中を
雨が暗くも明るくもない空からしとしと降って隣に歩いてた人はどうせだったら土砂降りのほうがいいよなんつって夢みがちなことを云うのだけども考えても御覧なさい、裸一貫で歩けるのならまだしもこの初秋に沢山お召し物着込みつつある今日この頃、わたしハイヒールに薄い靴下履いてるんですのよ、全然、や、間違い問題なくしとしと降る雨の方が何もかもに対し格段絶好調にいいんであって、土砂降りのほうがいいだなんてこれ真剣にありえないのであって土砂降りというイメージ、はたまたなんとなくさ加減で欲望を語られても困るのである、外出の時、降るなら雨はしとしとの方が断然に宜しい。断言。
キヨミが「私の吐き口を、私に吐き口を、」と全然真に迫る様子もなくなんとなく云うので、ブログを始めたいそうなの。ブログって吐き口。吐き口ねえ、どうかしらん、でもってライブドアとココログがあるけどどっちにするというと「んー、ココログ」らしくってなんかいい感じだそうな。とにかくキヨミは草っぽい。異常低血圧。12月にある毛皮族の公演に出るのである。劇・楽しみ。次の舞台はちょっと広いらしいからなあ。楽しみよ。瞬時にテンションを上げられる人って文句なく最高。こっちの気分のいい時に限られますけど。
ほいで昨日は家に帰るとなんか安っぽいけど気持ちのいい敷物が新しくあって、キヨミはそこに自分の体を丸くしてはみださないようにしていた。すごい一生懸命になってた。それで火のついたように笑い出し「ぬくといぬくといぬくといぬくといいいいいいいい」と云って自分だけ憑りつかれたみたいになっててちょっとムカついた。その無意味な嬉々をわたしにも分けろよ。ぬくといって何やの。多分「ぬくとい」ということなんでしょうけども。
こう、書くもの、内容の種類って、最近思ってるんですけど、ちょっと難しいなあ。わたしなんか、あれも書きたい、これも書きたい、っていうことがマジで色々あるわけよ、日常、あ、これはマジでおもろい、ってもう失禁するくらいのことがあるわけ、でもね、書けないのよ!書けばどっかんとおもろいのは判ってるのに、や、別に規制があるとか検閲とかがどうとかじゃなくって、や、腹を割ってないっていうんでもなくって、実際これ書いたらみんなヒクやろ、文句なく未映子にドンビキやろっていうのがこれほんとのこというと怖いんですよね。や、例えばさ、わたし結構好きで愛読してる日記に銀杏BOYZの峯田さんというボーカルの方のがあるんですけど、女子といえども、多分日常はああいう感じなのですよ、や、もっとか、詰まるところああいう感じが感じなわけなのですよ、でも、本当のことを、や、人間の生きている姿をですね、細部に至るまでをもうあんなことこんなこと、あの時わたしがこう云ったらこう云われて云われちゃってされちゃったの、あの時にわたしが、ああ、もう書いてしまいそうで怖い。でもなんでかそういう本当に面白いことは書くわけにはいかないのよ!わたしは何を恐れているか!何を!人格を疑われるのを恐れているのか!もしかしてイメージ?や、イメージなんて所詮イメージなので望むところな筈ではないか!なべちゃん?スタッフの皆んな?なんか背徳系?や、親はラジオは聞くけど日記は読めないし!羞恥心!羞恥心!でもやばいのである。だって面白いんだもん。書きたい。ああん書けない。そんなこと書いたって。わたしの得るものはなんなのか。面白い日記書くために生きてるわけでなし。うわん、でも、おもろいから書きてぇ〜。と、今のコレ書きたいなあ、とことあるごとにわたしは悶えているのでして、ああ、未映子、日常のすごく面白い事実と表明の間で思う存分悶えてるのね、と思っていてください。それでも書ける人は偉いなあ。恥ずかしがるわたしというのも、ちょっと意外なんですけども。や、でもちょっと恥ずかしいからかなあ。
そんなわけで土砂降りの羞恥心の中を、なんかわたし、いつも嬉々としてよろよろと走っているの。
投稿:by 未映子 12:13 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.10.19
荒れ狂う最大の最中
最終リハも終わり、後はお風呂に入って眠るだけである。
口内炎が左奥にあるのが疎ましいが仕方あるめえ。
キヨミが部屋に来て、ものすごく、ものすごく部屋が、キレイになった。
すごいなあ。こんな短い時間にわたしにはほんとに無理なことをてらっとやってみせるんだからなあ。びしっとしていて、リハから帰ってきたら暖かくて、玄米が炊ける状況になってて、ソファがふんわりとし、間接照明が間接照明然とし、まるで素晴らしい部屋なのであった。嬉しい。わたしはもう気持ちよくお風呂につかり、あとは脱兎の如く眠るのである。脱兎、またぐ。わたしは暖かい母なる泥をまたぎ、もう意識も無意識も知ったことではない、究極のどろどろになるまで眠るのである。ぐっすり。グッドスリープ。もう誰が何を云おうとわたしは眠り、眠り倒し、ほいで、明日またわたしは生まれ変わるのである。何度でも何度でも生まれ変わってやる。生まれ変わってやるのである何度でも。何のために。知らない。でもわたしはやるで。ああん明日のことを思うとくすくすである。ほんとにくすくすくすである。セッションするミュージシャンを思うとぐふふである。あはんである。濡れる恍惚である。何が。どこが。わからないの。楽しみ。思いっきりセックスするより楽しみである。ほんとに。
ところでナーソ・ケレスコという文字を繰り返し、よく判らぬハングル交じりのなんか小窓がひょいと飛び出して邪魔するんですけどこれなに。もう。いらだつ。嘘。別にイラだってなんかいません。だって明日ライブですもん。
ああもう寝る。独りだけどいいの。眠るのよ。キヨミは出掛けたの。こんな時間に。そしてまだ十時前やけど寝るの。明日の衣装がうっとりである。わたし、頭からドンペリ被ったみたいなん。光ってんの。ほいでわたし今晩は賢いのでドリエルを飲んで眠るの。青いドリエル。お子様用の。それで部屋を真っ暗にしたらちょっとまるいピンクが脳の中央ににみえてくるからそれもいいの。黒とピンクっていいの。もうなんでもいいの。いいの。いいの。
それにしても凄い台風になりそうで、もうこうなったら楽しみである。
ねえ、新幹線に乗ってくる方、大丈夫かしらん。気をつけてお越し下さいまし。
抱擁要塞
光沢に生まれながらの
夜明け指図
理由性により雲の中で保存されるべき
薄暮性、歌唱、垂直の苛立ち
荒れ狂う最大の最中に我々は出逢い、あんなに毎日愛し合ったんだからね、悪態つきつき。
皆様おやす。
投稿:by 未映子 09:54 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.10.13
子供は誰が作るのか
雨も上がり、わたしはなんと食パンを食べた。
今日中にしなならんことは色々あるのになんでか気持ちが追いつかん。
青い夕暮れにカラスが鳴き鳴き、カラスの歌あるやん、あれ泣けるわ。
わたしブルーハーツのトレイントレインの「弱い者たちが夕暮れー」ってことこの
「夕暮れ」って、小学校の時に夢中になって聴いてたんですけど、
「夕暮れる」という動詞なんだとずっと思っていました。
や、もう、寂しくて、夢なんかなんなんかわからんけどわたしハートブレイクの夕暮れ、
なんか書くわ。や、書かしてあげて。わたしに。ごめんけど。特別なことなんていっこもないんですけど。
あ、わたしのお勧めなんですけど、文字サイズあるじゃないですか、表示のとこに。あれを中にして読んでもらったら、いい具合なんだと思います。ごめんね好きにさせろよねえ、でも小さいと鬱陶しいかなあと思って。
母親が「歌とか色々、大事なんかも知らんけど、やっぱりミエちゃん、ひとりは子供を、産んで」
とか云うんよ。子供、子供ねえ。
子供を産むとかそれについてはわたしなりに二十歳を超えてから色々と考えてきてはいるんですが、最近「どちらでもよい」という感覚になってきた。や、色々な、頭でなんかいろんな事を認識してゆきたい時期というのが皆さんもご存知のように青春にはあってですね、ちょっとうざい考え方をわたしはする癖がどうしてもあるんですね。
「人間が出来る過程などは自然そのもの、人がどうこう云えるもんでもなし、授かりもんとはよう云うた、よってどちらでもよい」という感覚にはたしかになってるんでけれども、なぜか我々には「避妊」という行為を選択できるつくりになってるんですね。どちらでもいい、とは云ってても、避妊してたらそれって違うやん。どうなん。
いややなあ、もうこうなってくると、すべての行為にちっぽけなこのわたくしの意思があるような気がしてくる。
まさしく今をときめく養老氏の「脳化」という話なんでしょうけど、でも意識化していい面というのも、確実にあるわけで。
でも前にも書いたけど、わたしら僕ら、生まれてくるのに明確な意思は無かった。
気が付いたら自分がおった、これだけ。生まれてくる子もたぶんそれだけ。しかし、わたしは責任追及されるのがなんとなく嫌で、無いところに有るものを、わざわざ作るのはわたしがやらなあかん仕事でもない、ってな風に思ってたわけ。これはあくまで想像力を欠いた脳で考えてることよね。
でもさ、
「生きるのはつらい。いつもおなかが減ってる。なんでか人生が始まった。これからも人生は苦しいに決まってる、なんでわたしを生んだのか」。
わたしは子供のころにそう思って今考えると母親に云う筋合いはないんですけど、まあ子供なんで、
そんな風に母親を困らせたし自分もほんとに困ってたから、
将来そんな風に思うであろうところのものをわざわざ作りたくはないなあと思ってたわけ。
今思うとちょっと越権的な、僭越な考えかたかなあって思いますけど。
松尾スズキ氏は冗談なんかなんなんか、や、わたしは結構まじめに思ってると思うねんけど、
「自分が今までしてきたことを思ったら絶対に奇形児が生まれると思うので、わたしは子供は作りません」、
とか云ってる。科学的な因果関係なんて皆無やのに、例えば医大で人体の臨床実験を長年やってきた方なんかも、奥さんが妊娠してるときには、わたしはこれまで人にとっての正義の名のもとに残忍なことをしてきたが、
この子は無事に生まれるのだろうか、みたいな心境にどうしてもなると話してた。
や、人間ってそう感じるもんなんやなあって思いました。
わたしの場合ははちょっと違うけど、やっぱり子供を生んだらその子もいつか、自分と同じようにわたしに訴えかけてくるような気がしてならない。自分の気質とまだ見ぬ子供の気質に関係をみている。
だからあれですね、自意識過剰は不幸なことが多多あるということですね。
人々が前向きに、大きく、明るく、明日を笑顔で生きていこう、と励ましあってる意味がなんとなくわかってきたぞ。
何が幸せか不幸かはわからんが、ネガティブは結局しんどいもんなあ。根暗はしんどいもんよ。
仮に明るく取り繕ってしてもそれがその人にとって自然じゃないならめっさしんどいやん。
なあ、人って明るくなれるもんなん?
でも日本の宗教とかってそういうことよね。現世で幸せになってなんぼなところがあるもんね。
暗い人はセミナーにいいかなあかんな。
明るく生まれつくか、逆かは、結構でかいですね。明るく育つかどうかの環境も。
人生ってほんとにほんとに素晴らしいの!!!
って手放しで云える人って結構多いやん。涙を乗り越えて、とか、なんかそういう感じ。
理屈じゃないの!命って素晴らしいの!っていう感じ。
そういう歌もよく聴かれるでしょう、ほらやっぱポジティブなもんが。幸せと日常と自分探しの等身大が。
そういう人たちが子供を作って、こう、幸せでハッピーな世界にひとつだけの種を撒いていけばいいと思うのよ。
まあ根っから明るいハッピー信者、こう世の中を疑ったり自意識のを練り歩いたり、恨んだり死にたかったり、そういう自分自身の地獄を抱えてない人の、何も、わたしにとっては魅力的ではないが。
まあ毎日食べ物美味しく、笑顔笑顔で、幸せはいいことなんでしょう。
前に誰かに「ミエちゃん、そんなに幸せを、恐れないで」って云われたときは、
はあ、この人面白いこというなあって感心したけど。
で、松尾さんみたいな人は仕方ないんで、ご自分の仕事をまっとうして戴くと。
般若雄高も「子供は駄目なの」って何回も奥さんを堕胎させてるし。やはり自分の人生に対する感想と、
子供というものに対しての感想は繋がってるんですかね。や、一大事ですからね、人生が始まるというのは、なんとなく。性格によりますね、やはり世界は感じ方なんですね。
でもわたし、全部なんも大したことなくって、
人間のなんやかやなど、なんかこういう脳の働きが、無駄な気もすごくする。
自然なものである人間が、自然と乖離して生まれながらに生活している故の、ギャップだなあとも思う。
つくづく人間っておかしいというか、おもろいというか、悲しいというか。
シンプルに、こう、生きていきたいものです。なんちって。思ってもない癖に。
や、この夕暮れにね、わたしはなんとなくいろんな意味で暗いわけですよ。
あんまりにも暗いのでおかしいなあと思ったら電気がついてなかったんですよ。
それで慌てて電気つけたら部屋って明るくなるんですね。電気ってすごいね。
人の心を左右出来る照明機器。
わたしは世界のなにを左右し、何に左右されているか。
こういう問いが実際どうも。最近だるいね。
子供生んだ友人に色々きくと、
子供が出来て子供を産むのは理屈じゃなくて自然なことなのと口をそろえていうんだけど、
でも子供は2人まで、ひとりで充分とか、同時に云ってるのね。
自然やったらどんどんつくりゃあいいじゃないの。理屈じゃないなら、
2人目と3人目の差はなんなのだろうかと、ちょっと思う。や、だいぶ思う。
そこらへんの話が聞きたい。生んだ人の。
投稿:by 未映子 06:10 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.10.12
式ちゃん
やったで結婚。したったで結婚。終わった二次会、もう足の指がもげたわ。ああしんどかった、受付でつり銭がないことに気づき一足早く来ていたお客さんにパチンコ屋かどっかなんか行って六万円を五百円玉ニ万分、あと千円に換えて来てくれと頼んだりしてちゃんと帰って来てくれて良かったありがとうすみません、北鎌倉には遊びにゆきますのでその時にきちんとお礼を云います、お疲れ新郎新婦、あなたたちは幸せになってお仕合せに。ほんでオーストラリアに行ったらしいやん翌日、わたし考えられへんわあんな疲れたら一週間は部屋から出やんで、すごいね、すごいよ、もう誰の何も祝いたくはない気持ち、はっきしゆって、400年分は祝った、祝ったた、泣きすぎて頭痛いしマスカラはげてひじきやし、そんな中でもメロディが頭にどばっと出るからなんか勿体無いしメモリたいんですけど忙しいし、これってあの法則、時間ない時に限って冴えてくるという、無体やわ、それでも上手くいえない説明できないメロディの記憶の仕方がわたしの脳にはあって、それできちんと掬ったったから今週ちゃんとやるでわたしは。
披露宴、二次会には高校時代の恩師も来て、学生の頃から皆んなアキラと呼び捨てにし英語教師の彼から授業を教わったこともない、彼は教師として特異である、ほんとに最高である、見事に何も学生たちに教えなかったが、情報ではなく想像を、行動は常に好きなことをせよというありきたりな発想が見事に実践される稀な学生時代を送れたのは彼の性質も多分に関係があるんではないかと思うなあ。
そんなアキラのスピーチにじんとし、自分より長く生きている人はこれだから適わんと、適わんもんがあると思ったのでした。四次会、友人の家でもうわやくちゃであった、起きたら人数が減ってた、最悪に蒸し暑い中昨夜の疲労と汗をたっぷり吸い込んだシワシワのドレスをなんで着込み、朝、まぶしいコンクリートに踵を刺しつつ遠路帰らなくてはならないのが最高にだるかった。
「式」というのはあれですね、なんか面白いですね。わたし常々人生は究極の「何々ごっこ」だと感じているんですけど、式というのはもっとこう、増して演技の部分が凝縮されたもんですね。葬式でもなんでも式というのは人間の感情と演技する性質にもってこいですね。皆んなマジ本気ですしそれがカタルシスなんであって、冷静でいることの放棄ですね、人生の美味しい部分だなあと感じておりました。わたしが死んだら葬式はしていらんわあとか結婚式はしなくっていいわあとか、まあ色々生きてるうちは思うのですが、式というのは無論自分のためにするものではないんですね、周りの人間のけじめというか確認作業なのであって、結婚式などは今まで育ててくました親などに「してあげる」、ぐらいのサービス精神でもってやらなければ最後まで高砂には座ってられまいよ。
葬式はあれやな、「この人は死にましたよ」ということの確認ですね、沢山泣いて、それでも明日は来るので生きてるあなたは頑張って死ぬまでは生きてくださいね、ということですね。そういうことなんとなく考えながら、なんと人の世は確認事で溢れかえっているものよと。約束だらけの確認だらけではないか。
それでその日のうちに実家にも居れず、帰るところはどこにもないと被害者振りを発揮し、新幹線の最終に乗って帰ってきたらば、なんだか無性に自分に悔しかった。おまえは。ほんとに。いい加減にしいや。
家のこと時間のこと、人の思いやりのこと、自分の自己中心的な子供じみた気分屋ぶりにほんとに自己嫌悪、ぐずぐず鼻水が出てきて苦しかった。色々書きたい事もあったが、長くなるのである。ので、続きは今度。
投稿:by 未映子 05:40 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.10.07
あはんな感じ。
あはん。あはん。あはんな感じ。何が。何も。別に。ただ何か。あはんな気分。
あ、変換がなんかおかしい。うざい感じ。夕焼けが背中で唸ってる。夕焼けに噛まれた口説かれた捨てられた。黄色。てかあれ何色。わたしはクエスチョンマークなしで生きてゆきたい。や、どうでもいい。?を排除してゆく。気持ちじゃなくて表記ね。?のところは全部。でやるわ。メールで「水中でおしっこをしたことあるかアンケート」のようなものを頂き、少し読んだ。意外な結果ではあったが別に何だか興味もない。
明日は大阪です。個人的に里帰り。男の子なんですが親友が結婚するのですよ。ほいでベタですけど歌うんですよ何曲か。結婚。結婚。乾杯も歌うねん。小学校以来やわ。ベタ通り越してすがすがしくっていいわ。ええやん結婚。ええやん誓いとか。ええやん。すこぶるええやん。いいと思うわ。「式」っていう漢字めっさ好きやし。でもちょっとちゃんとした結婚式とか出るの二回目、一回目は姉のでしたからなんかまた違うし。ちょっとだけそわそわするなあ。歌うのは歌うときにはもう酔ってるんだろうか。醜態さらすことだけは避けなければほんとに。二次会をキヨミが仕切ってるけど発狂しそうってか発狂してた。大変みたいよ二次会とか仕切りとか。これから皆さん多分どこであってもニ次会の仕切りはしんどいと思うので受けないように。あはんな感じ。
投稿:by 未映子 11:16 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック
2004.09.15
純粋悲性批判
未映子、公式お日記、
ビクター公式サイト「ブラックうさぎ」で展開して参りましたわたくしの日記、
場を変え読みやすく、入りやすく、本日よりなんとかブログで参ります。
純粋悲性批判。
ああ、人生とは、悲しみの認識批判。わたしにだけ有効の。
悲しいと思い感じる時、それは世界のものか、こちらのものか。
諸事象の認識が可能である、このおかしな現実とはなにか。
例えば、悲しみ。
そも世界にある「悲しみ」を我々の意識が感じ取るのであれば、
なんでそんなやっかいなつくりが。
純粋悲性は可能か否か。どうなんですか。
観念を思い抱くこの≪仕方≫を説明しようとするとき、
ぴったり当てはまるどんな言葉も見当たらないので、
心のこの作用を完全にわからせようと思えば、各人の≪感じ≫に訴えるよりほかはない
ヒュームのこの物云い。(<人生論>世界の名著 ロック・ヒューム/中央公論社)
感じ。感じ。記憶も感想も文学も味覚も戦争も科学も哲学も生き死にも所詮この世は、
誤解を恐れずに云うと、それぞれの「感じ」以上であるとは、わたしにだって、思えない。
ヒュームの云うように、わたしは自然の流れに身をまかせ、感覚機能にも知性にも従順であってよいのである。
ということで翻り、ああ、人生とは、悲しみの認識批判。わたしにだけ、有効の。
囚われちゃって、恥ずかしい。
最近は何だった。なんもなかった。
熱気の中恨めしく歩いたりした。もうもうに暑い日中を。
恨めしくだって。趣味が悪い。けれども四角の石が連なって東京の道は殆ど伸びているので惨めになり、足の裏と、石畳を隔てる薄いなんかの一枚は、燃える様で不憫、連なる四角は、力ないわたしをどんどん前方へ前方へ誘導するのであって、足はわたしの了解を得ずにどんどんどんどん誘導されて、出して後ろ出して後ろのリズムを生んで。
わたしは傍から見れば、単に歩いているのである。
惨めな炎天下の東京のどっか、正しくはわたしの体は役立たずの頭陀袋、鈍い荷物である。
何かによって、見えざる倦怠の意識によって、両足の裏はどんどんどんどんと運ばれてゆく。前へ前へ、次いでわたしの脳もついてゆく。わたしはベルトコンベヤを思い出す。なま暖かい、間違った方法によって葬り去られた恐竜の、固くなりつつある舌のような。中学生の夏と冬はまるまる工場でアルバイトをしていた。夏には暖房、冬には冷房を朝から晩まで組み立てた。ハンダゴテを使って青い線をくっつけたりした。とろりとした水銀が指についた感触。わたしはお金が欲しかったの。お小遣いをもらった確かな記憶がない。そもそもお小遣いという概念がない家だった。財布はひとつ、皆生きるのが必死であった。幼い頃、小学校に上がる前からわたしは一刻もはやく大人になりたかった。いや、このぶんでは姉弟揃って大人になることなど無理だろうとも思っていた。けれども少しづつ身体は大きくなり、働くことが出来るようになった。貰ったお給料でお盆をしてそれでみんなで美味しいものを食べたのだ。最高に美味しかった。みんなが笑ってみんなが喜んだ。わたしはほんとに嬉しかった。肉体も感情も忙しい中学生の夏と冬。休憩中にはたと失恋したことも思い出す。電話で。ジンジャージンジャー蝉が狂ったように鳴きすぎて地面は白く光り、わたしの耳内部はかえっていつもいつも静かだった。工場にはクレバヤシさんという意地悪なソバージュヘアのおばさんがいた。その後何度か川べりやスーパーなどで見かけたけれど、別に嫌いじゃなかったな。いつの間にわたしなんでか28歳、いったいこれは何の数字。
東京の街並みになんでか今ベルトコンベヤが見える。道に沿ってベルトコンベヤが伸びている。死んだ恐竜の舌。果てのほうは右にゆるやかに折れてゆくのが見える。ゆるく回転し続けて、低く痺れるモーター音が悲しい思い出を話す男の声に聴こえてくるので憂鬱。おでこな、暑い。からだ、寒いわ。毛布がほしいわ。ベルトコンベヤ、休憩中も動いて見えた。コーヒーは飲めやんのに工場の飲み物はコーヒーしかなくて困った。
ねえ、あの夏、あの冬、ベルトコンベヤには何が乗っていたんだっけか。
いつもいつもベルトコンベヤは何を運んでいたんだっけ。
名もなき人々は作業し、ベルトコンベヤは絶えず回転していた。
荷物はいつも、誰が乗せたんだっけ。荷物はいつも、何処へ運ばれていったんだっけ。
それで、あの夏、わたしは無言で、泣きそうな気持ちでいつも、
何を、一生懸命に、独りで組み立てていたんだっけ。
わたしは進み、歩き、足は命令よりも速くリズム、そうすれば熱され発狂寸前のコンクリートがわたしに息も絶え絶えに話しかけるので、わたしはもう、ごめんなと泣きたいような気持ちになって、ああもう。ああもう。ほんとにもう。返す言葉がないのです。わたしはここで、健康な肉体を持ち、何をやっているのですか。
わたしは熱いコンクリートを抱きかかえベルトコンベヤに乗せて、
わたしは熱いコンクリートを抱きかかえベルトコンベヤに乗せて、
いま、東京のベルトコンベヤはコンクリートを乗せて流れるのだから、
いま、東京のベルトコンベヤはコンクリートを乗せていよいよあのカーブを曲がるのですから、わたしはいよいよコンクリートに手を振らなければならないのですが、
どうにもこうにも悲しいのだから、なかなかこの手が振れないのです。
いま、流されてゆくコンクリートに手を振れば、わたしは得体の知れないものから解放されるかもしれない、けれども、わたしは生きる理由のようなものを失ってしまうのかもしれない。わたしはそれが怖い。
コンクリートは物言わぬ我慢強い奴隷のように見えるのです。
コンクリートは、過去に点在し続ける、わたしです。
わたしがあの循環から一抜け、
運良く健康に大人になってたくさん眠りよく食べ笑ったりしてしまったせいで、その代わりに今もまだコンクリートは炎天下、不当に虐げられ続けているような気持ちになる。
あの京阪沿線の小さな工場で、この暑い夏のどこか、中学生のわたしは今もまだベルトコンベヤの前に座り、うつむき加減に作業しているんではないか。こうして大人になったわたしを永遠に知らずに、彼女は永遠にベルトコンベヤの前で諦めながら、水銀を指に垂らしているのではないか。振り返れば無数のわたしが点在し、楽になったのはこのわたしだけだというこの罪悪。
わたしがそう感じるのだから、それは世界にとっての事実です。
世界は、いつだって平等に、ついぞ確かめようがないのです。
ああ、人生とは、あらゆる悲しみの認識批判。
一切は、如何にして可能なりしや、と問うべくもなく、
なんでか可能なんだから、
つべこべ云わず、なんでか精一杯生きればいいのですよ、わたし。
そんなこと、わたしが決めることでも、なんでもない。
投稿:by 未映子 02:38 AM [日記・コラム・つぶやき, 純粋悲性批判について] | 固定リンク | トラックバック
2004.05.21
古典女への目覚め最近はどうよ。
ああ今大阪に着いて、ホテルで書いてるのですが、雨やわ。
昨日は東京の横浜でアルバム「夢みる機械」のジャケットの撮影した。
写真はMOTOKOさん。なんでかちょっとキレ気味で(笑)、初めて会ったけど、わたしは面白かった。細かく指示があって、角度とかな、こっちみて、そうちゃう、こっち、みたいなんをゆうからめっちゃわかり易くてよかった。なんかあるやん、もっと優しい雰囲気で、とかもっとやわらかく、とか、そういうのってわからんやん。途端に無表情になってまうやん。歌入れもそういうのをいかにうまくやり過ごすかってとこにあるので、写真のときのそういう細かな的確な指示というのはほんとに嬉しい。まだあがりみてないけど楽しみだっす。
最強にまずいラーメン屋があって、家の斜め前にな。そこがどれくらいまずいかってなめんなよっつってスタッフ連れて行って、
そこがどれだけのまずさかっていうのを見せたってんけど、
そのことを詳しくわたしは書きたいねんけど、それを書くにはちょっと集中しなあかんよってにそれは今度書くわ。ほんままずいねん。終わってんねん。あれだけまずいのにはなんか理由があるやろうっつう。ラジオでもゆったけけど、また書くわ。
あああああああああ、こないだ松尾スズキの「宗教が往く」を読んで、
面白かった、五年かけて書いた小説を3時間で読むこのからくり。
これについていったい何がそんなに面白かったかということはまた書く。
そしてわたしは別に松尾氏のファンでもない。カムバック、オモロー、もしくは、
おいしそいいですね。面白い小説の定義、貴重かどうかは別として、ページを繰る指がとまらんことよ。
あああああああああああああああああああああ、
雨。雨が。台風がくるらしいな。
今はホテル。しかも大阪。
気もそぞろでなんかだるいし、わたしはこう、胸の奥のもやもやが。こう、
なんとゆうかさ、そうよ。
こないだ高円寺のジロキチに、佐藤研二氏とGRICO氏のユニット「竜巻」を観にいった。
ほいで竜巻かれて帰ってきた。
ほかには何があったっけ。
なんか最近、偉そうに云われるのが快感。
例えばさ、「うるせえよ」「駄目だこっちこい」「動くな」、エトセトラ、
とかさ、そういうのがさ、なんか心地いいわけよ(笑)。
偉そうに云われることへの目覚め。開眼。今までうるせえよとか云われたことなかったからね。そういうのがいいわ。めっさいい。はい、とかゆうことの快感。いいわ。
もうわたし、はい、はい、だけで生きてゆきたい。
ああ他にはなにがあったっけ。
面白いことがすきな人が書く文章は面白いかどうかは別として。
ああもうこんな調子で面白いだけでいいんでは、と一瞬思ってしまう、こともある。
ああああああああああああ、文字って罠にハマったら未既感がな。
いいい、これって、ほんとに「い」なわけ?
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2004.04.23
わたしは掃除が出来ない
最近暖かかく、でも今日と昨日は寒い寒い。
レコーディング、アルバムの大詰めに入り文字とおり佳境、
忙しかった。それに呼吸を合わせてどんどん部屋が散らかってくるんであって、
この辺がデッドラインであることがびしびし伝わってくる。
ここに写真を貼って自室の臨界地点をお見せしたいんですけどそんなん見せたところで知らんやんけと云われること必至なんで、黙って今日は掃除に徹したいと思います。
洗濯物は洗濯機がしてくれるのでわたしは干すだけなんですが、
これが以前は人生におけるの行為の中で憂慮するほどに疎ましく、
洗い立ての洗濯物をベランダにぶちまけてしまう〜衝動と戦い泣きながら干していたこともあったが、変なの。最近いけるん。だから洗濯はまめに出来てるが、今度はその干しあがったものを仕分けする収納する時間とエネルギーがない。だから憐れふかふかであった洗濯物はソファにどんどん積み重ねられ、あれま途端にちょっとくたっと蟻塚。
京都でラジオ番組を持つことになり、精進していますが、いいのか果たして。
あんな出鱈目に公共の電波を使ってあんな話で。ラジオってさ、見境なくなるよね。調子に乗ってぺらぺらと、調子に乗ってブースの向こうのスタッフに受けたりしたら調子にのってわたし、ぺらぺら、もう受けさせることだけに集中して恥も外聞もない話をわたし、
それで結構恥ずかしい話でげらげら笑ってくれるからそれに集中してくるのん、モアモア恥ずかしい話。そしたらラジオ番組持つとか一言も云ってないのに、実家の母から電話があって、親戚が録音してくれてるんで楽しく聴いた、とか云うん、ちょっと勘弁してよっつって頼むからあなただけは、なんちゅうか何となく聴かなくていいの、聴いてくれるな母、それから録るなあんまりよく知らない親戚。
ああ部屋の掃除を始めなくては、今日を逃すと大変なことになる。出来るか、わたしは出来るか。いや出来る。出来る。出来なければ、駄目なのだ。普通やけど。って書いてさ、やけどっつううとこで変換したらなんで焼けどが出んねん。変換ミスってクスって笑えるときとぶち壊したろかってかっとなる時の二通りあるな。今はまあ中間か。ということは別に二通りちゃうやん。
何多ベルン、何食べるん。わたし。何か作るのわたし。ああああ、こないださ、
つっても随分前やけど、エレベータに、ちゃう、エスカレータに乗ってたわけよ。
そしたらつい上段に若い原宿的カップルがいて、ふたりともだるそうなわけよ、もうほんまにだっる〜って感じ。だるさが服着て佇んでるみたいなダルダルなカポーが(カップル)がいたわけ。で、何となく話っていうか声が聞こえるやん。でもだるだるやから会話もだるくって、ぽつぽつ、あんまし動かんっつううか草的な。草っぽいっていうか、粘土的っつううか。そしたらなんか男の子の方がおもむろにだる〜く、女の子に「なんかたべるかあ?」ってふった、そしたら女子それを受けて一瞥、だるーく
「えー、かむのめんどくさくね?」
か、噛むのがめんどくさくね?わたし、わたし、すごい。
こないださ、なべちゃんとお酒のみに行って、なべちゃんが階段から落ちたの。
ついに爆撃、みたいな音がして、でもあの階段はなんぼなんでも急やわ。上から下までずだだだだーんと凄い音がして凄いのよ、よく無事やった。で朝7時まで飲んで11時から仕事やってんけど、再会したときふたりともまだ酔ってた。
今日は何の話だ。
わたしは掃除が出来ないということを書きたかったのを、今思い出した。
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2004.04.02
桜子さん
桜子って名前やったらどんなんよ。どんな気分かなあ。
桜男は。さくらお。なんかすごいな。
公園を通り抜けて帰ってきたんだけれども、
桜が咲いててて、風は真春で、もう、春なわけよ。
匂いもいいし、でね、荷物持ってね、歩いてて、
別にどうってことないけどもね、
「うあああああしんどー」ってめっちゃでっかい声で思いきし笑顔で叫んだらめっちゃわらけて膝ついた。
ぽんぽんって桜はかたまりやん?綿菓子みたいやん?
くちに全部詰め込んでさ、種みたいなんもあったら全部くちん中にいれてさ、
そしたら胃の辺りを突き破って幹がにょきにょき出てきて伸びて、
そしたら桜兼わたし、みたいな。そんな映像が。でもまあそんな風にはならんわな。
桜をなんでか直視できないわたしもいてて。なんか恥ずかしいというか、なんというか。
桜がないときはさくらさくらと思うのよ。
そやけど実際咲いてたら、なんでか上を見やれへん。見れん。
桜になんでか照れるというか、なんかめっちゃ好きな人に一年ぶりに会うみたいな気がするわ。そう、なんか面映いし、照れるし、「綺麗ねえ」なんてなんか云えん。
これは恋愛かしら。御花見なんてとてもとても。
ほんで夜になってから近所の桜の木を一本、見に行ってんな、こっそり。
誰もおらんし、静かやし、桜と思い出とわたしと3人だけやから、
なんも喋らんでもええしな。時間も気にならんし。
真紺色の布にな、白桃の果肉がぽんぽん開いて、咲いてて、そよそよゆれてて、
わたしはそれを見上げててな、あと何回見れるんかなあって思うなあ。
お母さんとみたいなあ。
育った団地の裏の小さい公園に桜の木があって、いつの間にか切られてなくなってたんやけども、桜ゆうたらあの桜を思い出すなあ。
別に今見ても、桜あったとこ、全然邪魔ちゃうし何もないのに、
なんで桜を切ったんやろか。切らんといてって誰も云わなんだかなあ。
春の夜はなんか息が苦しくて困るなあ。
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