2007.01.31

巨大少女が見る夢、生む機械

巨大少女がみる夢ってタイトルで友人の日記で紹介されてたこの映像、すてきやで。

 頭が変わったところでそのまま内実がかわるというわけではないのやし、政治家の出処進退にはあんまり興味がもてないのやが、生む機械発言の生む機械、言葉だけみればなかなか詩的であることな。それを云われた側の心性に、女性は生む機械という発想がなければ、生む機械だと云われても心当たりがないのやから腹を立てる道理もなかろうと思いもするが、政治においてはそういう個人的な解釈は有効でないのやろう。ある女性議員がテレビにおいて、問題の政治家には辞任してもらわなければ女がすたる、と云っていたのを聞いたけどそこで女がどうのこうのと云ってしまうと結局女のヒステリになってしまうのではーとも思った。逆になんかの局面で男がすたるって云われてどうよ。沽券にかかわるとか。面子とか。そんなことで騒ぐなと云ってしまいたくなるやろう。だいたい老人の一言で流行ったり廃れたりするもんでもないような気がするが、まあこの個人的な解釈も、政治的、あるいはテレビ的には無意味であろう。私が個人的に捉えている女性性にまつわる色々と、政治における女性性にまつわるあれこれというものは当然のことながら前提が大きく違うのであって。ま、個人的にはヒステリ上等ではあるけども。

 件の政治家は昭和10年生まれということやし、時代が与えてきた価値観自体は彼独自のものでもないからまあ長生きもある種気の毒、と思わないこともないのだけれども、彼の発言は今の時勢、道徳とは基本的に添ってないのであるから、うっかりでもなんでも発言するということはやはり個人的に女性ってもんは生む機械であると思ってることには間違いなく、そこはもう仕方ないんでないの。それがなんでか今の風潮とは相容れぬ、その責任をとるとかそういう段取りではなくて、政治家でもある自分の倫理観の現在の社会における限界を知って、さくっと辞めるのが誰よりも本人にとっていいと思うのやけれども。

ところで同じうむはうむでも、個人的に生むと産むでは明らかに印象が違うなあ。生むはどこまでいってもファンタジー、男女ともに使えるが、産むはその余地がない。思えば私は産むという字を日頃から避けている。

ああ一月が終わってゆく。さくっと終わってゆく。家に食料がもうない。

投稿:by 未映子 04:58 PM [文化・芸術, 経済・政治・国際] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.23

資本主義と私の部屋の赤いまる2

で、赤い丸まるのことであった。

電話をしていた私は、寝そべってさ、べらついてたわけ。

ほしたら、あちっ!つって、おなかに熱湯をだっとこぼされた様な刺激が走ったわけ。
寝そべってるから熱湯なんかないしなんもないねんけど、熱いのが走る、こう、だっ、ってお湯が落とされるような。
携帯電話で焼けどする話は聞いたけど、電話は手に持ってるしな熱源がないの。んで、なん?ってみたら、おなかんとこにあかい丸がついてるわけ!
あ!これ!今ついたん!ってみてたら、水ぶくれでもなんでもなく、赤いちっちゃい痣みたいにまるーくついてんのん。なんだこら。

って不思議大好き!も束の間、私は思い出したわけ。嘘みたいなマジ気な話。

私はこれと同じ状態になったことが過去に2度あるの。

一回目は8年前。回転すし屋で彼氏と美味しくお寿司を食べてたら、ふとももんとこに彼氏がお茶こぼしたと思うような熱が走ったわけ。

「あつ!」ってゆって顔見たらなんもない顔してるわけ。こぼしてないねん、服もぬれてないし。んでスカートめくって見てみたら、同じ赤い丸まるが。あったわけ。
そん時は、どっかでこすったかしてひりひりしたんやろうなと思ったんよね。そしたらその日の夜に、交通事故に遭っちゃった。
タクシーに乗ってて結構おっきい事故で車は廃車で運転手さんもえらいことになってて、大変な事故やったけど、私はまったくの無傷。警察の自転車借りて家まで帰った。
事故って一瞬で終わんのな。あっって思ったら終了よな。
でも無傷、警察官なんか私を目撃者と思ったみたいで「乗ってました」ってゆったらびっくりしてた。病院にもいかず、事故に遭った興奮で3人くらいに電話しながら帰ったのよう覚えてる。


んで二回目も同じ年。歩いてたらまた例の熱いもんを垂らされたような感覚が。今度はわき腹。
すれ違いにたばこ?とか思うくらいの熱さと、ちょっとの痛さ。
ちらっと服あげてみると、また赤い丸まるが!大きさもそんな大きくない小さめの同じよな痣模様。
熱いのはその両方とも一瞬で、丸まるも知らん間に消えるの。


そしたらさ、次の日また交通事故に遭ってん。なにー!って思うやろ!私も思った。
今度もなんとタクシーに乗ってての事故。

今度は狭い道をゆっくり目で走ってたら飛び出してきた自転車のおばちゃんにぶつかってしまった。
おばちゃんは少し飛んでって、自転車はめりっとペダルにめり込んでうごかへん状態。
けども幸いおばちゃんに大事はなく、さっと立ち上がり車輪の回らん自転車を抱えるように引き摺って、なんか子供が子供が家でごはんごはん待ってる家家とかゆって走って帰ろうとするのを運転手さんが病院行きましょう、って追いかけてって、多分すんごい興奮すんねんな、衝撃ってな。
目の前が病院やったから私はそこで降りたけれども、人生で遭ったことのある事故が同じ年にあり、なぜかあっつ!の赤い丸まるの兆候などもあらわれ、そんな不思議なことがあったのでしたことを、私は一昨日ベッドでしゃべりながら、見つけたわけなんである!


さあ!今季もこのようにして私は事故に遭うのか!どうなのか!
今日は何を思ってか、や、思ったことはたったひとつ、2度タクシーに乗ってみたが、そんなことはなかった。事故はなかった。万事がスムーズであった。
私は超自然なすんごい話というのはあんまし苦手なほうやけど、そもそも自然の定義からして私の頭は曖昧でして、
自然がわからんで超もないやろと。
なんで何処までが偶然かなんかは判らんけれども、こういう話ってなんか扱いにくいというか。こういう事態を捉える私の中の基盤がないっちゅうか。
ううむ。ま、とにかく出たよ赤い丸まるが。うひょー。どうなんねやろうか。
これでもし、私が事故に遭ったら、や、遭わんでも、この赤い丸まるはいったい、何ということになるのか。


っていうかなんで私の部屋の赤いまる、なわけ。
おなかの赤いまるやんな。な。でももう、正直ゆってさ、手間でもないけどタイトル変えるのちょっち面倒、明日は歌入れ、よってもう寝らなあかんよってにもう10分が惜しいんであって、もうねむりゃなあかん。よってよってこのまま。
んで別に資本主義とかどうでもよくないけど、どうでもいいっていうか、話に全く関係の
なかったですね、すみませむ。
政治経済・ド・ニートな私、資本主義って書いたはいいが、実はあんまり実はよう知らん。
生きるって資本主義?


投稿:by 未映子 01:14 AM [心と体, 経済・政治・国際] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.21

資本主義と私の部屋の赤いまる1

んで、なんか一息ついて、や、つかんでも、
やれやれってベッドにごんごろと倒れて、
高校時代から仲のよい男の友人から電話きたんで受け。

こないだ大阪に仕事に帰って同窓会みたいな席になったらしい。そいで名前は覚えてるけれど顔はなかなか忘れたみんなの近況を聞いて、大声で笑う。
あ、終わってる。みんな相も変わらず終わり切ってる。地味に転がり下ってる感じが非常に。
ふざけてるっつうか、ふざけてなくて、生真面目センパーであってもこの体たらくをどうするのか。私も含め、なんで君らはいつまでもそんな感じなのか。
でも誰かがゆうてた。
この時代のこの我々の年代、27歳や28歳が、今までの経済史上類を見ぬ不幸なんだと。しんどいんだと。その時その物言いに?と思ったけれども、なんかスルー。
でも例えば10年前に28歳だった人のその頃と、我々のこの今とでは、しんどさが違うらしい。ってそれってやっぱ単に景気の問題ではないか?って精神的達成感なども今の時代が不幸なんであってという話。
戦時中の28歳も比ではない貧しさと圧迫の毎日であったと思うけれども、気持ちは高揚してるとかさ、そういうことで今よりは幸せ?とかそういうことかしらん。
幸せと不幸ね、しんどさね、ま、確かにバブル時代新卒の多くの人たちには就職がない非常に恐ろしい実感は、ないやろうし、今は確かになんか、全体的に暗い気がしないでもないけれども、比較のしようも厳密にゆったらないわけで、どこまで行ってもま、わかったようなわからんような、そんな喩えですけど、
なんやったっけ、「希望格差社会」でしたっけ?なにそれ?ニートのバイブル。とか云われて読んでみとか云われて、それ読んだらどうなんのよと聞いたら、
「え、ぞっとするねん」やって。ほお。

でもさ、我々の年代の男子などはちらほら会社建てたりしてんのよね。お金を遣う役職についてたり、結婚したり離婚したりもしてるわけ。
どこをどうしたら会社を作るという結論に導かれるのかが謎。
起業するのと宮大工に弟子入りどっちかと詰められたら、私は不器用で根気なく力仕事が苦手ですけど、迷わず宮大工に飛び込みます。
それくらい株、とか、決算、とか、なんかそういうのって、遠いわ。

あーま、そんなこんなでみんな大変みたいよ、という美しい話であったが、休憩も兼ねてベッドに寝転んで笑ってたわけ。

こっからが本題よ、疲れた方は明日でも読んでね。や、本題というもんでも全然ないけれども、赤いまるがさ、やっぱ明日にしよ。

投稿:by 未映子 02:44 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | トラックバック

 


純粋悲性批判