川上未映子

2015.01.17

まえのひ

 阪神淡路大震災が起きたとき、わたしは高校三年生で大阪に住んでいた。あおむけに眠っていて、布団に面した腰のあたりにごぼごぼっと何かが沸きあがってくるような感覚があってそれで目が覚めて、そのごぼごぼっというのがしばらくして揺れに変わった。まるで誰かが中身を確かめるみたいにがちゃがちゃとふってみせる箱のなかにでもいるようなそれはすごい揺れで、仏壇とかタンスとかが前後左右に動きだしているのを見ていても、どこかぼんやりしていて、そして頭ではいま地震がきてるってことは理解しているんだけれども、でも「関西には地震はこない」と子どものころからずっときかされていたせいなのか、すごく揺れてるけどきっとたいしたことにはならない、とどこかで思っていたのだった。

 

 しばらくすると揺れはおさまり、初めてのことで恐怖というよりは興奮しているような状態で、テレビをつけてみるとコンビニの防犯カメラの映像がくりかえし再生されていた。棚のものがあらかた床に落ち、ガラスの扉が割れていたけれど、そのときはまだそれだけだった。経験したことないくらいすごい地震だったけれど(わたしがいたところは震度5強だった)、家の中も家族も無事だったし、水も出るし停電もなかったし、やっぱりあれぐらい済んだんだなと思って、すこし眠った。

 

 それから学校が休みになるという連絡がきて、あらためてテレビでニュースを見てみると、高速道路がめくれるように倒れていた。街が潰れて、燃えていた。どこから何を見ていいのかわからなかった。時間がたって被害が明らかになるその様子、救助の難しさ、行き場のなくなった人々の声、日に日に死者の数がふえてゆく知らせをテレビで見たり、それから知り合いが亡くなったことを知ったりと、震災はとりかえしのつかないまま日々大きくなっていったのに、こうして文章を書いているいまも、当時、自分が何を考えていたのか、なぜかうまく思いだすことができない。

 

 そのときに言語化しなかったということ、そしてもちろん直接的な被害がなかったというのがいちばんの理由なのだと思うけれど、「起きるはずのないことが起きてしまったのだ」ということじたいが、当時に自分にとってはあまりに大きすぎて、恐ろしかったのだと思う。子どものころから「いつか死ぬ、みんな死ぬ」というようなことをずっと思ってはぐずぐずしているようなところがあったけれど、その「いつか」が、そしてやっぱりまだどこか遠くになるはずのものが、とうとうあの日、巨大な斧みたいに振り下ろされたのだ、まえぶれもなにもなく、それはやってきたのだ、そしてその斧はわたしのいた場所ではなく、少しだけ離れたところに振り下ろされたのだ。しかしなぜ?

 

 もちろん理由なんてないのだと思う。でも、それをどう理解してよいのかわからないまま十代を終え、二十代になり、そのわからなさはどんどん小さくなってはいるけれど、20年がたって38歳になったいまもやっぱりなくなってはいないみたいだ。そして長い時間がたったあの3月11日に、わたしは阪神大震災時の大阪とおなじ震度に揺れ、またおなじように震源地からは離れた東京にいて、15年以上時間をかけて、どこかまた振りだしにもどったような気持ちになった。

 

 阪神淡路大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「起きるはずのないことが起きてしまった」だった。

 そして、東日本大震災の揺れのなかで感じた恐ろしさは「とうとう、このときがやってきてしまった」だった。

 

 ただ運よく直接の被害に遭わなかったわたしは、このふたつについて考える。それも、気が向いたときに。勝手に、心細くなったときに、あたたかな部屋のなかで、お手軽に、都合よく、考える。ちがいについて考えているのか、それぞれについて考えているのかはまだよくわからない。近い将来に必ずやってくるつぎの災害のときに自分がどこにいてどうなっているのかはわからないけれど、そのときのことを、やはりおなじように想像する。日本にかかわらず世界じゅうで毎月のように不幸な災害や事故が起きて、紛争や戦争に巻き込まれている人々がいるのに、いなくならないのに、このふたつの出来事が、自分にとってほかの出来事とはどうしてもちがうものとして残ってしまっている理由について考える。

 

 距離の問題なのだろうか。場所の問題なのだろうか。年齢なのだろうか。じっさいに身体が揺れ、知人が亡くなったからなのだろうか。知っている土地だったからなのだろうか。原発事故という未曾有の事態が引き起こされたからなのだろうか。

 

 起きてしまった災害、起きてしまった大変な出来事について考えるって、そもそもどういうことなのだろうか。支援をつづけること。思いだすこと。忘れないでいること。そこから教訓を導きだして備えること。書いたり、描いたり、話したり、その人のやりかたで何かを問いつづけること。実践すること。癒すこと。社会的に、政治的に、新たなシステムをつくりだすこと。

 

 どれもがそうだともいえるし、そのぜんぶを足したって(そんなこと自分にできるわけもないけれど)不足しているような気持ちになる。そう思ってしまうのにはいくつもの理由があると思うけれど、きっと、何をしたってどうしたって死んでしまった人はかえってこないし、失われたものはもどってこないからだと思う。何も起きなかったことには、もうできないからだと思う。何も起きなかったときにはもう、もどることができないからだと思う。この、本当の意味での、とりかえしのつかなさこそが、本当に本当に大きな問題だからだと思う。あまりにも大きなことだからだと思う。言葉にしても、しなくても。災害や大きな出来事や事件が起きなくても。日常にはそんな一回性に満ちているのだと思う。それでも、何かをつづけてゆくしかないのだけれど。

 

 今日の文章も、何か伝えたいこととか結論したことがあったから書いたわけじゃなくて、ただ、まだわからないままのことをわからないままに、今日、なにを思ったかを漠然と記しておきたいと思いました。

 

 ハロー、もしもし、聞こえますか。阪神淡路大震災から20年たった今日の大阪は、寒いけれど青空の広がる気持ちの良い一日で、雲もきれいで、公園では子どもたちが走り回っていました。犬が散歩していて、スーパーには食品がならんで、地面はかわいていました。わたしはピンクのセーターを着て、グレーのスカートを履いて、靴下ははいていませんでした。原稿を書いて送信して、さっきは息子と一緒にカレーを食べました。穏やかな日でした。穏やかな日でした。そちらはどうですか。今日は、2015年の1月17日は、何でもないのどかな一日だったけれども、今日という日はいつでも、やはり1月16日で、どうじに3月10日なのだと思います。わたしたちは明日なにが起きるのかを永遠に知りません。こんにちは、さようなら、今日はいつだって、すべての、まえのひ、なのだと思います。