川上未映子

2014.07.23

歯と、夏のはじまり

歯の定期健診に行ったらば、新たに小さな虫歯があるということで治療。ぜんぶでみっつ。歯は強いほうなのになぜ……と思うも、妊娠期間と産後、カルシウムが面白いほど子どもにとられてしまうわけで、たしかに生んだ直後も、何気に奥歯がぱきんと欠けたりした。もはや、子どもを生むまえの自分や世界というものは存在せず、まったく別の世界の住人になったのだと思い知るしか生きていく方法はないのだけれど、厄介なのは過去の記憶や人間関係や仕事のあれこれも継続してたりするわけで、この二重責務めいたすべてが、子育てのしんどさのエッセンスなのだろうと思う。生んだあと、いったん記憶喪失とかになっていれば色々話は早かったのかもしれない。けれど、それは無理な相談ね。

ともあれ歯医者。
最近は麻酔をするにしても針をさすところをまるめたコットンで麻酔してくれるので、何もひとつも痛くない! ありがたい。こちらのことは何も気にせず、思う存分に徹底的に削って治してくださいと、まるで太平洋みたいな気持ちになる。けれど、ここでも頭をよぎるのは息子(通称オニ、おにぎりのオニで、アクセントは、オの部分)のこと。
あーんと口をあけるとすでに石臼のように立派な歯が生えており、何でも食べるし、親の責任として、日夜、歯磨きをせねばならない。しかしこれが大変に面倒、かつ、しんどくて、相手が子どもであれ何であれ、泣いて厭がる者にたいして何かを無理やりしなければならない、ということは、端的に、ものすごく、心が折れる作業なんである。

歯磨きだけでなく、もはや永遠にイヤイヤ期をさまよう準備ができていそうなオニ。
機嫌の悪いときはすべてを拒絶し、「そんなに、なにが、イヤかー!」と聞くと、「ぜんぜん、ちがーう!」とかわけのわからぬ返しをよこし、それでも人間として健康に生きてゆくために、さまざまな人たちと共存してゆくために、いろいろなこと刷り込んでゆかねばばならない。
でもそれは、生成そのままである子どもにとってはストレス以外の何ものでもなく、薄汚れた大人になってしまったわたしにもその気持ちは想像できるので、そのたびに気持ちがどんどん暗くなるのだ。喉のあたりが「ウッ」となる。できれば、何も教えたりしたくない。けれど、それも無理な相談ね。

しかし。家の、アットホームで甘々な、こちょこちょした歯磨きですらあの絶叫&拒否。もし虫歯ができて、このように仰向けに寝かされて口をあけて治療せねばならなくなった場合、オニはいったいどうなるんだろう。そんな現場につきあうことだけはどうか勘弁してほしい。想像するだけで寝込んでしまいそう。しんどすぎて。一度、レントゲンを撮ったことがあるのだけれど、暴れるオニはずっしり思い鉛でできたような網で固定されて「大漁」みたいな感じになって、親は退場、廊下にまで響き渡るその断末魔の叫びはこちらにとっても軽いトラウマになったほど。
それが……歯医者に連れてゆき、泣き叫ぶオニ寝かせて押さえ、歯を削ったりする……そしてそれを何回も繰り返すことになるのかと思ったらぶるぶると寒気がして、それに比べたら毎日の「ウッ」がなんであろうか……今日もせっせと歯を磨く日々なのだった。先取りすることで何かを回避できていると思いたい、そんな夏のはじまり。そして「歯というのは、どのような力によって生えてくるのか今もってわからないのだ」という説を思いだして、ああ、そういうところ、子どもと似ているな、と思ったり。エネルギーのでどころの不思議。生成の不思議。子どものくちの中にいつのまにか生えてきてひしめく白い歯を見ていると、入れ子感が炸裂して、なんだかそわそわしてしまう。

 

 

そして今日は、都内のいくつかの書店へお邪魔して、『きみは赤ちゃん』のサイン本を作成させていただきました。男性の方からは、
「これを読んだ知り合いが、夫にたいして、本当に腹がたっていたことをあらためて思いだして、家出したんですよ……」とか、
「妻がそんなに大変だったことを、この本読むまで知りませんでした……」とか、
「この数年間、なぜ妻の機嫌が悪いのか、なぜ妻がずっと怒っているのか、初めてわかりました……」とかとか、そんなご感想をいただいて、いやあ、出産&産後の家庭には、ほんとに色々ありますよね。
基本的には、妊娠、出産、育児における具体的なこと(出生前検査とか、無痛分娩のこととか)、女性の体と心の変化について、赤ちゃんという存在のあれこれについて書いた本なんだけれど、夫婦関係の変化や、その対策にかんしてみなさん興味を持ってくれる人も多いみたい。
いっぽう女性の方、とくに出産を経験された方からは、
「当時はうまく言葉にできなかったけれど、妊娠中とか、産後のあの日々って、ほんとにそんな気持ちだった。懐かしい」とか、
「わたしの乳首はタイムマシーンにはならなかったけど、でも似たような感覚、あった」とか、
「とにかく夫に読んでほしい。いまのわたしの気持ちのすべてが書いてある」とか、
「子ども生んでみたくなった。迷ってたけど、やってみるか」とか、
「あらためて、ほんとに子どもがいとしく思える」とか、
そんなご感想をきけたりして、うれしかったです。
そして現在発売中の『LEE』にインタビューが、日曜日の読売新聞にもインタビューが掲載された模様です。そのほかも、追って追って。

そして、19歳のときからの友人、『きみは赤ちゃん』にも登場するヘアメイクのミガンとわたしとの「ママ友対談」が掲載されています!
前編後編を合わせてどうぞ!!
なんか、大阪弁なので「うどんのうーやん」みたいなノリになってるけれど、どうぞよろしくう。

しかし今日は暑かったですね。息をするだけで、瞬きするだけで、何かを無理矢理に飲まされるようなそんな暑さだった。7月でこれ、8月は、どんな。


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