川上未映子

2014.07.16

赤ちゃんの登場と、この世界からの去りぎわ

 妊娠していたのはもうまるまる二年前のことになるけれど、ときどきぼんやり思いだすことがある。それはわけもなくやってくる安堵感というか、茫洋感というか、そういうような感覚。人によっては妊娠初期からそういうのを感じる人、あるいはまったく感じない人ももちろんいるみたいだけれど、わたしの場合は、臨月のころだった。体やホルモンの変化のせいで、うまく頭が働かなくなって、なにもかもをだんだん束ねられなくなってゆく、あの感じ。思考じたいが、どんどんだるーく、にぶーくなっていってゆく、あの頃の感覚を、ときどき思いだすんですよね。

 子どものころ、おばあちゃんとかおじいちゃん──そう、もう歩くのもゆっくりゆっくりで、話しかけてもこちらの言葉がちゃんと伝わってるかどうかもちょっとわからないような、そんなおばあちゃんやおじいちゃんを見るたびに、みんな、毎日が、こわくないのだろうかといつも不安に思っていた。
 正確な年齢はわからなかったけれど、たぶん85歳とか90歳ぐらいに見えるおばあちゃんたちは、このさき最大に生きたとしても、あと数年も経ってしまえばおそらく死んでしまうわけであって、そしてそのことは本人たちがいちばんよくわかっているはずなのだ。あと数年のあいだ、そんなにさきではないいつかに、必ず自分は死んでしまう。死んでしまうってわかっているのに、なぜ、おばあちゃんたちはそんなことに耐えられるのかが、子どものわたしにはまったく理解できなかった。もし、わたしがあと5年しか生きられないと言われたら? そう言われたら言われたで受け止めるしかないにせよ、でも、あんなふうに毎日を過ごすことってできないような気がする。なんでおばあちゃんたちは、平気なの? そんな、生きているよりも死に近いといえるようなおばあちゃんたちを見ると、いつもいいようのない不安と恐怖に包まれていたのだった。

 で、少しさきにやってくるものに対しての不安と恐怖といえば、妊娠と出産も、もちろんそうだった。
 スヌーピーの横顔かってくらいに巨大にせり出したお腹のこの中身を、あんな小さなところから出さねばならないのだ。出す以外にはもう、道はないのだ。出すしかないのだ。ぜったいに逃れられないのだ。あらためてそう思うと、妊娠してるあいだは ヘイッ! っと頭がどうにかなりそうだったのに、臨月に入ったころから、なんだか急に、何も考えられなくなっている自分に気がついたのだった。

 まるでふかふかのあったかいお布団でできあがったベルトコンベアーにのせられてただ横になっているようなそんな感じ。行き先もまったく気にならない。何かを考えようとしても、はしから思考がほどけてしまう。感情の粒立ちはやさしく均質化されて、すべてはゆるやかにかきすてられて、これまで味わったことのない、多幸感というか、安心感というか、そういう穏やかな繭みたいなものにくるまれたような感じ。
 なんか、脳の具合がそんなふうになっているとしか思えないような感じだった。このあいだまでたしかにあった焦りも、不安も気がつけばなくなって、ただただベッドで干し芋とかをくちゃくちゃ食べて、過ぎてゆく時間をなんとなーく、ただ眺めている日々。ただ、何もせずにそこにいるだけの、ある意味で満ちたりてるっていってもいいような、そんな日々だったのだ。

 で、わたしはそんな茫洋&茫漠とした頭で、なんとなく、ぼんやりと、子どものころにさきに述べたような不安とこわさをもって眺めていたおばあちゃんたちのことを思いだしていた。ああ、おばあちゃんたちも、もしかしたら、こんな感じだったのかもしれないなあ。こんなふうに、なっていたのかもしれないなあ。さきのこととか、こわいとか、自分がどうなるとかそういうこと、もうべつに何も思わなくなっていたのかもしれない。言いようのない穏やかさというか、鈍さというかに包まれて、だからあんなふうに過ごせていたのかもしれないなあ、と。

 もちろん、わたしは85歳にも90歳にもなったことがないので本当のところは知るよしもないけれど、この世界から退場するとき──もちろん事故やら病気やら退場の仕方にも色々あるだろうけれど、しかし少なくとも老衰的な大往生であるならば、そのときにはもう、不安やこわさというのはないのかもしれない、穏やかで、何も考えられなくなっていって、ただ毎日の時間をやり過ごすだけでいいような、そんな存在になるのかもしれない、ああ、だとしたら、これはあんがい大丈夫かもしれんなー、と、なんともいえない安心感を得たのだった。死ぬの、あんがい、いけるかもなと。

 とはいえ、今だってゆるやかに死にむかっているといえばそうにちがいないわけで、しかしなんとか日々発狂せずに生きているわけだから、人はそもそもそういうつくりになっているのかもしれないけれど。こんなような臨月の日々──だけじゃなくて、妊娠&出産&育児の2年のあいだに、心とからだに起こったことのすべては『きみは赤ちゃん』に書いたのだけれども、新たな生というか、人間というか、人生を世界に送りだすきわきわのところ、もはや赤ちゃんの登場のためだけに存在しているような自分が、退場するそのときのことについて、死について、あんなふうに感じてたなあ、などと、ときどきぼーんやり思いだしたりするのだった。だからみんな、場合にもよるけれど、この世界からの去りぎわは、あんまりこわくないかもよ!