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2010.07.28

7月退場、8月登場(じきに)

窓と玄関を開けていると風がドラえもんのムーンライトのようにまっすぐに太く流れてゆくから夏は、それから冬もおなじように低い日射しがお祝いのようにやってくるのでエアコンはリモコンもどこにあるかわからないくらい、数年おなじところに住んでいるんだけれど、今年は風じたいがとても熱いのでクーラーを入れて涼しい中で仕事をしている、昨日、薔薇、薬指と、木曜日や中森明菜など。

今日はコンタクトレンズをつくりに駅前へ行って受け付けて並んで待って、機械に額をつけて匂いがして匂いがして匂いがして計ってもらってそれは新しいレンズをつくるための準備なのだけど、わたしはこれまで使っているのとおなじのを簡単に欲しかったのだけど、そのための処方箋が切れていたのでそれを入手しに行ったのです。しかし、しかし新しく紹介されたレンズはなんだか違和感があってしまって、しかしいつも使ってるものがどこの何なのかをすなわち名前を控えてこなかったのでそれでは手に入らないよと断られ、あらたに日を約束して持って行くことにしたのです。目医者には目をもつ人が目をもちながらあふれていて目医者には目にまつわることが満ちていて、わたしは詩集に入っている「夜の目硝子」の主人公になった気持ちになってしまって植木鉢についた産毛をそっと見つめてしまう、コンタクトレンズを購入するためにバスに乗って渋谷へ出かけるだけの話のすべてがわたしは今も気になって、あの子、家計簿を無くしてしまったあの子はあれからいったいどうしてるのとときどき思う、そういう意味じゃ「乳と卵」の緑子も、いったいどうしているのだろうと、夏だし、ふだんはあまり考えない種類のことをほんのときどきそんなことを考える、緑子はあのままじゃおそらくわかりやすくしんどい性格になってそうだし、思い込みだし色々あるし、考えや世界を丁寧に鮮やかに更新するようなそんな誰かと出会っていればいいのにな、なはんてしかし、出会わせるためには自分でつづきを書く手もあるけどわたしでない誰かが書いて、そこにどうしようもなく生きてしまう登場人物たちを読んだりできるのもこれはこれで素敵でとても贅沢なことだろうとそんなことを夢想すれば今日は眠りが親切なのだ、浅く、それは立ち上がろうとする奥行きにふるえ、名状しようもない連綿がうっとりきてめまい、めまいが最初に表示される。

角ばっかり、奥ばっかり、愛ばっかりペンばっかり、生きてる人ばっかり、犬ばっかり、これから死んでゆく人ばっかり、スノードームばっかり、泣いてる人ばっかり、生まれてこようとする人にはまだ会えない、頑張っている人もちょっと多くて夏は、泣ける、夏は入道雲を、膨らます、総合、禁止または促進の夕暮れはとめどもなく泣ける色、とても泣けてしまう色をしてあなたの衣服の右側にとても泣ける色がながれてる、怠け者は瞑想、父親は新聞、週末を支払い、音楽は鳴り、できることなら過去にいるすべての人々に約束したい、これ以上に生存をことさらに編む必要もなくただ落ちているだけでもなく、見えるもの見えぬもの書けるもの書けぬもので抱きあわさったそのままのあなたをそのままでしあわせにするしあわせな夜の九時を。

投稿:by 未映子 06:31 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック

2010.07.22

事実関係について

小説家の津原泰水さんがご自身のサイトで、わたしのことを書かれていると教えていただきました。
それで読んでみると、端的に事実と違うことが書かれてあったので、ここで訂正しておきたく思います。

くわしくはリンク先の文章を読んでみてください。
その文章では「川上氏は尾崎翠の字も存在も知らなくて、おしえてあげた」というような内容があります。
津原さんもブログで仰ってるように現ユリイカ編集長(当時は編集長ではありませんでした)に紹介されたのですが、当然それははじめての詩「先端で、さすわさされるわそらええわ」が掲載された「ユリイカ」2005年11月号が出たあとになるはずで、はじめてお会いしたのは正確には2006年の4月のことです。

しかし、わたしは尾崎翠についてはこのブログの2005年3月の日記にアップしていますし、この内容はそこからさかのぼること1年以上前、月刊Songs2003年10月号(Songsサイトのバックナンバーの目次では、残念ながら2003年は載せていただけていませんが、尾崎翠の「第七官界彷徨」をもじった連載のタイトル「第九感界彷徨」が2004年からは確認できます。このタイトルによる連載開始は2003年8月号。)に発表したものなんです。これは津原さんにお会いする以前のことです。そこにも書いているように、そもそもわたしが尾崎翠を知ったのは二十歳前後のことなのです。まあお会いしたのは酒席でもあったことですし、人もいたし、おそらく津原さんはなにか聞き間違いをされたか記憶違いをなさっているのか、そのあたりのことはよくわかりませんけれども、これが事実ですので記しておきます。時系列をご確認ください。

それで、記事のしたのほうに、芥川賞についても言及されていますが、小説を書くと決めてもいなかった当時のわたしが津原さんに芥川賞について訊くはずもありませんし、そこに書かれている津原さんのことば──もちろん引用は控えますが、わたしの小説「乳と卵」を読んでくださった読者であれば、そんな単語はこの小説にただの一カ所も書かれていないことはおわかりくださるだろうと思います。そして「乳と卵」で扱った主題は、はじめての詩「先端で~」を書いたときから存在しているものですし、これも「先端で~」を読んでくださった読者であればおわかりになると思います。こんなことを書いたらいいなどと、誰かからご教示いただくようなものでもありません。
「乳と卵」と「先端で~」を読んでさえいれば、すぐにおかしいとわかるこのような話が出てくることに困惑しています。

そもそも、お会いして話をしたのは大勢の人をまじえて2006年の4月と夏の2度で、あとは編集者に誘われてサイン会でご挨拶したぐらいです。メールのやりとりは当時そこそこあったのですが、いつお会いしたのか確認するために4年も前のメールをひっくり返していたら、お会いする前の「ダ・ヴィンチ」2006年1月号にわたしが尾崎翠について寄稿していたことに津原さんが気付かれて、はじめてお会いした直後に感想のメールをくださっていたりと、尾崎翠にかんしてそういう経緯もあるのですが、いろいろ謎だったりします。うーん。わたしもすっかり忘れていましたから、津原さんも記憶違いをされているだけなのでしょう。


というわけで、津原さんに対してではなくて、あの文章を読んで誤解された読者の方に対して、あくまでも「事実関係」として、ここに記しておきたいと思います。以上です。


そして、新人賞選考委員、がんばります!


7.26追記
最初からわたしは津原さんと対話などするつもりは一切なく、読者の方に時系列を再確認していただくためだけにこの日記を書きましたので、読者のみなさまも津原さんのサイトにこの件で書き込みなどされずに、一切関わり合いを持たれませんように、できましたらよろしくお願いいたします。勝手なお願いで申し訳ございません。
この件は時系列だけがすべてで、対話などまったく必要ありません。

投稿:by 未映子 10:21 PM [第九感界彷徨] | 固定リンク | トラックバック

2010.07.16

「わたくし率 イン歯ー、または世界」の文庫化とサイン会のお礼です

お昼間に雨が降って、夕方やんで、そんなだった昨日は六本木の青山ブックセンターで『夏の入り口、模様の出口』のサイン会を開催していただきました。たくさんの方々に来ていただいてうれしかったです。本当にいつもありがとう。これを書いている今はサイン会が終わって開けて真夜中の3時なのだけど、いただいた花は花瓶に入れて冷たい水のなかでひっそりと膨らむよう、楽器、チョコレートやお菓子もありがとう。CDも、手作りの小物も、ありがとう。帰りぎわにもどってきてくれて、まるいスイカをプレゼントしてくれた女の子(スイカ持たせてやろうと思ってくれたのだろうなあ)、色んな質問、思ってることなどを直接うかがえて、わたしはサイン会がとてもすきです。それから、手紙。なんといっても。わたしはうれしくて、大切に読みました。住所を書いてくれてる人、白紙の人、混ざっているけど、おひとりおひとりになかなか返事が書けないけれど、本当にうれしく思っています。みんなが色々なことを感じていて考えていて、それを思っているだけでなく伝えようとしてくれて、これはきっとわたしに伝わっているとわたしは思い、わたしのこの感謝の気持ちも手紙をくれたあなたや来てくださったあなたや、どこかで本を読んでくれたり歌をきいてくれている人に伝わってると思いたい、そんな真夜中の3時なのだった。本当にありがとうございました。また、小説やそのほか色々な作品などでお目にかかれるときまでどうかみなさまお元気でいてください。ありがとう。


「わたくし率 イン歯ー、または世界」そしてわたしにとってはじめての小説「わたくし率 イン歯ー、または世界」が早いもので文庫化されました。ありがとうございます。

この小説は2007年の4月に早稲田文学0号に掲載されました。もう3年、まだ3年かあというなんだか感慨深い気持ち、このあいだゲラチェックでひさしぶりにじっくりと読んだとき、色々とセンチメンタルな気持ちになりました(きっとみんなそうだよね)。処女作は全部がありったけでつまってるとはよく言われるものですがこの本も例によってきっとそうであって、わたしの作品のなかでもイン歯ーがいちばん好きといってくれる読者も(イン歯ーだけが好きって言ってくれる読者も!)いて、「またイン歯ーみたいなの書いてよ!」とか言われると、ありがとう、ってほんとに思います。ありがとう。

はじめての随筆集を出すとき、詩集を出すとき、それはまったく簡単なことではなくて、わたしは「ただ一冊の詩集を出せたら!」と念願していました。表現物や作品はなんでもそうかもしれないけれど、一冊の本やひとつの音楽を世に出すということがどんなに大変なことなのか、心底から痛感したながい時期がありました。そしてそもそもこんな作品を作っています、こんな作品をつくりたいと思っているんです、ということをまず他人に知ってもらうこと、それからそれを手にとってもらうことがどんなに大変なことなのかも。それが、いま、おなじ作品が二度べつのかたちになって読者に届けられようとしているなんて、夢みたいで、なんだかうまく信じられないな。これはいつも眠る前に思うことのひとつです。
これからは出したいときに自分が出したいものを人に読んでもらえるように、出せるように状況はどんどん変わってゆくのだろうけれど、そしてそれはある部分で本当に素晴らしいことだと思うけれど、今回の文庫化にあたっては、なんだか当時の気持ちを鮮明に思いだしたりして、何に向かってなのか誰に向かってなのかわからないけれど、ありがとうという気持ちでいます。ありがとう。そして何より、大切に読んでくれる人がいてくれるからこそ、また書いて見ようと、えいえい、そんなふうにがんばれます。これからも楽しんでもらえるといいな。がんばります。

ありがとう。

投稿:by 未映子 09:44 PM [未映子情報, ] | 固定リンク | トラックバック

 


純粋悲性批判