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2010.02.25

2月退場、さよなら毛布

冬がもうすぐに息絶えてしまうのでしっかりと目をあけて見つめていなければならぬなきっと、切れはしの、折りたたまれてゆくさまを、しかし気の毒といえば気の毒でどの季節も命は短くわれわれ呼吸をなぞってる、何も一切が変わらずにただ一切が流れてゆく日々、均等はもはやこんなところにしか落ちてない3月は、歩いて散らす気を散らす、熱いお茶など飲んでみる。

Cyuuya「中原中也詩集」「ドラえもん 5巻」の巻末に、エッセイを寄せました。それと、ただいま発売中の『新潮』3月号の「小説家52人の2009年日記リレー」に日記を寄せました。

「ドラえもん 5 (藤子・F・不二雄大全集) 」 藤子・F・不二雄わたしは基本的に小説の文庫本などについてる「解説」というのがなぜなのかあまり好きじゃなくて、芝居などによくあるトークセッションみたいなのもたぶんおなじ理由で好きじゃなく、以前、本編は最高に素晴らしかったのに、どうにもいただけない解説がついてあったことがあり、そこにその文章がくっついてあるというだけで気がおかしくなりそうだったのでホッチキスで留め、しかし綴じたあともその文章が合わさった隙間でうごめいている気がして気が気じゃなくなりそうだったのでカッターで切り離したことがあり、人にそんな思いをさせるかもしれないのも厭なことだから、解説は基本的には(とくに小説……)お受けしないのですが、担当者が解説ではなくエッセイですと熱心に仰り、そして中也とドラえもんはわたしにとってやはりとくべつな詩人で作品であったのでエッセイを寄せました。なので、巻末に寄せる文としては、「薔薇は生きてる」が最初で、ずいぶん先に刊行される予定の、ある哲学マンガ(約束しているので)を除けば、これで最後になりそうです。どうぞよろしくお願いします。

Sincyou201003この数週間にはたくさんでかけて人に会い、そのぶん色々なことがあったように思うけれど、どうだろう。どうだろって、どうだろう。一泊だけどひさしぶりに実家へかえって、祖母の顔をみてきました 。89歳とかなので、いつも、これで会うのはもう最後かもしれないなあと真剣に思いながらしゃべっています。これが最後かも知れない、つぎに見る顔は死に顔で、そのときはもう目を見れないのだ、覚悟しておかなきゃいけないのだとあまりに真剣に思ってしまうので、吐き気がしてしまうほどです。でも顔色もよく、どこも悪いとこもなく、すごく元気そうだから、あと10年くらいは生きていてくれそうな気もしますが、いくら元気でも健康でも、常識的に死が近い老人や病人と会って話をすると、いつも少しだけ混乱してしまいますね。もっととるべき態度や言葉があるような気がしてならなくなります。比較的まだ若く、健康な我々も、まだまだ膨らんでいる最中の子どもも、死とは隣合わせでいつだってこれが最後、という可能性はぬぐえないけれど、そうはいっても、やはりまったく違うものが、ありますね。ぜったいに死ぬ、という真実のなかの濃度勾配。

投稿:by 未映子 11:05 PM [未映子情報, ] | 固定リンク | トラックバック

 


純粋悲性批判