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2009.12.02

もはや冬だね、冬が見えます、なのでユリイカに詩「冬の扉」を寄稿しました

Eureka0912 私のホーム、マイホーム、愛しの青土社発行の「ユリイカ」特集はタタタタランティーノ。いいね。詩を発表するのはほぼ一年ぶりという事実にちょう驚き(ちょう、というのもどうかと思うが、ま、2009年いっぱいはいいでしょう……)、そんな時間が経っていたなんて、去年から今年にかけて小説を書いていたせいか到底信じられないけれど、たぶん、きっと、経ったのだ。早いとか遅いとかあっという間とかなんだとか、時間そのものがまるで30センチのものさしのごとく時計のような顔した客観事物としてあって、そこに個々の主観が合わせられてさらにそこに生まれる差異をどうのこうのとわたし、ずっと独り言めくめく言ってる感じがするけれど、ほんとに客観時間なんてあるのかねえ。あるってことにしたんだろうけどそのじつ、ほんとはないのかも。どうでしょう。というよなとりとめのない雑感はこのたびの詩とあまり関係ない──、と思ったらそうでもないよな、そうでもあるよな。小説も随筆もいいけど詩もよみたいぜとおっしゃってくれるうれしい読者もいるので、書けてよかった、よかったらぜひに「冬の扉」、お読みくださいませ。

 ほいでもって紀伊國屋書店全店員が選ぶ今年いちばん読んでほしい本、紀伊國屋ベスト「キノベス」第1位に「ヘヴン」が選ばれました。9月にもダ・ヴィンチさんでプラチナ本に選ばれたりと、ヘヴンは読んでくださったかたの情熱を受けて大きく育っています。そしてきたる2010年度も、書店で「ヘヴン」を見掛けられましたら「お、読まれてこいよ」と暖かく見守っていただけますよう、なにとぞお願い申し上げます。本当にありがとうございました。キノベスさんのサイトに寄稿しましたので、よかったらお読み下さいませ。
 初の文庫化「そらすこん」も最新エッセー「世界クッキー」も、大変に好評いただいてうれしい限りであります。みなさん本当にありがとう。サイン会で直接いただいたお手紙や、版元に届く手紙やメッセージ、大事に読んで大切に保管しています。わあと思うほどの量が届いてるので、せっかくだから時間ができたらその小山を写真にとって届いて&読んでますってとこ、みんなに見てもらいたいなと思っているのだけれども、怒濤の年末進行が真綿のごとく……。

 それからたまにはブログに日記を書いてヨ、というご意見をサインのときにちょうだいしたので「ヨリモで書いてるのですよ週に1回」と言うとヨリモの存在を知らない人がけっこういたので焦ったよ。わたしはこの春から現在、ヨリモで「発光地帯」というけっこう静かな日記を週に1回更新しています。こちらで読むには登録が必要で、一度にひとつ、しかもリアルタイム的にしか読めないので何かとご苦労もあると思われますが、もしよかったらばぜひよしなに。お願いします。
Kojin201001 それでもって12月5日から毎週土曜日、計4回、朝日新聞Beで「作家の口福」というコーナーに随筆を寄稿します。そしていま発売の「一個人」でインタビューの掲載です。

 というわけで12月。2009年という区切りを認めるのならばこの12月にも意味はある。というわけで熱を出したり関節などを痛めたりしないようにがんばろう。
 冬をエンジョイ、というと個人的にはもうこたつ以外に道具も情熱も見あたらないけれど、そういや世間的にはクリスマスとかあるらしいじゃん!告白とかがんばろう(告白はバレンタインだったね)。ショッピングとか楽しもう(ラッピングとかしてもらおう)。失敗だってどんどんしよう。冬のみならず、わたしなぞ1日に一度は失敗してるけど失敗が多いと何かひとつでもうまくいったとき、とてもうれしい気持ちになるよ。それではアデュー、よい12月をよい冬の真ん中を!日記はヨリモでやってます!そして携帯電話が破損して、もはやまっ黒、着信のみの道具となれはて、メールも受信できませんし、とにかく画面がまっ黒になっちゃって記憶していない電話番号はすべて失われました。そしてこのことじたいを誰にも連絡できないから、一縷の望みを託してここに書きます。関係者諸氏、ゆるされよ。しばらく応答できないです。 でも電話がないというのもまあこれはこれでいいものですねえ。

投稿:by 未映子 01:11 AM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク

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純粋悲性批判