« 東海大でシンポジウム「大学生が読む50冊」にゲストで参加します | ひとっ飛びでありましょうが »

2008.05.30

5月の終焉

一ヶ月のこのおそろしいまでの速さよ。つってこんなこともうこの十年、あはん、毎月毎月思うのだが、こうなればもう死ぬまで毎月つぶやくよ。なんだか色々がたまらない。大阪出張を終えて、これからの十日間は、来月に天竺へ旅立つためにすべてが前倒しになりその前倒しすべてがのしかかってくるので、全部を前倒しで前のめりでやらねばなるまい。

広がる海原と我々の新しいボタン、そして健康な体と健康なひざの骨をもち、あー。

こないだ行って来た「日本文学再生会議」の感想も書きたい気持ちがなくもないのだけれども、いかんせん時間がないなり。しかし、時間がないということとは別に、ああいう場っていうのはわざわざにして非流通なのだから、行った人にしかそれがわからないというのは断然道理であるから、別に感想なぞ書かなくてもいいともいえるわけで。知りたい人は行くだろうし、それぞれが体験して持ち帰るものでしかないのだから、なんというか余計なお世話というものやも知れないわけで。

税理士さん、会計士さんがようやく決まり、家になんというかオブジェのように積み重なり合ってた領収書をそっくり渡して心の澱が放出されたようなそんなようなで目がようやっとすうっとして快。

最近知人が家を購入するブームでわななく。わたしなぞどうしてよいのかわからない、でも捨てるなとだけ念押しされている領収書の束があるだけで心身が拘束されている気満々であるのに、名義とか分割とかそんなのすごく能力が要るよなあ。なにもかも気が向けば常にすべてを出来るだけうっちゃれる身軽でなんとかいたいと思うので、しかしこれはいつまでたっても気弱なことで。

新幹線で小林秀雄。かつて、や、本を開けば今もって日本語がこのような美の発露を持ち、その文章にたち現れ再現される表現の品々を見れば、もう溜息にまみれてなんだかなあ。飛び去る畑の緑のびゃっびゃっを硝子越し、左肩あたりに感じつつ、わたしは今、なんやしらん生きていて、最高の文芸を目に腹に入れているのだという静かな興奮。

何を食べてよいのかわからない。体重が増えて、顔がまるくなってきた。
いまだメール絶えず。多し。っていうか、数日前の日記なんて誰も見ていないということでしょう。なむなむ。

投稿:by 未映子 09:10 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50003/41373447

この記事へのトラックバック一覧です: 5月の終焉:

 


純粋悲性批判