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2007.11.28

甥っ子は電話を拒否

このように、曇りがおもおもしく茂げり垂れてる最中に、暖房器具がないので、寒いわけで、厚手の靴下をはき黙って部屋で仕事をするというのは、行ったことないけれどもなんとなく北欧の気分で、いいね。
しかしあまりにも何の音沙汰もないでの、大阪の5才の甥っ子に母親(姉)経由で電話をすれば、「みえこ、うーさい」ってな具合で最近は拒否されているわけで、生意気になったものです。「今度ね、ってみえこにゆうたげて」とか電話の向こうであしらわれたりしてるわけ。
先日、父親が倒れたときも、母親(姉)があわてふためくなか、ゼリーなどを食し、「とりあえず、お薬のんだら治るでしょー」と放ち、母親が「薬で、治らんかったらどうするの」ときけば「え、そしたらお薬、倍のんだら治るでしょー」とか云う始末。何が倍か。
そしてこの前、電話でわたしが、
「あなた、最近ピカチュウにご執心らしくって、わたしはとことん残念やわ。あんな誰も彼もが無反省に追いかけてるキャラクターをおまえも好きだなんて。どうやの。あんなの、単に黄色いだけですやん」と苦言を呈せば、
「えー、そしたらみえこがこどものときから大好きなドラちゃんはどう。ドラちゃんなんて、単に青いだけですやん」。
わたし、ま!つって、もういっかい、ま!つって、結局、ま!しか云えず終い。「じゃね!」とか云われてそのままプッ。曇りはよく見ると、真っ白であるな。

投稿:by 未映子 03:16 PM [日記・コラム・つぶやき, 甥っ子] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.23

共同通信でエッセイの連載です

 というわけで、先週の水曜日と、昨日の水曜日にすでに配信されたらしいのですが、この共同通信さんが配信する記事がいつ、どのように、どこで活字となって現れるのかが、わたしにはさっぱりわからないので、もし、どこぞで見かけたら、よろしくお願いいたします。ぜんぶで5回の連載です。第1回は「鏡を磨きたい冬」、第2回は「坪内逍遥賞のこと」です。来週が、きっと3回目になるのですね。これから書きます。
 さっき食事の材料を買いに外へ出たら、空気がしゃきっとしていて驚きました。硝子の中に入ったことはないけれど、夏とも秋とも違った光の照り方、届き方。冬はなんか、張り詰め系。やおらクリスタルな感じで、最近は物を見てるとそれだけで目が重くてしんどくて、こめかみも額も目の奥もどんどん腫れてくるようでずっと目をつむって眠っていたいなあ、とか思う毎日でしたが、さっきはすべてがきらきらしていて、恥かしいくらいでありました。あまりのすがすがしさに立ち止まり、うーん、とかゆって腕を広げて漫画の主人公のように思い切り息を吸い込んだら吸い込みすぎて気管が咳き込み、3分間ほどしゃがみこんで動けぬ始末。死ぬかと思った。

投稿:by 未映子 01:44 PM [未映子情報] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.22

近況、しかし近況とゆうても

近況を書くことに、何の意味があるのだろうかなあ、と今日は晴天で、ぼーと思う。
午前中に仕事がひとつ終わったので、今日は溜まっている本を読もう。先日は坪内逍遥賞の授賞式があって、受賞者側で式に参加するのははじめてでしたが、わきあいあいとして、にこやかで、笑いもあって、素晴らしい式でありました。記者発表のときにはお会いできなかった、高山<学魔>宏さんにお会いできたこと、イン歯ーや、そらすこんについて、抜粋や相関図、関係図書、もろもろ、きっとスピーチ用にお書きになった紙を記念にもらってうれしかった。学魔。このネーミング、晴らしすぎると思わない。そんな学魔の髪形がなんともうっとり。祝賀会が終わっての慰労会ではワインを水のごとくがぶがぶお飲みになり、雄たけびあり、このエネルギー、ど、どこから。そして少しの時間でありましたが村上春樹さんともお話は楽しくあっという間。スピーチはせすじのぴっとのびる思い。物語の大海原がここに。本当に素敵な人でした。

Enomotosanそして翌日は、我らが「ムーたち」の作者・榎本俊ニさんと待望の対談。わたくし率・歯医者・痛みつながり。これも尽きず、買い物帰りの空子がわたしを見つめる、という絵をサインとともに書いていただき、対談が終わってもごはん食べてても興奮は極まり何度も取り出しては見入り飛び出し車に轢かれそうになる。Draemongmanこらえきれずではさようなら!と云ってそれをつかんでタクシーに突っ込みムーたち好きの友人のもとへ深夜駆けつけ見せにゆく。榎本さんは理路整然とした話口調で丁寧、所作振る舞い、確認の仕方がまるで先生のよう。かつ、ハンサムであった。(ハンサムって、もしかして死語?) 

絶えず軽い吐き気がするのでいよいよ胃に大変な疾患が、と思いきや、ためしにサクロンを飲んだら完治。お薬って、すごいなあ。髪形がミックジャガーみたいなので、えー、なんつって最近はかつらをかぶってるけれど、おでこがとてもかゆい。電車の中などでおもわずはがし取り床に叩きつけたくなる衝動になんとか耐えることができて、大人。

投稿:by 未映子 01:30 PM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.17

TOKION(トキオン)2008年1月号 11/16発売に登場っす 

Tokion0801 特集 CREATOR FILE 2007>2008、では、東京は次にどうなる?次の世代を担う若き才能から、活躍めざましいあの人まで、「Tokion」が見つめつづけたシーンを総括する特別編。ってことらしく、っつうことで、登場です。よかったらお目ください。

 やー先日は急に大阪の父が泡を吹いて倒れ、朝一番で帰阪してまた朝一番で戻ってきてそんなこんなで色々が密集しておった。入稿が終わってた朝でまじよかった。色々を落ち着かせて気戻って来てそれからそのままダ・ヴィンチの座談会へ出かけるための山の上ホテルへの道をぐだぐだ迷う。高級なゆんをばちっとキメて(ユンケル)、ソフトドリンクを飲みながら小説について色々なお話が飛び交う。ウェイトレスさんというのか、の、かっこうがでらかわゆい。えーとか思ったよ。そしてゆん、けっこう効くなぁ。ああ一日のどったんばったん。これについてはもう、なんというか、大変に疲れ、大変に疲れた。あと足すことの30時間は眠りたい。そしてオシムが倒れてしまった。サッカーにまったく通じぬわたしもとても心配。

 それから!チチトランの感想、ありがとうありがとう。っていうかまず読んでくれはってありがとう。単なる活字の組み合わせを。や、感謝。ありがとうございます。お手紙、メール、全部大事に読んでます。

投稿:by 未映子 09:42 PM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.15

anan 幸運力特集に登場で、インタビューっす

Anan071114ってなことでインタビューが掲載されております。や、すっかり冬の空気でいいね、いいねっつうんで、なんか足も巻き上がってゆくよね、みなさんはいかがお過ごしですかん。わたしは少し風邪気味で病院に行く時間がとれぬから市販薬で誤魔化してるが、うがい手洗い、しましょうね。回避できるぜ。うがい手洗いというと笑い飯なのですが、あれも面白かったけれどやっぱしマリリンモンローやな。あっというまに今年も終わりますが、忘年会や新年会、ですわよね、や、先日の野間新人賞は落選したのですが、も、ひさびさにお酒をみんなで飲んで、久しぶりの前後不覚へ陥り、31でこれはあかんぜ。記憶がないのだも。待ち会は午後四時からでそこから飲み始め、ぐだぐだになり、記憶が白くなりました。二日酔ならぬ四日酔いくらいまでいって、完全にお酒が抜けたころ道を歩けばまっすぐ歩ける!ああお酒の入ってない体のなんたる素晴らしいことかを身をもって知りました。百回目くらいですが。家には野間新落選!おめ!という名目でお花やプレゼントをいただき、ありがとうというか恐縮ですというかありがとうございます。うーむ。作品集の制作も佳境。編集さんからはもはや切ってある携帯にはかかってこず、家に直電、テンションがまるでなまはげですやん、「わるいこはいねがー」ってな風味で震えてR。大阪に久しぶりに帰りたいな。

投稿:by 未映子 01:38 AM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.07

文學界12月号に小説「乳と卵」を発表しました

Bungakukai0712「文學界12月号」に小説「乳と卵」を発表しました。これは、チチトラン、と読みます、ので、出来れば音的にはトリアノン、みたいな感じで一直線にまったいらに、明るく横に倒した棒状に、読んでもらえるとうれしいです。間違ってもチチとタマゴではありませぬゾ!なんか猫の種類のような、あるいは、父、採らんのような、そういう具合でひとつよろしくお願いします。夏の三日間、豊胸手術と初潮対決だッ!うそ、別に何の対決もありません。どうぞよろしゅうお願いします。
 ところで右と左を混同する人がいるわけで、金と銀もぱっとどちらがどちらの名指しかを判断つきかねる、という人もいるわけで、わたしは英語の、仕事、WORK を、一瞬、ワーク、かウォークか、一瞬ぴりっと躊躇るんであって、それに加えて最近に密室で留学経験のある某友人と戦争はウォーと発音すれば、ぷ。戦争は、ワーやって。と突っ込まれて、ええええ!とわたしはひっくり返る思い。だってスターウォーズ、っていうやないの。や、でもジョンレノンは、ワーイズオーバーとゆってるし。とかなんとかあって、云ってたが、結局、後日電話があり、ごめん、ウォーでした、でもほんまは、中間、とだけ言い捨てられぷつっと切られ、もうあんまり興味もないがいっそ大学で英語を教えてる友人に電話しよかと思ったけれど、おまえ、そんなゴミみたいなこと、なめんな!といわれるのがこわくて、このふくらみはそっとしておこうと思った。ウォーだよそんなもん。ワーイズオーヴァーなジョンレノンの舌は英国仕込みなのだよか。

投稿:by 未映子 04:40 PM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.06

スズメバチ・パニック

この前、ゆうごはんを食べながらあまり音的に寂しいものがあったのでテレビをつけたら、なんというのかスズメバチ・ハンターというのをやっていたので、見ると、スズメバチのビジュアルが、も、も、も、ものすごくてあなた、あなたなんていうの、こう、シマシマのところとかぶっくり垂れて、顔がものすごいことになってるわけだ、もう、これこそが筆舌し難いという極北で、見るからに悪党というそれであり、殻っぽく、牙があり、ミツバチのふさふさした小さなみんなが何万匹って集まってがんばって蜜を作ってるところに30匹で押しかけて、手でミツバチをつかみふたつに折って噛み殺し、もののちょっとで制圧したりしてその残虐な様たるや、わたしはまじで絶叫した、あんなん、あんなん、おそろしすぎる、おそろしがすぎる、なんといってもスズメバチのあの顔、それをペンカメラで撮影してるのだけど、宙に浮かんだスズメバチの一匹がじっとこちらを見て突如ぶつかってきたりして、あの形よ、何よりもあの顔、あの目、なんていうかおそろしく、スズメバチの巣の映像もそらえらいことになっており、幼虫が白く、うにゅうにょと頭を出して、繭をつくるときにでる唾液の中のアミノ酸が、成虫を100キロも飛ばさせるエネルギーの素らしく、100キロって!燃費良すぎで飛びすぎっていうかこわい、こわいねん、ものすっごい攻撃的で、そらアニメにしたら槍も持たせるでっていう、もうその形態は正視に堪えられず、誰か勇気のある日とは画像でなんとかして見てみれば、わたしのこの絶叫の少しはわかってもらえるのだが、そしてなんとわたしはもう声も出なかったのだが、宮崎県のある地域ではスズメバチ料理がなんと郷土料理で、スズメバチ成虫の素揚げ、んで幼虫、にもふたつ段階があり、真っ白いの、それから目だけが黒くついたのと、なんか炒めたやつがあり、お、お、お、お、それをまじためらいの知事が食べて見せていて、まじで気の毒、わたしは座ったまま後ろに倒れそうになった。その夜、悪夢はもちろんスズメバチから電話がかかってくる夢であり、わたしは受話器に泣きながら、「もう、かけてこないでくださいね!」と何度も絶叫するのだが、スズメバチは電話を執拗にかけてきてぶうん、ぶうん、ぶぶぶうん、とか低く唸ってゆうので、それからまたわたしは「お願い、もうかけてこないでくださいね!」と泣きながら懇願して、朝起きて夢でよかった、と思ったら夜明け前の五時ごろに非通知設定で着信があったので、なんか。しかしおっとろしい。おっとろしいのや、とてもこわい、一対一でも勝てる気がせぬ。

投稿:by 未映子 02:08 AM [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.05

肌、髪、頭蓋

 このあいだミガンにメお化粧をしてもらったときに、すごく肌がきれいに見えたので、どこのや、と聞くとエクスボーテのだということで、しっとりのほうな、昨日はうかうかぶらりんと買いに行った。わたしは化粧品が色がパッケージが基本的にとても見るのも触るのも好きなので、何時間でも百貨店一階にいることが出来るがこの場合の時間と出費はおそろしいまでに正比例するのだから、こんな恐ろしいこともなく、財布が死にそうになるのであって大変だ。買おうと思ってるので、番号を教えてね、とゆやミガンは「お前にはふたつの色を同量混ぜ合わせてつかってるので、どちらかということはむずかしい。両方お買いなさい」というので、しかたなく両方買った。うーむ。今まで気に入って使ってたファンデーションはリキッドはRMK、デコルテの「美容液に色がついたのです」といわれるまでの使い心地のミリオリティ、んでパウダーはアルビオンのエクサージュ・シフォン、などなどで、どれも不満はないのだけれど、分泌異常?といわれるほどテカルわたしはやっぱ崩れは宿命であって、しかしなんかこないだは肌の感じが長時間にわたり底力的に違ったので、へへ、さっそく、といいながらエクスボーテを使ってみても、ミガンがしてくれたような感じにならない。やっぱ技術というものは目に見えるのであるのな。
 基礎化粧品はデコルテのミルクからのやつを使っていたけど、最近は皮膚科のおすすめのデルファーマというところの化粧水を使ってこれがものすごく保湿力高くいつまでも湿ってる。なので乳液はつかわず(というかわたし基本的に乳液使わぬなあ)それだけでこの夏を過ごしたが、秋冬はそうも云ってられんので、オバジをラインでそろえることにして、ちょっと成分的にきついのでないかと思える夜もがんばろうと思う。わたしは髪の毛や皮膚といったものがとても好き、もう愛しているのでなので、そういったものの全体というよりは細部の管理をするのが大好きなのだ。追うことが連れてくる恍惚。今日はひさびさにヨガに出かけたが、湯船の中でたいそう美しい頭蓋を持った老婆がいて、見つめれば十何分間かの至福。うっとりとして誰もが髪と皮膚のしたにひとつの頭蓋を所持。ひとつひとつの角度がそこに。興奮する。こないだものすごい絶壁の角度をもつ友達の髪をみちみちに編み込んだりしていたら、ものすごいいびつな角度がそこにあるので、ありすぎるので、そのすごい角度を触ってると見ているとたまらなく興奮して、自分の膨大な鼻息にはっと我に返る。友達も鼻息がすごくこわかったらしい。
 

投稿:by 未映子 06:04 PM [心と体] | 固定リンク | トラックバック

2007.11.04

そやかて夢を、みるのやも。

 この数日間はいろんな取材を受けたり撮影したり〆切を飛び越えもろもろの毎日ではあったけれどなんだかそれとは関係なく半分が怒りとぐらつきで死んでるようで、死ぬといえば、ぬ、といえば、わたしは、ぬ、と打とうとすると必ず一回目は、む、と打ち損じ、例えばぬま、は、むま、になり、逆もまたしかり、むり、は、ぬり、と打ち損じ、そんな人生である。19日は坪内賞の授賞式で、大賞は村上春樹さんということもあり、式にはぎょうさんの人がいらっしゃる模様でパーティーなんて久しぶりなので、ということはお酒を飲むのも久しぶり、そしてもうすぐ久しぶりに一年が終わろうとしておるな。
 作品について夜中飛び起きて怒りに震えることがある。何に対する怒りなのかを考えてみても怒りが渦巻いているのでその詳細はきちんと見えず。そしてそれを怒りと表現してみても、こういう場合は実は怒り以外の感情であることが意外に多いのだから、印象が連れてくる言葉は特に信用ならないものだ。
 書き手が主観的に語ろうとしたこと、と、書かれた作品が客観的に語ることはどこまでも別のことであり、それに対してはなんの異議も問題もないのだけれど、このふたつのあいだに、もうひとつ、わたしが真にその姿をとらえ格闘しなければならん重要な何かが孕まれていると思い、その孕み自身がぼけぼけと眠ってるわたしに頭を蹴りあげて怒れ!と叫んでもう一発蹴りあげたりするので心臓がえらい。
 先日、永井均先生とお話した際に出たアイデア、その具体的な方法はさておき、小説には、書き手に明確な主題やメッセージがある場合は、それに対して出現するであろうと考え得る限りのすべての同意、誤解、反論、もろもろをその物語の中にすべて、余すところなくぶちこめばいい、議論をまるまま小説の中に予め再現させておけばいい、ってそらドストエスフキーやねんけども、この姿勢が今のわたしの感じている苛立ちや、わたしがやりたいと思える考える小説にとっては一番よいんではないのか、今のところ、たった今は、というようなことも考えるわけであります。それが可能か不可能かとうことはこのアイデア自体にはあんまり関係がなく、わたしが問題にしているのは単なるこちらの姿勢のことであるから、今度、これを書くのだ、というものがなぜか明確にある作品を書く場合には実践できればしてみようとする努力を思ったり。わたしは自分で思っているより完璧主義者であることを何となく知り、たとえば最近はもうライブが出来ない。どんなに素晴らしい演技でも歌唱でも読書でも、最近はそれに接すること十五分以上の集中力が保てず、何度も気が動き、じっとしていられなくなり苦しくなり、それが素晴らしければ素晴らしいほどそうかもしれず、たとえば読書なら数行でこの小説を読み終わったときにくるまれるであろう感激が想像できればできるほどその作品が早く終わってほしいとさえ思ったりするのだから、ライブを聴きにいってもそうなのだから、そんなわたしがライブなんかしたりすると聴いてくれている人の中にもきっと同じようにそわそわしたり、同じようなことを思ったりする人がいるだろうと思うと十五分以上の何かをすることがとても出来ない。まあ本ならとても個人的な速度と空間内のことゆえ、まだましで、それぞれのいい具合で投げ捨ててくれればいいけど、ライブはまた少し勝手が違う。いらん気を遣わせるのは気の毒で厭なことでどうにも仕方がない。
 何人でも何百人でも何千人でも、居合わせるみなが同じ気持になどなれるわけがない、ってだいたい同じ気持ちってなんだよっつう話で、でも同じ気持ちっていま書けるぜ、言葉なら、ってまあ現前あるとゆやあるわけで、しかしみんなそれぞれでみんながそれぞれでだからいい、バラエティ・イズ・ビューティフル。なんて生まれたときからわかってることで、わたしだってそう思う。そんなこと何もかもド当たり前のことで、それは絶対的な事実であるという予測もたつ。たちすぎる。しかしそんな感嘆、そんなしたり顔、そんな言い訳、聞き飽きたし、だからどうした、とわたしは思うし思いたい。人には<絶対的に無理なんでないの>、というものに対してなぜか夢をみる力だけはあるわけで、個人がひっそりとそんな夢をみることには根拠はいらぬ。無理だとわかっていても、わたしには説明しがたい理想がある。説明しにくい実現したいことがある。たとえばわたしが埴谷雄高から学んだことはこの一点、「無理だとわかっていても、やるのとやらないのでは、やったほうがいいんであってね」。
誰が無を表現できるか。そんなもん、無理なことや知り尽くしたうえでの埴谷雄高の五十年。わたしの相手は無ではないが、きっと埴谷雄高も感じてたであろう苛立ちと不安が、このようにして夜中にわたしを怒りという体を装って、何度でも蹴り起こすのである。

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2007.11.01

セオリー vol.12に「人生に池田晶子の角度を」を寄稿しました

Theoryvol12やあやあ。ということで、セオリーという雑誌の中での贅沢な人生、という取り組みの中で、池田晶子さんの特集が組まれております。届けられた雑誌はわたしにはなかなか縁のない世界のどてんこもりでしたが、まあまあ。表紙の質感も高級な様子。そして池田晶子さんの紹介というか、なんというか、池田さんの仕事の紹介とかって、難しいんですけれども、そのようなものを、を、寄せましたので機会あられましたらぜひお読みくださいませ。や、じっさい難しい。
 みなさんは何をしているときが、しあわせですか。一昨日は雨で、一日晴れて、今日は曇り。なぜ、犬はかわいいのだと思いますか。顔に毛が密集してあることがとてもぬいぐるみ的であり、幼少の頃より我々はまずぬいぐるみを与えられこれに慣らされておるわけで、本来はぬいぐるみは動物を模したものなのだけれども、我々は動物に出合うよりも先にぬいぐるみに出合ってしまうわけで、本末転倒、動物とはその意味で、動くぬいぐるみとでも申しましょうか、かわいくないわけがないですね。
 昨日は撮影とインタビュー。ヘアメイクをミガンにやってもらった。乗った個人タクシーが外車ですんごい凝ったつくりで、なんか浮きながら走ってるみたいで深夜。いいでしょいいでしょ、やっぱわかるでしょ、しょしょ、とキャラの濃い運転手さんにつかまって結局30分を喋ることに。わたしの唯一の技術ともいえる「相槌」の、ほんの50個ほどを発動してやりすごす。

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純粋悲性批判