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2007.08.04

8月5日<産経新聞>読書欄、『わたしの本棚』に寄稿しました

 毎日暑いことですね。みなさまご機嫌いかがですか。
 産経新聞の8月5日朝刊、わたしの本棚というコーナーに寄稿しました。それぞれちょっとずつでしかないけれど、言及した本は「樋口一葉日記。書簡集」、隅田川乱一「穴が開いちゃったりして」、永井均「転校生とブラックジャック」、茶木ひろみ「銀の鬼 目覚め」、そしてカート・ヴォネガット「国のない男」
もしよかったら、お読みくださいませ。産経新聞のサイトにもアップされています。

Kuninonaiotoko 見出しは、人間は誰に相談すればいい?であります。NHK出版さんから戴きました、ヴォネガットの「国のない男」にまつわるものです。手触りよくってスペシャル感が随所にあらわな素敵な一冊です。んで、くんくんと読みながら、どんどんと沈んでいく気持ち。世界と人間に怒り呪詛しまくる人間・ヴォネガットに、だったら!だったらどうしたらよいのだよ!ってこちらも苦しくなってくる始末。ああ。世界と人生における重要事など、その人の目のついてる角度から語れる以外のものではなく、みんなにこにこ笑ってはいるが、実はまったく違う話をしているのだ。自由ひとつとってみても。神様いっことってみても。そんな相対でありながらの絶対がそこかしこにあって、あーもう、それじたいの絶対矛盾に苛苛しつつも、ヴォネガットがこの本で書いてることが果たしてわたしの現実であろうかどうか。や、紛れもなく現実であることが直観的にわかるから、やはりわたしの気分を暗くさせるのであった。

 散々な目に遭ってきたヴォネガットはこれまでの人生と作品の中で、あれだけ!あれだけもの超スペシャルな笑いで、冗談で、彼の世界と彼の世界の住人の世界と渡り合ってきたのにもかかわらず、最後の最後のこの本のなかでは、所々覗き込むヴォネガットの冗談も笑いも有効なものとしては響かなかった。あ、と思った。ヴォネガットの笑いが世界に負けた、と思った。んですぐに、や、負けとかではないわ、と焦って思いなおしたのであるが、なんだろうかこの陰鬱で恐ろしい気持ち。背中からどす黒い液体が億トンで迫ってくる感じ。皮肉にもヴォネガット自身がスローターハウス5でドストエフスキーについて、だけどもう、それだけじゃ足りないんだ、と書いたように、わたしはこの遺作を読んで、ああ、もう、ヴォネガットの笑いだけじゃあ足らんのだ、ということをぼんやりと強烈に思い知った。ヴォネガットはわたしの人生のかなりの多くの部分を救ってくれたけれども、その季節はやはりもう過ぎ去ったものであって、ある意味で本当にもうヴォネガットはいないんだと、(もちろんそのまま逆のことも云えるけれども) 心底じわじわ思い知らされた一冊だった。ヴォネガットが面白いことを云うたび書くたびに、笑うな、と云われているようだった。もう笑うんじゃない、と詰められてるような気分になった。それも単なる気分や感傷であるかもしれないけれど、とにかく、これは、悲しいとかさびしいとかじゃなくてわたしにとっては抜き差しならぬほとんど恐ろしい本でした。なんか。それはわたしが人間だからです。


投稿:by 未映子 10:49 PM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク

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純粋悲性批判