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2006.08.28

ユリイカ9月号の巻頭に問答詩、「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」を寄稿。

 今日発売の「ユリイカ」理想の教科書特集ではあります。私がこのたび寄稿した詩はこの特集に寄せたものではなくて、巻頭に掲載されているのですが内容的には関係あるんだかないんだか。ぜひとも読んでいただきたいです。どうぞよろしくお願いします。

 きれいと汚いが集まるところ「銭湯」での、少女と老女と女と母親の詩。なぜころ問題だけが善悪や倫理や道徳を問うものではないのであって、湯船でおしっこができる人とできない人がいるのはどうして。どうしてなの。個人の日常の一挙手一投足を発案し、行為へ推移させて正当化するものはこの世界のいったいどこにあるのでしょうか。少女はおしっこの悲願、母親はびくともぜずに、スプーンに絡まる生成のかげ。問答詩であります。

 演劇祭で山奥から戻ってみるとたくさんのメールや訪問者が。猫の問題については先に子猫を殺し続ければよろしいをお読み下さい。
 出発のどたばたの中で記事の印象を直観ですくって感情と勢いで書いてしまった文章なので少々粗雑ではありました。たとえば「論理」と「倫理」に加えるものとして「生理」が抜けていたりして、この生理と倫理の境目もおおいに気になるところだ。
 論理として徹底し切れてない等のご指摘がありましたが、どうも私の癖として問題に対する出発点は違和感、疑問、などの「感情」であることが多く、まずはそこのところを書いたつもりではありました。まずは私は私の倫理観でしか書けないです。そしてそれは誰かを説得したいとか否定したいという目的ではなくて、こういう考え方がどうしてかここにあって、というだけのことです。そしてそこから、本当に知りたいことについて考えるために、直観ですくいとったものをもっと理解するために「論理的に努力する」のは私の趣味であって、うまくいかないことのほうがやっぱ多いなあ。いつも過程です。ちょっとづつ考えていきたいなと思ってます。

 それから、論理は非力である、などと「論理」を批判しているのですかというメールも頂きましたが、「神には<冒涜>ということがわからない、と僕は思っている」(byサリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ〜シーモア序章〜」)とシーモアが云うように、論理そのものに対しては批判も性別も判断もないよ!だから論理なのよー。論理がどのように使われてるか、その場合の正誤のみが存在するんであって、私は「論理」や「数学」が圧倒的に存在する傍ら、それらが作用しないという世界の側面があるということを素直に驚いているだけです。ワンダー!感情的な私も含めて。

 論理に見合った感情を完璧に作り上げるなんてソクラテスかウィトゲンシュタインくらいのものだぜ!それだって実際はどうかわからん。書かれたものから判断するだけのことやし、そしてそれが世界に対して最高にクールな姿勢かどうかはわからんです。言葉にあらわせることは本当に限られていると思います。
 ペットの避妊手術についてはどう思いますか、というメールも頂きましたが、人間がすることとて自然の一部と考えようと思えば考えられるし、すべて行為可能なものは善であるともいえるし、そこんとこは自分で考えるしかないと思います。
 そしてすでにペットに対して避妊手術をしてしまっている人にとって避妊手術はやはり「善」であるという立場だし、それを批判している人にとっては「悪」という立場なのだから、ここを行き来する感情論に関してはちょっと不毛だなあーと感じます。もちろん両方を自分の立場から判断せずにメタ視点から話そうとしている議論もあると思うけど。でもやっぱりどうしても感情的になっちゃうよな。対話を成り立たせるためにはペットに対する態度自体をまずアイデンティティと分離させてから考えるといいような気がするよ。優れた議論、意味のある議論、対話の発達は「自分の意見」というものからまず離れてその問題のみを取り扱おうという姿勢でなければなかなかうまくいかない気がするわ。論理的に話をするというのはこのことだと思うわ。とはいえ「世界のすべてをフォローすることは出来ない」(by穂村弘)と私も思うし、挑戦する姿勢は頼もしいし好きやけども、もちろん思考の過程には間違いだってあるし、善悪はどこまでいっても自分のなかにしかないし、変化するものやと思うし、それに気づいた時点で訂正し続ければいいと思う。誰もが鋭く論理的に物事に決着をつけていくのはとても難しいことで、書きあらわすのはもっと難しいことや。論理的であろうとなかろうとそれでも「自分」が圧倒的に正しいと思ってしまうことについては、極論をいえば人と話合うことは出来ないと思う。

 あと、なぜ永井均さんの本の中でなぜにインサイトだったのですか、という質問があったんですが、アインジヒトよりもインサイトの話のほうが基礎的であると思ったのと、あとはいまが夏休みだから、ということで。あと、坂東氏の行動についてはタヒチで違法というお話も頂きましたが、法律に関しては前回書きましたから、違法であるならいわずもがな。そしてあと、新井英樹さんの漢字を間違えていました。ごめんなさいー。


投稿:by 未映子 04:06 AM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク

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純粋悲性批判