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2006.06.13

神様と妖怪、桜井大造の顔はすごい

たまたま崇められたもんが神様で、
そのほかがたまたま妖怪やと柳田國男もゆうてはるらしいけど、
もう神様でも妖怪でもどっちでもええ。
舞台上には神様あるいは妖怪が言葉をしゃべって物語を生きて、
最後、
「明日はどんと晴れー」てゆうて、ああ、あそこよかったなあ、
ほんまによかったなあ、
よかったなあ、
舞台観て、あんなに気持ちよかったことないわ。
真っ青な空から金色の雨がざあざあ降ってきて、
それ全部口んなか入れて飲みほすような気持ちになったわ。


先日、桜井大造率いる「野戦乃月海筆子、<海峡と毒薬>」を観劇。
これは「やせんのつきはいびっつ」と読むのらしい。
役者の高嶋政伸さんや
(彼は17歳の時に桜井大造に惚れこんで自費映画を撮ってる)
COTUCOTUの坂本弘道さんが昔から関わっていて、
おふたりから話にはよくよく聴いてて、
昨今は日本を離れ台湾で舞台を続けていて機会がなかったんだけども、
ようやく6月、日本に戻ってきはった。んで観た。
あらすじとかは、サイトでみてください。
劇団の歴史とかも、サイトでみてください。

空間がどうとか美術がどうとか、
筋書きがどうとか(けっこう難しかったけど)
伏線がどうとか演技がどうとか、
分析とか評とか、んなもんの入る余地がなかったわ。
そんなもんが諸手をあげて退散してゆく舞台やったわ。
舞台には「生命力」しかなかったわ。

とか色々ここで書いてもさ、
伝わるわけがないし、あんなもんが伝わってたまるか。
ただ、桜井大造の舞台は、とてつもなく、でかかったわ。
もう、それだけや。

土の中に埋ってて、劇が6割ぐらい経って、
ごぼって出てくるねん土の中から桜井大造が。
あの顔忘れられんわ。

なんか色々あって私の人生が終わるときに、
おかんの顔でもなく、大好きな人の顔でもなく、
なんか色々な思い出でもなく、
桜井大造の顔やったらどうしよう。それは微妙や。
でもそんな心配するくらいの顔や。
あれが力というものや。
あんなもんみてもうたら、
金かけて巨大にして拡大して会議室で色々混ぜて、
巧妙に作りこまれたイメージやらカリスマやらそんなもん、
ほんまに、ほんまに阿呆くさいもんやでなあ。

「あっ、戦ってる!あなた、誰と、戦ってるのー!」

火が燃え上がって水が点で落ちてきて、
私がもし500人おれたら、
1000個の眼玉で凝視すぎて倒れるまであの瞬間を凝視めたいわ。

こんな支離滅裂で、胸がいっぱいで、
その夜何も食べられへんかった、
私の、
桜井大造を初めて観たという、
記念すべき個人的な記録です。

投稿:by 未映子 06:40 PM [文化・芸術] | 固定リンク

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純粋悲性批判