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2006.03.11

ポツドール「夢の城」観にいったぜ

久しぶりの新宿で喧騒のようなものがびしびしと背中に刺さる思い。人が多いな。多いよ。ポツドールの「夢の城」を観にいった。
多少のいわゆるネタバレがちらちらしてるかもしれんので、これから楽しみにしておる皆さんは注意してくださいね。


だらだらとした、年は幾つぐらいだろうか。ギャルとギャル男(ギャル男って今でも有効?)風味の少年少女たちのタコ部屋の物語。だらだら、ゲームと布団の上に置かれる鍋(この様子に実際的な嫌悪感を感じられる人間がどれだけいるだろうか!)とタバコのすき間で無駄打ちされるセックス。セックス或いは挿入に対して気の毒に思えてくるほどの無駄打ち感。
お前ら!若いんだからもっとしっかりやれよ!挿入に対して失礼だよ!とお尻を叩きたくなる。でもま、生殖を目的とせんセックスはすべて無駄打ちっちゃ私もそうなんでしょうけどももっと無駄打ち。あー。
台詞は皆無。誰も喋らん。しかしながら少年少女の設定のだらだらの中に、そのだらだら加減があまりにもだらだらとしすぎているので、だらだらが一周してある種の緊迫感が私の中にじわじわと芽生えてきたりするのだった。
「これではいかんだろうよ。人間はこんなはずではないだろうよ。君たちのメムバーの中の誰かがこれを、憤怒!といって拳を突き上げ蹴破るのは、今か、ほれ、今か」という感じで、なんか私の持ってるささやかな向上心の粒立ちが動き出すのであった。
じりじりするなあ。でもそのじりじりにはお構いなしに彼らはゲームしたりゲームしたりゲームしたりするのであって。んで時折さみしそうな顔をするのであって。あるときふっと「これはいったい、なんやろうか」みたいな未視感をたたえた目をしてタコ部屋を見渡すんであって。ああ。それなら私にも、毎日のように覚えがある。
「これはいったい、なんやろか」。鍋など食べてる最中に、お化粧などしてるときに、人生がこれからも続いていくことにはっとして絶句するのである。恐ろしいなあ。
そしてギャル及びギャル男らの姿に胸に苦しいのとムカつくのと悲しいのとがまぜまぜになって、
「ごめん、もういいよ…。私がわるかったよ…、けれどもパンツは、ちゃんとはこうよ…。コンドーム、まず買おうよ…。女子は、トイレで、ナプキンをつけようよ、いっしょに、いっしょに頑張りましょうよ…」となみだ目で懇願するような気持ちになってくるのであった。
それでも続く無生産な生。だんだん見るのが本格的にしんどくなってくるのは私自身に心当たりがあるからで、彼らは舞台上から無言で、それなりに年月をかけてこつこつ構築した私のささやかな行動規範の横っ面を
「ハロウ。俺たち人間の本性でっす。人間ほっといたら全員がこうなるっていわば純・人間でっす。君たち必死で繕って毎日生きてんだろうけどバレバレだヨ。ハッフー!こっちこいよ。よく見ろよ、俺のちんちん、この俺の惰性をよう」なんつってぺちぺちとはたくのだった。
というわけで、自意識と責任感と向上心の徹底した弛緩をえんえんと描きながら、観ているうちにそれらはどこからやってくるのか不気味な緊張と悲しみを観客各々のうちに導き出すという怖い舞台であった。怖かった。不気味だった。

観客を眺めてみて、ふっと生活というものを考えてしまう。
生活とはいったい誰が作るのだろうか。今日の夕飯。明日の予定。何分後の電車。あの人もあの人もこの人も、それぞれに生活があるはずなんだけど、それらに対して、自分がチョイスして自分で作りあげたものという実感はあるのだろうか。こまかなひとつひとつのチョイスが今を形成してるっていったって、そのチョイスの組み合わせが発揮する様々な効果までは選べないだろう。何処までが自分の拘われるところで、何処からが、拘われないのだろう。遥かな気持ちになる。あ、小林秀雄が今、「僕の人生は僕の人生ではないから好きには出来ないだから自殺は出来ないのです僕はええ僕は」とすれ違いざま耳元で早口でささやいた。そうね。わかるぜ。たった今、わかるぜその気持ち。
舞台で描かれてた彼らの生活と、私の生活は隔たりがあって違うもののようにみえるがしかし、実は隔たるどころか、すべての生活が「母なる偶然の導くところによって」成立しているのなら、結局はどの生活も大差なく、生まれて生きて死んでゆく、それ以外のことがすべて、かすんで見えてしまうのだった。そんなことを思いながら、無駄打ちどころか私、最近セックスしてないなあと思う。ひとつは妊娠のためのセックスこそがしたいと、そこはかとなく思うようになっているというのもあるがそれとて単なる「私の今月の気分」であろう。
そしてやっぱりぬるぬると、あの舞台は不気味だったなあと思う。観客も合わせて不気味だった。今もなんか、私の中でぷくぷくと泡を立てる感覚。妖怪人間ベムのオープニングよ。
それにしてもあの剃りこみの兄ちゃんが出てくると私の肩には力が入った。あッ、なんかやらかす、…と思って身構えた。目にはまだあの剃りこみと練り歩きが浮かぶ。怖いよ。あれが噂の「存在感」というやつか。
あと、ラスト。ラストについては書けないが、これは本当にいいラストだった。あのラストがこの劇団の正体だと私は思った。
それとあと、やっぱ部屋の掃除は大事やなと思った。

投稿:by 未映子 02:59 PM [文化・芸術] | 固定リンク

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純粋悲性批判