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2006.01.27

ユリイカ2月号<特集・ニートと文学>に「象の目を焼いても焼いても」を寄稿しました。

特集〈ニートと文学〉ということでなんか詩を書いてってことで書きました。タイトルは「象の目を焼いても焼いても」という名の散文詩です。図書館が舞台の読み物です。いわゆるニートというのかな、生きてることに所在無い三十路手前の女性が図書館へ行く話です。図書館は彼女に何をするか。彼女は図書館に何をするのか。そして寄る辺なきこの日常にも、ひとつしかない立脚地点は確保されているのです。視点がある。体がある。生きるということがどういうことかわからないけれど、同時に今生きてることの全了解。

私は自作について語るのがすごく好きなんですが、
それとてやはり見苦しいものだという気持ちも理解できるし心あたりはあるのだけど、
なんで自作を語ることが好きなんだろうか。いわゆる自分大好き、という解釈をされそうな物言いなんですが、それとはまったく違うところでの感触なのであります。もしかしたら「自分が自作を語ること」が好きなんじゃなくて、「言葉によって語られようとしている作品」が好きなんだろうか。

それが無粋であるとする理由に挙げられるのは
「受け手に見方を押しつけたくない、その作品に表されているのがすべてであるべきだ」というような、よくわかる話なんだけども、語った前と語った後で作品それ自体が変わるということはまずないわけだ。語ろうが語るまいが作品は作品でしかありえない。そもそも作者の物言い、熱弁、ひとこと添えぐらいで受け手の感受の質が致命的に左右される、なんらかの妨げになると考えるのは、逆に「作品がすべてではない」と宣言してるようなものだし〈作品にとってやっぱしどこまでいっても、作者が神〉という自負がみてとれる。作った本人がどう説明しようが、どう世界観を述べようが、そんなものが届かぬ場所に作品は勝手に移動するのである。

私は歌でもお笑いでも映画でも何でも、「※※、自作を語る!」ってあると飛びつきます。嬉しい。もっと語れ、などとも思う。そしてやっぱりなんだかんだいいながら、作者が語ってしまうのは、本当は作品を頭の中から世界へ放つ最後の仕上げなのかも、無意識にそんな風に感じているのかもしれないですね。

自己や自意識、そういうものへの諧謔や、韜晦として「私」や「僕」や「俺」という、自他や主観を自在に行き来する(大阪では相手のことも自分、っていうねんよ)この言葉を我々が何重にも共有しているように、〈作品〉だけが制約を超えて点在しながら連なる奇跡を発揮することが本当に出来るということを知ってるからこそ、人は自分の作品について語るのですな。

実は作品にとって語っても語らなくても同じことということを知っているからこそ、うんうんと語るのである。そしてそれに耳を傾けるのである。この状態、その理由、それが、愛というものじゃないか!「自作について語ること、だいすき。これぐらい楽しいことってないわ。これがいちばんすきかも」ジョン・レノンのインタビュー思い出した。

詩を読む人と論文を読む人の比率は、同じくらいなんやろうと思う。つまり、生活の役に立たない。自分の自意識で死にそうなところに人の自意識までしょいこめるか。
けれどもそこにあるのは果たして自意識なんだろうか。否!何かひとつ、あなたが感動したことのある詩を思い出してほしい。それは誰かの自意識であったであろうか。感動とは自意識から解放される最後の魔法である。感動といえば何も詩である必要もないのだけど、詩を書く、それを読むというのは詩は自意識からもっとも遠いところに生息している。

書かれたものが難解であれ単純であれ、紋切り型であれ革新的であれその形態をとらざるを得なかった理由というのが必ずある。作品における「ああ、これはこうでしかありえなかった!」と感嘆してしまうような泣きたくなるようないわゆる三位一体が、あらゆる表現にはみなぎっている。この詩はこの詩でしかありえなかった!それこそが行間であり、行間を読むというのは愛情がなければ不可能だ。そして詩は役には立たない。けれども愛をもって飛び込みさえすれば、その行間がもたらす幸福は、人をひとり確実に殺すものであり、確実に生かすものであり、やはり「美しい」のであります。美しさは誰のものでもない。

ユリイカに寄稿した前の詩にはほんとにたくさん賛否両論頂いて、嬉しかったです。わけがわからない、意味がない、長い、あれやったら俺にも書けるわ、などなど。そういえばあの詩について、ああ色々書きたいな、などと思っていたのに。メール読むことで満足しちゃって、大変有り難いご意見もあって。しかしながら非常に感激してくれた方々もとても多くて、その感想のほとんどが「うまく言葉にできない」でした。こっちもこっちで最高ではないか。言葉を読んで、言葉をなくす。すべての言葉が目指す邂逅の一点であります。

というわけで、<ユリイカ〜詩と批評〜>
明日発売です。今日はくどくどと書いたぞ。長くてごめん。最近短くなってるね、といわれたんだがそれは短いほうがいいということなのでしょうか、どうなんでしょうか。
ネットが繋がってないので日記を携帯で書いているの、親指に目がついてるかのようです。私の初めてのブラインド・タッチ。
そしてラジオもありがとう。試行錯誤しながらお届けしたいと思います。そしてユリイカ!是非とも手にとってみて下さい。よろしくです。

投稿:by 未映子 10:59 PM [書籍・雑誌, 未映子情報] | 固定リンク

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純粋悲性批判