« 市川哲史氏とPodcastingのススメ | サボコは私の可愛いコ »

2005.08.05

毛皮族のジュンリーとラジオで話す、いや、話した。

先日のラジオに毛皮族の族長の、江本純子氏お招きしたよ。
楽しく、色々お話をしたのをみんなは聴いてくれたか。どうか。

毛皮族は今年で5周年だそうで、私が初めて観にいってから4年ちかくも経つ!
よ、4年て!もー、ほんまに時間ってなんでこんな早いか。今ガリガリくん食べながら書いてるが、ガリガリくんもなんでこんなに早くなくなるか。

7月いっぱいで東京公演も終わって、んでこの週末は大阪で公演なんで、
みんな、気になったら観にいきよし。

今回は前回にお招きした時のハイテンションとはちと違って、
聴いてるスタッフには、
「ちょっと作り手側の話すぎて、置いてかれたような気がしないでもない」
と云ってたけども、別の意味でテンションが高かったのかー。

ジュンリーは女友達とゆー気がしやん、
なんかめっちゃ心地よい礼節があって、や、その辺って関東の人やからなんかなぁ、
なんか、シャイな青年とゆーかなんとゆーか、
ジュンリーの雰囲気は気持ちいい。


自分と違う人のする表現の、理由とか、考えとか聞くのはすごく好きで、
違いがあればあるほど楽しいというか。

んで完全に独立して、大勢の人を動かし、んで大勢の人を満足させて、んでまた次に踏み出す、ということを劇団をやってはる人たちのほとんどはやってきてるわけで、
それはすごいことですよ。
全部、自分、細かいことまでわかってるのも自分、あれも自分が、これも自分が、で、走り続けなあかん、
んでそれが出来るっていうのはすごいことで、
でもそれって一番シンプルなことで、
一番直接なことで。

ビジネス的にも何にしても独立してやっている人の、私も興味がとてもあるので、
話が聞けてよかった。

んで、
どんなに悲しい芝居でも、苦しい歌でも、みててつらい絵でも、煌びやかでゴージャスで夢みたいなお芝居でも物語でも、こんな世の中くさっとるわ!とかの音楽でも、
分りやすくても分りにくくても、ひとりでもふたりでも、怒りでも喜びでも悲しいワーでも、
人に向かってする表現っていうのは、
方法こそ違えど(表現する人の性格がそれぞれやからね)、
見てくれた人を、やすっぽい言葉でいうと、や、勇気づける、明日もがんばろーぜの力のよーなものをもって帰ってもらいたい、感じてもらいたいなあっていうのは多分おんなじで、方法は違えどね、
だからたくさんの表現があって、すばらしいし、


ジュンリーのつくるお芝居は、私が歌で作る世界とは違うと思うけど、
けども、ジュンリーと私だけじゃなくって、人になんか伝えようとする表現の共通項が、くっきり見えて、なんか穏やかな気持ちになった。

んでそれを必要として、足を運ぶ耳を傾ける人っていうのも、構造上、作り手の一部であってな。
なんかそういうことを、思いました。

人を楽しくさせたり、悲しくさせたり、ぐっとこさせたり、
んで、力になれるっていうのは、素敵なことやな。

んで毎日毎日どっかでお芝居はさせてて、歌もうたわれてて、誰かが泣いてて怒ってて。
喜んでて笑ってて、落ち込んでて苦しんでて、
んでまた元気になれば、いいなあ。


暑いけど、なはんかオセンチな午後でした。


毛皮族、江本純子氏エロのテロのバブルが襲来!
毛皮族のキャバクラ5時間体験な
毛皮族キャバクラナイト、オツ。


投稿:by 未映子 03:29 PM [文化・芸術] | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50003/5321999

この記事へのトラックバック一覧です: 毛皮族のジュンリーとラジオで話す、いや、話した。:

 


純粋悲性批判