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2004.11.28

それからわたしは巨大な髪の毛を想定する

なんつうか、ぐわんとポップに立体構築、女子のぜんぶ。
電車の中で女子は膨張している。唇、かかと、髪の毛、鼻の穴。睫毛も膨張している。女子の声も膨張している。膨張に次ぐ膨張。膨張における膨張。意味は不明。


電車の中で黙って立っていると、色々な人間がいるのだということを知ってるか。
わたしは電車に乗るとちょっと夢中。今日は特に夢中なのであった。かつらのような、頭をしてるのに、じっと見ると頭皮からちゃんと気が生えているのでかつらじゃなかった。あっふうん、などと思い、他の人の髪の毛をじっと見る。


わたしは「毛」が好き。
束になった毛ではなく、一本の「毛」に非常なものを、親密なものを、あと、決してなくならない情熱を感じる。髪の毛を、この何千本絡まりそして規律正しく生えているこの髪の毛群に指をいれて、特別な一本を指の先でわたし毎日探すんですの。
何時間でも平気。そしてそれを顕微鏡でみるあの至福。

電車で、人の毛を勝手には触ることが出来ないから、見るだけ。
しかも女子の毛を見る。
きれいな髪の毛はあんまり素敵ではない。癖のある毛が好き。
しかも全体にうねりのある種類の癖ではなくて、一本を見たときに縮んでいたり、曲がっていたり、くねっていたり、なんていうか毛先に行くまでにちゃんとしたドラマのある毛がいい。
そういうのを見ると、心が躍る。すごく踊る。そこに秘められたる感覚の海よ。わたしはそんな髪の毛が宿る頭を一日預かりたいと思う。


そういう一本的癖のある髪の毛を一本をぷつんと抜いて、何度も何度も指で摘んで触るのです。
完璧な音もするのよ。
わたしは仲の良い人にはそれを聴いてもらうのです。触ってもらって実際音を出してもらったりするのです。それでほんと、音が聴こえる、と云われるとすごく気持ちがいい。すごく気持ちがいい。指の先のある些細な部分がドラマ毛を滑ってゆく、あの、繊細で、存在感があり、そしてなんとも細胞的な音。すごく気持ちがいい。


電車には本を読む女子と、密接な距離で幾駅か乗合わす。
電車はすごくのろく、眠ってしまいそうである。このままどんどん速度を落として、なんだか止まってしまいそう。日差しが強く、首がずりずりと焼けるようであった。


女子は新しい本を読んでいた。ちくまの本。なんか見覚えある感じ。厚みも。ちらとみたら埴谷雄高の「影絵の世界」だった。影絵。女子はページに目を落とし、しばらくすると宙をみやり、またページを睨み、唇を尖らせなんかぶつぶつと唇を動かし、溜息をつき、髪の指を入れ、わたしがよくする形に近い所作で、手馴れた感じでいじり出した。


彼女の今、髪の毛を触っている指の感覚をわたしは自分の指の先に感じ、こそばゆくなって、目が離せなかった。
ああ気持ちがいい。埴谷の正しい妄想と毛と指が奏でる音楽と、焼ける日差しと膨張する女子。


それらにうっとりしながら、
「毛をわたしが見ている、わたしを見ている毛がそこにある、存在ってゆやあ、どっちも同じ」
在る物はぜんぶ、在る物よ。


それからわたしは巨大な髪の毛を想定する。
わたしは正しく妄想する。

大きな樹のような髪の毛一本。ドラマ毛一本。わたしの前に、現れた。

わたしはそれを両手、手のひらで頬でたしかめ、
どんな小さなおうとつも見逃すことなく、そんなささくれも見逃すことなく、一日中抱きしめるだろう。そして真ん中を割いて、見たことの無い、中に入ってしまいたい。


こんな風な髪の毛への情熱が見させる妄想。
でもきっとみなさんもなかなか説明できないけど、感覚で楽しむ感覚が、あると思うのです。


女子は膨張、妄想も膨張、他人の頭の中身はわからない。
判るのは、存在してるということだけで、それ以上でも以下でもないと、なんかゆってしまいたい。

******


30日は7時に出ます。皆さん、宜しかったら是非聴きに来てください。
「世界なんかわたしとあなたでやめればいい」も歌います。最近の歌です。


投稿:by 未映子 06:33 PM [心と体] | 固定リンク

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純粋悲性批判