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2004.10.27

世界がぱっちん

思い切り舌を噛んでしまってまたもや舌に口内炎が勃発するやもの恐怖に怯えています。
楽しいことをしていたらば夢中になって舌を思いっきり噛んだのでした。


や、や、今日、仕事がさっき終わり、なべちゃんのお誕生日祝い後編みたいな気持ちで乃木坂の韓国料理に行ってきた。なべちゃんおめでとう。いい一年にしてね。わたしがきっと楽しい一年にしてみせます。そんな最近わたしはビールをやめてワインですの。白ワインですの。ビールと混ざったらもうわたし一目散にぶっとんでえらいことになるから今まではビールにだけにしていたんですが、ビールだとなかなか酔わないののよ、だから手っ取り早くいい気持ちになるためにはワインだわって思って、したらビヤワインなるものもあったりして、これ飲んだらわたしどうなるの、でも今度飲んでみる。


今日、ライブに来てくれたキヨミの友達と話して、ライブすごく感動したと云ってくれた。もちろん逆の感想も、想像と違った、とかね、俺好きくない系、とかね、もう色々ありますが、なんせよかった。でも、たくさんの人がメールで、この間のライブでやる気がでた、なんか忘れてたなんか、ガッツみたいなものをもう一回取り戻したとか、そういう単純でありすべてなところ、なんせ元気が出たのだという感想を多くくれて、わたしは本当に嬉しいのです。


わたしはライブで、蓄えや余裕や目論見もなんもいらん、いつもぎりぎりで、何があろうとも何度でも立ち上がり、精一杯でありったけでぎりぎりで生きてゆくんやということを、歌と歌の間に気持ちを込めて話したのですが、
あの時の、そして今のこの気持ちが、一人にでも伝わったんならこんな嬉しいことってない。


色々格好をつけたところで、人前で歌を歌うなんていうのを好んでしている人はみんな調子乗りの自意識過剰者なのです。

音楽に使命があるなんて、そんな俯瞰的な話は出来ませんが、わたしが音楽の力で信じているのは、そんな歌ったり内からなんでか出てきて零れてどうしようもないものを歌うしかなんでか出来ない人のあれこれを、なんでか人々に聴いていただき、聴いてくれた人を、聴いてくれた人の心や気持ちを、どんな形でもよいから、震わせることが、あることである。

すべて人に向かって歌われる歌、音楽は人間賛歌である。思いませんか。

人の力を信じてなければ、人前で歌う理由はないのよ。どんな悪態ついたって、どんなに人々を馬鹿にしたって、そしてどんなに自分をさげすんだところで、人々に向かって歌う理由というのは、恥ずかしいかな、まず「わかって」である。そもそもはうんと恥ずかしいことなのである。全然たいしたことでは、ないのである。それしか出来ない人間の、人生を賭した、なんというかもがきであって、色々な目的があるが、自分以外の人に届かなければ、人前で歌う理由もほんとにない。自分を含めての完全な人間賛歌やと思うの。

そして出来れば、わたしの作った歌や曲や歌唱が、
この誰が用意したかわからん人生の、心熱い、救いであって欲しいと、いつも思ってます。


生きている人の、生きているそのことに、ずがーんと響いて、それで、ああ生きることってベリーハード、でもありったけで頑張るで、ってそういう気持ちに、なって欲しいだけなのである、ほんとのことは。


ああ、世界は素晴らしい音楽で今にもぱっちんと弾けそうですよ。どうするん。


投稿:by 未映子 01:25 AM [音楽] | 固定リンク

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純粋悲性批判