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2004.10.05

「そんなことしたら、地球を壊す!」

雨続くんですってね。今朝は葬式のような空で玄関出たら一面粘土の匂いがしたわ。
友人からメールが来て内容、最近の未映子の日記わたしの周りで不評なの。知るかいな。不評、好評、どっちもおんなじ。
最近銭湯に行くのよ、わたし銭湯育ちですから。上京して初めて銭湯に行ったときはびっくりしたわ気合のなさに。このやる気のなさは何やねんと次の日別の銭湯行ったけど同じ。なんでやの、活気がないし充実度が低すぎる。東京では、そしてこの地域では銭湯の需要とはこんなもんなのねとリラックスのリの字もないまま出てきたのを覚えてます。まずサウナがないでしょ。あっても別料金でしょ。大阪には大体あるよサウナが。この差は大きいわ、めっさ大きい。家に風呂があって銭湯に行く理由はご家庭では味わえない何かなんでしょだったらサウナでしょそれがないんだから詰まらん。
でもとうとう、わたし少し遠いんですどいいお風呂屋を見つけたのよ。綺麗でびしっとしててなんか床が光ってる。いつも人が沢山いてなんか昔みたい。最近は行く時間決まってたからいつも顔を合わせる人が居てでも話はしない、なんか女の人って身体の形、全然違うなあ、いつも感心、白濁のゆるい湯に顔だけ出してわたしは人々の身体をじろじろ見るのである。すごい太ってる人、ものすごい針金のような人、毛のすごく濃い人、殆ど風にそよぐ感じな人、太ももに毛の生えてる人、眉毛がくっきりアイメイクの人、まつげひじき状の人、全身虫刺されひどい人、色々よ。胸もお尻も腰の線もほんとに全然違ってて面白い。大体胸の大きな人は先端が水風船に8分目くらい水を入れた形状に似た感じになってるのよね。ほいで誇らしげに湯船に浮かんできたのをちゃいちゃいと湯に浸け戻したり。わたしひゅうと口笛吹きそうになったわ。胸の小さな人と大きな人の銭湯における割合はわたしからすれば半々である。大きさというよりは形なんだな、好みって。あと色か。ううむ。大きな人でも靴下を下げたようになってる人もおったしなあ。大きい人はそういう意味では大変であるな。歳がゆけば肉も落ち下へ下へ誘導されるのだから痩せてしまってべろんと靴下にならぬよう、大きな人は筋肉を発達させなければならないなあ。若いうちはテンション上がるが後も大変ですね。ハイリスクハイリターン・逆、ですか。そういうえば鏡の前ですごい形相で筋トレしてる人がいました。手で横顔をガードして両隣から隠してるんですけど鏡で湯船から全部見えてるんですよね、間抜けでかわいかったです、美への執念が上下する胸の筋肉に反映されておりました。その人の胸も大きかった、でもちゃんとまるくてボールのようだった。それに何も胸やお尻の形だけじゃなくてさ、じっとみてたら裸のこのシュールな空間は面白い個性ばかりであります。意味不明の動物の刺青を尾てい骨あたりにでっかく入れてる人、なんか熊みたいにも見えるし河童にも見えるやつ、絶対に昨日噛まれたに違いない内出血のすごい跡がお尻についてる人、ずっと鏡見てずっと座ってずっと笑ってる人、くるぶしばっかり親指でこすってる人、次から次に人の背中を洗っていく人、もうなんか頭が痛くなってくるのである。面白いけれどなんかが風呂場狂ってる感。や、こういうわたしも傍からみたらばどんな風にして入浴してるのかは知らん。や、けっこう挙動不審に思われているのかもしれぬ。すごい熱い湯にもすごく長く浸かってるし。

ところで、銭湯には絶対行かぬと云う友達がいる。なんでやのと訊くと、不衛生だというのである。ほお。見知らぬ人々が浸かる湯にはあたし絶対絶対絶対無理。それに、と彼女は云う、絶対に誰か湯船の中でおしっこしてる。してるに決まってる。そんなみすみすおしっこ入りの湯船には入れない。
どうですかね、実際どうなんでしょうかね。
わたしも反証不可能なことを色々思うのは好きなんで湯船に浸かってるときにそういうこと考えなくもないですけれど、わたしが湯船では勿論おしっこをしないので、多分皆んなもそうではないかと了解しているので湯船に入ってるんですけど、件の彼女、実は彼女は以前湯船でおしっこをした経験があるのではないか。ふふふ。
「在り得る」、と現在思うことは経験として過去に在り得た事ばかりである。自分がした経験によって、彼女は「湯船にはおしっこが入ってる確率があるんだ」と思ってしまうんではないでしょうか。どうでしょうか。今度訊いてみよう、なんて答えるか。わたしは別にそんなのどっちでもよくって、わからんことはないものとして全然どうでもまったく宜しい。こういうところだけ実証主義なきらいがあるなあ。
でもこないだ、アメリカのアンケートで、「シャワーの最中におしっこを済ませる人は実に60%超え」という結果が出たそうな。どうですか皆さん、これは多いんじゃないですか?面白いよねえ、人のなんか行動規範って。

熱い湯に浸かりながら、倫理というのは、
「浴槽でおしっこをしないかするか」ということにも端的に表れるのだなあと思いました。
銭湯で、もしくは自宅の浴槽で、(絶対にバレない。トイレに行くの、面倒くさい。お湯は白濁、絶対バレない)
というこの状況で人はどのような行動をするのでしょうか。自分にとって気持ちよいことを人はするように出来ているので、ああこれやったらまずいかなあまずいよねえでもいけそうやしなあ、少々理性に後ろめたさが残っていても、このような絶対バレないなどという状況下では気持ちのよいことをやってしまうのではないでしょうか。

問題はそれを気持ちがいいと感じるかどうかなのである。自分が出来るかどうかなのである。平たく云うと犯罪、殺人などもそうである。おしっこと殺人を並べるのもあれですけど原理的には同じである。だから法律で殺人は禁止されているのにも関わらず、今日も各人の感情や状況の都合で沢山の人が殺されたりしているのである。違う、殺したくて殺したんじゃない、盗みたくて盗んだんじゃない、という人もいるんでしょうけど、行動出来たということはその人に出来たということなので、事故等を除けば、やっぱりやりたくてやったことになると思うのです。逆にどんな状況でも殺人をしない人もいるでしょうし。ううむ。その、「善悪」とは、「行動規範」とは、そのラインはほんとに何処にあるんでしょうかね。しかも自分の中でも微妙に変化したりするしね。思い込ませる教育しかないのか。や、先天的なものかどうかもこれもね。

まあ銭湯とはゆっくり物を考えるには気持ちよくて向いてないので、あんまりでしたけど、
こうやって考えると、全人類が「これはやったらあかんやろ~!」って突っ込めるような「悪」ってあるんですかね。もう全員が。「あ、すんません、それは絶対、無理す」って思えるような。そういうどんな悪人も習慣を持つ人も、もう全人類がびしっと「勘弁してください、それだけはやりたくないす、それやったら自分終わりす」ってゆうような、絶対悪みたいなものは、ないのか。ないのかも。ないなあ。だって誰か、誰かっていうか隣の国の暴れん坊将軍が、「そんなことしたら、地球を壊す!」とか、ゆってたし。

「地球を壊す!」やで。や、壊すんだからね。すごない?わたしはあああああああああああと思ったもん、すげええええええええええええって思ったもん、わたしこれ聞いた時さ、なんかめっさ初めて味わう違和感があってさ、や、何回も頭ん中復唱したからね、地球を壊す、地球を、壊す、ちきゅうを壊す、壊すって。ドラゴンボール?人間が地球を壊すって真面目にゆってる!ゆってるわあ!と友達に興奮して電話したもんね、この意味わかる、この違和感わかるかって。興奮したもんよ、すごい発想やで、発想というか想像力めっさあるんかめっさないんかもう判断不可能。大体「地球」と「壊す」をさ、主語と動詞で,、や、目的格?主語欠落?まあ結ぶ感覚がさ、なんていうかすごいよね。や、すごいというのではないか、単に前人未到というかえ!みたいな。なんというか。「なあ、地球上であんたの肉体が占める割合とかって考えたことある?」とか訊いてみたいけど多分地球ってどっか自分とは別のとこにあると思ってるような気がする。何となくする。断然する。誰かが小さい頃からそんな風に教えてきたような気がする。それで比喩じゃないところがまたキツいわ。「僕の自意識は宇宙を飲み込むの」とかじゃ全然ないわけよ。ゴリ本気なわけよ、壊せるって思ってるんよ、どうなん。地球壊すって。これ以上に取り返しのつかんことって他に何があるねん。まあ取り返しのつかんことに以上も以下もないが。ほんでちょっとだけアイツやったら壊したりするかもってとこが微妙で。やらかすかもみたいな。あながちおとぎ話でもないところが。ショッキングでした。ショッキングでした。


「そんなことしたら、地球を壊す!」
これ、実はわたしの中で去年、一昨年でしたっけ、一番インパクトあった言葉でした。

投稿:by 未映子 08:57 AM [心と体] | 固定リンク

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純粋悲性批判