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2004.07.02

本棚と生きて

皆様いかがお過ごしでしょうか。わたしは、暑い。し、鼻の奥が痛いしで、
クーラーは駄目ね。テキメンね。調子狂います。

明日からまたもや大阪。大阪。
どっちにも住んでるっていうか、生活経験があると、友達も両方におるわけで、
感覚がどっちもどっちなんですね。大阪に対して地方感覚がまるでないのです。同じ生活のメイン場としての濃さがあるのです。そしたら今どっちにいてるのかということが不明瞭になってしまう一瞬があって、まあどっちかに居るのは確かなんでどちらでもいいんですが、この間は東京の友達と大阪で会う約束をしてしまった。もちろん大阪におるわけもなく、頭こんがらがり、非常に困った。

昨日、一昨日と、友人が以前本棚を作ってくれたのに重すぎる腰をあげあげ本を詰める作業をしましたが、全然はかどらず、気が滅入る。うんざり。でもまとめて捨てる気にも当然ならず、あ、・・・これ、・・・あ、あ・・・・なっつうー、・・・(←懐かしいの意)とかで、さらに全然全くもって進まず。そんなこんなで滞り激しく、休憩。に次ぐ休憩。さして食べたくもないのにパスタなど作ってみたり実家の母に電話したり修正液でコップ磨いてみたり。悔しいほどにぴかぴかになるのもなんだかなあ。そうこうしつつ、ひるみながら、でもなんとか。やった。未映子はやったったで。泣きそうになりながらやっと本は詰まった。平積みから背表紙が見えるまで。長かった。けれどようよう詰まった。よかった。長い間、ほったらかしの散々にしてきたので、本の量たるやすんごいことになってるのでないかと多少びびっていましたがきっちり収納するとどうしてなかなか少ないではないか。ええやん。めっさええやん。こう、無駄のない身軽な装いに、なんか分別のある大人の感すらする。本棚ってすごい。収納って、抜群にすごい。わたし、驚いた。わたしという人間の中の一番低かったどこかのレベルが3センチ上がった。すごい、過去のわたしにえいと胸張れる気分。そして本棚を見つめること数分。素晴らしい。一冊手に取り頁を繰れば、そこは死人生人問わず自意識渦巻く魑魅魍魎の酒池肉林、真実も妄想も狂気も論理もごった煮の異次元であるのに、それをひた隠すこの涼しげな佇まいをみよ!もう、ほんとに、憎らしいくらいにあっさりしたものである。本棚ってすごい。大好き本棚。丈並み揃った憂慮正しい書物を凝視めると、不快指数80%のこの部屋も眼の奥のほうから咽喉にかけて涼しいったらありゃせん気が抜けてゆくのである。俄然すっきりしたものである。みよ!極彩放つ誇らしげな活字群を!みよ!彼らの燦然たる低姿勢を!
まったくもって、本棚の威力にうっとりの今日であります。

でもね、写真の整理なんかと一緒やと思うねんけれど、本の整理もなかなか人の回顧趣味心をくすぐり、なかなか手につかんよね。ときにCDの整理、わたしはそんな多くないけど、持ってる人ってすごい持ってるやん、それこそ何百枚とか何千枚とかやん。そういうのって整理するときにさ、大変よね。逐一聴いてまうやんな。音楽なんか嗅覚とよう似てるしさ、フラッシュバック激しく思い出の土石流、こっちに無事に帰ってこれるんかしら?
わたしも本を整理してるとね、こんなことあんなこと、思い出すのよ。
登場人物に思い入れひとしおの場合なんかさ、なんか晴れすぎて無音が痛い盆前の墓場に行って死んだ人の骨壷開ける、じゃないけど、なんかすっとね、静かな誰もおらん、なんていうの?ちょっと説明しにくい次元に降りてね、結局思い出なんか何なんか、よくわからないけれども暖かくて懐かしい、語り合うべき大切なものと対峙してるような気持ちになります。相手はもちろん文章として、もしくは印象、行間として現れるねんけれど、本に生きている個々の魂というのは不思議な存在の仕方をしてますね。そしてその存在は生きるも死ぬも存在するもせぬもこのわたくし次第というからくり。

そしてそれはそのまんま人の世にだって当てはまるんですものねえ。人と人の認識。認識。認識のからくり。不思議。それこそは奇跡というものではなかろうか。(←とまあこのあたりのことを7月7日発売のアルバム「夢みる機械」収録の<千と一夜の奇跡>という曲にうんうん唸って書きましたので是非聴いてみてください)

そんな遥けきノスタルジーに漂い、尾崎翠なんかを手にとると、そうなれば町子とわたしの区別がつかんくなって、困るね。あの部屋が本当に、わたしの世界にはあるのよ。ヘッセの「デミアン」はわたしが一番愛している本で、岩波版ね、すべての文字が愛しい。まさに今呼吸し初めんとす自意識が身体の未熟に追いつけずに、まこと苦しい夜は何度も何度も降りていったものです。額にしるしのある。デミアン。彼は未来永劫わたしの麒麟児であります。太宰治文学は青春のはしかなどと云うけれどなんともったいない。今読んでも確信犯、その文章の上手さに毎回発見があります。単純に面白いのです。月刊ソングスに以前太宰についての少々長いコラムを書いたけれども、太宰は「基本的人権の滑稽さ」をきっちり押さえてるのです。そういう人の文章を読むのはこれ、精神衛生上すこぶるよろしい。笑いが救い、いつだってまともで正直な人は、お道化てないと恥ずかしくて死んでしまうのです。三島が太刀打ち出来ぬ、それ以上は後退できぬという極限の正直さというものが、治ちゃんにはあります。
まあそんな風に整理しているとね、ときどきぷっと挟んであるメモとか見つけて、内容は100%意味不明、即刻死にたくなったりするのもまた一興。

そんなこったで日が暮れました。
明日からまたもや大阪。ラジオの仕事でフットボールアワーのふたりに会いに行く。気分も上々。大阪の楽しいひと時なのです。
しかし、新幹線が、ほんとに疲れるの。結構乗ってるからなあ。いわゆる電磁波かなあ。
「飛行機の方が体にいいんよ!」とある友人はかねてからわたしに訴えるんですが、
そうかも。でも飛行場、遠いのよ。
飛行機はやっぱし苦手やけど、
新幹線だってこんなに乗ると、ちょっと厳しいものがあります。
なにかいい方法はないものか。ないな。

追伸!
7月11日までやで!奈良原一高の写真展!行ける人は超絶、オススメ!

投稿:by 未映子 01:00 AM [書籍・雑誌] | 固定リンク

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