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2004.06.25

台風、奈良原、顔、笑い。

台風一過を夕方に目撃出来たのはおととしである。
今回も台風は去っていったが夜中だったので、あの龍のようなたなびき、わななき、
文字とおりドラマティックなあのまるくそして長方形、そして極控えめに申し上げて、無限、台風一過の夕暮れ、逢魔が時、今回は遭遇できなかった。台風の暴腕の後のなにかしらの恩寵、それは黄昏にあり。
台風の後の夕方、西の空。でらでら美しい。

渋谷で打ち合わせたあと、(世界は打ち合わせで今にも弾けそうであります)
時間が空いたので、今しかないと恵比寿に着。奈良原氏の写真展があるのでありました。
うだるような暑さ、恵比寿ってなんかむずかしい。

見ごたえありすぎ。盛りだくさんであった。はっとしどきどきし、初期のモノクロは初めちょっとだけしんどくなるのだが、それでも堪えて集中してゆくと、ふっと肩の緊張がとれるポイントがあった。中心を凝視めるゆえにぼやけていた輪郭がふわっとこの眼球に染み込んで来るのであります。それは優しさであった。そこからはただ懐かしいような、すべての想い出が悲しみと分離できぬように、常温の涙腺が震えながら奈良原の視界を縁取る。それを全然関係のないこのわたしの眼球がとらえる。パリ、ベネチア、ニューヨーク。
あの時この時あんな時間。奈良原にとってのカメラはポータブル・タイムマシーンだった。
写真はそうね。音楽もそうね。文字もそうね。記憶は。

わたしはいま、思い出を生きてるのか今を生きてるのか、厳密に断言することなど誰にも。

地下からあがると、会場はプールのにおいがして、ちょっと悲しくなる。手のひらがじんとした。わたしは靴ずれが気になって、エレベーターに乗って、帰途につく。


昨日は急に自分が作ったトマトソースのパスタが食べたくなったので作った。
でもなんか、あんまりおいしくなかった。あかんわ。なんか勝手が違ったんかなあ。今日もう一回つくる。明後日からはまた大阪やから材料を余すのなんか勿体無いやん。

今日渋谷に出る前に、だいたい家からは、まあ手段にもよるけど最速10分くらいで着くので、準備に追われながらまだいけるまだいけると引き伸ばしていたらば、結局遅れる。まあ少しであったけども。で、なんでか点けてたテレビの、あれはなんの番組かいな、ワイドショーの中のなんかかな、セレブのなんとか拝見みたいな番組で、支度しながらそのセレブの顔とインタビューを見てて、「今日のファッションのポイントは」とか、「この業界で一番顔が広くていらっしゃる」とか、「あんまりこういう言い方したくないけど、そうですね、これはほんの・・・・一部ですね」とか。そういうのをテレビに向かって誰かが真剣にやってるのをみてしんどくなった。そういうことをギャグとしてやってくれればいいのになあ。セレブなわたしを笑ってるわたしというかさ。ゆうても物やで?なんでそんなご満悦やねん。常に自分を笑ってる人がわたしは好き。人間の滑稽さを知ってる人しかいらんのよ。人間やからすることはそんなに違わんやん、まあ一緒でも、すべてが茶番であることを知ってるのと知らんのでは、人間の位がわたしにとってはめっぽう違う。笑いってそこよ。そこなのよ。笑いってほんっま大事やのよ。笑いだけが救いなのよ。笑いがないと恥ずかしくて死んでしまうのよ。その意味ではわたしだってヴォネガット信者やもしれん。お道化お道化で何十年。シリアスなんか、独りの時で、もう充分。
ド頭から真剣なのってどうよ。真剣なんがあかんのじゃなくって、痛い痛いねん。真剣さというか自分のやってることに酔いながら真剣さに浸かってる人って見てたらめっさわらけんねん。照れるねんなあ。なはんか。そしてそれを受けたスタジオの人も、「流行に左右されず、ご自身のポリシーをきちんと確立されているところが素晴らしいんですネ」とコメントしたりなんかして、へえ〜、と思うのと同時に大変な仕事やのお、と同情した。あ、でも好きなんかもしらんから同情は余計でしたか。

とまあ、今からトマトソースを作る。うまく出来るかなあ。

あ、そうや、先日、心斎橋のヴァージンメガストアでインストアで歌ったの、聴きにきてくれた人、ほんとにありがとう。通りすがりの人もありがとう。人もめっさ多いし蒸し暑くてぎゅうぎゅうとなってちょっと待たせたしおまけに歌も暑苦しいわで大丈夫でしたか。
サイン会も下まで並んでくれて本当にありがとうございました。

ほんでな!友達が聴きにきてくれてんけどな、あとからめっちゃ嬉しそうに電話があって、笑いすぎてちょっとまともに喋れてへんねん。
「ちょー。あんたやばいって(ゲラゲラ)あんた顔やばいって(ゲラゲラ)ちょっとマジ最後の曲な、ちょっと、あーかっこええなあ、なりふりかまわんとこう歌ってるのってなんか人の目とか気にせんとかっこええなあって思ってたんやんか(フーフー←落ちつけてる)そしたらな、もうな、なんか一瞬すんごい顔してな、もうすんごい角度でな、(ゲラゲラゲラゲラ)もうなんてゆうの、唇とかぶあつくて怖いってゆうかもうマイクとか食べる勢いでな、放送禁止の顔やねんって!あれ子供に見せたらあかんって(ゲラゲラ)やーあんたマジすごいわ、あーすごいあれはすごいほんますごい。あの顔は、ちょっとは可愛くとか、なんかそういうの気にしたほうがいいで、あーしんど、くるしー、まーとにかくよ、わかるー?はあはあお腹痛い、あははん、スタッフの人らもさ、な、一生懸命やってくれてんのにあの顔は、まずい、っていうか、はあはあ、あかんよあかんで、きいつけて、」プッ。←電話切る音

という勢いのある電話を頂いて、(わたし相槌しか打ってないしな)
顔のこといわれても。歌ってるときわからんやん。そら基本的には面白いやろ、人が真剣にやってるの黙って見てたら。しかも友達が。
でもすごい、違うところでめっさ楽しんでくれたみたいやからよかった。

投稿:by 未映子 01:00 AM [文化・芸術] | 固定リンク

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純粋悲性批判