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2004.04.30

アイスクリーム戦争

特に、ということもなげに夕暮れ。
今日は午後、暖かく、淡く、人々の声が遠くから、
鯉のぼりがはためき、よちよち歩きの子供ら、犬、笑い声やなんや、
またまた公園を横切り、帰ってきたのよ。

今、散らかりすぎた机の上をちらちら見ながらキーボードを打ってます。
領収書、指輪、MD、えー、フェリア、これは頭痛薬、筆箱、これは高校生の頃から使ってるやつ、ほんで腕輪、扇子、ガラスのブローチ、花瓶、えー、鍵、手紙、書きかけの、でっかいハサミ、レースのお財布、紙いっぱい。チラシもいっぱい。毛皮族、電池、オノ・ヨーコ、のり、球体関節人形展の半券、そしてタイム・オブ・マイ・ライフのチラシとパンフレットが。

そうそう、これよかったわ。

先月の中頃行ったんですが、好みであった。
東京オペラシティでやってた、あ、まだやってるな、絵画展なんですけど、
難波田史男という画家がメイン。1974年に32歳で夭折した。彼の作品をそのギャラリーがようさん持ってるのな、それで没後30年記念の展覧会。彼以後の芸術家の作品がいっぱいあった。10人くらいかな。
「永遠の青春」がテーマ。なかなか見ごたえがありました。

難波田氏の絵は、初めて見たけれど、青春というよりは、子供。幼児性。
細い線で細かいこと描くねん。っていう箇所がある。
よくアウトサイダーアートとかいわれる人らが描く絵ってさ、なんてゆうか、特徴は様々あれど、細かいやん。細かく描くやん。描きたくなるんよ細かく。意図っていうんか、いわゆる客観が希薄で、あらゆる検証がなくてさ、強迫観念に描かされてる感あるやん。何がなんでも四角を描き続けるとかさ、いくらが絶対とか。つぶつぶか私かみたいな、そういう一心不乱型。

難波田氏の絵にも多分そういう性質が濃いから青春なんて微熱?な括りやねんやろうけど、
ところがばーんって結構でっかい絵が多くて、ってことは体力があるのよ。絵に。
つまりは表現の発信源に体力があるの。
そしてそれには空白が結構あるのな。
引いて見たときに、その空白がな、
色も淡いのやらしっかりしてるのやら色々のってて白い面は少ないねんけど、
空白がな、白いねん。ただぼんやり白いねんなあ。
それになんか泣けてきた。

それは、どうしようもないくらいに非力で、意志がなくて、ぼんやり、
いっつも待ってんの。さみしくてもさみしいって意味をまだ知らんの。
ただなんか胸がそわそわするの。言葉が十分じゃなくて、胸に、いっつも見たままが投影されてて、それの意味もわからんのよ。ぼんやりとしてて、いっつも待ってんねん。
いっつも待ってんねん、いっつも。
わたしが8歳か9歳ごろにみてた世界の印象が絵になって、
ここになんでかたくさんあって、いっぱいいっぱいあってな、
初めて、この絵がほしいなあって、思った。
近くにかけて、一緒に生活できたら、それはどんなになにか、
失ったもの、失ったものに、
もう一度さわれるかもしらんという、淡い、希望というか、あきらめが、
よぎったんでした。

ほんで難波田氏の絵を見てる間中ずっと、
小学生の時に学級文庫でみつけてずっと大好きやった「アイスクリーム戦争」っていう本を、話をずっと思い出してて、アイスクリーム戦争、アイスクリーム戦争って。
どきどきして、最後はシャーベットで勝つんな。

見てる間中、わたしはどこを切っても8歳、
蝉、ラジオ体操、キックベース、大人の不穏に紛れてうつむいて泣いたり、
捨てられた犬といつもどうしても離れがたくて、夕立はひとときの自由、
労働の匂いとおかあさんのつっかけ、罵声、喧騒、たまごやきの匂い。
ドラえもんの歌、玄関を叩く音、こわい、夜がくちを大きく開いて、
わたしは大切なランドセル、すみれ公園のくじらの中でこっそり文字を追って、
涙が出るほど鮮やかな、アイスクリーム戦争の中にいました。

そのほかは奥村雄樹氏という方。髪の毛、陰毛、唇の皮、爪、などで、オブジェを作ってた。オブジェってゆったら怒られるかな。嗜好とコンセプチュアルな品々。
例えば陰毛を透明のビーズに通してテーブルの上を敷き詰めたり、
唇の皮をはっつけてストローをコーティングしてたり。
陰毛というのは、これあんな大量の陰毛は、あんまし見れないね。
しかもビーズにとおった。ううむ。
嬉しくて嬉しくて文字とおり嬉々。そわそわしながらじっくりみたけど、
生理的に非常に近しいものを感じました。臍のうら、かゆかゆ。

もし興味沸いたならば行ってみてはどうでしょうか。
5月9日までですってよ。京王線の初台駅降りて、字が読めたら誰でも辿り着くことが
出来ます。


他人の実感に口を出すことは出来ない。
よって、比較することも原理的には不可能、なはずが。
問題は、実際には他人の実感は、自分の実感でしかないということ。

痛くもないけど、過ぎてゆくものばかりが美しいというこの世界にも、
もう、なんだか。
飽きるとか散々、などということではない、条理。

投稿:by 未映子 01:00 AM [文化・芸術] | 固定リンク

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純粋悲性批判