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2004.03.12

様々なる嗜好

病院はなんか、小さい時は肺炎やらなんやらで入院してたのが多くて、
色々思い出し懐かしかった。熱さえ下がっていればあとは健康体なので、
高熱と高熱の間に食事をし、昆布を食べ、
スタッフと院内を歩き、昆布を食べ、笑かし、トイレを済ませ、本を読み、
ごはん、などなど、
高熱持ちの生活パターンがいよいよ確立、というときに、退院。
これからが勝負、という時に、何事も無かったかのような感じになって。
今じゃまるまる健康体。
咳をしクシャミすればあんなにも激痛、戦慄いたわたしの背中は何処にいったの。

抗生物質をこれでもかと点滴した。
最近の針ってばプラスチック製で、針じゃないのよ。だから3日間いれっぱ。
で、液体のほうをどんどん変えていくのよね。効率よし。
わたしは、体から出るもの、出たもの、今まさに出やんとするものに対し異常な熱烈な、決して冷めぬ愛情を持っているので、その点滴グッズを持って帰ってきた。くす。

その、プラスチックの針が体の中に、入ってたかと思って、針先をみるとね、
なんというか、こう、腹の裏からこう、笑いが止まらん。ほんとに。
苦しいくらいに気持ちがいいの。大好き。
こないだスタッフの岡本氏が健康な歯を抜いたのだといって抜いた跡を見せてくれた時のあの興奮たるや!たまらん。ほんまにたまらん。何なんでしょうか。毛穴とかね、毛根、ニキビの内容、もう、大好き。顕微鏡でみるのもええ。マネジのなべたんには強制的にいつも、通称アホ毛とでもいうんでしょうか、すんごいのを見つけて抜いたやつを触らせるのが好き。触ってんのを見るだけで腰が砕ける。初めは断固拒否してたけれども、うちの母親と同じで期待に応えてくれるようになって、快哉!ド快感。
でね、歯の話に戻るけど、
是非、是非に、その抜いた歯の方を、わたしに見せてくださいよ、と、くれ!っつうのはあんまりなんで、地にひれ伏す勢いで見せて下さいと懇願したんですけれどもドン引きされて、有り得ないと。気持ち悪いと。こう一蹴されてですね、
引き下がってるんですが、今非常に、どうにかしてその抜いた歯をですね、
見たいんですけれども。触って凝視したいんですけれども。
このわたくしを構成する全細胞でもって希求しているんですけれども。
こんなけ云っても駄目ですかね岡本氏。
10代半ばの健康的な男子の性欲ってこんな感じじゃないのか。お願いですから、って感じで。
10年くらい前に抜いた、わたしの立派な親知らず。これはほんとに立派な歯で、
今でも大事に大事にとってあるの。綺麗なのよ。根がくっきり4つもあって、真っ白で、もう、なんていうの、手触りもね、大粒でうっとり。うっとりよ。それをね、実家に帰って見るのが至福。色んな角度で、色んなふうに。マジで至福。昇天。見飽きない。
母親も今では、わたしが帰ってきたら、「あ、みえちゃんこれ」っつってさっと差し出す。うむ、っつって受け取る。愛でる。愛でまくる。ちゅっと吸ったり噛んだりもしてみる。また昇天。わたしうっとり。母親も隣でうっとり。人生の最高の瞬間であります。

今日は病院で読んだ(わたしの部屋からなべたんが何故かこの本を持ってきたので。しかしなんでやねん)三島由紀夫の「鏡子の家」に大変に面白い箇所があったので、
そこについてべらべら書きたかったんだけども、
生身の嗜好感覚にはまると、もう駄目ね。
三島のオモロイ筋肉のくだりのとこが霞んじゃって。
三島由紀夫はなんといっても「春の雪」と「天人五衰」に尽きるんですが、
みんなどうですか。三島イノチの人って、どのあたりが面白いの?どのへんに惚れてんの?
いや全部面白いんですけれどもね、
あれかな、大阪気質のわたしはやっぱちょっと、おもろいってゆってる感覚が、
やっぱ三島由紀夫つかまえてあれなんですけれども、ギャグっつうか、ギャグとして汲むっつううか、なんかその辺の絶妙な笑いがたまらないんですよね。例えば、筋肉がどれだけ大切かっていうことを小説の登場人物が精緻に語るくだり、


・・・(前略)しかし断じてそれだけではない!筋肉は決してそれだけのものではない!(武井はふたたび張り切ったシャツの下で、胸の筋肉をうごめかせてみせた・・・)中略、・・・悲しんでいる筋肉の悲しみをみるがいい・・・


抜粋じゃわかり難いけれども、
や、凄いです。や、凄いなあ。悲しんでいる筋肉の悲しみ。どうよ。筋肉の、悲しみ。
これをあの三島由紀夫が書くっていうのが非常ですね。
内容も男女7人夏物語みたいなとこあるし(見たことないけど)。
でもね、悲しいかな三島由紀夫は、「面白い」の。どうしても笑っちゃうのよ。

三島の創作は何処を切っても三島が顔を出す。出て来る人格はすべて三島。三島が切羽詰ってノッてくればくるだけ面白い。三島の醍醐味ってわたしにしたら「笑い」です。葬式に笑ってしまうのはこれよ。あらゆる葬式なんかふっと気づいたら爆笑やん。緊張と笑いの表裏一体。三島の旨みはそこです。社会は「ごっこ」なんです。経済然り宗教然り対人関係然り。三島の殆どの文章の生真面目さ、矮小や文学や恐怖に対する神経質で真摯過ぎる態度と文体が、人生を賭して羅列した高級な「ごっこ」としてわたしをこんなにこんなに笑わせるのよ。

「ごっこ」。別名「言語ゲーム」。すべての営みの最中にそれに気づいたらあかんの。
気づいても抜けられっこないから性質が悪い。で、直ちに呼吸困難。
あらゆる「ごっこ」は、生きると決めたら遣り通さねば。
真剣さが増せば増すほど、
その真剣さが大きくなればなるほど、
人々が疑いもせずある概念に夢中になっていけばいくほどに、
ぷっと笑える、この視点。
この茶番の法則。
共同幻想の原動力ですね。概念の正体とはつまるところ、これ。
これは不謹慎などではなく、世界を表象する事実であります。

それにつけても「春の雪」と「天人五衰」の緊張感と礼節は素晴らしい。
読者は繰り広げられるあらゆる「ごっこ」に気づく余地がない。
「豊饒の海」に籠められた流麗たる感情と時間への聖諦、
言語の限りを尽くした俯瞰は、この世のものとは思えぬほどに美しい。
この稀代の美の構成は三島がその感受性のすべてを叩き鍛えあげ、手に入れた、
彼の眼でしか見えぬ「生」の原風景である。
文字通り、絶品。

その他はね、面白いの(笑)、駄目?くどいね。

あと病院で気づいたことがあって。
普通さ、街中とかどっかのトイレとかでお腹が痛くなって駆け込んで、えい、っていう時あるやん。でもな、どんなけお腹痛くてもさ、おならとかさ、そういう際に発せられる音って聞かれんのって絶対恥ずかしいやん。めっちゃおそるおそるするやん。人がおるしさ、まあわたしはめっちゃ恥ずかしいの、聞くのはましやけど聞かれるのが。
でもな、病院やったらな、全然恥ずかしくないことに、気がついてん。むしろ誇らしい気持ちで堂々と、一切の遠慮なしに用を足せる自分に気がついてん。
その音を誰に聞かれても、「ええ、これは生理現象ですから」っていう免罪符っていうか親方っていうか、そういうのがなぜか病院ではすこぶる有効なのな。じゃあさ、なんで街中では無理なわけ?生理現象はどこでも生理現象やのにさ、なんで街中では意識が違うのかしら、ってことを夜中39度の体で生ぬるい便座に座りながら思ってました。
あー・・・やっぱあれやな、
街中ではわたしも含め、やっぱ気取ってんのか。それだけのことか。
人々、ちゃんとお化粧して、気に入った服きてこれからデートです仕事ですーっつって社会をカツカツ歩いてる時に、
あの生理現象はせっかくの気取り・武装の幻想をぶち壊すのな。
そうか。社会生活では何よりも気取りが先立つのな。
にんげんってたいへん。

「街中でコケたら何故恥ずかしいか」っていうのはわたしなりに答えが出ました。機会があればまた書きます。

ああ、様々なる嗜好。

わたし、人のなんか、えー!っていうような嗜好・趣味を聞くのが大・大・大好きです。単にグロいのとかどうでもいいのは要らんけど。
ユーモアっていうか、
なんか親しみのある、聞いても「それ、わから〜ん!」って快哉を叫べる、
そんな嗜好がいいですね。

決して他者に理解されない何か。共感など笑止。
それこそが、オリジナリティ。

投稿:by 未映子 01:00 AM [書籍・雑誌] | 固定リンク

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