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2004.03.01

曖昧な、あまりに曖昧な

わたしはとても毎日夢を見るので、それにはもう慣れたんですが、
ほんとに濃ゆい感覚でみるので、
人生がふたつ、現実がふたつ、ある。
違うのは、ルールが違うのと、死んだ人や会ったこともない人に会うとか、
まあそんなところ。非論理。いや、そうでもないか、
しかして、何でもできるところ。飛ぶのがいいわ。
だいぶん前の脳内遊園地のなんとかってとこでも書いたけど、そういうこと。
好きな夢をみる訓練というのも体得して、14歳のころはハマッてた。
結末が気に入らんかったらもう一回続きから入って、
それから納得いくラストにしたりしてたわ。

で、まだ学生の頃に、友達とふたりで海にいったことがあって、
疲れたし塩水でべたべたやし、もう帰ろかということになって、
夕方やで、とかゆって砂はらってたら、ちょっと犬がね、けっこう大きめの雑種の犬が、
狂ったみたいに、波にぶつかっていってんのん。ざばーんと走ってって。
で、またぶわーって浜に戻されて、それでまたぶつかりにいってんのんよ。それを口から泡吐きながら一匹でなんでかようわからんけど、ずっとやってるわけ。で、なあなああれみてみーとかゆうて、
ちょっと離れたとこから二人でみててんけど、終わる気配がないのよ。
あれ飼い犬?有り得んやろ、まあな、とか言いながら、
ちょっとしばらくそこからみててん。で、そうやって見てるうちにな、
なんかちょっとかわいそうっていうか、
怖くはなかってんけど、ずっとそんな風にやってるしな、なんか苦しそうやねん。楽しんでるっていうか、遊んでるっていう雰囲気じゃなかってんな。犬がな、なんかわたしらに頼むわ止めてくれ、ってゆってるように見えんくもなくて。それでうーんって二人でゆって、近寄ってってん。
で、犬、波に押し戻されて砂浜に転がり届けられたところをキャッチして、
友達とふたりでがしいと抱きかかえてん。そしたら初めはぐうぐうゆってちょっと暴れててんけど、だいじょうぶだいじょうぶー、とかゆって体をさすってたらちょっとづつ落ち着いてきて、静かになってん。

で、おなかがなんか異様な形に膨らんでんのに気がついて、
えーなにこれ、とかいいながらさ、何入ってんのよう、だいじょうぶかあ〜とかゆっておなかをさすってたら、グエココ、グエココ、って犬が吐く前のあの音がしてな、
あ!吐くわ、この子なんか吐くで、とか言いながらさすってたら、
皮ごとぶつ切りにしたバナナがコロコロ出てきてん。
えー、みてみ、これなに、このまま食べさせられたんやわー、ほんまやわ、
マジで、噛んでないってゆうか消化してないで、無理やりに喉に突っ込まれたんかもよ、ってゆって、
全部吐きー、全部吐きーってゆって見守ってたら、
またぼとぼとっと皮つきバナナの塊が落ちてきて、
全部で6個ぐらい出てきて、うわー、そら苦しかったはずやわー、波にぶつかって吐こうとしてたんかな、とか、よう窒息しやんかったなあ、よかったなあってゆって、
それでやっと犬も楽になったみたいで、あー、全部出たみたいやわ、よかったなあ、うん、よかったなあ、あんときやっぱこっち来てよかったんちゃうん、とかで、
ほんならもう行きーって犬にゆって、犬もどっかひょろひょろ歩いて行って、
でももう波にぶつかりにとかはいかんくて、ちゃんとどっかに行って、
ほんまによかったよかった、で、
わたしらもほっとして、それで宿に戻った、
っていう、そんなことがあったのよ。ちょっと長かったけど。

で、この前その友達となんか話ししてて。
あんときな〜って話になったのよ。
そしたらその友達がさ、
そんな事実はないってゆうのよ。

え!ってな感じで、
わたしびっくりして。は、何ゆってんの。なにゆってんのよおったやん、バナナ吐いたやん、っていくら説明しても、そんなこと知らんってゆうのよ。
えー、どこまで本気、ってゆって、そんなんで嘘ついても笑えるとこちゃうし、友達もマジで知らんみたいやねんなあ。

けれども、
わたしはもうずっと長くその海でのこと、犬のこと、吐いたバナナのこと、思い出せへんくらいに当たり前に、普通の過去の出来事、
全部わたしのちゃんと経験した思い出として今まで取り扱ってきたわけ。
「なんなん、なかったってゆうけど、わたしにはちゃんとあったことやねんけど」、
ってゆっても、そのときわたしが確かに認識してたその友達に知らんってゆわれたらこれ、もうまったくぐらぐらな話で、わたしは今、非常に心細く、困ってます。

白昼夢を、独りでその砂浜でみたのか(でも友達は海にも行ってないってゆうし)、
いつか夢見てそれを現実の思い出として混ぜて記憶しちゃったか。
それにしても。それにしてもよ。いくら濃ゆい夢見ってゆっても。
これはヤバイやろ、わたし。
自分でちょっとひいたもん。

でもね、これって、すごいマジで、大変なことなんよ。
「そう、思い出や記憶は、曖昧なもの」、とかしたり顔でよく言ってるけれども、
これって怖いことなのよ、驚異的なことなのよ。判っていただける方にはわかっていただけると思いますが、それならいったい、・・・・・。

・・・・まあ生きてること自体がそういうもんだといえばそうであるから、
もういいか。どっちでもいいのかも知らんけれどもさ。

いったい何処までが他人と共有できてる記憶で、何処からがそうじゃないのか。
なんかもう、諸星大二郎の漫画の世界みたいな気分になってきた。

とにもかくにもそうやって、今後も発覚する可能性大です。

あの思いでも、あの風景も、わたしの頭にある以上、それはちゃんと経験したことだと言おうとすれば言えるけれど、いちいちちゃんと確かめたら、事実ではないのかも知れないですね。もう知らん。

曖昧な、あまりに曖昧な、現実のわたしであります。

投稿:by 未映子 01:00 AM [非・文] | 固定リンク

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