« ニューヨークは狭かった | 悲しみを撃つ手 »

2004.02.13

世界は少年少女のためにある。

ご無沙汰してます。未映子です。
なんと前回の日記から一ヶ月も時間が経っておったのですね。
皆様方毎日はどんな風に過ぎていますか?なんかぱっとしたことはありましたか?
嫌なことはありましたか?わたしは歌詞書いたり怒ったり、
それでもってやり直したりタクシーに乗ったり泣いたり吉野家に行ったり、
電話したりタイ料理食べたり失望したり躁の極み、まあなんちゅうこともあらん、
一ヶ月は飽くまで一ヶ月。一年は呆れるくらいに一年以外の何者でもありません。
そういえばちょっと前に、時間の感じ方について誰かになんか聞いた。
子供の頃って一日、一週間がすっごいドラマティックで、
一年なんかすごい長かったやん?一年が。それが今ではどうよ。大人になってしまった今では日常の瑣事に追われ予定に縛られこの体、一年なぞ一瞬で終わり、このぶんだと人生は一炊の夢なんていうのも日増しに大げさではなく、実感すらともなう、この感じ。
でね、子供の頃ってまだ時間に対する経験が少ないから、すごく長く感じられるらしいの。
あれよ、知らん道行くときはすごく長く遠く感じられるのに、帰りはめっちゃ早く感じるっていうあれと似てるな。それで、時間の経験が一年一年増えていくことによって、慣れていくのな。春夏秋冬に。朝昼晩に。盆や正月、季節の巡りに。明らかに9歳の一年間と、27歳の一年は長さが違うらしいのです。ううむ。
それで、人生80年として、どういう計算かちょっとうまく説明出来ないのがあれですけど、時間に対する感覚を、経験となんやかやして計算すると、人生の折り返し地点はいつだと思います?単純計算だと80年だったらば40歳ってことになるんですけど、なんと。
19歳っていうから驚きですよね。19って。だから19歳までの時間と、残りの61年間の時間というのは濃さ密度でいうと同じということに、なるらしいんですの。
確かに19歳までは本当に長かった。それからはあっと云う間であった。
昔の人は偉いね。二十歳過ぎるとあっというま、30超えると瞬く間。そっから先はいわずもがな。実感はまこと真理なり。

というわけで、人生の客観的観察は人類にとっては不可能であっても、こういう考えかたって、なるほどねえと思いますよね。だからってまあ、生きていくしかないんですけれども。
最近周りには、大人になってしまったと自覚する友人が増えてきた。仕事も責任のある役回りになってきて、ローン組んだり結婚なぞをしてみたり。子供を産んだり。聞けば怒ったり泣いたり腹立ったりなんかが急激に減ってきたんだって。そして大人になったら2週間先のことまでしか考えられないのだというう話も。ふうん。

世界は少年少女のためにある、とはわたしは常々思っているのだが、疑いようがないよね。
誰もが少年少女だったわけですが、世界は常にある一定の特権階級によって鮮やかに彩られているのですね。しかしここで云う特権階級、少年少女というのは必ずしも年齢に限定されるものではない。森茉莉しかり、稲垣足穂しかり甲本ヒロトしかりミヤジしかり。
気質やな。

あああ、わたしが好きな人はみんな子供だわ。

投稿:by 未映子 01:00 AM [心と体] | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50003/1300843

この記事へのトラックバック一覧です: 世界は少年少女のためにある。:

 


純粋悲性批判