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2003.08.04

真夏の夜の幻想

今年は夏のどっか夜店に行きたいなあ、
あのうす緑と桃色の、練乳をはさんだあの、
上あごにべったりくっついちゃう、
あのみるくせんべいが食べたいなあと思ってはいたけれど、
仕事や無気力、日常の瑣事、なんだかんだで、
結局夏だろうが正月だろうがあんまり変わりない毎日になりそうです、っていうか、
なってます。
あのみるくせんべいは、夜店でしか売ってないのか。
駄菓子屋っていう手もあるけれど、
みるくとか、いろいろ手間ですね。第一それだけ家で食べたって。ねえ。
でもあれ食べたいなあ。
去年の今頃の日記をはらはらとめくってても、
わたしはなんというか、
たとえば日時はかろうじて記してるけれども、
気持ちのほうを、飽きもせず、
だらだらぐつぐつ書いてるのが多いので、
日記の特質というか、本来の特性がこれ、存分に欠けているので、
ほんとに、なにがいつでどうなんだか不明。
いつも同じようなことを同じように思ってるだけで、
それを書いてるだけだから、
まったく意味なし。
ああ、こんなとこにいって、
ああ、この人と会って、みたいなことが書かれていない。ごく僅かなことしか。
まるで思春期まっさかりの日記さながら。
実際的に、わたしは終わりなき思春期を生きてはいるんですけれども、
それは絶望的に知っているんですけれども、力が抜けますよね。なんか自分に対して。
せめて日記ぐらいはさ!
ばしっとこう、
感情の入らない、なんか、無機質な!なんか、ドライな!
そういう、「今日の天候は曇り。9時起床。昼食を済ませ仕事へ。その後***に行った。***を手にとって見たが買わずに帰る。夕方***より電話。夜、9時に就寝」みたいな!こういうのがわたしの思う日記なわけなのですよ。
それが一枚としてちゃんと書かれていない。
で、去年の、今日の日記を見たらさ、親友と祐天寺のお祭りにいってんの。
覚えてる覚えてるけど、
あの時は偶然行ったんでしたよねー、みるくせんべいも食べなかった。
それをそのまま書き写して今日は終わり。
日記っていうかたんなる書きなぐり。字もひどい。おかしいとこもあるけど原文そのまま。この感じからして、単に眠たかったのか。
「下が土でなくコンクリートの寺付近。砂を引きずる音もなく、ぼんとやり白く光る広場を円にって笑顔で皆さん盆踊り。わらわ提灯のゆれ方発光。なかなかに霊的、存分に鎮魂的。皆さんほんとに楽しんで?、踊るの大好きなんだって。わたしは今にも泣き出しそう。ばかりになって、
だって怖い怖い怖い。
思い出はおばあちゃんとのりくん、
すーちゃん、まさみちゃん。さっちゃん浴衣、夜がもうこんなになってよ。子どものわたしはどこいった、ちょんまげも眩しい夏も夜でした。いつも取り合ってるブランコがひとりぶらぶらかわいそうやねえ、あの夜、あの時、幻想が火花たててご挨拶、
これからえらいしんどいけど頑張ってねみえちゃん、そうそうおなじ九時、柄もね。
それでもあんときは砂あったで。ここコンクリートよ、これでいいん、
これでいいか夏の夜も、祐天寺です。祐天寺でした。これは何ですかこれはいったい、
な気分。思えば遠くにきたものよ?わたしなんでここにおるん、なんでみんな同じ方回るん。なんで笑って踊ってるん。あれか、葬式のあのくるくる回ってるやつをにか、模してるのな。ほうほうにああ気持ちよ悪かった、提灯、提灯、(提灯そで)揺れるんやったらはっきし揺れろ。ああああもう、怖かった、沈黙に引きずられるわ。
体が中からめくられてゆく思い。みんなの笑顔が、なんか青白くて」

投稿:by 未映子 01:00 AM | 固定リンク

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